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宇多田から音楽論へ(4)

小林:美空ひばり自身の企図したものかどうかはわかりませんけど、ジャズのスタンダードをとりあげたCDとかもありますね。もう、本場顔負けなぐらいに巧いです。

黒川:ありましたね。

前にラジオでちょっと聴いただけだけど、買って聴いてもいいな、なんて思っちゃいます。

そこまでは思わんかったな。

死後のあまりに極端な神格化ぶりと、生前の半ば忘れられてたような時期とを思い合わせると、どっちが本当に評価なのか、ときにわからなくなりそうです。

大抵、生前のものが本来、みんなに受け入れられているものだと思います。でも、アーティストは鯨みたいなもので、息継ぎのときにしか見えません。本当は水中にいるときの方が重要なのに。

それでも、美空ひばりが日本史上に残る名シンガー(not名ミュージシャン)であることは間違いないと思うけど。

僕にとってはどうでもいい存在です。子どもの頃から「歌の上手いオバサン」という存在に過ぎず、何も生み出さなかったような気がするので。

ちなみに黒澤監督も、死後はかなり騒がれました(僕はまだ騒ぎ足りないと思った)が、「だったら、生きてるうちに、もっとお金出して、映画撮らせてあげろって」って、ツッコミたくなりましたね。

ハハハ、でも、幸せすぎても映画は撮れないと思うよ。お金があるときよりも無いときの作品の方がよいなんてこともよくあるしね。

それは、「オリジナリティーがない」という意味?
それとも、「死後に異常に評価が上がった」という意味?

後者です。「死後に異常に評価が上がった」ということよりも、その客観的な批評がされないということです。

ただ、たとえ他人の書いた楽譜であっても、あれだけ見事に解釈して歌い上げていれば、それもまた、ひとつのすばらしい芸術的作業だ、とも見られますけどね。

さてそこだ、問題は。

クラシックの音楽家というのも、他人の書いたスコアをどう読むか、そして、その読みをどう音にするか、の勝負で評価されてるわけですし。

ポピュラーミュージックにおける評価点とはなんであろう。上手いことか?クラシックでもそうだがソツないことが評価点か?そうではないはずだ。

そこで

〈作品〉が単なる〈作者の代理〉でないのなら、他人の作品をその作者の意図を超えて、よりすばらしく解釈することもできる。…
そういった性格のテクストでなければ、たとえば、クラシック音楽で演奏家というものがこれほどのこだわりを持たれるはずもない。…

という意見には賛成できる。

新たなイデオムの導入。その独自性、美、力などが評価される点であるはずだ。僕は美空ひばりにそれを感じることはできない。

たしか、大江健三郎だったかな、自分の書いた文章が出題された入試問題を解いたら、全然できなかったそうな。

大江!

虫酸が走るね。あんなのを引き合いに出さないでくれ!!

何であんなのがノーベル賞を取ってしまったんだろう。たまたま、日本が受賞する順番のときに他に適当な作家がいなかったということなんだろうけど。取らなければ誰も読まない作家だった。安部公房か埴谷雄高なら、世界的な評価をされてもいいと思う。

歯ぎしりして胸に刻みます。

そこまでせんでも。小林さん、よくそのフレーズつかうねぇ。

もともと、私は現代美術も現代音楽も苦手なジャンルなんですよ。これから、黒川さんにじっくり教えてほしい方面ですね。

僕もよく知りません。ただ、評価の定まっていないものを見るのは楽しいです。僕のような野生の鑑賞にはぴったりです。

「実験のための実験」という表現はちょっとアレですね。「すぐに聴き手が楽しめるタイプの芸術ではなく、モノスゲーひねくれた芸術」と呼んどくほうが的を射ていた?

それは確実に誤りだ。下を参照して欲しい。

でも、私のような素人には、やっぱり、4分33秒間何も起こらないような音楽は「わかろう」とする前に「ついてけませ〜ん」ってなっちゃうんで、そのような素人にとっては、やはり〈実験のための実験〉に映ってしまう。

ちがいます。実際きけばわかります。何も起こらないわけではありません。聴こうとする態度が聴き手にあれば、この作品は理解できます。楽器が鳴らされない。しかし聴き取ろうとする行為がなされるために、聴き手は今まで無視していた会場の音、会場の外の音、自分自身の音などに気がつきます。この作品はその気づきを促す作品であり、また、4分33秒間に起こるすべてを作品化するというとてつもない作品です。開放型の究極の例と言えるでしょう。

それじゃイカンから、これからはもっともっと、現代音楽の鑑賞法を身につけたいと思ってるんですけどね。

鑑賞法などと考えてはいけません。それでは知識、言葉、ラングの専制に飲み込まれるに違いありません。再度言います。

「考えるな感じるんだ」

言葉はあとからついてきます。

大瀧詠一は、
「(前略)誰も地球上で過去に生産されたすべての音楽を知らない以上、ある音楽をもって、〈完全なオリジナル〉と断定することが誰にできよう」
ってな意味のことを語ってましたっけ。

