呆気にとられている私の肘を、ワン教授がつかんだ。まるで連行すると言わん
ばかりだ。「では、市長と参事官といっしょに、参りましょうか。ほかの市の巨
頭のみなさんは、お昼寝(シェスタ)をはじめていますからね。人間くん。さ
あ、覚悟してくださいよ」
「よ、よせっ。はなせ」
 はねのけようとするが、虎教授はすまして眼鏡をあげた。
「暴れてはいけません。またガウッとほえるのは、わたしの本意ではないのです
からね」
 脅かすように大きく目を見開くワン教授だった。人間ならさしずめ、いたずら
っぼく眉をあげてみせるという所だろう。
 さっきみたいに恐怖でちびりそうになるほど、牙の大口を開けられてはたまら
ない。仕方なく虎に従うことにした。
「わ、わかったよ」
 ユカリ市長が、私をつぶらな黒い目でじっと見上げ、片手をもの欲しそうに口
にあてた。なにやら意味ありげだ。その口から、とんでもない言葉がもれた。
「たまには、木じゃなくて、人間に登ってみるのも、いいかもしれない」
 カミュが声高らかに告げる。
「それは、たまらんアイディアです。ぜひ、トリくんでみるべきです」
 虎教授がとっさに私の背中にまわった。怪力で上半身を羽交いじめにする。
「な、なにをする。やめろっ」
 体を左右にねじって逃れようとするが、虎の力だ、びくともしない。
 ユカリ市長は、私のやせたすねに片手をあてがい、ぽんぽんとたたきながら気
取ったポーズで体をよりかからせた。
「うんうん。まあ、これぐらいなら、なんとか登れるだろう。なんといっても、
歴代市長の中で、人間に登って抱きつけるという特典は、えら−い市長のわたし
が最初で最後。しかも被告だなんて、名誉なことこのうえないよ。素晴らしい歴
史の一ページに加えよう」
 コアラは、両足に抱きすがり、真剣な眼で見上げる。もう私を一本の木とみな
しているらしい。動物好きな人なら、その可憐さに、ひしと抱きしめたくなるだ
ろう。だが、今の私には、そんな余裕はなかった。
 市長は両手両足をつかい、たくみに私の体に登りはじめた。体長六十センチあ
まりの灰色の毛に包まれた体は、けっこう重くて見かけほどやわではない。足か
ら腿、腿から腹、腹から胸へと登ってくる。
「うんうん。先代市長のダチョウ、ホワイトハウス氏は、名市長と呼ばれたが、
このわたしも、これで後世に名を残せるよ。人間登りした初のえら−い市長。サ
ンザン猿にふれまわってもらおう。うんうん、なんだか楽しいねえ」
 虎の教授にしっかりとおさえこまれ逃げようがない。私は、やむなくコアラの
灰色の頭が、首の下までもっくりもっくり登ってくるのを見つめた。
 ユカリ市長は、胸にしっかりと抱きつくと、人の顔を上目づかいにしげしげと
見つめた。
「うんうん。あまりいい顔じゃないねえ」
 虎教授が、後頭部に生臭い息を吐きかけながら告げた。
「市長。そういう暖味ないいかたはよくありません。はっきり言うべきです。不
細工だと」
 腹だたしい断言だが、市長は小さな子供のように、こっくりうなずく。
「ああ、そうだねえ。うん。人間は毛皮もないし、尻尾もないし、鼻もつきでて
いないし、まあみっともない生き物の一等賞だよ。角も牙もないなんて、ほんと
によぼよぼの老いた獣にもおよばないねえ」
 市長は、そう言いながら私のシャツの胸をかきさぐり、黒褐色のボタンをひと
つつかんだ。何をするのだろうと目をしばたたかせていると、彼は黒い手でいき
なりボタンをひきちぎり、自分の口の中にポイと放りこんでしまった。
 びっくりした私の顔を、コアラは楽しそうに見上げ、口をもぐもぐさせて言っ
た。
「あまーい」
 飴玉をしゃぶるように、口の中で転がし、悦に入っている。
 私はあきれてコアラに訴えた。
「なにするんだ。そのボタンは、恋人がつけてくれたものなんだぞ」
 虎が、頭のうしろでグルグルと喉をならして笑った。
「そのボタンを、市長はたいそう気にいったのです。さしあげなさい。別に減る
もんじゃないですしね」
 私はコアラのにこにこ顔をにらみつけた。
 「返せよ。それはわざわざ貝のボタンを買って、つけてくれたんだぞ」
 コアラはうっとりして、相好をくずしている。
「おいしーい。あまーい。うんうん、それでようやくわかったよ。これは貝殻を
削ってつくったボタンなんだね。どうりでおいしーい。ほんのり塩の味がする
し、カルシウムがいっぱいで、コアラの健康にもすごくよさそうだねえ。うんう
ん」
 カミュが、足元にやってきて、いきなりウクレレをじゃかじゃか鳴らしはじめ
た。

