巨大ヤドカリの頭の上から眺める景色は、母なるバオバブを中心に、すばらし
いものだった。
 燦然と輝く金色の大木バオバブは、蜂蜜色の深く澄んだ湖水のまんなかに立っ
ていた。火口湖のように、美しい琥珀色の湖が、直径二〜三キロほどの円形に広
がっている。"おっかさんバオバブ"は、その湖の真ん中の島にそそり立ってい
た。
 宿六が着地した場所は、巨樹の根元にあたる島のはずれの草地の上だった。湖
は、金色の輝きを映す蜂蜜色の水を満々とたたえている。
 湖面にたちこめるかぐわしい花や木の香りから、ただの水とは思えない。この
神秘的な琥珀の輝きの水面が、すべてバオバブの樹液なのだろうか。灰色狼の枢
機卿は、そう言っていたが、樹液にしては、さらさらしすぎているようだ。もし
本当にそうなら、とても信じられない大量さだ。
 湖の岸辺には、丈高い葦が密生していた。繁茂しているが、見たこともない種
類だ。茎が緑ではなく、黒と金色のまだらになっているのだ。タッチャンが告げ
た通りだ。枯れ葦ともちがう、まったく奇妙なまだら葦が生い茂り、ぐるりと湖
岸じゅうに群生している。
 島から対岸までは、一キロ近くある。岸の向こうはるかには、ゆるやかなひだ
を幾重にもきざんだ山地が、さまざまな色調の緑に覆われ、大海の波頭のように
うねりながら続いている。
 景色の北半分は、銀緑色に輝くブナの明るい森だ。南半分はコナラやミズナラ
やシイ、クヌギなどの雑木林に覆われた比較的低い山々とおぼしい。湖のまわり
は一面、樹々の生い茂った山波の連なりだ。
(そうか。雑木林ということは、人の手がいるってことだな・…)
 広大な雑木林を見渡したとき、なぜここに連行されたか、初めて理由がわかっ
たような気がした。
 北に広がるブナの原生林はともかく、雑木林は定期的に人の手で管理しないと
いけない。炭焼きや薪とりなどで、適当に枝や木を切ったり間引いたりしない
と、山が荒れる。どうしても人間の手がいるのだ。ここの動物たちは、罪状にか
こつけて、私に山の管理をさせるつもりなのだろう。
(この林、いったい誰がつくったんだろう)
 雑木林は天然の広葉樹林と異なり、人間が山に立ち入った状態でないとできな
い。なかば人工林といってもいい。だとしたら、ここの雑木林は、誰が世話して
いるのか。ここまで来た以上、それを知りたかった。
 ざっと見た感じでも、雑木林はきちんと手入れがされている。樹々の間に、あ
ちこち新しい切株が見えるのがその証拠だ。荒れている感じはまるでしなかっ
た。もしかしたら、小次郎たちは私のような人間を、時々この世界にひっぱりこ
み、林の手入れをさせているのだろうか。
 首をかしげて森を見下ろしたとき、眼下からまたあの河馬があざけった。
「ばーか。ばーか。人間のばーか。どうせ泣きむしの弱虫の、わがままぼうずの
人間さ。口をそんなに大きく開けて、"おっかさんバオバブ"を見上げるなんて、
ほんとに馬鹿みたいな顔だな」
 私はむっとして、ずっと下の巻貝のへりにいる灰色の動物を見下ろした。やは
り一頭の若い河馬だった。ヤドカリのそばの草地にいて、こちらを見上げてい
る。全身を琥珀色の湖の水に濡らし、てらてらして恰幅がいい。
 灰褐色の若い河烏は大口をあけ、内側が桃色の小さな耳をぷるぷる振った。肥
ったぬれた腹を、短い前足でたたいて笑う。
「はあ、かばかばしい。いや、ばかばかしい。ホモ・サピエンスだとさ。あほづ
ら下げて何が"知恵ある人(ホモ・サピエンス)"だ。おれたち河馬族のほうが、
よっぽど知恵があると思うよなあ。さあ、ぼさっとしてないで、早く降りて仕事
しろよ」
(か、河馬のくせに・…)
 さっき目をつむっている間に、水の中で何かが泳ぐ音を聞いたのは、この河馬
のものだったのかもしれない。小さな黒い目が、うさんくさそうに見上げてい
る。大きな鼻の穴を興奮ぎみに広げながら、河馬はなおも叫んでよこした。
「お−い。バカサピエンスのアホサピエンス。さっさと降りてこい。ちゃんと草
