
沿革史
福岡県中学校体育連盟野外活動部は、昭和35年、九重教育キャンプ教室が開
設された後、昭和39年(東京オリンピック開催年)に福岡県中学校体育連盟
の一専門部として誕生しました。以来、県下4地区(現在は6地区)で野外活
動部の地区大会が実施され、昭和50年代には、この九重の地において、オリ
エンテーリング等の競技を有する福岡県大会が開催されました。現在は福岡地
区に数校が部活動として存続し、現在も市大会を開催しています。
また、県野外活動部には九重教育キャンプ指導員部会あり、九重教育キャン
プ教室の直接の指導を行っています。昭和35年当時、約30名の登録指導員
がキャンプ教室を支え、最盛期には、60数名にまで増員されましたが、指導
員の高齢化や参加生徒の減少で、現在約20名が、キャンプをサポートしてい
ます。
| 回数 | 年 度 | 参加生徒数 | 記 事 |
| 1回 | 昭和35年 | 第1回 九重教育キャンプ教室開催 福岡県教育委員会 主催 西日本鉄道KK 後援 ※コスモス荘南側付近 |
|
| 2回 | 昭和36年 | ||
| 3回 | 昭和37年 | 1049名 | |
| 4回 | 昭和38年 | 1254名 | |
| 5回 | 昭和39年 | 1454名 | 福岡県中学校体育連盟野外活動部創設 初代専門部長 平山 照男 氏就任 |
| 6回 | 昭和40年 | 1123名 | |
| 7回 | 昭和41年 | 1637名 | |
| 8回 | 昭和42年 | 2505名 | |
| 9回 | 昭和43年 | 3129名 | HP管理者が、高校生として参加 |
| 10回 | 昭和44年 | 3320名 | |
| 11回 | 昭和45年 | 4509名 | |
| 12回 | 昭和46年 | 2551名 | |
| 13回 | 昭和47年 | 4855名 | キャンプ場の一部が泉水山登山口付近に移転 |
| 14回 | 昭和48年 | 4874名 | キャンプ場が全面移転 |
| 15回 | 昭和49年 | 6563名 | 専門部長に、林 雄三郎 氏就任 |
| 16回 | 昭和50年 | 5860名 | |
| 17回 | 昭和51年 | 8140名 | |
| 18回 | 昭和52年 | 7826名 | |
| 19回 | 昭和53年 | 8064名 | |
| 20回 | 昭和54年 | 11018名 | 8月20日、20周年記念式典。 ヘルスセンター横の広場で、大営火・盆踊り大会 |
| 21回 | 昭和55年 | 10063名 | 専門部長に 鶴内 恵 氏就任 |
| 22回 | 昭和56年 | 13445名 | |
| 23回 | 昭和57年 | 14026名 | |
| 24回 | 昭和58年 | 13522名 | 指導者講習会の開始 |
| 25回 | 昭和59年 | 12480名 | 専門部長に 林 雄三郎 氏就任 |
| 26回 | 昭和60年 | 8487名 | 中体連野外活動部本部が第三キャンプ場に移設 |
| 27回 | 昭和61年 | 9375名 | |
| 28回 | 昭和62年 | 9594名 | |
| 29回 | 昭和63年 | 8067名 | JE6ZNR開局 |
| 30回 | 平成元年 | 8102名 | 7月28日、台風上陸 9月5日、30周年記念式典 |
| 31回 | 平成 2年 | 7863名 | 専門部長に、今村修二 氏就任 |
| 32回 | 平成 3年 | 6000名 | |
| 33回 | 平成 4年 | 3805名 | |
| 34回 | 平成 5年 | 4053名 | |
| 35回 | 平成 6年 | 3278名 | |
| 36回 | 平成 7年 | 3391名 | 10月11日硫黄山噴火。1q以内立ち入り禁止規制 すがもり小屋閉鎖 |