♪海はケッコーッ。
 塩はサイコーッ。
 吹けよかぜ−っ。
 呼べよあらし−っ。
 シュトルム、ウント、ドラングッ♪

 鶏がかきならす音色は、激しくふきつのる疾風の音だった。こんな小さな弦楽
器から出るとは、とても信じられないほどだ。しかも「シュトルム・ウント・ド
ラング」は、文豪ゲーテ時代のドイッ語で、「疾風怒涛」という意味だ。けっこ
う教養がある鶏だ。
 ついに、カミュは、絶叫じみたときの声をあげた。
「湿布怒涛の打撲症!」
 たちまち、森じゅうを、眼を開けていられないほどの突風が、吹き荒れはじめ
た。
 どうどうと縦の木や杉の巨樹がほえ、風にこずえがかしいで、ギシギシ鳴る。
コナラやミズナラの大木も、豪雨のような激しい葉ずれに騒ぎ、今にも折れそう
に枝々がしなって揺れた。
 青い無数の葉が散り、風に舞って踊り狂う。ふきつけるあまりの風の強さに、
顔を手でかばってうめく。
「う、ひどい風だ。目にゴミが入る……」
 これでは、息もできないと思ったとき、ふいに風がやんだ。あたりは、しんと
静まりかえった。嘘のように風が去ったのだ。
 だが、コアラは胸にしがみついているし、虎は後ろから、まだ羽交いじめにし
ている。
 おそるおそる目を開く。そして、視界にとびこんで来た光景に、驚愕のあま
り、またもめまいが襲った。
「こ、これは、いったいどうなって……」
 そこに広がっていたのは、鬱蒼たる巨木の森ではなかった。さっきの古い停車
場だった。あれだけの見事な森が、影も形もなくなっている。小次郎が、ハサミ
を鳴らして呼んだのが嘘のようだ。武太郎の投げつけたドングリから生えた巨樹
も、一本もない。何もかもが、元通りになっているのだ。
 私は、何度も目を閉じたり開いたりして確かめた。あれが、夢まぼろしだった
とは信じられない。たしかに、あの森は法廷だったし、その樹々の爽やかな香り
や風も、はっきりと感じられたはずだ。
 いきなり顔のまんまえに、コアラの市長が、つぶらな瞳を輝かせ、ぬっと現れ
た。まだボタンをしゃぶっている。私の喉元に、ふかふかの胸を押しつけ、首っ
たまを抱きしめて、しっかりにらめっこする格好だ。
「驚くことは、なにもないよ。うんうん。どうなってるって?こうなってるのだ
よ。うん、単に元に戻っただけだよ。ベあべあ日暮ら市では、用が済んだら、ふ
りだしに戻るっていうのは、あたり前。うんうん。ふりだしは、カツオだしにコ
ンブだし、シイタケだしのつぎにおいしい。でも、やっぱり召し上がるのは、ユ
ーカリの葉が一番だね」
 うしろで虎の教授が、得意そうに応じた。
「その通りです。ホームの右側を、ぜひぜひごらんなさい。ものはなんでも、種
子に回帰するのです。回帰と怪奇の学問的な分析によれば、この現象は、まった
く奇特すぎて、ほとんど危篤状態というべきでしょう」
 そのとき私は、ホームのあちこちに、木の実が十個ばかり転がっているのをみ
とめた。「ドングリだ……」
 ワン教授はコホンと咳ばらいし、私を羽交いじめから解放した。
「そうです。あれは"たけ"さまが、持っていらしたドングリです。それもちゃん
と元に戻ったのです」
 私は、草刈りで疲れた肩をまわしてほぐしながら、あたりを見渡した。小次郎
たちやカミュ、犬兵隊・猫撫隊、法王たちの姿を探すが、どこにも見当たらな
い。
「他の連中は、どこへ行ったんだ?」
 ボタンを口にふくんで味わうコアラは、私の顔をじっと見て、深くうなずい
た。
「うんうん。み−んな、風とともに去りぬ。お役ゴメンで、もうしわけないの世
界なのでね。ふはふは、ボタンおいしい」
「じゃあ、小次郎たちは?」
 ワン教授が眼鏡をはずし、レンズをべらべらとなめながら説明した。
「新しいお仕事の準備です」
「新しい仕事?」
 舌できれいになった眼鏡をかけ直し、ワン教授は、しかつめらしく私を見下ろ
した。
「そう。人間くん。あなたの刑の執行は、ケンジ森でおこなわれることになって
いますからね。そのためには、宿六さんを起こすことが必要なのです」
「宿六さんって……、さっきも小次郎が言ってたが」
 コアラは、体をもぞもぞ動かし、人の肩に足をかけ、頭の後ろがわに、えっち
らおっちらとまわった。今度は後頭部に抱きつき、しまいには頭のてっぺんによ
じ登ってしまった。
「うんうん、いいながめ。やっぱり、人の頭の上は、なんともいいねえ……」
 ユカリさんは、私のつむじの上で楽しげにつぶやいた。どうやら頬づえをつい
ているようだ。
「宿六さんは、今すぐわかるからね、うんうん」
 目の前を、ユカリ市長の銀色の懐中時計が、振子のように左右に揺れている。
その振れに合わせて、足元が急にずんずんと揺れはじめた。
「な、なんだ。地震か」
 駅舎もホームも強い震動にみまわれ、ぐらぐら揺れだした。窓ガラスがびりび
り鳴り、駅そのものが、下からつきあげる力に、みしみしぎしぎし揺すられてい
る。
 いきなり、ホームが急傾斜になった。傾いてますます振動する。わたわたと転
がり落ちそうになって、悲鳴をあげた。
 これは、地震などという生易しいものではない。平らなはずのホームが、登り
坂になったり下り坂になったりするのだ。嵐の海にもまれる船の甲板みたいなも
のだ。シーソーの上のビー王さながらに、おたおたとホームをころがり必死に柱
