草丈を越えて上半身が見えるのは、小次郎とオラン婆さんだけだった。彼らは
オニごっことかくれんぼに疲れたらしい。あたりを見渡しながら、さかんに周囲
の木陰や草かげの動物たちに愛嬌をふりまいている。小次郎などは、蜂の巣を片
手に、森の樹々の間にいる動物たちに、さかんに投げキッスをくりかえしてい
る。
 ワン教授もまた、小次郎の投げキッスを受けた。とたんに虎教授は、にゃふん
とした笑みを浮かべ、こくりとうなずいた。何を了解したのか知らないが、虎
は、私に向き直って宣告する。
「さて、これでやっと、裁判のだいたいの段取りが決まりました。いよいよ本番
です。がんばってまいりましょう」
「おいおい。段取りって、こんな森の中で……」
 あわてる私に、ワン教授は獰猛な爪をにゅっうと指の先からのばし、小次郎を
さして言った。
「"こ"さま御指名の裁判行司が決まりました。これはもう、たっぷりはっきり、
良い裁判になりますよ」
「サイバンギョウジ?」
 虎は、木の葉を貼りあわせた法律書を小脇にはさみ、気取ってあごを上げた。
「さよう。ベあべあ日暮ら市の裁判では、判決にあたって裁判長二人の同意がな
ければ刑が確定しないのです。東の裁判長と、西の裁判長です。別名、赤コーナ
ー、青コーナーとも呼ばれますが、裁判の場所を土俵やリングとも言いますね。
つまり被告の判決を、この二人の裁判長が別々に出すのです。裁判行司とは、土
俵における裁判長どうしのやりとりを、スムーズに運営するために設けられてい
る、大切で重要な役職です」
 裁判という言葉から、人間世界の法廷を想像していたが、想像力のたりなさを
後悔するはめになった。そうなのだ。このむちゃくちゃな世界は、動物たちの恣
意の元にある。人族の社会制度を重ねあわせること自体、そもそも大まちがいな
のだ。裁判がスポーツの延長線上にあったって、ちっともおかしくない。
 虎の教授は、人の困惑など意にも介さず、四周の木陰の傍聴動物たちに叫ん
だ。
「さて、ここにお集まりの紳士淑女のみなさまッ。ついに、開始です。この前代
未聞の城内開門、人間被告の裁判が、はなばなしく開催されることにあいなりま
した。さあ、みなさんも、栄えあるトラリン大学法学部の唱歌"裁判ダンス"を踊
ろうではありませんか。ええ、ええ、踊れない方でもだいじょうぶですよ。そう
いう方は、全身全霊をあげまして、いっしょうけんめい歌いましょう。お囃子
(はやし)ことばは、次の通りに願います。

♪はあ、べ−トーベンは偉かった。
大工が第九を歌うとき、
田園で泣いてよろこぶ音楽家。
カッコウの過去は知らないカッコいい。
立てば悪役、座ればショパン
歩く姿はユーリー・ガガーリン♪

