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■ 2008年12月15日(月)ソース
source programと言うものは面倒きわまりないけれど、奥が深くて実に興味深い。ただ一カ所だけでも間違いをやったらうまくいかないから正直なものである。間違ってうまくいかない場合、その場所を見つけるために目をこらして長い時間を費やすこともあって大変である。HTMLタグ辞典などで勉強するわけであるが、他のホームページなどを参考にして改良し自分なりのものを作る場合も多い。
今回は「Musée」の中の「徳利」のレイアウトを直してみた。別に凝ったものにしようと思ったわけではない。ホームページをやり始めた初期のころには、多分誰でも同じだと思うけれど凝った裏技などもやりたくなるものである。しかしそんなことはとっくに卒業したと自負している私である。コンセプトは常に「見やすいように」なので自分では改良したと思っているのだけれど。
小さな画像に触れると現れる大きめの画像はこのページを開いたときに全部読み込むようにしてあるのですぐに表示されるあるわけである。画像の内容は少し書き直したが今まで通り表示される。
さて数多いOSやブラウザで私の思わく通りに快適にいくだろうか。私のマック様、ブラウザ様、ご機嫌良く読み込んでください、とお願いするような気持だった。当ホームページのTechnical adviserであるHiroo Yamashita氏の評価はどうであろうか。今朝は冷え込んで我が家の外気温計は3度だった。
■ 2008年12月6日(土)ゆうちゃんが遊びに来た
せんちゃんが生まれてからの我が家は近所の母親同士のお付き合いが多くなった。マンション住まいなのであまりお付き合いも無かったのだけれど、せんちゃんが生まれてからは母親教室などで知り合ってお付き合いも多くなってきたのである。母親の間ではmixiを立ち上げて情報の交換などもやっているようで結構楽しいらしい。そして時々仲間が我が家へも遊びに来てくれたりしているが、昨日は家のすぐ近所にお住まいのゆうちゃん親子が遊びに来てくれた。色白ですらっと背が伸びたゆうちゃんはせんちゃんよりも4ヶ月ほどお兄ちゃんである。仲良く遊んでいるところを見ていると実に不思議な気持になってくる。もしも端から誰かが見たとしたらどう見たって古稀の私がオヤジには見えまいだろうな、などと思ってしまう。
家の中にはテレビやオーディオなどの機械やカメラケースなどがあるが、せんちゃんはこれらをいじるのが大好きだ。アンプのボリュームを最大にしたりは日常茶飯事なので用心しなければならない。だから普段は電源をオフにしておく。パソコンを置いてある机にも手が届くようになってきた。マウスは下から見ると赤外線が赤く光るから、これを見てじっとしているのは無理なのだろう、必ず手を伸ばして触りにくる。せんちゃんは力持ちだからコードを引っ張られると取り戻すのに苦労する。いや握力にしても凄いものだ。
どこにこんな怪力が潜んでいるのか不思議だ。先日、普段よく読んであげている絵本の馬の絵のところを自分で開いてからはっきりと「ウマ!」と言ったときにはビックリした。だんだんとボキャブラリーも増えてくるようである。
■ 2008年12月2日(火)藤井隆太さんと東海林くみ子さん
昨日は藤井隆太さんと東海林くみ子さんが遊びに来てくれた。2人とも桐朋での教え子であるが、藤井隆太さんは龍角散社長という大役を担いながらフルートも吹くという異色の社長であることは知られている。東海林くみ子さんはつくばと土浦で「しょうじ音楽教室」を開いて後進の指導に活躍している人だ。可愛い教え子達である。この2人はせんちゃんが生まれてからちょうど1ヶ月目になった去年の10月30日に桐朋の教え子たちからのお祝いを持って遊びに来てくれたが、それからまた1年後にも来てくれたわけである。せんちゃんを肴に飲み食いしながら喋りまくってすごく楽しかった。思えばこの2人はせんちゃんが生まれる4ヶ月前の5月1日にも来てくれたから、生まれる前から見守ってくれているのである。
藤井さんは今般龍角散から新発売になったばかりの「龍角散ダイレクト」を持参してくれたので、ちょっと宣伝しておこう。早速服用に及んだが今までのクララを踏襲しており、優しく喉に染み込んでいく感触が気持良かった。これからはクララに替わって私の常備薬になるわけであるが、クララの名が消えてしまうのは一抹の寂しさを感じる私である。龍角散ダイレクトの新発売に向けて日本中、世界中を奔走して回った甲斐あってか、売り上げも想像以上だとか、会社のためにバリバリと精力的に動き回る藤井社長にエールを送りたい。
■ 2008年12月1日(月)ステキな贈り物が二つも!
