女神は、青い袋から毛皮を取り出しては、ふうっと春風のような息をふきかけ
る。動物たちを復活させながら、忙しそうに小次郎らを見下ろした。
「ほら、わたしはいつも、こんなに忙しいのよ。かんたんに呼んではだめじゃな
いの。おまえたち、今度は何の用なの?つまらない用事なら、もう、すぐに帰っ
てしまいますからね」
 優しい女神は、皮から生き返らせた動物たちを、そっと地面におろしながら、
別の毛皮を空中にまいて、ひまもなく息を吹きかける。
 小次郎は武太郎の隣に座りこんだ。女神を見上げて笑う。
「いえ、奥様水神さま。大切なことですから、どうかお願いを聞いてくだしゃん
せ」
 コアラと虎教授もただちに正座し、額を地面にこすりつけるようにして、奥様
水神を崇めたてまつった。
 茫然とつったっている私の手をひき、虎教授がせわしく座れと目くばせする。
「そんな所に、ネギ坊主みたいに、つっ立ってちゃいけません。早くここになお
りなさい。ほらほら」
 私は、あわてて虎の指示に従って座りこんだ。
 虎教授は、コアラといっしょに平身低頭しながら、私の後頭部に手をかけた。
「被告くん。きみ、背が低いくせに、頭(ず)が高いよ」
 ワン教授は、ちくりとする警告とともに、私の頭を肉球の厚い手で無理やり地
面におしさげた。
 抵抗もできずに、地面にはいつくばりながら、小次郎たちの姿を、上目づかい
の横目でうかがう。
 小次郎は、すっかりいじけた武太郎とは対象的に、天真爛漫な顔つきでうれし
げに女神に報告していた。
「奥様水神さま。実は武さんが、この通りいじけて困ってるのです。どうしたら
よいものか考えあぐねて、ョーソロー」
 腰から上だけ空中に浮かぶ奥様水神は、ちょっと困ったような表情を浮かベ、
毛皮を動物に戻す仕事を中断した。
「おや、またなの。世話のやける子ねえ。いじけてても進歩ないのよ。ほら、し
っかりしなさいな、武太郎」
 武太郎は、ますます目をうるませ、首と肩をさらに振っていやいやする。
「ぐおおん。おいら、駄目なんだ。もう駄目なんだ」
 鼻水と涙を垂らして母親に甘えるとんでもないマザコン熊だ。奥様水神はぽっ
ちゃりした頬に片手をあて、考えこみながら武太郎を見つめた。
「ちゃんとしなさい。ごらん、こうしてたくさんの動物たちを生き返らせるの
で、わたしはもう大変なのよ……あら?」
 奥様水神はふっくらした指で、私を指さし、軽い驚きの声をあげた。
「まあ、そこにいるのは人間ではないかしら。おや、珍しいこと。どこからまぎ
れこんだのかしら」
 虎教授が、横目を走らせ、人の頭に手を当てたままささやいた。
「これ、ご返事申し上げて、さ、はやく」
 ユカリ市長も口からボタンをとりだして手に握り、まじめな顔で私の服の裾を
ひっぱった。
「直答をゆるすってことなんだよ。うんうん」
 私は頭をなるべくあげないようにして、窮屈に身を縮めて奥様水神に返答し
た。
「は、はい。たしかに私は人間ですが」
 奥様水神は、そこでちょっと威厳を見せて眉をひそめた。
「人間には一言っておきたいことがあります。とくに女たちは、あんまり毛皮で
着かざりたがります。皮を剥がれて死ぬ動物たちが多くて、その魂を受け入れる
のにとても困っていますよ」
 私はすっかり恐縮し、緊張しきって女神の罰を予感した。魂を受け入れるとい
うからには、ここは死んだ動物たちの天国なのだろうか。そんな疑念がよぎった
が、とにかく眼前の事態に対処せねばならない。女神に答える声が思わず震え
る。
「は、はあ。…それは、その……」
「毛皮用に殺された可愛そうな動物たちを、こうして復活させるのがわたしの仕
事のひとつなの」
 眉をひそめた女神は、青い袋に手をさしいれ、無数の毛皮を空中にまきながら
続けた。「ほら、ごらんなさい。こんなに……。以前は、毛皮といっても、世界
じゅうから集めてもてのひらひとつ分だけだったのよ。それぐらいわずかだか
ら、こんな仕事はすぐにすんだものなのに。今では仕事の半分以上が、この毛皮
動物たちの復活についやされてしまっているわ。本当に人間は、毛皮のためな
ら、どんどん殺して絶滅させても少しも心が痛まないようですね」
 私は言葉もなく、じっとうなだれるほかはなかった。ファンタジー作家という
商売柄、地球環境の破壊や動植物の悲惨な状態は、わりと注意ぶかく見ている方
だ。奥様水神の言葉には、ぐうの音もでない。
 奥様水神は、いつまでもいじける武太郎をみおろし、そのふくよかな顔だちに
少しきびしい表情を浮かべた。
「これこれ、武ぼうや。おまえは、小次ぼうといっしょに、おとうさまの代理を