 そんなわけで、ジーンとくるくらいの素晴らしい歌劇にいたしましょう」
 あたりは再び、大歓声と喝采に沸きたった。私はいきりたち、虎につめよろう
とした。
 ところが、私と虎の間に、近くの縦の巨木の影から、灰色の大きな生き物が、
いきなり現れて邪魔をした。
 それは、耳の長い一頭の若いロバだった。尻尾をぶらぶらさせながら、口に何
かくわえている。濡れた大きな黒目で、人を見上げ、ヒシシと歯をむいて笑う。
むきだした歯がかんでいるのは、一丁の草刈り鎌だった。
 ロバは、目の前に立つと、耳をバタバタさせて首をつきだし、この鎌をとれと
うながした。
 やむをえず、草刈り鎌を受けとり、ロバとワン教授の顔を交互にみやる。
 ロバは、歯をむきだし、またキシシと笑う。さも馬鹿にしたように、大きな目
で見つめ、いやみったらしい横目まで走らせる。
「動物につかわれる人間なんだと。だらしないんだと。ふふん。おかしいんだ
と」
 ロバの態度があまりに生意気なので、黒いたてがみをつかんで、詰問してやろ
うと手をのばした。ロバはさっとよけると、私を黒っぽい蹄の先でさししめし、
人を小馬鹿にする笑いを浮かべた。
「シッシッシ。やっぱし、乱暴なんだと。人間の被告なんだと」
 ロバの分際でなにを言うかと、頭に血がのぼったが、うっかり差別発言をしよ
うものなら、またどんな目にあわされるかわからない。しかたなく、赤くなった
り青くなったりしながら怒りをこらえる。
 虎の教授は、ロバのたてがみと首筋を手でなでながら、よくやったとうなずき
何度もほめた。
「うむ。よく鎌を持ってきてくれたね。ありがたいことです。パトラッシュく
ん。きみはいつも気がきく、賢いロバにほかなりません」
 賢いではなくて、さかしいではないのか。『フランダースの犬』じゃあるまい
し、なにが気のきくパトラッシュだ。憎たらしいロバだった。
 怒ってにらむ私に、ロバは大きな灰色の尻をみせて嘲る。ふりむいてクシシシ
と歯の間から笑いをもらすと、虎教授に一礼する。
「どうもなんですと。ワン教授、鎌でも斧でも、なんでも御用命くださいなんで
すと」
 パトラッシュの役目はそれで終わりらしかった。尾を大きくふると、近くの杉
の巨木の影に、トロットで駆けこみ、あっというまに姿を消す。
 虎教授は両腕をふりあげ、ふたたび周囲の傍聴動物たちに呼びかけた。
「さあ、膨張し続ける傍聴のみなさま。この被告くんの作業さえ終われば、あと
は準備ばんたん、用意オッケー。"裁判ダンス"の御用意はどうですか。お返事は
いかがですか」
 周囲の反応は、返事どころではなかった。動物たちの大歓声が爆発し、無数の
羽ばたきと鳴き声が、巨木の森じゅうに、轟くように響き波った。
 派手な動物たちの反応に満足した虎教授は、私にふりかえって咳ばらいした。
「というわけで、被告くん。やってくれたまえ」
「やるって、何を?」
 彼は堂々と胸をはり、さっきから手にしてやり場に困っている鎌を指さした。
「すなわち鎌での草刈りです。ハサミはいけませんが、鎌ならカマいません。ど
うぞ、作業をはじめてください。あなたが草刈りをしないと、裁判の土俵ができ
ないし、裁判ダンスも踊れないのです。よろしいかな」
 私は目をみはり、鎌の鋭い銀白の刃に視線をそそいだ。
「本気で、俺に草刈りをさせようってのか?」
 虎は、平然とした態度で法律書を開き、ひげをぴくりと動かした。
「だって、決まりですから」
「役人みたいな口をきくな。俺はいやだぞ」
「役人というのは、その通り。わたしは、ベあべあ日幕ら市々立トラリン大学教
授、こう見えても立派な公務員です。決まりは決まりですから、決まりなんで
す。決まりの反対はキマグレですが、ここでは神さまですから、われわれ市民
は、決まりを人間に押しつけてもいいのです。それに、被告は裁判の土俵を確保
すべしと、この偉い法律の本にも書いてありますしね」
 私は首を強く横にふり、駄々っ子のように地団太踏んだ。
「いやだ。なんで、そんなことをしなきゃならない。俺は知らん。ばかばかしい
っ」
 鎌を投げ捨てようとする私に、教授の態度が一変した。恐ろしいうなり声を喉
の奥から発し、ぐっと迫りながら、らんらんと燃える目でにらみつける。
「まさか、ほんとに、やらないっていうんですか。グァル、オガガ、ルルル」
 虎はいきなり真赤な口をかっと開き、白い牙をむきだすや、物凄い吼え声をあ
げた。
「これでも、いやだって言うんですか。えっ、被告くん。グァルルル」
 顔のまんまえで虎が大口を開き、凄まじい金色の目でにらみつける。輝く虎の
苛烈な視線と、獰猛な咆哮をまともに浴びせられたのだ。
 パクリとやられたら、人の頭などひとたまりもなくもげてしまう。豹ならぬ虎
の豹変だ。気取った虎教授から、凄味のある脅しの猛獣へと変貌したのだ。肉迫
する虎の視線は、ひとにらみで獲物の神経を麻痺させ、全身を呪縛するという。
さすがに野生のド迫力だ。森じゅうが一瞬にして、しんと静まりかえった。
 私は、たまげてしまって腰がぬけ、その場にへたりこむ。恐怖のあまり思わず
おしっこをもらしそうになる。体ががたがた恐怖に震え、萎縮して動けなくなっ
た。カの抜けた下半身は、まるで溶けた泥のように頼りなかった。
 虎に食い殺されると心臓が凍った瞬間、前方の地面に刺(とげ)だらけのちい
さな生き物が小走りにやってきて立ち止まった。
 三十センチほどのハリネズミだった。小脇に小さな木の碗をかかえている。碗
には雪や氷に似た白い結晶が山盛りにしてあり、どうやら砕いた岩塩のようだっ
た。
 ハリネズミは刺だらけの背中を見せ、短いきゃしゃな足を交差させて立つと、