| 37回 | 平成 8年 | 2807名 | |
| 38回 | 平成 9年 | 2730名 | 硫黄山500b以内立ち入り禁止規制 |
| 39回 | 平成10年 | 3658名 | 泉水山登山口キャンプ場閉鎖 |
| 40回 | 平成11年 | 2462名 | 専門部長に、廣瀬桂次 氏就任 大分交通キャンプ場に完全移転 指導者講習会終了 |
| 41回 | 平成12年 | 2167名 | 専門部長に、横尾卓彦 氏就任 6月24日、40周年記念式典 |
| 42回 | 平成13年 | 1910名 | |
| 43回 | 平成14年 | 1236名 | |
| 44回 | 平成15年 | 1539名 | |
| 45回 | 平成16年 | 887名 | 大分交通キャンプ場閉鎖 |
| 46回 | 平成17年 | 1081名 | 牧ノ戸キャンプ場・星生キャンプ場・やまなみキャンプ場にて「九重教育キャンプ」開催 |
| 47回 | 平成18年 | 1282名 | |
| 48回 | 平成19年 | 902名 | |
| 49回 | 平成20年 |
福岡県中学校体育連盟野外活動部 初代専門部長 平山 照男
「年々登山やキャンプは盛んになっているが、キャンプ地の荒廃や無謀な登山など目
に余るものがあり、自然に親しむことが逆に自然を荒らし、人間性そのものをも損なっ
ていく現状を見たとき、青少年の野外活動指導の重要さが痛感される。青少年の野外
活動とは、組織されたグループの生活を通して、真に自然を愛し、親しみ、自然を知り、
個人ではなくグループの一員として行動し、その人間関係を通じて人間性を高めていく
ことである。」
(福岡県中学校体育連盟野外活動部刊「はぐくみ」より)
そもそも九重キャンプの始まりは、昭和35年のことであるが、当時はまだまだ登山
やキャンプなど単なる個人の趣味による遊びくらいにしか理解していない人が多く、教
育的なキャンプといえばボーイスカウトの野外訓練、あるいは福岡県教育委員会主催
の野外活動指導者養成講習会(当時、平原野営訓練場でしばしば実施)を受講された
先生方による一部生徒引率によるキャンプ活動の域を出ず、いわゆる学校教育の一
環としての組織的な野外活動は皆無に等しい時代であった。
そのような背景を背負いながらも、組織的な野外活動の必要性は徐々に認識され、
福岡県教育委員会体育課を中心に具体的な案を練り、西日本鉄道株式会社事業部
の協力を得て、名称も「九重キャンプ教室」とし、呱々の声をあげた。場所は県外、し
かも九州本土最高峰の久住登山を含む三泊四日の幕営生活の計画は画期的なもの
であったが、何事もスムーズにすすんだわけだはない。自衛隊に協力する学生の団体
が集団食中毒を起こしてその行事が中止になり、当時隆盛であった硫黄鉱山との問
題、国立公園を活用するための国との交渉、指導員の問題など、課題は山積みであ
った。特に指導者については、「対象が義務教育中の中学生である場合、引率は先
生、指導もあくまで現場の中学校教諭があたるのが当然であり、そこに教育キャン
プとしての意義を明確にすることができる。」との意見が参加校の先生方から多くで
てきたのである。
指導員は各層にわたり、ベテランも多かったが、中には名ばかりの○○山岳会員、
**会社の山岳部員、自分の趣味で参加する自薦組まであらわれ、自称ベテランで
は、参加校の至極当然な意見・要求に対して満足な回答ができない状態になってきた。
私自身も中学校に籍を置く身としてこの問題をなんとか早期に解決すべく熟慮した
結果、この「九重キャンプ教室」を「九重教育キャンプ教室」として位置づけるため、
指導者にはすべて現職の教師をあてることとし、そのため昭和24年以来着々と堅実