昨日はステキな贈り物が二つも届いた。
一つは新潟からフルート界の大御所須貝氏が送って下さった塩引き鮭で、もう一つは標茶のアマチュアフルーティストの土肥さんが送って下さったプーさんのぬいぐるみである。
塩引き鮭は村上でできる極上の鮭だ。平安時代には京都の王朝貴族に献上されていたそうであるが、この塩引き鮭の旨さったらない。1匹1匹手作業で塩を擦り込み、自然の寒風で約一ヶ月干して出来上がる塩引き鮭は鮭のうまみが一番良く出ていると思う。今年の10月に村上を通った時にはまだ時期が早かったため見ることはできなかったけれど、数年前の冬に通った時には軒先に吊した鮭をたくさん見かけたことがあった。これを切り身にするわけであるが最初の頃は切るのにとても苦労したけれど、今では手慣れたものである。まな板に腹を上にして置き、包丁で切り身にする作業はとても楽しい。さて、明日からは毎日でも食べたいが、まずは焼いて戴こうと思う。
標茶のアマチュアフルーティストの土肥さんは大のディズニーファンだ。その土肥さんが大きなプーさんを送ってくださったのである。大きな箱が届いたので恐る恐る開けてみると、中からはプーさんのぬいぐるみが出てきてビックリしてしまった。せんちゃんは駆け寄ってきて大はしゃぎである。撫でたり、抱きついたり、チューしたり、もう凄い喜びようであった。せんちゃんはお風呂に入る時にもお名残惜しそうにしていた。良い友達が出来て良かったね!
標茶も厳しい冬が間近、今年も土肥さんからタンチョウの便りがくるのを楽しみにしている。
■ 2008年11月22日(土)出会い
トシを重ねる毎に出会いというものの嬉しさが増してくるようである。今年も様々な出会いがあった。
今年の三月に富山県の井波などでシュツットガルトゾリステンと演奏したとき、ボランティアでスタッフの一員として働いていた福光にお住まいのAさんが昨日ご主人とお嬢さんの一家三人で遊びに来てくれたのである。偶然なことにAさんのご主人の実家は我が家からクルマで15分くらいのところにあり、更にAさんの菩提寺はクルマで5分とかからないところにある。昨日はお墓参りに来たついでに寄ってくれたと言うわけである。
せんちゃんは将来絶世の美人を思わせる可愛らしいSちゃんをはじめ、ご夫婦とも即時に慣れて普段と全く変わりがなく、親しく笑顔でじゃれ合っていた。最近は人見知りが終わるのでは、と思わせる事が多くなっていたけれど、これは益々良い傾向である。最近では無かったことだけに嬉しかった。これは底抜けに明るいご一家だからだろうとも思われる。Aさんのお母さんもコンサートの時に会場でアナウンスをされていたが、この親ありてこの子あり、といった底抜けに明るく感じの良い人だった。
お土産に戴いた私の大好物、福光のかぶら寿司は早速夕食に時にいただいたが、これは本当に美味しい!福光近辺ではこの時期にかぶら寿司の他にも日本一美味しい干し柿もある。羨ましい限りだ。どうも卑しい話題が多くなってしまうようだ。
■ 2008年11月17日(月)桐朋三期生のクラス会
昨日は鎌倉で桐朋三期生のクラス会があった。今年95才になられて今以て音楽評論、解説などで活躍されている吉田秀和先生をお招きして第三期生が集まった。三期生と言っても一学年でひとクラスしかなく、しかも40人も居なかったのであるが、その中から14人ほどが集まった。新人類などという言葉もなかった時代の、温かい血が通った面々が集まったのである。私はあちこち転校ばかりしていたから中学、高校など毎年どこかの学校のクラス会があるなかで、この
桐朋に関しては記憶にある限りまだたったの二回目である。これから先はもっと頻繁にやりたいと思う。
吉田先生のお話は楽しかった。記憶力の凄さには参った。私が悪い生徒であったことも事細かく覚えておられたし、何をお話しになっても冴え渡っていた。当時は怖い先生ということが先に立って名前を聞いただけで身体が硬くなってしまうことが多かったけれど、昨日の先生の和やかなお顔はほんとうに素晴らしかった。こんな風に年を取りたいと思った。余生の文字が嫌いな私の憧れのような存在である。
