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Love Childとは余りに皮肉な

「キリストと同じなんだ。父親がいないのさ」

こういう台詞を言えるようになったのは高校中退後のことだ。欧米なら、そうキリストもそうなのだからそれでもよかったかもしれない。しかし、ここは日本なのだ。英語のlove childは日本では私生児、非嫡出子と呼ばれる。欧米にはある愛が、日本ではなくなり、その代わりに「私」、つまり母親が現れる。

僕に対する愛などなかったに等しいだろう。僕がこの世に生まれた理由は2つだ。母親が父親らしき人物をつなぎ止める為の道具として。父親らしき人の種保存本能の産物として。この2つだ。僕はエゴによって生み出されエゴによって生かされた。愛があるというのなら、何故子の為に結婚できない?何故結婚できぬのに子を産む?子に対する愛、配慮などどこにも見当たらない。

僕の存在に対する危機感もここに起因している。周囲の大人達の言動や子供たちの言葉に傷つけられる。そしてこう思うのだ。

「僕はこの世にいてよいのだろうか?」

幼い子がこう思うことがどれだけ悲しいことだろう。

愛情のない(エゴイスティックな感情はあるが)親に何かさせるには、とにかくしつこく何度も要求を言うしかない。そうやって僕は知識を手に入れた。無理に映画館、コンサートに連れていってもらい、本を買ってもらった。芸術に知識にうえていた。習い事などできるわけがない。運動も同様だ。それにかかる金があったら、少しでも芸術に知識に触れたかった。子供らしいことなど何もできなかった。

悔しくて今でも覚えているのは、僕と同い年のイトコが僕のことを作文に書いた時のことだ。現物を見たわけではないが、内容はこのようなものだったらしい。

「いろんなことを知っているが、小学生が知っているべきことを知らない」

おばたちも、母親もその作文のことを聞いて笑っていた。「その通りだ!」と言って笑っていた。誰の為にそうなったのか、その笑いが僕をどれほど傷つけるかを考えもせずに。

その後何年も経て、イトコが、おばたちが、母親が馬鹿にした知識は彼らを見返すまでのものとなり、私は逆に彼らの無知を馬鹿にし、彼らに私の立場をうらやましがらせたのである。

これも復讐の一つだろうか?

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