な歩みを続けている福岡県中学校体育連盟の組織に組みいれることにした。そうする
ことで野外活動の意義とねらいが広い範囲に、しかも確実に定着するだろうという結論
に達した。
昭和38年の教育キャンプ終了と同時に、福岡県中学校体育連盟の会長と理事長に
野外活動の重要性を説き、何とか1専門部として認めてもらえるよう運動を始めたが、
県下各地から選出されている理事・評議員さらに各専門部長の同意が必要であり、賛
成同意を取り付けるのが容易ではなく、ほとほと参ってしまった。自分だけは教育キャン
プの重要性を痛感しているつもりでも、前にも述べたように、まだまだ登山やキャンプ
などは遊びの一部としか理解していない人が多く、会議の席上で、
○ 勝敗の決まらない野外活動などは競技ではない。趣味の会ではないか。
○ 高い費用をかけてわざわざ他県まで出かけることはないではないか。
○ 野外活動など聞いたこともない。組織はどうするのか。
その他、今では考えられないようないろいろな意見が、矢継ぎ早に飛び交い、腹がたつ
やら、情けないやら、何度も挫折しそうになった。しかし、理解者が次第に増え、昭和39
年の第1会理事会に理事長から野外活動部承認の件が提案され、全回一致で可決され
たのである。あのときの理事長のご努力、全理事のご厚意は終生忘れることはできない
だろう。
あとは、中体連野外活動部の組織づくりである。県教育委員会の野外活動指導者講
習会受講者名簿と首っ引きで県下各地の先生に直談判、昭和39年7月20日、泉水
登山道横の新キャンプ場(現大分交通キャンプ場)に4名(平山・相場・東出・田平)の
指導員が集結し、第1陣の受け入れのために身の丈あまりの萱を刈り、みそだ樽をか
ついで谷をわたった。「福岡県中体連野外活動部本部」の立て札をたてたときは日は
すでに山陰に隠れ、夕闇があたりを包んでいた。夕食の準備。疲れきった体を休める
テントの中で夜を徹して激論・・・。しかし口角泡をとばした討論を通して確かめたことは、
真に青少年を愛し、自然を愛するこころは一つであるということだった。
創設期はなんと言っても指導者の数が少なく、一人の指導員が10日も20日もこもり
きりという状態も少なくなkった。食事も2日ごとに同じ献立で、カレー・豚汁の連続で、
新鮮な青物野菜は1週間以上もお目にかからない始末であった。久住登山を毎日して
いる指導員でさえ、山から帰ればすぐ夕食の支度にかかる。終わればキャンプファイ
ヤー指導に大声を上げて歌い、踊る。全く常識では考えられない日々の連続で、キャ
ンプの終わった頃は、元気付けに毎日食べたニンニクのにおいと日焼けた顔なので、
国籍を疑われるほどであった。以後、参加者の数順調に増え、指導員の数も定着し、
組織も安定し、地元の理解も深まってきた。しかし、当初から懸案であった一般キャン
プ場との同居による弊害、それは当然のことながら教育キャンプから来る生活の規律
である。私たちとしては一般キャンプ場から離れた理想的なキャンプサイトで純粋な教
育キャンプを実施することを理想としている。何とか安住できるキャンプ地を確保したい。
これは私だけではなく、指導員諸子の悲願でもあった。シーズンオフに県知事をはじめ
関係各位と話し合いをもったが、理解はしていただいたものの実現しなかった。一方
西鉄でもキャンプ場移転に前向きに取り組んでいただき、別府大学所有の土地を借り
入れ、泉水山登山口にキャンプ場ができあがった。昭和48年、7月中高体連、8月1日
から12日までは中体連が使用し、期も2泊3日という原則が確定した。
指導員紹介
45年間の九重教育キャンプを支えた指導員を紹介します。キャンプを実施する折り
には、遠慮なくご相談ください。
登録指導員一覧
| OB | |||||||||