刈りするんだな。刑の執行は、もうはじまってるんだぜ」
 せっかく"おっかさんバオバブ"に感動していたのに、意地悪な河馬が、ものの
みごとに邪魔をする。私は気分を害し、二本足で立つ胴太な河馬に抗議した。
「うるさいな。そう、ばかばか言わないでくれ」
 河馬はうっすらと目を細め、大口を閉じてにやりと笑った。
「ほんとのこと言って何が悪い。馬鹿にバカと言って、何がまちがってるんだ。
それにおれは、このケンジ森の"命の湖"の監視員だ。あんまりぞんざいな口をき
くと、承知しないからな。おれが承知しないと、だれもカバってくれないぞ」
「な、なにをっ……」
 監視員だろうが何だろうが、こっちの知ったことじゃない。私はこめかみに血
管が浮きでるほど腹を立てた。
 だが、すぐに新たな動物たちが、河馬の両側に現れてずらりと並び、怒るどこ
ろではなくなった。
 バカニ河馬の隣に、なんと小次郎たちが立ったからだ。何の服もつけずに、本
来の姿にもどり、にこにこしている。武太郎もカウボーイの装束をぬぎすて、頭
をポリポリかいている。
 二頭の隣では、ワン教授がもったいぶって咳ばらいだ。コアラのユカリさんま
で、虎教授の両足の下に立ち、えへんと胸をはっているが、相変わらず、銀の懐
中時計を胸にぶらぶらさせている。私はびっくりしてふりかえり、ヤドカリの頭
の上を見渡した。
(いつのまに、下に降りたんだ)
 そこには、熊たちの脱ぎ捨てた半纏やはちまき、テンガロンハットや黄色のス
カーフなどがちらばっている。どうやって降りたのかと見れば、体をささえてい
たロープが、視界のはずれから地上にむかってだらんと垂れさがっている。
 泡ふくヤドカリの頭の上に、いつのまにか、ひとりでとり残されていたのだ。
"おっかさんバオバブ"の景色に感動して、みとれているうちに、小次郎たちはさ
っさとヤドカリから降りてしまったらしい。
 小次郎は、胸の白い月の輪の毛を、手でつくろいながら、私を見上げて明るく
ほがらかに叫んだ。
「やっほほ−いのほい。なるべく格別、できるだけ早く降りてきてくだしゃん
せ。刑の執行は、なんだかもう始まってるようですよ。あなた、とっても優柔不
断なフダン草、アシタバいっしょに天ぷらしますです。気持ちはもうすっかり、
ウナギでナマコなアメフラシ。海の底、ウツボとウミヘビ、とっても仲良く、う
やむやぐにゃぐにゃ、くんずほぐれつカツレツおいしんです。けれども、心配な
んか、みじんこ一匹ぐらいも必要ありません。うまく言ったら、スケトウダラに
ギンタラで、おいしさごっくりタラチリ鍋だよん。湯気もよだれもホカホカして
いるうちに、さあ草を刈ってしまって、任務完了でございます。どぞどぞ、ご遠
慮泣く泣くやってくださいませ。下枝をはらいましたら、ぐおっも−ん。終わっ
てしまえば、心はほっくりヤキイモおいも。ごほうびに、きっとケンジ先生も特
別にお会いになってくださるかもしれません」
 私は小次郎の叫びの最後の部分にきき耳をたてた。動物たちは、さっきからケ
ンジ森と言っているが、ケンジ先生という人物が存在するのだろうか。ヤドカリ
の頭の縁に四つんばいになり、おそるおそる下をのぞきこみ、小次郎たちに叫び
返した。
「先生だって?タヌキやカモシカやキツネかい。そこのワン教授のように、先生
という職業の動物だろう」
 ワン教授が眼鏡をずりあげ、目をぱちぱちさせると、軽く肩をすくめた。
「いいえ、ぜんぜんちがいます。とんでもないことですよ。ケンジ先生は立派な
人間なのですから。あなたよりも、だいぶ格が上の尊敬されている人物なので
す」
「な、なに。人間だと?」
 私は驚きのあまり、ヤドカリの背中からころげおちそうになった。ケンジとい
うのは、ケンジ先生という人間の名前なのか。このハチャメチャな世界で動物た
ちの尊敬を集めているなんて、いったい何者だろう。
 とにかく、この世界に来て以来、はじめて人間に会えそうな気配になってきた
