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シド

(これは事実を元にしたフィクションです)

ミック・ロックの写真展が開かれた。場所は恵比寿の東京都写真美術館。当時の勤務地から徒歩15分といったところだ。到着すると、今時それはないだろう? という全身パンクスファッションの女性が二人先をゆく。まあ、それはそれで思った通りというところだろうか。

チケットを購入して、会場に入ってみると最初のコーナーには意外な人物が写真が数点、掲げられていた。シド・バレット。

ミック・ロックの写真といえば、きらびやかなジギー・スターダスト(デビッド・ボウイ)、噛み付かんばかりのイギー・ポップ、野心をぎらつかせるフレディー・マーキュリーといった面々が思い浮かぶ。グラムな毒気を見事に写しとるというイメージが強い。入り口すぐのこのコーナーは、その期待を胸に秘めた来場者にとってはあまりに地味すぎた。よく見ると、このコーナーは他のコーナーとは仕切られていて、まったく独立している。ここだけまるで別の会場のようだ。きっと、ここに足を止める人は少ないだろうと思っていると、案の定、先ほどのヴィヴィアン・ウエストウッドの申し子二人はさっさと歩みを進めている。それはそうだ。彼女たちにとってシドといえば、シド・ヴィシャスだろうし、偉業を成し遂げたピンク・フロイドだって知らないのかもしれない。

シド・バレットはピンク・フロイドの創設メンバーの一人だった。創設当時のフロイドは彼のバンドだったといえる。きらめく才能とルックス。彼なしのフロイドなどありえなかった。しかし、彼が参加したアルバムはファーストアルバム「夜明けの口笛吹き」だけだ。何があったのかといえば、あの当時、ナイーブな人間にはよくあったことだ。ドラッグだ。
 彼は次第におかしくなっていったという。ステージでギターも弾かず、歌いもせずに呆然と立ち尽くしたり、ライブの途中で演奏をやめていなくなってしまったり。そして、ある日、他のメンバーたちはシドをライブへと連れて行かなかった。そうして、それからずっと。

その後、フロイドはロジャー・ウォータース(ベース)、リック・ライト(キーボード)、ニック・メイソン(ドラム)、デビッド・ギルモア(ギター)の4人によって続けられていく。他のバンドのようなフロントマン、例えばELPのキース・エマーソンや、イエスのジョン・アンダーソン、キング・クリムゾンのロバート・フリップのような人物は、シドが抜け時点から不在だったが、フロイドは順調に成長してゆく。そして、もはや伝説となったアルバム「狂気」が制作される。

その次のアルバムのレコーディングの際に起きた出来事だ。キーボードのリックはいつものようにスタジオに向かった。スタジオにはロジャーがいてコンソールに向かい作業をしていた。彼の後ろのソファーに、頭の禿げ上がった肥満の男が醜い腹を突き出して座っていた。この頃のフロイドは、既に人気の高いバンドであったから、スタジオに知らない人物が出入りすることも多く、リックも気にせず準備を始めた。しかし、その男がぶつぶつとつぶやく独り言が気になり、ロジャーに尋ねた。「彼は誰だい?」

「シドだよ」

ロジャーは短くそう答えた。リックには何のことだかわからない。これがあのシドだと言うのか? あの危うい純粋さもきらめきも微塵も感じられない、この醜く太った禿頭の男が。たった数年で人はそれほど変わるものだろうか、これほどまでに.......。戸惑うリックを余所に、男は誰に問うでなくしゃべり続けている。「僕のギターはどこに入れる?」「ボーカルはどうしようかな......」
 リックは再びロジャーに目を向けた。彼は男に背を向けたまま作業を続けていた。言葉なく。泣きながら。

そんな逸話を思い出しながら、数点の写真に向きあう。ミック・ロックは単にロックの毒気を写し取るのが上手な写真家ではない。その毒気や、きらびやかさや、怒りや、野心の奥にある孤独や、切なさや、悲しみを画面に写し取る能力をもっている。そうでなかったら、これほどまでにロック・ミュージシャンの支持を得るには至らなかったはずだ。

シドのポートレートには、彼の最初期の仕事とは思えないほどに、その能力がいかんなく発揮されているではないか。気怠い瞳の奥に微かに残るきらめきと、幅を利かせはじめた狂気、そして悲しい未来が透けてみえる。しかし、来場した人々の多くには、それは見えないようだ。こうしている間にも数組が通り抜けるように、このシドの前をすぎていった。私は彼らに背を向けて写真に見入っていた。いや、見入っているふりをしていた。浮んでしまった涙を彼らに見られたくなかったのだ。

それから1年近くすぎ、縁あってケヴィン・エアーズの来日公演を手伝った。1日目の打ち上げの席で、ケヴィンのマネージャーであるジョーと話す機会があった。どういう流れだったのか思い出せないが、シドの話題になった。ケヴィンは今もシドに敬意をはらっている。その関係なのか、ジョーはシドの近況を知っているようだった。

「彼は何かしらの活動はしてるんですか? ギターを弾くとかいった。絵を描いているという話も聞いてるのですが」
「いや、何もしてないはずだ」

当然だ。当然の答えだ。

「彼は食べ物のいっぱい詰まった冷蔵庫と一緒に部屋に閉じこもってるんだよ」

冗談めかした口調でジョーはそう続け笑った。僕も笑った。

私の英語は拙いから、この翻訳は正しくないかもしれない。しかし、その笑いの後、二人の間に、悲しさとも、悔しさともつかない何かが漂ったのは、勝手な思い込みではなかったと思う。

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