おおせつかっているというのに、そんなにめそめそしていてはいけませんよ。ほ
かの動物たちも心配しているじゃないの。この世界の明るさが、おまえの分だ
け、滅ってしまうではありませんか」
 小次郎が、月の輪の入った胸を、ほとほととたたきながら、
「そです。そです。その通りです」と深くうなずいている。虎教授やユカリさん
も、神妙な顔でひれふしているが、武太郎はまだべそべそしている。
「だって、ふんだ。ふんだ」
 ヒグマは、ひっかけそこなって地面におちたロープの輪を片手につかみ、自分
をいじめたやつを見せつけるように、女神にむかって差し出した。
「このロープが、ロープが悪いんだいっ」
 ワン教授が大きな虎耳をぴくぴくさせ、くすぐったいような顔つきで女神を見
上げた。
「奥様水神さま、わたくしめが"こ"さまに成り代わり、"たけ"さまの本懐を遂げ
させて頂きたく存じますが、いかがなものでしょう」
 奥様水神は、まるみを帯びた片頬を、肉づきのいい指でおさえ、にっこりと笑
った。
「そうねえ。何かいい考えがあるなら、そうやってもいいけれど、どうかしら。
虎のワンちゃん」
 ワン教授は、女神の返事をもらうと、まるで子猫のように喉をならしてうれし
がった。全身のトラ縞をくねらせ、とろけたように甘い顔をして、花畑の上をゴ
ロニャンと、ころがりはじめる。頭上の女神に甘え、まっしろな腹をみせた。身
をくねらせて背中や頭を地面にすりつけるしぐさは、まるでじゃれて興奮する猫
そのものだ。さっきまでの教授の権威など、どこふく風だ。
 彼は、ひとしきり花畑の上をころげ、ごろりごろりと腹を見せたあと、その場
にふいに四つ足で立った。ワン教授は、伸びをしながら充実した口ぶりで声をあ
げた。
「ああ、ひさしぶりに甘えがたっぷり満足いたしました」
 甘えが満足したせいか、いつのまにか虎本来の姿かたちにもどっている。美し
いオーロラの光輝く空の下、つややかな縞毛に覆われた虎の姿は、勇猛な地上の
覇者を思わせる。
 驚きに目を丸くしている私を尻目に、虎は奥様水神さまと小次郎、武太郎、ユ
カリさんに向かって順々に頭を下げた。
「それでは、じきじき拝命のお仕事をさせていただきますです」
 四足に戻った虎は、ペこりとおじぎをすると、武太郎が放りなげたロープの輪
を、すばやく口にくわえた。鋭く真白な牙に投げ縄の輪をひっかけ、跳躍の態勢
をとる。琥珀の澄んだ目が見上げるのは、徴笑む女神の乳色のふくよかな顔だ。
虎はすっかり相好をくずし、長い尾をふってだらしないくらいに喜んだ。
「それでは、宿六くんの背中へですね、トラリン大学流学問的なジャンプいたし
ます」
 ロープをくわえた虎は、いきなりヤドカリの巨体へと駆け出した。ぼとぼとと
したたり落ちるあぶくの滝を避け、動かないヤドカリの毛だらけの足の上に飛び
移る。
 その跳躍は、見とれるほど素晴らしかった。虎縞の美しい毛皮の下の筋肉がし
なやかに波うち、前足と後ろ足と尾がかろやかにはねる。
 虎はロープをひきずって、驚くべき速さで巨大ヤドカリの足をつたってゆく。
長い毛の密生したヤドカリの足は、さながら黄褐色の林だ。その中をゆくワン教
授の疾走には、草原を駆ける猛虎の印象さえあった。
 ユカリ市長が、つぶらな目の上に手をかざし、ボタンを握りしめたまま、うん
うんとうなずいて見せる。
 虎教授はすでにヤドカリの足を登り、巨大巻貝の上に飛び移り、貝の表面の螺
旋ぞいに駆け出している。虎に引かれ、ロープがはね踊りながらヤドカリの頭へ
と向かう。すばやく跳躍し駆け登るたびに、ロープの束がするすると上へひっぱ
られてゆく。
 それを、ちらちらと盗み見ていた武太郎の表情に、変化が現れた。さっきまで
あれほどいじけていたのに、自分のだだこねへの照れ笑いが浮かんで広がる。彼
は空中の女神を申し訳なさそうに見上げ、濃褐色の頭を片手でぼりぼりかきなが
らぺこんとさげた。
「うヘ。うへへん。なんだか、事態が変わってきたぜ」
 奥様水神が、なかばあきれ顔で笑い、口を手で覆った。
「まあ、現金な子。さあ、もうおまえたちの好きなようにおし」
 毛皮のつまった青い袋は、ようやく空になったと見えて、すっかりしぼんでい
た。息を吹きかけられて復活した動物たちも、すぐに姿を消した。
 なぜなら、よみがった動物たちは、地上に降りたとたんに、みんな空中にすう
っと溶けてしまうからだ。おそらく、想像もつかない仕組みで、別の場所か世界
に移されているのだろう。
 人力車夫のかっこうをした小次郎が、やっと機嫌をとり戻した武太郎といっし
ょに立ち上がった。両腕をふりあげて万歳し、ぐおっも−んと嬉しそうにほえ
る。
