名称: |
マンチェスターユナイテッドFC Manchester United FC |
愛称: |
レッド・デビルズ(赤い悪魔)Red Devils |
ホームタウン: |
マンチェスター Manchester |
創立: |
1878年 |
ホームグランド: |
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オールドトラッフォード
Old Trafford
76,312人収容 |
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住所: |
Sir Matt Busby Way Manchester M16 ORA |
電話: |
(44)161-868-8000 |
公式サイト: |
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オーナー: |
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マルコム・グレイザー Malcolm Glazer
アメリカの実業家。2005年に所有権獲得。
クラブ経営には3人の息子(ジョー、ブライアン、アヴィ)が参加。 |
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最高責任者: |
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デイビット・ギル David Gill |
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監督: |
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アレックス・ファーガソン Sir Alex Ferguson
1986年11月就任以来、現在に至る。 |
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過去の有名選手: |
ボビー・チャールトン、デニス・ロー、ジョージ・ベスト、エリック・カントナ・・・など。 |
歴史: |
1878年に鉄道労働者チームの「ニュートン・ヒース」としてスタートを切る。
1902年に「破産の危機」に陥るが、運営母体が移り、現在の「マンチェスター・ユナイテッド」と変わる。
マンチェスター・ユナイテッドとなったクラブは、1906年に2部で優勝。1907-1908は1部に昇格していきなり優勝という結果を残し、さらに、1909年にはFAカップ初優勝。翌年にはオールドトラッフォードが竣工。前途洋洋と見えたマンチェスター・ユナイテッドだが、エルンスト・マグナル監督が去ってからは成績も下降し、低迷期に入る・・・1922年にはついに、2部へ降格。第一次世界大戦、第二次世界大戦の間も低迷し、1941年にはナチス空軍の爆撃によりオールドトラッフォードが破壊された・・・
この低迷から救い出したのは、マッド・バスビー。35歳でマンチェスター・ユナイテッドの監督を引き受け、チームを強化。自らもプレーヤーに混じってグランウンドに立ち直接指導した。バスビーの教えは徐々に浸透し、1948年のFAカップ、52年の1部リーグ優勝に結びつき、さらには、ユース育成にも力を入れた。バスビーは、イングランドやアイルランドなどから有能な若手を集め、育成し、チームを強化するスタイルを確立。ダンカン・エドワーズやボビー・チャールトンもこうして発掘された選手たちである。若手も活躍し始め、FAユースカップでは53年から5年連続の優勝を遂げ、「バスビー・ベイブス」と呼ばれ愛されるようになった。彼らが、56年にリーグを制覇すると、バスビーはヨーロッパの頂上を目指し、当時、出場を懸念されていたチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)に出場。ここで若きボビー・チャールトンらも貴重な経験を積んだ。
1957-1958、欧州への夢は、「ミュンヘンの悲劇」で無残にも打ち砕かれた・・・
1958年2月6日、ユーゴスラビアのベオグラードで行われた準々決勝の第2戦(対レッドスター・ベオグラード)の試合を終え、準決勝進出を決めた帰り。給油のために立ち寄った雪のミュンヘン空港。彼らの乗った旅客機は離陸に2度失敗し、3度目の試みで十分な高さまで上昇できず墜落。キャプテンのロジャー・バーン、リアム・ウィーラン、ジェフ・ベント、エディー・コールマン、マーク・ジョーンズ、デイビッド・ペッグ、トミー・テイラー、ダンカン・エドワーズら8人の選手や役員、コーチなどの命を失った・・・バスビー監督と3人の選手が重傷を負い、チームは壊滅状態となった。
それから5年、ボビー・チャールトンら生き残り組にデニス・ローらを加え、FAカップを制し、1963年には天才ドリブラー:ジョージ・ベストが加入。1967-1968には、ついにバスビーの念願であったヨーロッパのタイトルを手中にする。ペンフィカとの決勝では苦しみながらも延長で勝利。
あの悲惨な「ミュンヘンの悲劇」から10年後のことだった・・・
このタイトルは祝うべきものではなく、ミュンヘンで亡くなった選手たちを偲ぶべきものであり、悲しみにうちひしがれ、自分の部屋から出ることができなかったボビー・チャールトンは優勝祝賀会を欠席している。
1986年11月、アレックス・ファーガソンが監督に就任。バスビーと同じく若手の育成に力を入れた。
このアレックス・ファーガソンが作り上げたマンチェスター・ユナイテッドはよく知る人も多いはず。エリック・カントナや、ロイ・キーンなど、チームの核として必要な大物の獲得。ベッカム、ギグス、ネビル兄弟、スコールズ、バットなど若手の発掘・育成。大物と若手の力が融合されたチームは92年以来、優勝回数をどんどん増やし、1998-1999には、プレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグの三冠(トレブル)を手中にし、さらに、トヨタカップでパルメイラスを下し、世界No.1へと輝いた。最も劇的な試合は、カンプ・ノウでのチャンピオンズリーグ決勝。相手は、ドイツの強豪バイエルン・ミュンヘン。0-1とリードされていたが、ロスタイムのわずかな時間で2点を奪い大逆転勝利を演出した。テディ・シェリンガムとオーレ・グンナ・ソルスキアルのゴールで試合をひっくり返し、呆然とするバイエルンのローター・マテウス、地面を叩き涙を流すサミュエル・クフォー。「奇跡」としか言いあらわしようのない勝利は、何かがのりうつったとしか思えなかった。「天国の彼が味方してくれた」とアレックス・ファーガソン。奇跡的な勝利を収めた1999年5月26日。存命なら90才を祝うはずであったマット・バスビーの誕生日であった。
2000年を過ぎるとマンチェスターユナイテッドも少しずつ変わりはじめる。99年に2度目の欧州制覇をしたメンバーも引退や移籍する者も。2003年には背番号「7」のデイビット・ベッカムがレアル・マドリッドへ。この移籍が影響したかは明確ではないが、この後、3年間はプレミアタイトルから見放されることとなる。だが、アレックス・ファーガソンは大量補強するわけでもなく、従来の若手を集め育成するスタイルを貫き、ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドの若手と99年の欧州制覇を知るライアン・ギグスやポール・スコールズ、ギャリー・ネビル、オーレ・グンナ・ソルスキアルを融合させた新たなチームで2007年にプレミアタイトルを奪還。シーズン終盤までチャンピオンズリーグ(ベスト4)とFAカップ(準優勝)でもタイトルを争い、2度目のトレブルを達成する可能性が十分にあった。3度目の欧州制覇へ向けて新たなチームのモチベーションは高い。 |