はじめてのアフリカ旅行記
【11】 南アフリカの歴史に触れる
3月19日(2)
飛行機に乗って約2時間後、南アフリカのヨハネスブルグ空港に到着。ここで少し、南アフリカについてのウンチクを述べて みたい。南アフリカで有名な都市といえば、おそらく一番はケープタウンではないだろうか。それに続く二番手は、今僕が いるヨハネスブルグだと思われる。さて、南アフリカの首都はいったいどちらだろうか?
実は、どちらも間違いなのである。国際的には、首都はプレトリアという閑静な美しい町なのだ。「国際的に」というのは、 あくまで「一つの国に首都は一つ」というルールの元での話で、南アフリカの首都は実質的には3つあるとの事。三権分立、 日本でも言われて久しいが、その一つ、”司法”の首都がご存知ケープタウン、”立法”の首都がブルームフォンテイン、 そして”行政”の首都がプレトリアとなっているのだ。プレトリアには大統領府があるので、国際的にはプレトリアが首都 という事になっている。前述の通り、ヨハネスブルグは三権のどれにも関係していない。強いていえば、”商業”の首都と でも言えるだろうか?南アフリカでもっとも商業の発達している都市はヨハネスブルグであり、実質的に外国との玄関口の 役割を果たしている。ここには日系企業の建物もたくさんあるのだそうだ。南アフリカは非常に明確な形でに三権分立が 実施されているのである。
到着ゲートを抜けると、空港にはガイドのるみさんが迎えに来てくれていた。この後の予定としては、今回の旅の目的の もう一つの柱、「野生動物を間近で見る」ためにエンタベニ動物保護区へ向かう事になっていた。が、急遽予定変更、 スタークフォンテイン洞窟という所に向かう事になった。この洞窟、ヨハネスブルグ滞在の最終日に見学する予定になって いた洞窟である。このスタークフォンテイン洞窟は”アウストラロピテクスの化石”が出て一躍有名になった洞窟で、そこで 見つかった化石には「ミセス・プレス(Mrs.Ples)」という愛称が付けられている。古人類学的には「アウストラロピテクス・ アフリカヌス」と呼ばれる。
なぜ急遽、この洞窟に来る事になったかというと、次のようないきさつがあったからだとるみさんが教えてくれた。
もともと予定していた訪問日は、もちろん事前に見学できる事を確認して決めてあったのだが、実はその日に洞窟の発掘 調査が入る事になっていたのだそうだ。洞窟の管理人がその事をすっかり忘れていたため、発掘調査と同じ日に予約を入れて しまう結果となった。管理人は突然前日になって「その日は発掘調査の日だ。一般の見学は無しだ。」とるみさんに伝えて きたのだそうだ。それにしても、まだ発掘作業途中の洞窟に入って問題はないのだろうかと少し心配になる。
スタークフォンテイン洞窟は鍾乳洞なのだが、今ではすっかり湿気がなくなってしまいカラカラに乾いている。この洞窟は、 実は金の鉱山をさがして近辺の山をガンガン爆破していたが、金鉱山は見つからず、仕方なく代わりに見つかった石灰岩を 採掘している時に偶然発見されたのだそうだ。そのため、洞窟の壁はあちらこちらに爆破の衝撃でボロボロに砕けた箇所が ある。もし化石等が見つかったとしても、石灰岩の採掘業者はそんなものには興味はないので、ほうっておいてどんどん 石灰岩を切り出していた。そこをたまたま、ロバート・ブルーム氏という考古学者(古人類学者?)が訪れた際、アウストラ ロピテクス・アフリカヌスの頭骨を発見したのだ。1947年のことであった。
洞窟の天井には、このような穴がところどころにあいています。これらは自然にできた穴ではなく、鉱石の採掘業者の 手によって、爆破で開けられたものがほとんどだそうです。
ブルーム博士に発見されるまでに、爆破でチリと化した化石(化塵?)もたくさん存在しただろう。化石といっても、専門家が 見ないとただの石と見分けがつかない物がほとんどだ。アウストラロピテクス・アフリカヌスの化石は大発見であったが、 世界には他にもまだまだ見つかっていない”大発見”がたくさんあるのかもしれない。
このようないきさつのある洞窟だが、今は一般の観光客に開放されており、中を案内しながら説明してくれる専門のガイド も存在する。るみさんと僕ら3人は、専門のガイドの後について洞窟内を進んでいった。中は涼しく、一番底には湖が 広がっていた。水は豊富にある。ガイドの話によるとここには魚もいるらしいが、暗くてよく見えない。魚がいると聞くと ぜひ見てみたいと思い、手すり(暗いから手すりがないと観光客が湖に落ちる)から身を乗り出して目を凝らしていると、 遠くで「ポチャン」と水音がし、小さな水柱が立った。おっ!魚か?と思いきや、なんとガイドが小石を投げ込んだイタズラ であった。ウヌヌ、まんまとだまされた・・・
洞窟のガイドさんと一緒に記念撮影。るみさんに撮ってもらいました。今回のお話の写真はこれでおしまい。 洞窟があまりに暗く、三脚なしではまともな写真になりませんでした。
洞窟の中はとがった岩が天井や床から突き出している。元々鍾乳洞だから、これらは鍾乳石や石筍(せきじゅん・・地面から 生えている鍾乳石。天井から垂れ下がっている鍾乳石と区別してこのように呼ばれる)であるが、よく見るとどれも普通の 鍾乳石や石筍のように先端までとがっていない。そのほとんどが途中で折れてしまっているのである。案内のガイドが 「採掘業者が邪魔だからといって折ってしまったのさ」と教えてくれた。また、残っていた鍾乳石も心ない観光客の手に よって、「記念品」として折り取って持ち去られてしまったのだそうだ。今は専門のガイドが内部を案内しており、その ような事をする観光客もほぼいないらしいが、そもそも手の届く範囲にはもはや鍾乳石も石筍も残っていない。鍾乳石は 100年で1cm程度ずつしか成長しないものだ。自然の作り出す芸術品であるが、10cm折り取った人は、その1000年分の自然の 結晶を壊したという事だ。
採掘業者によってこの鍾乳洞のあちこちに地上に通じる穴があけられてしまい、また観光や発掘調査のために人が出入りする ため、洞窟内部の空気が乾燥してしまった。鍾乳洞としての環境を失ってしまったのだ。もはや鍾乳洞として復活する事は なく、当然折れた鍾乳石や石筍が伸びていく事も、もはやない。今は鍾乳洞ではなく、「アウストラロピテクス・ アフリカヌスが発見された洞窟」として観光ガイド誌などにも紹介されている。自分も観光客のひとりであり、この事実を 知って少し寂しい気分になって洞窟を後にした。洞窟見学自体は非常に興味深く面白いものであったが、生きていくために 仕方なく自然を破壊する事、楽しみのために気づかずに自然を破壊する事、知的探究心・科学の発展のために自然を壊す事、 などについて色々と考えさせられた見学であった。
妻は「アウストラロピテクスの描いた壁画とか見たかった」とつぶやいた。猿人であるアウストラロピテクスに壁画を 描かせるなど、多分数百万年早いよ。
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