ようだ。とるものもとりあえず、ロープにすがって降りることにした。ロープに
武太郎の黄色いスカーフを巻きつけると、恐怖も忘れて勢いをつけ、一気に小次
郎たちの元へとすべり降りる。スチールパイプをおりて出動する消防隊員と競争
できたかもしれない。
 地面に降りると、動物たちがまわりをがやがやととり囲んだ。まんまえに立っ
た武太郎が、しわくちゃになった黄色いスカーフを、私の手からいきなりひった
くった。ぐおぐおと泣きべそをかきだす。
「う−っ。おいらのスカーフ。よくも、シワシワにしちゃったな−っ。とっても
大事なものなのに。ううっ。どうしてくれるんだ。どうしてくれるんだよ。弁償
しろよ。弁償しろよ」
 武太郎は、太きな図体でいやいやをし、その場に座りこんだ。私はあっけにと
られてしまった。"たけ"さまは、奪ったスカーフを両手でひきのばし、ヒステリ
ー女のように噛みついて、き−っとひっぱる。若い女性がき−っとやるならまだ
わかるが、黒褐色の獰猛な羆がスカーフをかみついているさまは、まるで布きれ
と戯れているようだ。
 武太郎が泣き出すと、動物たちのいたずらっぽく気紛れな関心は、ただちに熊
へと移った。小次郎やワン教授、ユカリ市長、河馬のバカニが手をつなぎ、だだ
をこねる武太郎のまわりを取り囲む。本気かどうかしらないが、とても楽しそう
だ。かごめかごめをするように、手をつないで回りながら歌いだす。

♪泣いちゃいけないヒグマさま。
 泣きやみマンボを歌ってあげる。
 逃げた鮭(しゃけ)にゃ未練はないが、
 ドングリ欲しいと泣くヒグマ。
 熊が泣くときゃ雨が降る。
 よごれよごれて、黄色いハンカチ、
 男、涙のカウボーイ。
 熊さんあんまり悲しまないで。
 悲しみ過ぎるとやってくる、
 あぶないいけない金縛り。
 みんなで輪になって踊ります。
 ヒグマ直しのルンバ、ボサノバ♪

 ひとしきり歌い終わったあと、小次郎がふりかえり、黒い頭を片手でなでなが
ら告げた。いかなる気がかりとも無縁な、底抜けなお気楽さだった。
「あなた、人間にしては意外に大変に、とっても"たけ"さんを刺激しますね。け
れどもです。わたくし、ほんとはたけさんの秘密を知っているのです。たけさ
ん、実はいじけてひがむのを、心の底から楽しんでいるのです。人間が相手だ
と、とってもいじけがいがあるそうです」
 小次郎は、こっそりとお得意のポーズで笑った。
「こういうのって退屈でないから、わたくし、ひそかに好きなんです。"おっか
さんバオバブ"も御覧になってますし、うれし。おもしろ。たのし。うふ、うふ
う」
 楽しんでいるというが、おいおい声をあげて泣く武太郎には閉口だった。なん
だか責任を感じてしまって、機嫌をとらなければと思う。私は、小次郎の黒い耳
にそっとささやいた。
「おトクさんがいないと、やっぱりだめじゃないのかな」
 小次郎は、ぱっと黒い目を輝かせ、ぺこりとうなずいた。月の輪の白くうきで
た喉のあたりを、さも得心がいったかのように、手でぽむぽむとたたいた。
「ども、そです。そのとおりです。おや?」
 月の輪熊はそこで、湖の背後に何か気配を感じたらしかった。武太郎を取り囲
む輪から抜け、巨大巻貝の向こうがわへ、どてどてと歩きだした。
 のってりのってり歩く姿は、鼻歌まじりながらも急いでいる。ごつごつした巻
貝のへりから、向こう側の湖面をながめ、何かを発見したらしい。目の上に肉球
のもりあがる手をかざし、上体を水面に向かって乗り出している。
 とたんにきんきんする金切り声が、小次郎の視線の先から聞こえてきた。これ
まで巻貝の巨体にふさがれて見えなかった方角から、気取った声がだんだん近づ
いてくる。
「高貴なる種族、おヒグマさまのお泣きになられているのが聞こえる。わが輩
は、そのような臨時の緊急事態を収拾するべく現れるのである」
 やけに演説ぶった口調が耳ざわりだった。その偉ぶったきんきんする声の主
