カタルーニャ Cataluña
Comunidad Autonoma





バスク País vasco
ガリシア Galicia
アンダルシア Andalucia
カスティーリャ Castilla
バルセロナを首都とするカタルーニャは、文化と経済力で他を圧倒し、スペイ
ン一裕福な土地と言っていいだろう。
この地方の人々も自らを「スペイン人」ではなく、「カタラン人」と呼ぶ。常にマ
ドリッドに対抗意識を持ち、自分たちは勤勉で働き者と自負する。
カタルーニャはバスコ地方ともに他の地方にさきがけて自治権を獲得した。
フランコ時代は禁止されていたカタルーニャ語も現在では公用語として認めら
れている。テレビの番組、教育もカタルーニャ語が使用される。
カタルーニャは15世紀にレコンキスタが完了するとアラゴンと組んで地中海
を制覇し、繁栄した。しかし、スペイン帝国が植民地交易を始めてからは、急
速に力を失っていく。 カタルーニャが再び活気を帯びてくるのは19世紀であ
る。産業革命を機に大工業地と発展していった。 そしてカタルーニャ・ルネサ
ンス (カタルーニャ語や文化の最高をめざす運動)の波が押し寄せ、「カタル
ーニャ主義」と呼ばれる地域主義・民族主義的な政治運動に発展していく。
1932年9月、第二共和政下で18世紀以来失われていた自治権を獲得する。
だがスペイン内戦 (1936-39年) での共和国側の敗北とフランコの独裁政権
によりカタルーニャはすべてを失ってしまう。しかし、フランコが死去した後、カ
タルーニャは自治回復とともに、議会(ジェネラリタッ)が置かれ、憲法が制定
された。
バスク地方はピレネー山脈をはさんで5分の1がフランス領5分の4がスペイン
領となっている。バスク人はスペイン人ともフランス人とも異なり、独自の言語
と文化をもっている。バスコ語は他のいかなるヨーロッパ語とも共通点をもって
いない。
バスク人は誇り高く、独立精神が旺盛で、この地方には特有の「バスコナショ
ナリズム」が形成されている。 フランコ弾圧時期には執拗に地下運動が繰り
返されたのは周知の事実である。 自治権を与えられた今でもETA(バスク祖
国と自由)によるテロ活動は続き、この地方をスペインの火薬庫にしている。
サグラダファミリア
イベリア半島の北西部にあり、変化に富んだリアス式海岸をもつ。
雨の多い湿潤な気候のため、このあたりの景色は緑一色である。また、魚介
類がおいしことでも有名である。 ガリシア特産のリベイロ(白ワイン)が料理に
あう。
ガリシア地方はポルトガル語に似たガリシア語が話され、ポルトガルとともに
ケルトの血の濃い地方である。
ガリシアはもともと半農半魚の地方で、海外移住者も多かった。 現在でも生
活は貧しく、山々と厳しい海岸とにより中央から 隔離された村々も多い。
アンダルシアは風土と文化の上で、際立った個性をもつ魅力的な地域であ
る。711年、イスラム教徒がイベリア半島に進入。800年の間、イスラム文
化がアンダルシアを中心に開花し、 キリスト文化と融合した。アンダルシア
には、アハンブラ宮殿をはじめ、イスラム文化の遺産が多く存在する。
アンダルシアは今だに残っている大土地所有制度が原因で、貧しさから抜
け出せない。また、スペインの他の地方の人々はアンダルシア人を下に見
ているのも確かだ。しかし、アンダルシアの人々は明るく、陽気で現在の瞬
間を楽しんで生きている。
カスティーリャは中央部のメセタ(台地)を中心に、北部のカスティーリャ=レオ
ン地方、南部のカスティーリャ=ラ・マンチャ地方に二分される広大な地域であ
る。気候は「乾燥した大陸性気候」で、冬寒く、夏暑く乾燥がきびしい。
「ドン・キホーテ」で有名なラ・マンチャ地方は、荒涼とした赤茶けたメセタの風
景がどこまも続く。 また、この地方は世界有数のブドウの産地としても知られ
ている。
カスティーリャ=レオン地方(かつては旧カスティーリャと呼ばれた)中世から近
代の歴史の檜舞台になった。
8世紀に侵入してきたイスラム教徒に対抗して、 レコンキスタの先頭に立った
のが「カスティーリャ」であった。 イスラム軍を追いながら、 キリスト教徒の城
砦都市を次々と作っていった。 その後、カスティーリャが後のスペインの運命
を決定することになる。
カスティーリャの人々は自らを「カスティーリャ人」とは呼ばず、無意識的に「ス
ペイン人」と考えている。また、カスティーリャ語が「スペイン語」であるのは言
うまでもない。

サンチアアゴ・デコンポテーラ
アンダルシの白い村
ラ・マンチャのコンスエグラ
アビラの水道橋

カサ・ミラ
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