
基本的ニャン権侵害は成立した
1
パニックで錯乱しかけ、ものが言えない私を、市長たちがもの珍しそうにとり
囲んだ。がっくりと膝をつくと、コアラたちと同じ高さで目がまっすぐ合ってし
まう。待ちかねたように、彼らはぞろりと興味ぶかげに輪を縮めてくる。
虚脱している人の顔を、彼らは左右正面からまじまじとのぞきこみ、いっしょ
にはじけたように爆笑する。犬も猫も狼も、ワフワフと口をあけ、顔じゅうくし
ゃくしゃでごきげんだ。手足を鳴らし尻尾をふって、とびっきりの喜劇の観客さ
ながらに興奮している。
市長たちのはしゃぎように、私はだんだん腹の底から、怒りがこみあげてき
た。こんな状態で、馬鹿にされっぱなしでいられるか。むっとすると同時に、パ
ニックが去った。足腰に力が戻る。勢いをつけて、すっくと立ち上がる。
動物たちは、おおっとどよめいて見上げる。が、完全に人をなめているらし
く、あとじさりの気配もない。
それどころか、ふくらはぎを後ろからコツコツつつくものがあった。肩ごしに
ふりかえって見下すと、白色レグホンの参事官だった。
カミュは真っ赤なトサカをぷるぷる揺らし、黄色いくちばしをカツカツと開い
た。
「立ち直って、ケッコウ、ケッコウ。人間は、そうでなくちゃ。意地っぱりの負
けずぎらいで、根性悪の気まぐれで、怒りっぽいやりトリがないと、コオーッ、
ほんとの人間とは言えません」
一瞬、唖然とするが、人間さまはえらいのだ。あわてて語気を強めて反駁(は
んばく)した。
「何をいう。ニワトリのくせにっ」
とたんに周囲の空気が、水を打ったように静まりかえった。恐ろしいような沈
黙に包まれる。十秒ほど、し−んとした静寂が続いた。
最初に静けさを破ったのは、猫隊長オタマだった。顔を洗いながら、新月のよ
うに細い瞳で、にやにや笑いを浮かべる。してやったりと言いたげだ。こずるい
眼光をたたえ、おもしろそうに私を見上げた。
「今にょは、重大な差別発言だにゃ。猫(ニャン)権に関わる問題にゃよ」
くすくすとおもしろがるオタマは、トラ猫ヨイトマケにちらと横目をくれた。
白い手の先で、部下の顎の下をなでてやる。
ヨイトマケは、うっとりと目を閉じ、ゴロゴロ喉をならした。私を薄目で一瞥
し、フニャンとした声で告げる。
「基本的ニャン権の侵害にゃ。これは、にゃんとしても、裁判するにゃ」
ヨイトマケの気持ちよさそうな声が、ほかの動物たちの沈黙を破った。にわか
に浮き立った雰囲気がわきおこる。喜びが顔じゅうに満ちて、全員の目が興奮に
きらきらと輝きだした。
何がうれしいのかわからない。シロ隊長など、ブブヅケといっしょに尻尾をさ
かんに振り、喜びいさんで両足を踏み鳴らす。
「犬兵隊も聞き捨てならんぞ。今のカミュ参事官への発言は。明らかなワン権侵
害だぞ。そういうことは、裁判だぞ。どうしてもシロクロ決めるぞ」
法王ムーンタッタもハッハッと息を吐き、白く鋭い牙もあらわに、口を大びら
きして訴えた。
「おまはん、その通りだーよ。ガウ権侵害でもありますぞ−よ。神をもおそれぬ
フトドーキな人間。神のお裁きが必要だ−よ」
タッチャンも、こまかい泡にまみれた舌を出して盛んにうなずく。だらしない
ほど相好(そうごう)を崩している。
「まあ、なんてことだべよ、はあ。市の巨頭のみなさんを前に、なんて無礼な人
だべか。おら、あきれてものも言ねえだ。枢機卿になってから、こんなひどい差
別発言は初めてだだよ」
口にするのは批判の一連射だが、見せる態度は、まるで裏腹だ。「裁判」とい
うひとことに、うきうきと興奮しているのだ。まるで久しぶりにお祭りさわぎが
できると言わんばかりだ。大はしゃぎで、鳴くわ吠えるわ、はばたくわで、もう
大変な騒ぎだった。
裁判なるものに対する感覚が、人間とは相当にちがうらしい。もっとも、裁く
