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特定非営利活動(NPO)法人

眼炎症スタディーグループ

会員コラム
Vol.16

友情

西野千恵

「帰りに寄らなければならない所がある。」昭和34年新婚旅行の帰りに主人が私を伴って立ち寄ったのが、西田稔さんが入院中の北九州市の病院でした。その頃はまだ視力が残っていたそうで、私の顔は初対面の21才のままだとか。あれから50年近くなるのにと大変有り難く思っています。

主人と西田さんは高校時代からの親友でもう60年のお付き合い、結婚され福岡在住の折は、若い奥様の運転で私の家にお迎えしたこともありました。2人の娘さんも成長され住居を埼玉へ移されると、今度は主人がお訪ねし、旧交を温めたものです。


2003年、私がたまたま知りあった西日本新聞記者の方に「故郷を離れて全国で活躍している福岡県出身者」の紹介記事に西田稔さんを大きく取りあげて頂き、私は初めて西田さんの目の病気や、その生き方など詳しく知りました。最も感銘したのは、完全失明を宣告されて死ぬことばかりを考えていた時、「目が見えないということは、誰でも経験できることじゃないよ。貴重な体験として受け止め、その体験を生かした仕事をやってみんね」というお母さんの言葉で立ち直られたとのこと。まさに「この母にしてこの子あり」です。


2004年に私達夫婦は初めて横浜の総会に出席し、翌年は主人と西田さんと3羽烏といわれた四国松山の出口稔さんご夫妻も出席され、朋美さんも加えて箱根で一泊し、思いがけず本当に楽しい思い出が出来ました。

来年の総会は九州の別府だと聞き、今から皆さんとの再会が楽しみです。共に脳梗塞経験者の主人と出口さん。足、腰、肩と故障ばかりの私(口だけは達者ですが)と出口夫人、最もお元気なのが西田稔さんです。でも若い頃の目の手術は勿論、電車から転落して左足骨折、階段を踏み外して骨盤骨折、脳の髄膜に炎症を起こし、全身麻酔で左耳から顔を切り開いて腫瘍を取り除くという、場合によっては命に関わるような大手術もされました。「思い悩んでも仕方がない。運命は全て神の決めることだから」といつも穏やかな表情で海外を飛びまわられるあの原動力は、きっとお母さんのあのお言葉にあるのではと、唯々感服するばかりです。

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主人達の60年の友情とこの眼炎症スタディーグループがいつまでも続きますように、この素晴らしい出会いを神に感謝する私です。(2006年8月4日記)






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