精神科医療のこと 2002. 12. 25
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私の兄はてんかんでした。小さい頃からてんかんでした。幼時より精神科を受診して服薬もしていましたが、大発作(全身の強直間代発作)が続きました。大発作がおさまったのは高校を卒業した頃でしょうか。精神的に不安定で、特に思春期の頃には大いに悩んだようです。
中学の頃、クラブ活動はてんかんだから‥と教師に退部をすすめられました。時代の所為とはいえ酷な宣告でした。(現在では、てんかんであるだけでスポーツを禁止する事はないと思います)
暗くなるまで土まみれ、砂まみれになってバレーボールに熱中していたのです。てんかんは少なくない病気とはいえ、クラスの中で「なぜ自分だけ」と、服薬を拒否する事もしばしばでした。おそらく副作用もあったのだと思われます。思春期では無理からぬ事です。
小学校の頃、兄と釣りに行きました。てんかんの兄をもった弟は、今、兄が発作をおこしたら、あそこで飛び込んでこちらの岸にあげようなどと釣りどころではなかったのを思い出します。
そんな兄をもった所為なのか、生まれ持った素質なのか、私自身も神経質で抑圧的、内向的な性格でありました。高校時代、ほとんど友人と呼べる人もなく、無口、消極的。よくもあそこまで‥というほどの脆弱の権化でありました。高校の3年間、まともに会話した記憶がないのです。成績の低迷もあり、劣等感からくるものもあったのでしょうが、それだけでは説明出来ぬものを感じるのです。
こんなそんなで‥高校卒業。父の死。就職。大学(夜間)入学、中退。社会福祉の専門学校(夜間)入学、卒業。精神科の病院に転職、働きながら看護学校入学、卒業。そして、またまた、精神科の病院に再就職。
そういうわけで仕事の多くを、生活の多くを『精神科の病院』という所で過ごしたというわけでございます。そこで見聞きした物事を公にするという事にどんな意味があるというのでしょう。私は語ろうと思います。より多くの人々が幸せになるために、弱い人々がこれ以上不幸にならないために。私は思いの丈を発信したいと思っています。よりよい精神科医療の発展、充実を願って…。みんなが幸せになれる精神科医療を期待して…。
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憤懣やるかたなきみだれ歌。こころの病院を憂えるうた四首
(これは体験から得たものではありますが、特定の個人、特定の病院を中傷、批難するものではありません)
・いまもあるこころ病みたる人の上にどっかどっかと白き黒きが
・病棟に駆け寄り平手打ちしたる看護婦がいた許さるべきや
・看護師の卵というに誰を蹴る誰がそうさす弱き人かな
・できるのか病をなおすドクターに人癒す事技の人汝は
ご容赦。人を責める歌に非ず。人世を憂えるうたなり。何より何より自己を戒める歌なり。諦める訳にはいかぬ哀しき応援歌なり。
敢えて言えば権力の放置 放任 権力への監視不足。無責任で人権尊重無し(人を慈しみ大事にする心を忘れた、心を捨てた)の逃避的
政治、行政、医療、病院経営者、看護… … …。はかなき人世、弱きもの人間、人は弱し弱し。時が解決してくれるでしょうか?!限りある命…。
誰も解決してはくれません。
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【おことわり】
現在、精神科医療・保健に従事しておられる医師、薬剤師、臨床心理士、精神保健福祉士、栄養士、調理師、作業療法士、診療放射線技師、臨床検査技師、事務の方々、看護師、他…(順序不同)の方々に対して感謝と尊敬 の念を持ち、今後も支援、応援致します事を大前提とし、徒に非難、批判するものではない事を表明したいと思います。
(硬くなったな〜)


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