方は楽しいだろうが、この場合、訴えられる被告は、困ったことにこの私なの
だ。
ユカリ市長など、シロとブブヅケに片方ずつ手をとられ、空中ブランコそっく
りに旋回し、きゃっきゃと喜びの声をあげている。
「いや、もうこれは愉快ゆかい。もちろん裁判だ、裁判だよ。うんうん。カミュ
くん、ただちに即刻、ぜひとも絶対、告訴したまえ。うん、なにがなんでもしな
ければいけないよ。なんなら、われわれが連名で、集団提訴してもいいからね。
いや、そうした方が、いいだろう。いやあ、楽しい、楽しい」
「とるものもトリあえず、裁判はじまる。すんごくケッコーッ。トサカうっト
リ、けづめ文句なしッ」
オラン婆さんの肩の上に、カミュが白い羽根をちらかしながら、勢いつけてと
びのった。ケッコウ、コケッコウと、ときの声を果てしなく繰り返す。オラン婆
さんも、顔じゅう喜びに笑み崩れている。はばたくニワトリの細い首に両手をま
わし、両足の裏でばたばた拍手する。
猫撫隊は手をとりあい、身をくねらせて猫ダンスを踊りだす。上下左右にふる
尻尾が、遅い風車のようにうねうね回転している。
法王ムーンタッタと枢機卿タッチャンも、すっかり気分が盛り上がっているら
しい。はあはあ息をせわしなく吐いて、ウオウオンと吠える。法王はヤドリギの
枝を盛んにうちふって、ひどくうれしそうに目を細めて叫んだ。
「キマグレコ大明神さまの御前に、大いなる、おさ−ばきを!」
狼の聖職者たちは、笑いながら舌をべろんと出して肩を組む。
法王は、白い牙の並ぶ口を大きくあけ、聖歌きどりに、変な歌をがなりはじめ
た。
♪ウオン、ウォック。
こりゃ、裁判。
神のみむねにのっとって、
裁判、ばんざい、裁判だあ。
べあべあ裁判、日暮ら市法廷、
即断即決、一審、二審もありはせぬ。
目には芽を、歯には葉を、
手にはたべもの、足には靴を。
"こ"さまは来ませり、"こ"さまは来ませり。
賛美歌、びかびか、夜中の目玉。
狼まなこは、夜目きくまなこ♪
法王の調子っぱずれの歌声に、うれしくてバックリ口をあけたタッチャンが
「んだ、んだ。んだべよ。んだだ、んだ」と、牙をならして巧みに間(あい)の
手を入れる。
いつの間にか、裁判が決定事項になっている。いくらなんでも、これはまずい
事態だった。私は手を木の床につき、あわててカミュにあやまった。
「待ってくれ。裁判だなんて、勘弁してくれよ。な、こうしてあやまる。カミュ
くん、さっきは言い過ぎた。どうかゆるしてくれ」
カミュは、狂喜してときの声をあげ続けるばかり。人の哀願などちっとも聞こ
えていない。オラン婆さんの頭の上で、翼を盛大にうちひろげてはばたき、白い
羽毛をあたりいっばいに大盤ぶるまいする。
狂喜乱舞する動物たちの声に、私は思わずへなへなとその場に崩おれてしまっ
た。なんでこうなるのだ。これでは、否応なく被告の立場に追いつめられるでは
ないか。
うなだれて床の上に座りこむと、下の方から聞きおぼえのある吼え声が聞こえ
てきた。
「ぐおっも−ん。ぐおっも−ん」
たちまち、市長たちの狂喜の踊りに、その場でストップモーションがかかっ
た。歌い踊っているかっこうのまま、ぴんと耳をそばだてる。唐突に耳をうった
ほえ声に、すっかり気をとられている。
ムーンタッタが、白い耳を立て、感きわまった声を上げた。
「おお、あのお声は、まちがいな−い。"こ"さまで−す。もったいなくも、"こ"
さまが、ここへおいでになられ−る」
感動にふるえる法王狼がひざまずくと、あの月の輪熊の吼え声が、元気いっぱ
いに駅舎の上まで響きわたった。
「ぐおっも−ん。どうか、わかってくれろ。おらあ、小次郎だ。中次郎でも、大
次郎でもねえだ」
小次郎の叫び声は、木のホームの下から聞こえてくる。動物たちも私も、いっ
せいに板の間から、下をのぞきこんだ。