にしがみつく。
 揺動する視界の中、眼下の花畑に、二頭の熊がぶらぶら踊りながら、丘のへり
をまわっているのが見えた。
 いつ降りたのか、小次郎と武太郎だった。まるで丘を御神体に見立てているか
のようである。奉納の盆踊りさながらに、とんとかとんとか踊っている。喜びい
さんで踊り続ける彼らは、花畑の上を平気で進む。
 揺れているのは、足の下の丘そのものなのだ。
 なおも続くひっくり返りそうな揺動に、柱につかまった手足が、汗でずるりと
すべった。
「わあっ。落ちるっ」
 不自然な態勢でこらえていた力が尽き、ついに私はホームから、まっさかさま
に転落してしまった。激しく揺れる丘の斜面を、ピンポン玉のようにはじき飛ば
される。
 丘はすべすべした固い段丘で、つるつるしている。その段と段のすきまに、体
がはまりこみ、超大型のすべり台のように、ぐるぐると大きな螺旋を描いて、地
上へ滑り落ちてゆく。
 ところどころ、濃い緑色や褐色や赤紫色の茂みが生えているが、何の木かわか
らない。とにかくものすごいスピードで丘の斜面を滑り落ちているので、確かめ
るどころではない。
 胸や腹や尻が、摩擦でやけどしそうだ。眼の回る速度で落ちてゆく。丘の麓ま
でのループを一気に降りて、花畑がみるみる迫る。
 三百六十度の猛スピードのパノラマに気絶しかけたとき、迫ってくる赤紫色の
茂みを必死でつかんだ。手にぬるぬるした感触があったが、その御陰でなんと
か、花畑に激突せずにすんだ。
 体は止まったが、回転して酔ってしまい、気持ち悪い。眼を開き、頭をふって
あたりを見渡す。
 幸いなことに、ほとんど丘をおりきっていた。花の濃く甘い香りが漂ってい
る。そこは、眼のさめる彩りに満ちた花畑だった。さっき駅から見下ろしたより
も、もっと美しく鮮烈だった。胸のむかつきがなんとかおさまる。
 ぬるぬるする茂みを離すと、そこから一メートルばかり、ずるりと落ちる。し
りもちをつく形で地面についた。立ち上がって、手で額の汗をふくと、てのひら
が妙に磯臭い。赤紫色の茂みのせいだった。
「こりや、木じゃない」
 てっきり草木だと思ってつかんだのは、なんと海草だった。磯の臭いをただよ
わせ、腰の高さまで、もしゃもしゃ生えている。その一部をつかんで助かったの
だ。
(なんで丘に海草が……)
 この丘の正体が気になって、私は花の間をあとずさりして見上げた。
「こいつは……」
 途方もないものが、眼前にあり、声が出てこなかった。
 それは、大きな丘にみまちがえるほかない、巨大な巻貝だったのだ。
 ぽっかりと真珠色の貝の口が、大洞窟になって眼前にそびえている。変な丘だ
とは思っていたが、まさか、こんなとんでもない代物だとは気づかなかった。す
べすべした表面も、螺旋状の筋や段丘も、あちこちに生えている海草の茂みも、
これですべて説明がつく。
 大きいなどというものじゃない。頂部に駅舎と森が乗るほどの、怪獣じみたマ
ンモス巻貝だったのだ。あの裁判も、森の繁茂も、ことごとくがこの大巻貝の上
で起こったことなのだ。
 呆然と立ちつくす私の眼の前を、小次郎たちが、大巻貝のまわりを、何周目か
踊って通りすぎる。
 二頭の熊は、また服装を変えていた。小次郎の方は、一見して明治時代の人力
車夫のかっこうをしている。大きな黒い頭にねじり鉢巻きをつけ、黄色い半纏
(はんてん)を着こみ、短い紫色の股引(ももひ)きをはいている。奇妙なかっ
こうなのだが、本人はすこぶる気に入っているらしい。桃色の舌を見せて笑って
いる。
 武太郎の方は、カウボーイ姿だ。黄色いスカーフを首に巻き、お洒落してい
る。投げ縄片手にロデオよろしく、テンガロンハットを脱いだりかむったりして
いる。
 二頭の熊は、巨大巻貝のからっぽの口までやってくると、そこで肩を組んで足
ぶみしはじめた。
 山に等しい大巻貝の口は、人の背丈の十倍はある大きな洞穴だ。ふたが無いの
で、中味の主は、いないのだろう。すべすべした真珠色の固そうな内壁が奥まで
続いている。熊たちは貝の洞窟に向かって、威勢よく手足をふりあげ、声をはり
あげた。
「宿六どん。起きてくんろ。くんろくんろで、コンロの炭も熾(お)きてるどん
っ」
 武太郎も、貝の中に呼びかけ、両手で口をかこんでメガホンをつくっている。
真黒な眼をきらきら輝かせ、耳をぴんと立てて叫ぶ。
「お−い、やっどろっくどん。起きて欲しいどん。ケンジ森までつれてって欲し
いどん。ヤッホー、聞こえてるか−い」
 か−い、か−いと、声が巨大巻貝の奥に反響して、ぼわぼわとこだまをひい
た。叫ぶのをやめた二頭は、いっしょに耳のうしろに手をあてがい、巻貝の奥か
ら返事が聞こえてこないかと耳を傾ける。
 月の輪熊と羆は、何の反応もないのを確かめると、おたがいに顔を見合わせ
た。
 巻貝から反響がかえってくるのが面白いらしい。二頭でそろって「か−い、か
−い」と叫びだした。ひとしきり、こだまを楽しんだあと、やっと叫ぶのをやめ
る。
 小次郎が、さっそく口の前に手をあて、あのうふうふ笑いをうかべた。桃色の
舌を出して笑う武太郎と、こっくりうなずきあう。
 熊族のエリート二頭は、そこでますますはりきって踊りはじめた。声をはりあ
げて歌いだす。その歌声は、あいもかわらぬ珍妙さであった。