思えば当時の桐朋はまるで寺子屋のようだった。学舎も木造の平屋だったが、現在は鉄筋コンクリートになって見る影も無く、校風ともあいまって味気ないことおびただしい。名前は同じでもまったく別の学校になってしまったと云えるだろう。桐朋学園を創立した当時の教授陣の凄さよ。斉藤秀雄、吉田秀和、井口基成、柴田南雄、入野義郎、遠山一行、等々。我々の時代は贅沢の極みであったと云える。これらの先生達の愛情と情熱に見守られながら育ったことをこれ以上ないくらいに有り難く、幸せに思うのである。今になって吉田先生から色々とお話しを伺うと、なんと愛に満ちた先生達であったのかと思った。教育者の鏡だろう。偉人吉田秀和先生の益々のご活躍を期待している。(写真:鎌倉のレストランで吉田先生を囲んでチェロの千本博愛、チェロ&画家の雨田光弘、作曲&ピアニストの高橋悠治、ヴァイオリンの岸辺百百雄、稲吉亜美、声楽の鈴木義弘などの顔が見えている) 高橋悠治のHP
■ 2008年11月14日(金)人見知り
今回の旅行中、せんちゃんの行動は本当に不思議だった。まず妻の実家でのジジ、ババに対するせんちゃんの態度。半年ぶりで会ったと言うのにまるで我々両親と同様に隔たりなく側に寄っていったのである。まだ人見知りが残っているから泣いて側には寄っていかないと思っていた。ところが泣くどころかジジババに寄っていき、肩をたたいたりするのだ。これは我々夫婦以外の人には絶対にしないことだから驚くばかりだった。せんちゃんは同じ血が流れている相手を本能的に感じるらしい。もっとも子供とはそう言うものかもしれないけど。散歩などで近所の人に会った時「まあ可愛らしい、抱っこさせて」と親しみを込めて近寄ってくる人に対しては間違いなく泣くから困ってしまう。静かにしているとせんちゃんの方から寄っていく場合もあるのだけれど、やはり見慣れていない人に対してはこうなってしまうのが普通だ。
この写真に写っている陶芸家池田匡優さんの愛犬チャオと対面したときは即慣れて仲良しになってしまった(写真館No.12を参照)。チャオは稀に見る優しい犬だったからか、せんちゃんはすっかり安心してチャオに寄り添っていった。人見知りはしても犬見知りはしなかった。これは見ていた我々が驚いてしまったが、まだ怖い犬は経験したことがないからだろう。他の犬も同じだと思って近寄っていったら、と思うとちょっと怖いな。
■ 2008年11月8日(土)素晴らしい旅行
せんちゃんにとっては長い旅行だったが、もう既に何回もクルマ旅行を経験しているせんちゃんだから万事順調だった。クルマでの旅行もガソリン価格が一時ハイオクが190円以上になって驚いていたが、最近では140円少々になって大いに財布が助かる。なにしろ満タンにすると三千円超の差になるのだから大きい。
今回の旅行の第一目的は、高崎でのコンサートでだった。40年以上もお付き合いしているフルーティストの関原博さんとのデュオを楽しんだ。終わってからは半年ぶりで青森の妻の実家へ向かった。行く途中、鶴岡で評判のレストラン「アル・ケッチャーノ」へ寄って食事をしたが、評判通りの美味しさだった。これはクセになりそうである。宿泊した湯野浜温泉も良かった。
妻の実家では思う存分くつろがせてもらった。八海山の純米吟醸酒と、行く途中に新潟の村上で買った〆張鶴など計六本、それに珍しい八海山の焼酎を持って行った。これは今年の四月に発売になったもので「宜有千萬(よろしくせんまんあるべし)」という名の本格米焼酎である。八海山の清酒粕を加えて貯蔵年数2年以上というこの焼酎はとてもさっぱりとしており、呑みやすかった。毎晩美味しい手料理と銘酒で楽しかった。例によって広田温泉にへも行ったし、郊外にある大きなスーパーの魚売り場では新鮮な魚や都会では高価で買いにくい大好きなクジラを買って食べまくった。
実家を後にして帰途についたが、まっすぐには帰らないことは毎回同じである。楽しみにしていた宮城の陶芸家、池田匡優さんの窯場を訪ねた。池田さんの南蛮焼は最近買ったばかりであるが、それが縁で会いたくなって約束をとっておいた。町の喧騒から遠く離れた山里にある池田さんの窯場はまるで別天地だった。作品展示室には温かい作品が並んでいて気持が和んだ。池田作品が生まれてくる穴窯も見せていただいた。池田家のワンちゃんのチャオはとても人懐っこく、せんちゃんもすっかり仲良しになって寄り添っていた。池田さんのお宅を後にして、その日は標高七百メートルにある宮城蔵王の鎌先温泉で一泊して、翌日帰って来た。これらの写真は間もなく写真館にアップの予定。(写真は五所川原の妻の実家にて)