私は仰天した。なんと、駅の立つ丘のらせん状の表面に沿って、あの月の輪熊
が、紫色の法服をまとい、えっちらおっちら登ってくるではないか。
裁判用の法服もまた、車掌の制服のときと同じく、つんつるてんだ。手のこん
だフリルつきのミニのワンピースをつけているような塩梅(あんばい)だった。
真黒で大きな両脚はむきだしで、暖かい花の芳香をふくんだ風に、フリルのすそ
が紫色の蝶のようにひらひら踊っている。
しかも、彼は左の肩に、大きな魚を下げている。口とえらから熊笹の枝を通し
た、ぴかぴか光る活きのいい生鮭だ。右腕には、大きな蜂の巣をかかえこみ、怒
った蜜蜂の群れが、そのまわりでわんわん騒いでいる。
熊は濃い桃色の口を開け、くすくす笑いながら、ひとりごとをもらしていた。
「わたくし、たぶん、熊だと思うんですけれど、市民のみなさんが、熊を熊と思
ってくれるかどうか、とっても心配。心配、うふふん……」
熊の登り方は、思いがけずうまくて速い。両手がふさがっているのに、短い脚
でけっこうたくみに登って来る。
そのひとりごとは、相変わらずおかしなものだった。上に近づくにつれ、意味
不明の文句の連なりが、みょうな節まわしに乗って聞こえてくる。
「……車掌はとっても楽しいな。それより楽しいのは、裁判長ですよ。思わず蜂
蜜、よだれがたら−り」
のぞかれているのも知らぬげに、小次郎は蜜蜂の巣を、大きくあけた口の上に
持ち上げた。黄金の蜜がいく筋もしたたる。てろてろと光る金色の蜜を口いっぱ
いに受け、赤い舌を踊らせて飲み込む。
蜂蜜をなめると、彼は「うふうふう」と笑った。口のまわりについた蜜を、ベ
ろべろとなめまわしてご満悦だった。
とぎれていた一人ごとが、またはじまった。
「残念ですけど、車掌というのは、きのうまでのお話。鮭と交替で、どっとおは
らい。実はわたくし、きょうは、何の職業につくか、うれし恥ずかし、困ってた
んですよ」
小次郎は、ふっと上を見上げた。その真黒な目と、板ごしにのぞく私の目と
が、ぴたりと合った。またお会いしましたねといいたげに、無邪気そのものの瞳
に、明るい喜びの光が宿る。蜂の巣をもった手で口をおさえ、おもしろいことに
気づいたようだ。
「うふ、うふう。でも、やっと職業が、決まりました。それもこれも、みなさん
のおかげです。おかげも日陰も、たまには必要ですよ。あんまり日向(ひなた)
ばかりでは感心しませんねえ。だって日射病にかかってしまうじゃありません
か。そんなわけで、わたくし、きょうは裁判長をやることにしました。うふ、う
ふう。なんて、あっぱれでしょう。たのし。おもしろ」
いったい、どうやって裁判するつもりなのだろう。だいいちこの駅まであがる
のだって大変だ。ここは道もないすべすべした円錐状の丘の頂点にあるのだ。い
くら登りかたが速くても、古い木造の駅だ。法廷があるわけじゃなし、たどりつ
いても裁判できるはずがない。
何より検事や判事や弁護士はどうするのか。傍聴人だって必要だ。欧米式なら
陪審員を何人も呼ばねばならない。ショックでもうろうとする頭では、それ以
上、先のことなど想像もできない。裁判官の法服をつけ、蜂の巣と鮭をかついだ
月の輪熊が、えっちらおっちら登ってくるのを見つめるばかりだ。あまりに非現
実的なできごとが連続している。事態の急展開についてゆけない。
虚脱状態の私の前に、ユカリ市長がちょこちょこ歩いてきた。コアラは、ステ
ッキの先で私の靴を軽くつつき、えっへんと胸をはった。
「うんうん。きみは見事だねえ。被告に選ばれて、どうもおめでとう。私として
も、大変にめでたいことだと思って、おおいに喜んでいるよ。うんうんうん。と
ても慶賀のいたりでね。市長としても、愉快痛快、金塊銀塊、赤貝巻貝、運動
会。裁判するなら、干両箱にお宝ものがざっくざっく」