♪踊りおどれよ巻貝音頭。
 ハァ、まきまき、かいかい、かいわれ大根。
 生えてでたのは大根役者、
 暗い舞台にひょんひょろり、
 恥をかいたら頭かいかい♪
 
 笑う熊たちは、とんたらとんたら踊りながら、「あたま、かいかい」と頭を両
手でかく真似をしている。

♪この世はでっかい貝殻で、
 だからセカイと申します。
 こりゃまた正解(セーカイ)どんぴしゃり。
 それが何より証拠には、
 広いようでも、世の中せまい。
 うれしいなったら、うれしいなっ。
 はあ、サザエにツブガイ、カタツムリ。
 みんなまきまきとんがって、
 口が固くてこころ渦巻き。
 毛だらけの足を出しましょ行儀よく。
 背中にしょった重たい自宅、
 土地つき庭つきすぐれもの。
 おと−さんのおかげです♪
 
 歌声にあわせて、地面が急にずんずんと揺れはじめた。
「な、なんだ。また地震か」
 さっき駅舎から墜落したときの地震に似ている。
 震源は地面ではなかった。巨大な巻貝そのものが大きく震え、その巨体の震動
が地面に伝わっているのだ。
 震動とともに、異様な音が貝の内側から鳴りひびいてきた。ごそりごそり、ご
りりごりと、何か固いものが、貝殻の中でこすれているような音だ。
 思わず後ずさりしながら、貝の口の洞窟に視線が釘づけになる。その中に、私
は信じられないものを見た。
 小次郎たちが、さかんに呼びかけていた巨大巻貝の口から、ひとめで甲殻類と
わかる剛毛に覆われた大怪物が現れたのだ。
 ぞろりと巻貝の奥から出現したのは、海老や蟹にそっくりの生き物だった。太
く長い毛の生えた、毛蟹のような脚とハサミだ。黄褐色の地にいぼ状の黒い斑点
がちらばっている。
 それは、数十メートルはある長い赤いひげと触覚をのばし、黒褐色の目をつき
だした怪異な巨大生物だった。
「こ、これが、宿六だって……、そ、そんな、ばかな」

(やっぱり、ろくでもなく巨大なもののようですが、だいたい見当がついたとこ
ろで次回)