| 平山 照男 | 物故 | 池上 浩至 | 矢原 武 | 宮崎 紘一 | 紫村 公一 | 物故 | |||
| 定直 暢夫 | 内 恵 | 中川 信弘 | 野崎 典雄 | 筑波 洋之助 | |||||
| 大西 健児 | 中嶋 正一 | 林 雄三郎 | 赤星 輝満 | 齋藤 基典 | |||||
| 服部 辰夫 | 香月 清司 | 安部 実智子 | 広田 仁義 | 小国 隆 | |||||
| 重吉 義満 | 東出 政彦 | 山内 由喜夫 | 尾田 征徳 | 縄田 満枝 | |||||
| 平山 礼子 | 塚本 保 | 中村 美千代 | 関家 庸弘 | 権堂 力之助 | |||||
| 河喜多 芳子 | 中村 幸二 | 小河 重惟 | 片山 徹 | 大池 重晃 | |||||
| 金子 敬章 | 尾田 保 | 橋津 和寛 | 相場 長幸 | 物故 | 田中 節男 | ||||
| 中島 幸男 | 桑園 英俊 | 田中 一幸 | |||||||
| 赤間 園子 | 楠本 孝一 | 坪根 幸夫 | 吉田 元秀 | 長久 修 | |||||
| 西村 清一 | 島田 清 | 坂本 三男 | 豊福 保成 | 執行 敬文 | |||||
| 角 嘉鹿 | 鍵谷 剛一郎 | 長崎 修 | 橋本 重喜 | 植田 史和 | |||||
| 宮本 孝一 | 井上 和剛 | 本庄 裕嗣 | 吉村 和幸 | 金丸 敦志 | |||||
| 山下 博司 | 小森 | 高嶋 | 西依 | 石川 正浩 | 物故 | ||||
| 安部 俊之 | 坂本 裕一郎 | 安達 義人 | 矢野 聖隆 | ||||||
| 現役 | |||||||||
| 福岡地区 | 北九州地区 | 京築地区 | 筑豊地区 | 筑後地区 | |||||
| 今村 修二 | 東福岡養護 | 南 健作 | 小倉北特別 | 尾形 周司 | 豊津中 | 畠山 正彦 | 遠賀中 | ||
| 廣瀬 桂次 | 福岡市教委 | 中村 博光 | 高見中 | 穂坂 芳己 | 勝山中 | 河島 | 中間北 | ||
| 城丸 貴徳 | 能古中 | 谷 義久 | 八幡特別 | 真次 茂 | 新津中 | ||||
| 樋口 和幸 | 南小倉中 | 工藤 正志 | 新津中 | ||||||
| 門司 政廣 | 柳西中 | ||||||||
| 横尾 卓彦 | 和白中 | ||||||||
| 森永 岳人 | 福岡中央特別 | 筑前地区 | |||||||
| 福田 正雄 | 科学館 |
平成19年度 福岡県中学校体育連盟野外活動部専門部名簿
九重教育キャンプに参加される場合は、下記専門部長に一報してください。また、内容について
もご相談ください。
| 役職 | 氏名 | 学校 | 学校住所 | 学校電話番号 | |
| 専門部長 | 横尾 卓彦 | 和白 | 福岡市東区三苫1−10−1 | 092-691-3911 | |
| 事務局 | 城丸 貴徳 | 能古 | 福岡市西区能古357 | 092-881-0595 | |
| 地区専門部長 | 福岡 | 城丸 貴徳 | 能古 | 〃 | 〃 |
| 筑豊 | 畠山 正彦 | 遠賀 | 遠賀郡遠賀町別府200 | 093-293-0043 | |
| 京築 | 工藤 正志 | 新津 | 京都郡苅田町新津1−6−1 | 0930-22-2017 | |
| 筑前 | 牧草 哲也 | 新宮 | 糟屋郡新宮町上府1592−860 | 092-963-0035 | |
| 北九州 | 矢野聖隆 | 枝光台 | 北九州市八幡東区枝光5−8−1 | 093-671-1552 | |
| 筑後 | 城丸 貴徳 | 能古 | 福岡市西区能古357 | 092-881-0595 | |
※ 筑後地区につきましては、直接事務局に!

「さようなら。お元気で。」