「おおせの通りにいたしマスから、シャケの頭で合点承知でございます。奥様水
神さま。わたくし、奥様が、とってもとっても好きなんです。奥様は世界の中
心。奥様はえらい。奥様は美しく御寛容であらせられると、不肖この小次郎、恥
ずかしながらそう思うんですけど。うふ、うふう」
 奥様水神はまんざらでもない顔つきで、にっこりと徴笑んでみせる。私の目か
ら見ても、優しい菩薩のようだ。チャーミングで美しい笑みは、さすがは神の細
君にふさわしい。
「小次郎や。おまえはほんとにいい子よ。ごほうびに、おまえたちの願いを、ひ
とつ聞いてあげましょう。なんでもお言いなさい」
 小次郎は待ってましたと言わんばかりに、頭のはちまきを両手でぎゆっと結び
直した。そのまま両足で地面にふんばり、のしりのしりとしこを踏む。
「では、とっておきのお願いを、奥様にもうしあげますから、どうか聞いてくだ
しゃんせ。わたくし、宿六さんといっしょに、ここにお集まりのみなさんと被告
を連れて、ケンジ森に行きたいんでありんす」
 奥様水神は、両手で若々しい娘のように頬をつつみ、「まあ」と小さな驚きの
声をあげた。「あの"生命のバオバブ"のところに行くの?」
 生命のバオバブとは、市長たちが教えてくれた"おっかさんバオバブ"のことだ
ろう。小次郎は両手をぴったり腰のあたりにそろえ、直立不動の姿勢からぺこり
と一礼した。
「ども、その通りです。すぐに行くには、奥様にお願いした方が、とても速くて
金毘羅ふねふねでございます。茶坊主に追われてトッピンシャン、ぬけたらドン
ドコ、ショウジョウ寺。タヌキのみなさん、おなかが破れて天丼昇天だと思うん
です」
「そうねえ……」
 女神は、ちょっと考えこんだ。ふっくらした両手を豊かな胸の上で合掌させ、
薄い茶色の目を閉じた。亜麻色の髪をたばねた頭で、頭上をふりあおぐ。何かに
祈っているようだ。
 私としては、とても気になる所だ。どんなことを思いめぐらせているのか、女
神の表情から読み取ることはできなかった。
 彼女は、ほんのわずかの間、そうしていたが、すぐに顔を上げた。優しさの中
に威厳を漂わせ、ゆっくりとうなずいた。
「わかったわ。いいでしょう。人間が被告ならば仕方ありません。おまえたちの
準備ができたら、すぐに運んであげましょう」
"人間が被告ならば"というひとことを放ったとき、私は彼女の視線をみのがさな
かった。女神は確かに私をちらと見下ろしたのだ。その表情は、決して好意的な
ものとは言えなかった。むしろ困惑ぎみでさえあった。
 私は心のどこかが、きゅっとひきつるように痛むのを感じた。
 小次郎はといえば、武太郎の手をとって、にこにこ笑っている。チャンピオン
の腕を差し上げるように、高々とヤドカリに向かって、"たけ"さまの腕を上げ
る。
「宿六どん。これから、わたくしたちが、登って御者をしますから、どぞ、よろ
しくおねがいしますだ。ワン教授、準備のほどはイカがですか。準備の進み具合
を教えてつかあさい。進行状況はイカが乾いてスルメですか干しタコですか。そ
れとも青色のツノだしウミウシでしょうか」
 珍妙な小次郎の質問に、虎教授が巨大巻貝からヤドカリの背中に飛びうつり、
嬉しげに返答する。
「イカがと尋ねられれば、答えはヤリイカ、ホタルイカなのです。たいへん順調
に準備は進んでいます。もう気分はダイオウイカで、マッコウからクジラでしょ
う。そうそう、ヤリイカと言えば、そのむかし、ギリシャの偉い物理学者のアル
デメキンが、ユウレイイカと叫んで風呂から飛び出したという逸話が有名です
ね」
 虎の教授にかかると、アルキメデスが浮力の原理を発見したときの叫び「ユー
レカ!」もデメキンのユウレイイカになってしまう。人間の英知と長く信じられ
てきた科学も、大自然の申し子である彼ら野生動物にとっては、それこそ混みい
った、かっこうの冗談の種でしかないのだろう。
 駄洒落と語呂あわせの珍説をモットーとするワン教授は、全身ザリガニの泡に
まみれていて、まるで泡だてた石鹸風呂にとびこんだようなありさまだった。そ
れでも、口にくわえたロープの輪を、苦労してとげとげの生えた副触手にひっか
けている。すでに二本足の態勢に戻り、動きの鈍いヤドカリの赤い触覚をよけな
がら、慎重な手つきで輪をしぼる。
 虎はついで、登りやすくするため、巨大ヤドカリの橋脚のような足の間に残り
のロープを垂らした。全員が脇腹をつたってよじ登れるように、ちゃんと考えて
用意してくれたのだ。
                                    
 (トラリン大学教授がぶらりんとロープを下げてくれたので、登って次回へ)