は、巻貝の影から岸づたいに、私たちの目の前の水辺にすうっと現れた。
 それは、湖面に沈みもせずに立つ一頭のダチョウだった。真黒なボンボンさな
がらの体に、ふさふさした尾羽と退化した翼の部分だけ白く目立っている。ぶか
っこうな胴体に、うねうねしたやけに細い首が特徴的だ。桃色の肌に白い毛が生
えていて白桃色に見える。胴体に比して長くたくましい二本の足も首と同じ色
だ。
「おっほん。みなさんこんにちは。わが輩は、政治的ダチョウの第一人者にし
て、前市長にして名演説家のホワイトハウス、フランス語だとカサブランカで
す」
 威張りながら近づいてくるダチョウは、水面すれすれに背中を出して泳ぐ生き
物の上に乗り、すいすいとやってくる。
 ダチョウを背中に乗せた生き物は、甲羅の長さが一メートル以上もある大きな
亀だった。黒褐色の地味な色の亀は、藻と苔に覆われた頭と甲羅を水面から出し
ていた。
 亀甲模様を刻んだ背中の土、ダチョウのわざとらしい演説にも亀は無関心だっ
た。とろんとした半眼で眠たげだ。皮膜をかぶった目玉が、あくびしたばかりの
ように、呑気におっとりと私たちを見つめている。どうやら淡水産の石亀のよう
だ。
 海亀ならともかく、こんな大型の淡水亀など、本来なら存在するはずがない。
しかし、巨大ヤドカリ宿六に比べれば、この程度のことは驚くには値しない。こ
のべあべあ日暮ら市ならではの、狂ったスケールの見本のひとつにすぎないの
だ。
 亀に平然と乗っているダチョウは、二本爪の足から頭のてっぺんまで二・五メ
ートルもある。亀の甲羅の上から、私たちを見下ろすかっこうだ。
 小次郎が、岸についたダチョウと亀にあいさつした。
「こんなところで出会えるとは、なんて奇遇な遭遇ですよ。待遇は土偶で、グウ
の音もでないくらいにうんとこしょ。ども、お元気ですか」
 ダチョウはうれしそうに目を細めた。この鳥は首と胴体のサイズに比ベ、アン
バランスなほど小さな頭を持っている。その小さな頭を載せた長い首を、たくみ
に前後左右にうねうねと折りまげておじぎする。
「おそれいります。まあ、なんとかやっております。"こ"さま。どうやらわが輩
の察するところ、"たけ"さまが、お泣きあそばされて、お困りのようですな」
 まるで細い桃色のホースのようによくまがる首だ。その巧みさに匹敵するの
は、おそらく象の鼻ぐらいなものだろう。その顔ときたら、老人のようにやせて
いる。やたら大きな神経質そうな目には長いまつげまで生えているのだ。
 ホワイトハウスとはうまい名だと思った。以前から私は、ダチョウの顔は歴代
のアメリカ大統領に似ていると感じていた。改めてみると、やはりダチョウは白
人の老人男性の面相によく似ている。私は口出しを控えて、"おっかさんバオバ
ブ"の金光をあびるダチョウと大亀を見つめた。
(また、厄介なことになりそうだぞ。ツルカメ、ツルカメ)
 鶴と亀ならともかく、ダチョウと亀の取り合わせなど聞いたこともない。亀に
乗ったダチョウは、平たい灰白色のくちばしを開き、一同を見渡してうなずい
た。
「諸君も、お元気そうでなにより。またいつか市長に選んでください。実はわが
輩、再選を狙って運動しておるのです。立ったり座ったり、卵を温めたり、餌を
食べたり、逃げたり追ったり、日に百キロメートルは動きまわりますな。これだ
け選挙のために運動するダチョウもちょっといないでしょう。わが輩、次期市長
に立候補するつもりです。ところで……」
 ふいにダチョウは、長いまつげの生えた目をしばたたかせ、私にいぶかしげな
視線を走らせた。
「人間がいますね。どうも人間というのは、わが輩のダチョウ的なる政治的野心
をゆり動かしますね。ここでわが輩は、冷静かつ厳正にして過激かつ極端な政治
的判断をおこないたい。いわゆるひとつの抜本的な政治改革が求められているわ
けで、人間がやってきた以上……」
 そのとき、今まで黙っていた右亀が、黒い裂け目に似た口を開いた。眠たそう
