先日、西田氏の著書を拝読していて「成程」と感心させられた箇所がありました。お医者様が失明や視力低下の患者さんから予後を聞かれて「失明します」と明言できず、「やるだけやってみましょう」と答える場面です。
私は軽度の視力障害を持っていて、病院との付き合いは30年以上になります。思い出せるのは小学生の頃、当時はシステムもない時代で、待合廊下で本を読む事も出来ず、長い時間、待っていた記憶があります。それ以前からの通院と聞いていますので、本当に長いお付き合いなのでしょう。
私の通院は「治療」の要素が全く無いものでした。様々な検査を受けた記憶はあるのですが、ある時期から定点観測となっていました。春先には沢山の研修医さんに眼の中を覗かれたものです。けれどその頃はまだ自分の眼に特に疑問を持っていなかったのです。暗室でお会いする先生は代わって行きましたが、私の眼には「やれるだけの事」は無かったのだろうと推察します。
私が自分の眼に疑問を持つようになったのは高校生になってからです。家族も学校も自分自身も「障害である」とケアする事が無かったので、色んな場面で不便を覚えるようになりました。けれど、丁度、思春期不機嫌製作所だった私は誰にも相談できなかったのです。その後、大学での講義で、私の視力障害の原因と思われる事柄に出会いました。視力障害者が居ない家系で自分だけが何故?という気持ちにある意味答えのような物をもらったのです。
大学4年生の時、初めて先生に自分の眼の事を聞きました。その原因と予後について、そして障害者手帳に該当するのか、という事を伺いました。その時お会いした先生が、「うーんどうかな?」と仰いました。「手帳を取る、という事についてはよくこれからの事を考えた方が良いよ」と。結局、私が手帳を取得したのはそれから10年後になります。
卒業後、一般企業に営業として就職し、その後に転職した会社でも何とか勤める事ができました。その頃、私は健常者と同じように、と思っていました。けれど、先生の言葉の本当の壁に当たる事となるのです。長い間、健常者の中でなんとか頑張って来た自分の愚かなプライドが、結局自分の首を絞める結果となりました。その時から先生の言葉を何度となく思い出すようになりました。
よく、子供が障害児であったり、自身が障害を持っている事を中々認められなくて、なんとか健常者の中で頑張らせてしまうケースを見かけます。そういう話を見聞きする度に、あの先生の言葉を思い出します。早い時期から手帳を取って生きるのが良いのか、じっくりと自分に向き合ってからの方が良いのか、私にはまだ答えは出ません。今もその答えの鍵を探しています。
(2007年11月26日記)
