| Kevin Schwantz |
| 年度 | 主な戦績 |
| 1985 | AMAスーパーバイク(3勝ランキング7位) 全日本RR(R4鈴鹿F1 DNF F3 2位) 鈴鹿8h(3位) |
| 1986 | AMAスーパーバイク(未勝ランキング7位) WGPデビュー(3戦2完走・最高10位) 鈴鹿8h(3位) |
| 1987 | AMAスーパーバイク (9戦中5勝 年間ランキング2位 W.レイニーがチャンピオン。) WGP(3戦3完走・最高5位) 鈴鹿8h(DNF) |
| 1988 | WGP フル参戦開始(2勝、6DNF 年間ランキング8位) AMAデイトナ200(優勝) 鈴鹿8h(2位) |
| 1989 | WGP(15戦中6勝〔最多勝〕、9P.P. 5DNF、1ボイコット ランキング4位) 鈴鹿8h(8位) |
| 1990 | WGP(15戦中5勝 7P.P.〔最多〕 4DNF ランキング2位) [ライバル(W.レイニー)が7勝でチャンピオン。] |
| 1991 | WGP(15戦中5勝 5P.P. 1DNF 1欠場 ランキング3位) [W.レイニーが2年連続チャンプ。] |
| 1992 | WGP(13戦中1勝 1P.P. 3DNF 1欠場 ランキング4位) [W.レイニーが3年連続チャンプ。] 鈴鹿8h(リタイヤ) |
| 1993 | WGP(14戦中4勝 6P.P.〔最多〕 1DNF チャンピオン) [W.レイニーがRd.12イタリアGPで転倒、重傷を負う。] |
| 1994 | WGP(14戦中2勝 1P.P. 1DNF 3欠場 ランキング4位) [W.レイニーは前年のケガで半身不随。チーム監督としてGP参戦。] |
| 1995 | WGP(3戦未勝 R4・5を欠場し、R6イタリアGPで引退を発表。彼の愛用したゼッケン34は永久欠番に。 '95の獲得ポイントは奇しくも“34”だった。 |
| 番外1999 | 58th デイトナ200でシュワンツ発見。今はライダーのコーチをしている。 また、パリモーターショーにもゲスト参加している。 |
| 番外2000 | 23rd
鈴鹿8h耐久レースにスズキ80th記念チームの名誉監督として参加。 また、4輪のレースやオーストラリアンサファリにも出場。 |
| 番外2002 | スーパーTTっていうレース(日本で言うスーパーモタード)の画像を発見・・・。 |
GPで愛用したゼッケン34は、伯父のDarryl Hurst
がダートトラックレースで愛用していたNo.だった。
シュワンツも幼い頃からダートラを始め、後に世界を席巻するスライドコントロールを身に付けた。
シュワンツを語るときに絶対欠かせないのが、ライバル『ウェイン・レイニー』の存在であろう。
彼ら二人のライバル関係はAMAスーパーバイクからWGPへとその場を移したが、
そのライバル関係は徐々に変わっていったという。
当初、表彰台の上での二人はまだ勝負は終わってない、とばかりに言葉を交わすことも無く、
勝った方が握手を求めても、無視していた。
ところが、シュワンツが引退するころには、その相談をレイニーにしていたという。
いつの頃からか二人の間には、ライバルとしての固い友情が築かれていた。
そのレイニーが1993年9月5日、イタリア、ミザノサーキットで、転倒。
半身不随となり、ライダーとしての復帰が出来なくなり、
シュワンツもライバル不在ではモチベーションが保てなくなってしまう。
以後、1994年の日本GP,イギリスGP
と2勝を上げるが、1995年、引退。
GPが(テレビ大阪の番宣で)神々のバトル、といわれていたが、
シュワンツとレイニーのバトルはまさに言葉の通りだったと思う。
M.ドゥーハンが、GPで5連続チャンプ(1994〜1998)の座に立ったが、
二人が居れば状況は変わっていた思います。
この意見について、ドゥーハンのファンには1992のドゥーハンの開幕4連勝は無視するのか?
とよく言われますが、あれはホンダの“同爆エンジン”の力によるもので、
ライダーそのものの力の差では無かったと答えてます。
その証拠として同爆エンジンを得たシュワンツはドゥーハンの連勝を止めました。
(個人的意見です。ドゥーハンファンからの反論禁止!(^^;)
それにしても、シュワンツのレースはホントに面白かった。スタート出遅れの追い上げ勝利とか、
トップを走ってる時の転倒(ToT)とか、見ててハラハラさせられっぱなしでした。
シュワンツのベストレース