コアラ市長は、ステッキで地面を掘るまねをして、とめどなくしゃべり続け
る。
「ここ掘れ、コアラ。コアラのかご屋はホイサッサ。コラコラ、コアラを叱って
はいけないよ。何しろ名前からして、すでに叱られているんだからね、可愛そう
だよ。うんうん。まあ、裁判で被告に選ばれるなんて、こんな素晴らしいことは
滅多にない。われらの被告くん。きみはほんとに幸運児だねえ」
ユカリさんの喜びとは裏腹に、私はいじけた子供のようにうずくまった。頭を
かきむしり、うめくことしかできない。
「ばかを言うな。被告になっておめでとうなんてやつが、どこにいる」
市長はステッキを胸にかかえ、正面に体育座りしながら、私の顔をのぞきこん
で言った。「どこにいるって……ここにいるのだよ」
すっかりめげた私のまわりを、動物たちが歓声をあげて踊る。
「やった、やったぞ。裁判なんだぞ。うれしいんだぞ。この喜びはみんなで分か
ちあうんだぞ。裁判長どのから被告にいたるまで、みんなで気前よく祝福するん
だぞ」
と、シロの声がはしゃいで吠えれば、ブブヅケも狂喜して吠え返す。
「とっても、非常に、大変に、うれしいですぞ、隊長どの。いや、ほんとに久し
ぶりなんであります。わくわくどきどき、うきうきします。ワン権問題なんて、
これ以上ないくらい、すばらしい告訴の理由です」
猫たちの会話もまた、犬と負けず劣らず人を愚弄するものだった。退屈でない
なら何でもいいのだ。刺激的な椿事への期待に、あからさまに興奮している。
「にゃんともはや、裁判にゃ。マタタビよりも、はるかに酔わせてくれるにゃ
ん。判決は太いに楽しみだにゃん。もう、気分は、にゃんにゃんかにゃん。にゃ
にがにゃんでも、面白ければいいのにゃよ。にゃあ、ヨイトマケくん」
「うれし涙が出ますにゃん。人間(にゃんげん)の裁判が見られるにゃんて。そ
れもこれも、隊長どのの日頃の努力と忍耐(にゃんたい)のタマものですにゃ
ん」
カミュも飛べない羽根でさっきから、はばたきっぱなしだ。叫び続けてかすれ
ても、なおときの声を上げている。
「裁判コオーッ。すんごくケッコウ、トリとめない。ニワトリも、身のほど知ら
ずに天まで登る。ベあべあ法廷、ここでも、あそこでも、どこでもケッコウ」
オラン婆さんのまわりを、ばさばさ飛び上がって駆けめぐる。老オランウータ
ンでさえ、いっしょになって喜び踊っている。両手両足を何度も打ちたたき、ヨ
ガじみたポーズをとって寝転んだまま、唇をつきだして笑う。
「こんなめでたいことになるんなら、運転士をやめたいというのも、考え直して
もいいね。裁判となりゃ、話は別だよ。ぶっひゃっ、ぶひゃ」
狼の法王と枢機卿は腕を組み、二匹でフォークダンスを踊っている。
「裁判するなら、よいよいよい。判決出るまで祝福を。反省よりも賛成だ。被
告、恋しや、ほ−やれほ。判決出てから反省したって無駄なのだ」と吠えなが
ら、両手つないで輸をかきスキップしていた。
人間が被告の裁判は、想像もつかないほど珍しく、しかも興奮するものらし
い。まるで何十年に一回のお祭りみたいな感じだが、何がそんなに楽しいのか見
当もつかない。
私は、小次郎が紫色のつんつるてんの法服姿で登ってくるのを、おののきと不
安をこめて見下ろす。心ぼそいことおびただしい。裁判というが、このへんてこ
な動物たちに、いったいどんな目にあわされるか、分かったものではない。
(そうだ)
歓喜のフォークダンスを続ける狼たちに、とっさに助けを求めようと思いつい
た。どんな世界でも、宗教者だけは、慈悲と救済を与えてくれる最後のよりどこ
ろのはずだ。
私は、恥も外聞もなく、狼たちの足元に、がばとひれ伏して助命を乞うた。
「なにとぞ、助けてください。キマグレコ大明神さまの御慈悲で、どうか裁判を
とりやめるように、市長たちや"こ"さまにとりはからってください。たのみま