な声で、ぼんやりと思いだしたようにつぶやく。
「鶴は千年、亀は万年。だけどダチョウはよくわからない・…・」
 ダチョウの話題とまるで無関係な台詞を吐き、亀は何ごともなかったように口
を閉ざした。
 ホワイトハウスは、亀の無意味な言葉に鼻白んだようだ。ちろと亀の後頭部を
見下ろし、くちばしを二度三度ぱくぱくさせて不満そうだった。それでもすぐ
に、彼は気をとりなおして続けた。
「それではみなさん。なかなか泣きやまない"たけ"さまのために、わが輩が、行
政改革にかんがみ、一つ名演説をぶちあげてさしあげましょう」
 動物たちは武太郎を囲み、わあっと歓声をあげて拍手した。
「それでは、人間界のプレジデント・リンカーンにならいまして……」
 ホワイトハウス氏はくちばしを、くいっと気取って空中に持ち上げ、一席ぶつ
のだった。「わが輩が提唱するのは、つまりその、なんです。楽しさの楽しさに
よる楽しさのためのべあべあ日暮ら市なのであります。それでなお御不満なら
ば、おもしろさのおもしろさによるおもしろさのためのべあべあ日暮ら市でもよ
ろしい。おもしろくないこと、退屈なことは、何ひとつする必要はありません。
退屈は悪であります。面白さは善であります。ですから"たけ"さま、もうお泣き
にならないでください」
 ダチョウの短い演説に、動物たちは拍手喝来を浴びせた。ひどく面白いらし
い。武太郎も、こころなしか泣きやんできたようだ。
 ホワイトハウスは、私を白人の老人じみた目でじっと見下ろして言った。
「それでは、そこの人間のためにも、特別にもうひとつ演説をしてさしあげまし
ょう」
 動物たちは三度(みたび)、喝采し誉めたたえる。私の方は、小さくなってぱ
ちぱちと、申し訳ていどに拍手するだけだった。ダチョウは、さらに昂然とくち
ばしをあげ、おもむろに演説をはじめた。
「"おっかさんバオバブ"のお情を知らない人類のほとんどは、抜本的改革が必要
な種族なんであります。人類は、すべてのいきものにとって暴君の独裁者、かつ
破壊的ナルシストで、どうしようもない生き物になり果てておるんであります。
つまり、ほかの生物など、どうなってもいいと思ってるんであります。人間の人
間による人間のための世界が滅びないようにすることだけ、大切なんでありま
す。これからは人類という名前を返上し、愚類あるいは、醜類と呼ぶべきだと確
信しているのであります。われながらうまい演説おわり」
 厳しい内容だが、その口調には悪意や非難の雰囲気は徴塵もない。まるで何か
の原稿を暗唱しているようだった。それでも人類の一員である身には、いささか
耳が痛い。
 動物たちは、飽きずに盛大な拍手を送った。いい見世物に出会った観衆のよう
なはしゃぎぶりだ。
"おっかさんバオバブ"がある限り、人類がどうなろうと、彼らにとっては遠い
別世界のお話だろう。演説の内容などどうでもいいのだ。ダチョウのもったい
ぶった政治家の演説調そのものが、面白く珍しいのだ。ホワイトハウスは、まつ
げの長い目を、再びしばたたかせて、まだしくしくいっている武太郎と私を交互
にみおろした。
「さすがにわが輩、疲れましたね。これだけ難しい言葉をおぼえるのは大変だっ
たんですから。まちがった言葉を使っては、演説の品位が落ちて、わが輩の股間
……じゃなかった沽券に関わりますからね。いちいちケンジ先生にお尋ねして、
一ヵ月もかかりましたよ。わが輩、いつも思うんです。政治家もなかなか大変
だ」
 そのとき亀が、また重たい口を開いて、もそもそと無関係なことをつぶやく。
「森のキノコはうまいけど、しばらく食べてない……」
 偉そうなホワイトハウスは、亀の言葉にちょっと黙った。しかし、すぐにツン
とくちばしをあげ、全員を見渡して告げた。
「さて、その人間はいったい、なんでここへ来たんですかな?」
 ワン教授が、眼鏡をずりあげながら説明した。
「英明なるホワイトハウス氏、この人間くんは、このケンジ森で草刈りと下枝は