■ 2008年10月18日(土)リリコ・スピラーレのコンサート
2008年10月31日(金)リリコ・スピラーレの本番が終わった。高崎でのリリコ・スピラーレのコンサートは会場の高崎シティギャラリー にほぼ満員のお客さんを集めて行われた。私がリリコ・スピラーレと共演するのは二千年の十月以来だから、ちょうど八年ぶりである。プログラムはテレマンのフルート二重奏曲より、モーツァルトの 魔笛二重奏、W.F.バッハの二本のフルートのための六つの二重奏より第三番変ホ短調、ヴィヴァルディのフルート協奏曲第三番ニ長調「ごしきひわ」、バッハのG線上のアリア、カッチーニのアヴェマリア、武満 徹の二本のフルートのためのマスク、チマローザの二本のフルートのための協奏曲ト長調、というものだった。全部大体うまくいったと思うが、特にチマローザでは緊張感がたかまってすばらしいアンサンブルだったと思う。関原さんとは四十年来の友人であるが、長いお付き合いを思いながらの演奏は感激的だった。メンバーは皆明るい人たちで、終わった時の笑顔がすてきだ
った。和やかな雰囲気のコンサートだった。
終わってからの打ち上げ会も楽しかった。皆音楽に真剣だから意見の交換にも熱が入る。リリコ・スピラーレは今メンバーが少なくなったそうであるが、これからの発展を願う者として少しでも力になりたいと願っている。(写真はチマローザの二本のフルートのための協奏曲ト長調。撮影:赤石典久)
■ 2008年10月18日(土)高崎でリリコ・スピラーレの練習
高崎に行って今月27日に行われるコンサートの練習をしてきた。関原博さんが主宰するフルートアンサンブル「リリコ・スピラーレ」との共演は2度目だ。リリコ・スピラーレが発足した最初のコンサートに参加したのは2000年の秋だったからあれから8年も経っているのである。メンバーはすっかり替わっていた。みな明るい人たちで、いつも笑いが絶えない。練習が行われたところは以前群響のコンサート(バッハのマタイ受難曲)のお手伝いに行った時と同じ場所だったので、とても懐かしかった。練習は前もって関原さんがこまかく分奏しておいてくれたお陰でヴィヴァルディもチマローザも大きな問題もなくすんなりといった。いよいよコンサートもあと9日だ。
練習が終わったのは9時過ぎ。普段ならば私は寝ている時間だが、この日は心掛けよくしっかりと昼寝をしておいたから大丈夫。ヒンヤリとした秋の空気を肌に感じながら歩いて数分の関原さんが狙いをつけておいてくれたお店へ行く。そこでは底抜けに楽しい時間を過ごした。高崎の地酒も美味しかった。ホテルに帰ったのはもう11時を回っていて、私としては本当に珍しいことだった。
翌日、関越道の練馬を下りてからは環8経由の家路へは向かわず、環7に入って碑文谷の備前焼、伊賀焼などを扱っている長縄に寄り、予約しておいた池田匡優(まさゆき)さんの南蛮焼きの器を受け取った。南蛮焼きは中里隆、川淵直樹、森岡成好、パイクさんなどの器を使っているが、池田匡優さんが加わって益々楽しくなった。池田さんの作品は、まもなく「蒐集癖」に出す予定だ。(写真は練習後に行ったお店で)
■ 2008年10月14日(火)株の大暴落
アメリカ発の金融危機が世界中に広がって世の中が騒々しいが、これはかねてから「こういう事になる」と言われてきたことである。金融関係には全く疎い私でさえ本などで読んで予想はしていた。聞くところによると1158兆円ものお金がどこかへ消えてしまったというから凄い。この数字がどれほどのものなのか想像もできないが、じゃ一体どこへ消えていったのだろうか。退職金をすべて株に投資したという人が途方に暮れているニュースを見て気の毒だと思ったけれど、株式投資や先物取引やお金そのものを売り買いして金儲けをしようとする世界にはリスクが伴うのは当然だろう。これはどう考えたって博打そのものだから。また私にとってお金は働いて手に入れるものである。なのにそのお金を売り買いする世界があるなんてことは私には全く理解しにくい。当人達だけが損得するのではなく、我々一般人も影響を受けるのだからたまったものじゃない。