まぁあ、誰でも気づくことですよね。

ハウス・サウンドみたいに過去の音楽作品そのものを〈素材〉とする手法ってのが定着した1990年代になって、それまでは「パクリ魔」として半ば軽蔑されていた筒美京平が再評価されたってのもおもしろい現象だと思いました。きっと、みんなが建て前上だけでも〈オリジナル〉を志向してた時代に堂々と既存楽曲を〈素材〉として活用した筒美は正しかったのだ。

でも、パクリはパクリだよ。だって前があってのパクリだから。パロディーが本編を超えないのと同じ。自分が聞いてきた音楽を血や肉にして創り出した音楽とは根本的に違う。

サンプリング処理を簡単にできるキカイが発明されたときに、誰かがそれをやって成功したとたん、われ先にとみんながマネたということは、それだけ、みんな「オリジナルな創作」という欺瞞に気づいてたってこと?

そんな難しいことは感じてないはずです。音楽をはじめる理由なんて「好きだから」というだけでしょう?で、好きなアーティストがいてそれを真似ようとするそれだけ、もしくは「あいつみたいにもてたい」とかその程度のことだと思うよ。

音楽にとどまらない〈表現とは何か〉に対する貴重な提言だと思いました。

そこまでのものとは思いませんが……。

というのは、以前に黒川さんが「命を賭けない芸術は芸術ではない」という、とっても簡単でとっても深遠な発言をされていて、私もその言葉がずっと、心の奥でひっかかってたから。…

悪ふざけで芸術なんてやれないでしょ。遊びはあっても、真摯、真剣という面がなければ芸術になりえない。知を弄しただけのパクリのポップスなんて最低だと私は思います。

その違いに気づかずにただただエセ商品を量産するか、意図的にエセなるものを聴き手につきつけて聴き手の芸術観を問うか。できてきたモノのかたちは似ていても、狙いは違うってこと、たしかに人の世にはありますものね。
私も、そういう違いを見分けられるぐらいの者になりたいけど。…

それはどんどん、難しくなるよ。現実が存在しなくなっているような状況だから。映画とそっくりな、現実が目の前にあるからね。オリジナルとコピーの区別はますます分からなくなる。

美空ひばりの歌に、その「他の者がどんなに努力しても加えられないとてつもないスパイス」の存在を感じたならば、美空ひばりは、歌手として〈天才の持ち主〉です。
さて、いかがだろう?
黒川さんは感じる?

僕には「歌に関しては器用なオバサン」としか思えないです。

私は天才と能才の差を判別するのは苦手です。矢野顕子と教授の場合も、その違いがよくわからないんですけど、思うに、大瀧詠一や細野晴臣は、残念ながら天才の持ち主ではなく、あくまで能才が抜きん出た人、と思わざるをえないのかもしれません。

教授はどこまで行っても、ラング、つまり文法に引きずられてしまう。矢野顕子は自由に飛びまわれる。それだけの違い。

最初っから自分の好み通りにスンナリ受け入れられちゃうようなものほど、飽きがくるのは早かったりして。(人間関係と同じね)

そのとおり!!すぐ役に立つものは、すぐだめになるもの!!

しかし、これは偏見ですが、あるジャンルがジャンルとして固有の既存パワーを持ってしまったあとで、その壁を意図的に壊すという試みは、コケ気味なのが多い気がするんですよ。「自分の求める音楽表現のために壊さざるをえない壁」して壁を超えたのか、それとも、越境のための越境なのか、というような。…

それは壊そうとする行為が先行して、作品の完成に目が向いてないからでしょう。「スーパー歌舞伎」が好きじゃないのはこの理由。そこに目が向きすぎている。

天才という人たちは、やってやってやりぬくと、突き抜ける瞬間が来る。その瞬間に、それと意図せずとも自分が文法から抜け出しているという感じでしょうね。本来は。

心の叫びです。

そうか、マスターベーションなら読みたくないぞ。

「閉じた」というのは、〈解釈の幅がせまい〉歌詞、前に使ったフレーズで言うと、〈無規定箇所〉の少ない歌詞、〈空所〉の少ない歌詞という意味でしょうか?

まぁ、そうなります。

松田聖子でも柏原芳恵でも河井奈保子でもなく、斉藤由貴でなければいけないと言った理由が、私が松田聖子や柏原芳恵や河井奈保子より斉藤由貴がすきだから、なんていう理由だったら、やっぱり怒る?

いやあ別に良いよ(投げやり)。でも確信が好悪の問題しか裏づけがないというのは脆弱すぎるよね。

ともかく、「卒業」も「初戀」も、テクストの主題を明確に捉え、それを聴き手に鮮明に示すのは、やっぱりオリジナルの歌い手でもある斉藤由貴。

主題はストーリーの一部だよ。主張はメッセージ。隠されているからといって同一のものではない。だからここにはストーリーしかない。ゴットファーザーにしたって事実とのリンクを絡めて人間を感じ取るべきだ。

二人ともかわいい。寛子や真希ほどではないが。

どっちでもいいよ(笑)。

ジャパニーズ・ガールズ・ポップは永久に不滅です!

姿を変え、ロックと歌謡曲の垣根を曖昧にしながらね。

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