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オシム流とはなにか ----------------------------------------------------
イヴィツァ・オシムさんの快復を願っている。
イヴィツァ・オシムさんにはいろいろと教わる。
人生の先輩として。
私淑。
オシム流の継承。
オシム流の断絶。
メディアは踊る。
オシム流とはなにか。
イヴィツァ・オシムさんはラーメンが嫌いだ(としよう)。
にもかかわらず。
みんなはいう。
「オシムさんならラーメンを3杯たいらげるぜ。」
「オシムさんなら汁まで飲み干すにちがいない。」
「フォンドボゥのラーメンが好物らしい。」
「煮干ラーメンは苦手だそうだ。」
「豚骨ラーメンを食べに、わざわざ博多までいくそうだ。」
際限ない。
オシム流とは。
イヴィツァ・オシムさんご本人の意思とはまったく別のものである。
むしろかれへの無理解から、かれの信条とは相反する場合がでること、おびただしい。
オシムさんはラーメンがきらいである(だとして)。
それを、まず確認すること、こそ肝要なのではあるまいか。
オシム流なぞない。
こんなとき、オシムさんはこうした。
また、あんなとき、オシムさんはこういう指示を出した。
オシムさんの方法は過去完了で語るべきものである。
ただそれだけのことにすぎない。
オシムさんなら、こうするだろう。
これはオシム流ではなく、オシムさんを土台にした、あなた自身の考えなのである。
オシムさんはそれが正しいか、間違っているかは問はない。
自分の考えを堂々と述べる。
その姿を見て微笑むだけだ。
なぜか。
全知全能なぞ、ありえない。
イヴィツァ・オシムはそれを知るからである。
ここにこそイヴィツァ・オシム、そのひとの神髄がある。
かれは不用意な質問には眉をしかめた。
質問者が質問の意図を整理していないからである。
それは質問されるひとを侮辱するに等しい。
そのことをメディアはわかっていない。
オシムさんはいまもなおわたくしに問いつづける。
それでいいのか、と。
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