一口に資本主義社会と言っても具体的にそれが何なのかは理解しにくい。辞書で調べて何回読んでも私には難しくて分からない。自由と平等と言うけれど自由を追求すれば平等がなくなり、 平等を追求すれば自由がなくなる。働く能力だって個人差がある。平等にすれば働く意欲も無くなるだろう。共産主義だってうまくいってるようには見えない。結局なにが一番良いのか、解らない。資本主義も共産主義も上に立つ者が私欲に走ることなく理論通りに行えば随分住みやすい世界になりそうだが、これは長い歴史を見ても望む方が無理と云えそうだ。エデンの園で神が食べることを禁じた「善悪を知る樹」の実を食べて以来人間は善悪が解らなくなってしまった。
10月14日現在1ドルが約102円、ユーロが138円だ。円高は輸入業者にとっては良いだろう。私にとって楽器や楽譜などの必要品、海外旅行やガソリン代が安くなって有り難い。世界の原油価格に影響を及ぼすと言われているニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物相場は急落して1バレルが100ドルを割り、ガソリン価格はハイオクが160円くらいにまで下がっている。
しかし世界的不況がどこまで深刻な状態になるのか心配、と言うよりもこれは恐怖である。我が家の生活がかかっているのだから。
■ 2008年10月1日(水)千里が満一歳になった
早いもので昨日はせんちゃん(千里・ちさと)が生まれてから第一回目の誕生日を迎えた。 せんちゃんは予定よりも12日早く生まれたけれど、今のところ病気もなくいたって健康的に育っている。離乳食も今ではあと1歩で大人と同じくらいまでになった。果物は大好きだ。八月の半ば頃に立ち上がるようになり、伝い歩きも上手になって今では少し歩くようになった。最高は18歩を記録している。せんちゃんは周りの目に入るもの何にでも興味津々である。スイッチ類や引き出し、オーディオ(電源は切ってある)のダイアルなどをいじり回している。絵本は特に好きだ。何をしているときでも「せんちゃん、絵本を見よう」というと急いで側に寄ってくるのである。何回も何回も読んであげるから、ほとんどの絵本は覚えてしまったようだ。最近は読んであげようとすると人差し指で代わる代わる絵をさして私の目を見ながら「ん?」「ん?」と聞くことが多くなった。これは絵本に限らず家の中の物に対しても同様で、行く先々で質問攻めにあう。こんな時にはいわゆる赤ちゃん言葉では教えない。クルマはクルマでブーブーなんて言わない。また「いきまちょうね」と言わずに「行きましょうね」と言う。考えてみれば赤ちゃん言葉とは大人言葉だから。
せんちゃんが云えるようになった最初の言葉は「いいね!」だった。これは気に入らなかったりご機嫌が悪い時には絶対に言わないから、せんちゃんの状態を知るバロメーターにもなるから便利なのである。先日は面白かった。旅行先のホテルで朝食をとっている時、近くのテーブルで食事をしていたバスツァーの添乗員らしき若い女性の中の1人に向かって大きな声で「いいね!」を連発したのだ。向こうも笑っていたが、せんちゃんの美人を見つける目は確かだと思った。ほかに「おとうさん」と「おかあさん」も言えるが、これはまだ親にしかわからないかもしれない。
せんちゃんと一緒にいると楽しいことが多い。外出先でせんちゃんを抱っこしていると沢山の人が話しかけてくれるのである。お年を召した方が多いが中には若いお母さんもいてドキドキすることもある。話しかけられる内容で一番多いのが当然のことながら「かわいいお孫さんですね」だ。しかし「孫に見えますか」と答えると中には「あ、ひ孫さんでしたか」と言う人もいて流石にこんな時には参る。こんな時に私は一体どんな顔をしていたことだろう。これは一回しかなかったけれど、でも仕方がない。七十のジジイが一歳の子供を抱いているのはどう見ても息子には見えないだろうから。
私は仕事柄旅行が多い。たまにはせんちゃんも連れていくからずいぶんと旅慣れてきたようだ。人見知りも一時のように激しくはなくなって、どうやら終わりそうになってきた。来年、満二歳を迎えるころにはどんなになっているのか楽しみである。
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