す。裁判で被告になるなんて、絶対にいやだ。身におぼえもないし、何も悪いこ
となんかしていないんだ。なんとかしてくれ」
必死の頼みに心を動かされたか、意外にも法王は腕を組んだまま踊りをやめ、
にわかに神妙な顔でうなずいた。タッチャンの腕を離すと、ヤドリギの枝を持っ
て私の前に、しずしずと立った。
「おまはんの願いは、よーくわかりま−した」
狼は手をすりあわせる私の頭の上で、お祓いする神主のようにふるまった。ヤ
ドリギの枝を御幣がわりに、ばさりばさりとうちふり、朗々と祝詞(のりと)め
いた文句を詠(よ)みはじめたのだ。
「裁判を−、受けたくないのは、気の迷い−。心の乱れでございます−。裁判さ
れるの神の意志−。よろこびなさい−、踊りなさい−。そうすれば−、きっと被
告も好きになる−。裁判もきっと愛しく見えてくる−。きんきんきまぐれ大明
神。教会正直、キマグレコ。はらい卵。清め卵。はらいたまねぎ。きよめたまね
ぎ。はらいったましい。きよめったましい」
タッチャンも片足ずつぴょんぴょん跳ね、法王の朗誦に合わせ、節をつけて吠
える。
「そだべ。うんだべ。法王さまは、嘘をつかない善いお方。おらは思うだ。裁判
は、受けて楽しい名誉なこった。一生、一度の宝もの。被告になるのは大抜擢。
神の御慈悲だ、みこころだ。判決、きもきも、運だめし。ムンタ、ムンタタ、ム
ーンタッタ、法王さまさま、ばん万歳。万歳だったら、万歳だだよ」
万歳どころではない。ムーンタッタの祝詞まがいの朗誦は、私にとって絶望宣
告ではないか。深く大きなため息をつき、頭をふる。その場で気を失った方が、
まだましなほどだった。
そんな私の耳に、ホームの下から、小次郎の明るくほがらかなひとりごとが、
遠慮なく飛びこんでくる。
「おほほん、えヘヘん。わたくし、今日は裁判長ですよ。ですから、記念の鮭の
頭も蜂の巣も、とってもおいしくて、ほっぺたが落っこちます。でもですね、落
ちたほっぺは、後でひろうのが大変なので、あまりおいしいものばかり食べるの
はよくありません。でも、ついつい食べ過ぎて、やっぱり目も鼻も口も、みんな
おっこちてしまいます。そういうのは、自分で福笑いというわけです。目鼻をつ
けねば、べあべあ日幕ら市じゅう、もの笑いの種から芽が出て、森になってしま
いますからね。気をつけましょう。ああ、はやく裁判をして、鮭の頭と蜂蜜とド
ングリ餅とでは、どれが一番うまいかを決めたいものです。おお、これこそは、
べあべあ日暮ら市の重大にして困難にして南極。生きるか死ぬかの瀬戸内海。ベ
あべあ日暮ら市の興廃、この一裁判にあり。各ケモノ、おいしいものを楽しく食
べていっそう奮起せよ。それで、それぞれが一番おいしいと思ったものを、少し
ずつでいいですから、どうかわたくしに分けてください。うふ、うふう」
鮭と蜂の巣をかかえながら、奇妙なことを言い続けている。小次郎のほがらか
な声は、ホームにだんだんと近づいてくる。
「それで、おいしいものをいっぱい食べれば、生唾ごっくん、おいしい判決が出
ると思うんです。うふ、うふう。判決さえ出れば、もう安泰。なべてこの世はこ
ともなし。なべはやっぱり土鍋に限る。煮物は土鍋で食べるべし。できれば、た
くさん白菜入れて欲しいと思うんです。おお、そうだ。忘れてはいけません。必
ずシイタケとシラタキを入れてください。鮭のアラも、これでなかなかいい味だ
してイケるんですが、被告もきっと必ず感動してくれるはずです」
絶望した私は、その場でへなへなと腰をおろした。月の輪熊は人を助けるつも
りなど全然ないのだ。
彼は「うふ、うふう」と得意の笑い声を上げ、鮭と蜂の巣を抱えたままホーム
の真下に登りつめた。大きな熊の爪が、ガリガリと板の裏側をひっかきだす。
(生唾ごっくん裁判の段取りは、まず、なしくずし的に次回から)