私に神経質なしぐさでふりかえった。しゃべる声は小さく、言葉のはしばしにキ
ュッキュッと鳴き声がまじる。
「ささ、やっておくれ。はやく草を刈っておくれ。そうでないと、裁判がはじま
らないよ。この背中のハリハリでチクチクされないうちに、ささ、はやく刈って
おくれ。刈っておくれ。刈っておくれったら、じれったいな」
 黒い小さな目を、せわしなくくるくる動かし、ハリネズミはせっつく。背中の
針の山が、みるみる逆立ってゆく。
 虎の教授は、うってかわったすまし顔でハリネズミに挨拶した。さっきの生き
た心地のしない咆哮など、どこふく風だ。
「これは、これは裁判行司のハラショーくん。さっそく、駆けつけて下さいまし
たね。今回の裁判の行司は、とくに念入りにやっていただきたいです。よろしい
ですかな」
 ハラショーというロシア語みたいな名前のハリネズミは、つんととがった鼻先
を私に向けると、プライドの高そうな態度で言ってのけた。
「まかしといておくれ。だけど、この人間、あんまり賢そうじゃないね」
 裁判行司だかなんだか知らないが、ハリネズミごときに馬鹿にされ、情けなく
なってきた。怒るよりも、泣きたい気持ちが先に立つ。
「なんで、俺がこんなバカにされねばならんのだ」
 泣きべそをかいて座りこむ私の肩に、虎教授がそっと腕をまわしてなぐさめ
た。
「まあ、まあ、そう気落ちする必要はありません。もったいなくも可愛そうな人
間族の被告くん。ですが、あなたを助ける手段が、無いというわけじゃありませ
ん。わたしが特別に、絶好の対策を企画してあげましょう。とにかく、まず草を
刈ることです。そうすれば、裁判関係者の好意が得られて、判決もずいぶん変わ
ってくるはずだと思いますよ」
 判決が変わるというそのに胸をつかれ、眼鏡をかけた虎の顔をみつめた。
「ほんとうか?ほんとうに判決が変わるのか」
 ワン教授は、私の肩をポンポンとたたき、大きくうなずいた。
「ええ、ええ。もちろんですとも。そのことは、しっかりくっきり保証します。
なにしろ、わたしはトラリン大学の名誉教授なのですからね。ええ、わが推論は
ときに素晴らしく当たると評判でしてね。シャイロック・ホームズかマルセイ
ユ・ルパンかと言ったところです」
 私は、またまた腐りそうな気持ちになり、耳をふさいで拒否した。
「ちがう。ホームズはシャーロック。シャイロックは『ベニスの商人』。それに
ルパンはマルセイユじやなくて、アルセーヌだ。いちいち説明させないでくれ」
 虎は胸をそらし、自分のまちがいを、平気な顔で正当化した。
「ええ、そういう風な説を唱える人も、たしかにいるようですね。しかしです
よ、正当な学問的見地にかんがみますと、わたしの学説の方が正しいのです。で
もまあ、こういうわずかな違いの研究は、アマチュアの方にはわからない苦労で
す」
 岩塩の椀をかかえたハリネズミが、私のすねをかぼそい足でけとばして見上げ
ていた。
「こら。はやく草を刈っておくれ。裁判行司ができないじゃないか。これは自然
塩なんだから。水分すって塩が溶けてしまう」
 虎教授は、法律書を胸に抱き、片腕を広げて説明した。
「それでは、人間くん。わたしとハラショーくんが、先導しますから、あなたは
そのあとについて草を刈ってください」
 裁判行司のハリネズミが、塩の椀を片腕に持ったたまま、もう片方の手で松の
小枝をひろいあげた。彼は、その青い枝を軍配がわりにし、空中で草地をなぎは
らった。
「はっけ、よいしょ。のこったった」
 その声を合図に、私とワン教授のまわりに小次郎たちが集まりだした。わらわ
らと草や枝をかきわけて近づいてくる。
 彼らは、全員手をつなぎ、フォークダンスでもするように、大きな輪を私のま
わりにつくった。小次郎を先頭に、鮭を持ったムーンタッタ、タッチャン、ユカ
リ市長、シロ、ブブヅケ、カミュ、オラン婆さん、オタマ、ヨイトマケが、手や
羽をつなぎ、輪になってぐるぐる回りはじめた。
 ドクター・ワンは、小次郎の後ろにまわり、草の茎をいっぽん手にすると、そ
れを指揮棒のように振りはじめた。
「では、傍聴のみなさま。いよいよ、被告くんの前途を祝しで、"裁判ダンス"本
番編を盛大に踊りましょう。一発、ドンといきましょう。いいですか、ひい、ふ
う、みい−、そうれっ」
 たちまち、森じゅうの動物たちが、どっと声を合わせておかしな歌をうたいは
じめた。小次郎たちは、歌に乗ってぴょんぴょんとステップを踏み、奇抜なフォ
ークダンスをはじめる。

♪そそらそらそら、裁判ダンス。
タラッタ ラッタラッタ 
ラッタラッタ ラッタラ
検事、弁護士、被告もおどる……♪

 ひどく腹だたしかったが、私は鎌の柄をぐっと握りしめ、泣く泣く草を刈りは
じめた。草刈りを拒否したら、どんな悪い判決を招くかわかったものではない。
少なくとも、ワン教授が保証してくれたのだから、信じてここは草刈りにあまん
じるしかない。
 ざっこざっこと草刈りを続け、細い低木などは抜きとって、虎教授とハリネズ
ミのあとについて地面をならしていく。悔しいことに、繰り返し続く"裁判ダン
ス"のメロディーにあわせ、作業は一定のテンポにのってけっこうはかどる。心
は乗せられるまいと思っても、野生のリズムがテンポよく、体が勝手に乗って動
いてしまうのだ。
 まったく、刑務所の掃除をする囚人の気分だ。情けないやら悔しいやらで、刈
り取る草の青々とした臭いが、鼻につき目にしみるほどだった。
                 (裁判ダンスで読者も踊りながら次回へ)





    

はらばいのハラショー