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スナッフフィルム考

Snuff filmをインターネット上の辞書サービスで検索してみると下記の様に表示される。

snuff film [movie] 〔俗〕 (殺人に性的興奮を覚える購入者用の)殺人実写ポルノ(映画).
三省堂提供「EXCEED 英和辞典」

非常に簡潔だが的を射た説明である。スナッフフィルムは単なる実際の殺人シーンを収録しただけのフィルムではない。そのようなものは、ほとんどの場合、ニュース映像か、たまたま偶然にカメラの前で発生してしまった殺人を写しただけであるからだ。スナッフフィルムは上記、括弧内の購買層に販売するために行われた殺人を収めたフィルムである。つまり商用目的であって、基本的に、もちろん趣味と実益を兼ねるということはありえるが、自己満足のためのものではない。その意味である種の殺人犯が、自分の妄想を満足させるために撮影するフィルムはスナッフフィルムではない。ゆえに映画「血を吸うカメラ」はスナッフフィルムを扱ったとは言えない。

スナッフフィルムの購買層とされるのは、性嗜好が奇矯であるが富裕な人物達とされる。彼らは、人を性的衝動を満足させるための消費物としてしか考えていないか、もしくは通常の性行為に喜びが見いだせなくなり異常なものを求める様になったとされる。

彼らは自らの地位を守っておくために殺人を犯すことは出来ず、代償行為としてスナッフフィルムを求めるという訳だが、このような購買層が常時一定数を保っていなければ成り立たないし、また、その供給条件、例えば作成者、購入者の身元を確実に隠し通せる販売網がなくてはならない。そのような販売網を保てば、当然ながら顧客の拡大は望めない。商業的な成功はなかなか望めない分野となるだろう。

似たような分野として幼児ポルノがある。当然ながら違法であり、作成者、購入者が身元を隠さねばならないという点においてもスナッフフィルムと重なっている。これについてはインターネットを利用して該当する映像の情報を手に入れることも比較的容易だし、実際検挙されることも多い。

たとえ違法な商品を扱っているにしろ、商業目的であれば何かしらの手段で顧客の拡大を図るのは当然で、その過程で情報の漏洩も多くなるものなのだ。ゆえに実際に存在して、それ商用目的であるならば、ほんの短いフッテージだけでも流失して当然な訳だが、スナッフフィルムに関してはそれがない。もちろん、元々商用でない撮影された殺人をインターネットで入手することは可能である。チチェンでの虐殺とされるフィルムや、イラクでの誘拐殺人などといったものだ。だが、これらは前述のスナッフフィルムの条件を満たしてはおらず、何らかのイデオロギーや個人的心情で行われた殺人なり、自殺なりが撮影されていたというだけのものである。

このようなことからも、本当の意味でのスナッフフィルムの存在の可能性はきわめて低い。にもかかわらず、未だに、その存在がまことしやかに語られるのは、そこにステレオタイプな資本主義の構図が存在しているためではないだろうか。発展途上国、例えば南米やフィリピンなどで金銭を得るためつくられたフィルムを、先進国の富豪が安穏と豪華な部屋で眺めるという構図である。そして、そこに殺人と異常性欲という要素を加えて、モラルへの刺激を高める。この構図は格好の見世物なのだ。途上国の野蛮行為と特権階級の異常行為の集積であるスナッフフィルムを、自らのモラルで断罪しつつ、好奇心を満足させることが出来る。モラルのためには、そのフィルムは真実である必要がある。「真実を追っているのであって、残酷なシーンが見たい訳ではない」という建前が成り立たなければ、モラルによる断罪は成り立たない。

そうして、ありもしないSnuff filmは、辞書に収録される言葉にまで至たった。残酷なものや、グロテスクなものへの好奇心と、それを覆い隠そうとする偽のモラルがある限り、姿を変えることがあっても死語とはなるまい。

参考文献

  1. キリング・フォー・カルチャー―殺しの映像   デヴィッド・ケレケス、デヴィッド・スレイター著 菊池淳子 とちぎあきら訳 フィルムアート社  1998
  2. 快楽殺人の心理―FBI心理分析官のノートより   ロバート・K. レスラー、ジョン・E. ダグラス、アン・W. バージェス著 狩野 秀之訳 講談社 1995
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