授記について

授記の原語はサンスクリットの-vyakarana-区分・分析・発展の意とされる。
受記・記別・記説とも漢訳する
。もとはある教説を分析し、あるいは問答体を用いて解説するのを言ったが、後には、未来世の“さとり”などに関する証言をさすこととなった。
                                 (中村元著 佛教語大辞典)


         授記 --- 修行者が未来に最高のさとりを得るであろうことを仏が予言。
         受記 --- 授記に同じ。予言。認可。未来の約束。
         記別 --- 仏が、その弟子たちが未来世に仏になることを予言して、その
              時期・国土・仏名・寿命などをはっきり予言すること。
         記説 --- 説法すること。はっきり言うこと。


授(ジュ・さずける)声符は受(じゅ)。金文では受を授・受の両義に用いたとされることからvyakaranaが漢訳される時すでに、原語の意味を保ちつつ、予言・認可として使われていたのではないかと思う。(声符は白川静著 字通による)。


(き・しるす)声符は己(き)己は紀の初文で、ことの経緯をしるすことであるから、記別のように、はっきりとした予言等において用いられたであろう。

大乗佛教は利他行の実践に発展し、基になった法を小乗佛教として蔑視したといわれるが、上求菩提下化衆生、自力他力は不可分のもの、つまり明暗である。現在は上座部佛教と尊称される。

      
     普化宗尺八楽の音聲は分析せず、解釈せず、ただ吹くのみ。 只管打吐。