【船徳】(ふなとく)     2004/2/23更新
黒門町。櫓を漕ぐの図 【登場人物】
徳兵衛(勘当された若旦那)

【概要】
勘当された徳兵衛は船宿に居候。気紛れで『船頭になる』と云い出す。

「竿は三年、櫓は三月」ってんだが、浅草観音の四万六千日の賑わいで、他の船頭は出払ってしまった。そこへ客。女将は、生憎船頭が出払ってまして、と断るが・・・。何云ってんだい、そこにいるじゃないか・・・。

さあ大変だ。客は舟に乗って待っているが船頭の徳が来ない。『何やってたんだ』。『へい。髭をあたってまして・・・』。竿を突っ張っても舟が出ない。出ない訳だ、「もやい(舟を桟橋に結び付けてある綱)」を結んだまま。やっと出たかと思ったら、竿を流してしまった。舟が先へ進まず、グルグル回るやらで・・・。

徳は疲れて櫓を放り出してしまう。客はあきれ返って、舟から降りて水に入り、どうにか桟橋に上がる。徳に向かって、『大丈夫か〜。俺達は行くよ〜』。『待って下さ〜い。船頭一人雇って下さ〜い』

【資料音源】
@八代目 桂文楽/落語全集第三集/SHO-KB03・・・昭和31(1956)年7月10日(63歳)26:20/ラジオ東京「お好み寄席」放送/対談付き

A落語名人会1/古今亭志ん朝(1)/SRCL-2781・・・昭和54(1979)年7月5日(41歳)32:24/三百人劇場

黒門町。櫓を漕ぐの図

【雑感】
初代 古今亭志ん生(安政三年没)作の『お初徳兵衛浮名桟橋(おはつとくべえうきなのさんばし)』と云う人情噺が原型。様々な工夫の末、現行の型にしたのは、三代目 柳家小さん(昭和五年没)と云われています。

黒門町(=八代目 桂文楽)と云えば、『船徳』か『明烏』と云われるほど(と云っても、これは、あくまでも言葉のアヤで、黒門町は、すべてが十八番です)、この演目の第一人者です。私も持っておりますが、左上に掲示した山藤章二さんのイラストで記念切手にもなっています。

『四万六千日、お暑い盛りでございます』。どうでぇ〜、これが一部の無駄もない黒門町の語り出しです。炎天下の雰囲気を、これ以上に上手く表現する言葉があるなら、持って来やがれってんでぃべらぼうめぇ! ってオイオイ(^^ゞ。

@の音源では、対談で黒門町が、櫓を漕ぐ動作の難しさを語っておられます。Aの音源は、ミキシングにミスがあり、客席のボリューム・レベルが大き過ぎます。

[戻る]