らいの刑を受けに来たのです」
 ダチョウは思案げに、目をつむってうなずいた。
「ん〜、なるほど。さようですか。そういう目的で人間がここへ来るのは、わが
輩の記憶によると三年と三ケ月と三日ぶりのことですな。すると、"こ"さまたち
は、わが輩の協カを得て、むこう岸に渡りたいというわけですね。つまりその囚
人を、雑木林に連れてゆきたいと」
 虎教授は深くうなずき、長いひげをひくりと動かした。
「その通りです。キンタさんの渡し亀に協力してもらえれば、"こ"さまたちも大
変にたすかるのです」
 虎教授の声に、目と口を眠るように閉じていた亀が、鼻孔をひくつかせながら
つぶやいた。
「用件わかった。わし、この湖の渡し亀のキンタ・クンテ。息子や娘、すぐ集め
る」
 意外だが、その大亀がキンタらしい。彼は老人っぽいのろくさした言いまわし
で続けた。「こどもたち、全部で六匹。それぞれ名前ある。松、竹、梅、富士、
鷹、なすび。松には祖"こ"さま。竹には"たけ"さま。梅にはワン教授。富士には
ユカリ市長……」
 亀はうっすらと開いた目で、私をちらとながめて続けた。
「鷹はいま別の仕事してる。ここにいない。だから人間、末っ子のなすびに乗
る」
「な、なすびだと……」
 河馬のバカニが、私を横目でにらみ、大口を開いて笑った。
「そりゃあいい。もう言うことナスビだよ。ば−か」
 人をバカにする河馬は、つきでた腹をゆすって大いに笑った。河馬はひとしき
り笑い終えると、太い手の先で、ヤドカリの巻貝の壁を軽くたたきながら小次郎
たちに告げた。
「では、おれはここで、この立派な宿六どんのみはりをすることにしよう。"こ"
さま"たけ"さまには、申し訳ないけど、バカサピエンスといっしょに行動なんか
したくないんでね。そんなことをしようもんなら、ほかの河馬仲間から、それこ
そバカにされてしまう」
 ダチョウを乗せた石亀キンタが、爪の生えた黒い四足で、波うちぎわに立っ
た。するとホワイトハウスが、水辺の砂地に、どっどっと降りて上陸した。大亀
は、小さな鼻孔を上に向け、金の輪をはめこんだような揺れた目を大きく開い
た。
「それでは、わし、子供たち、呼んでくる」
 ダチョウが小次郎たちの中に立つと、キンタは四足をのろのろ動かしてUター
ンする。緑色の苔の生えた尾をひきずり、黄金の潮の中へ戻っていく。さっそく
小次郎がうふうふ笑いながら、ダチョウと向かいあって話した。
「ども。さっそく並んで順番をまつことにしましょう。なにしろ最初はマツです
からねえ」 ダチョウは、うやうやしく白桃色の首を下げ、小次郎の顔を見上げ
た。
「さてさて"こ"さま。いつもお役目ごくろうさまです。わが輩、感激、飴、あら
れ。お好きですか」
 小次郎はこっくりうなずき、口のまわりのよだれをぬぐう真似をした。
「とってもお好きです。ドングリと同じぐらい、お好きです」
 ダチョウは感心したように深くうなずき、くちばしを誇らしげに開いて笑っ
た。
「そりゃあ、よかった。飴とあられがお好きだというのは、まったく何よりで
す。わが輩も実は好きなんです。趣味があいます。名誉なことです。はっはっは
っ」
 動物たちは、河馬にヤドカリを頼むと、ホワイトハウスを先頭に岸辺に一列に
ならびはじめた。筆頭はダチョウ、次は小次郎が乗る。
 三番手は問題の武太郎だが、これは大変だった。ワン教授と小次郎が、まだぐ
ずっている彼を苦労してひっぱりあげ、なんとか列に入れる。四番目はワン教
授、ついでユカリ市長。そして最後は私だ。
(いったい、ケンジ先生って、なにものだ)
 早くその人物に会いたいものだ。焦る気持ちをおさえ、今はキンタ亀の子供た
ちの到着を待つしかない。
 小次郎たちは、私の気持ちなどまるで知らぬげだ。石亀が指定した順に岸辺に
ならび、キンタ・ファミリーが現れるのをじっと待つ。

(キンタ・クンテで石亀のルーツがわかったからといって本編になんの関係があ
るのかって、疑問は正しいのですが、次回へ)