建設機械の歴史:
日本の土工機械史

<略史>
明治期、公共事業に建設機械が導入され、機械化はゆるりと進行。
明治初期、政府は水運整備に力を入れ、バケットラダー式浚渫船を早くも導入して、河川工事(舟運のための低水工事)や港湾工事に用いた。
明治29年の河川法制定により、低水工事から高水工事に切替えてから本格的機械化土工が始まる。 これにより、全国の主要河川改修工事で、掘削のラダーエキスカベータ、運搬は軽便軌条の蒸気機関車とトロの導入が進む。 明治末期には蒸気ショベルを輸入。
大正10年頃から昭和初期にかけては、労働力不足から各地で機械化が進展する。
昭和に入ると建設機械の内燃機関化も始まる。
昭和初期、大恐慌による失業匡救事業と公共事業が活発化するが、不況下の雇用対策により機械使用を禁止した。 このため機械化は中断というより後退する。
また、昭和7年頃よりの戦時体制で、公共事業は不急不要事業として凋落期に、建設機械化も終焉。 満州・朝鮮の一部では機械化を続行。
この時期米国では日本と逆に、ニューデール政策等の不況対策と、同時期のブルドーザやスクレーパ、モータグレーダ等の出現と相まって、機械化施工が革命的に進展する。
しかし、これらの機械は国内では知られず、彼我の差は20・30年位になってしまった。
太平洋戦争が始まり、南太平洋の飛行場建設競争で、昭和17年に初めてこれらの革新的土工機械に出くわすことになる。
急遽、研究を始め、模倣機械を製作するが、実用的なものは戦後に再挑戦することになる。
戦後は、米軍の払下げ機械でこれらの機械化施工を始め、建設省直営工事等で国産機械を育成した。
昭和30年代は、大手ゼネコンが建設機械部門を拡充、
昭和40年代に機械保有が専門工事業者にシフトした。
近年はリース・レンタル業者の保有が過半を占めている。
日本の土工機械史 :戦前編
→ [前 史] [戦後編1] [戦後編2]
- 明治(1868〜1912)
明治期の社会インフラ政策
- 殖産興業政策(生糸・石炭、造船、後に鉄鋼)
- 船運(海・川・湖)主体
- 鉄道建設を優先(30年程度で列島骨格幹線を完成)
- 電信網の拡充
運輸インフラ政策は、近世からの伝統的水運(沿岸海運と河川舟運)による運輸体系の延長線上で、まず、港湾・運河・河川を改修整備し、この建設に初めて機械力を導入した。 併行して、新しい交通体系として鉄道敷設を急ぐが、財政難から民間投資に頼った部分が大きい。
やがて内陸輸送が舟運から鉄道網に移行すると、河川改修も低水工事から高水工事への転換が要請され、日清戦争の戦勝により社会資本整備の拡大が可能となり、明治29年に河川法が制定され、これによって本格的な機械化土工が導入される。
一方、近代技術の育成は、お雇い外国人技術者による技術導入(計画・実施と教育)を明治20年頃まで続け、留学帰り日本人技術者の活躍が明治10年頃から始まる。
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- 明治初期(1868〜1877)
- 慶応4年9月(1868.10) 改元して、明治元年となる。
- 明治元年 大阪開港
- 明治元年 小菅修船場(通称:算盤ドック)が完成。 日本初の洋式ドックを薩摩藩の五代友厚、小松帯刀が長崎に計画した。 T.B.グラバーが英から蒸気機関、ボイラー、減速歯車を輸入して協力。
- 明治元年 ブラントン(英)が灯台設置を目的に来日
- 明治元年11月 新潟開港
- 明治元年10月(1868.12) 大阪に治河掛(淀川担当)を置く、翌月、治河使に昇格
- 明治2年1〜6月(1869.3〜7) 版籍奉還
- 明治2年3月 東京へ事実上の遷都
- 明治2年5月 五稜郭開城、戊辰戦争終了
- 明治2年12月 大村益次郎死去
- 明治2年 北海道茅沼炭坑で、英技師ジェウエアが坑口から海岸まで2.2kmに鉄製軌条を敷設、石炭をトロ運搬。
- 明治2年 長崎の高島炭坑において、深さ45.5mの本邦初と思われる竪坑(北渓井坑)を洋式試錐機で掘削。 また、鉱山動力化の濫觴となる蒸気ポンプ(コルニッシュ・ポンプ)、蒸気捲揚機を導入。
- 明治2年6月 民部省を設置し、土木司を置く。
- 1869年11月 スエズ運河開通
- 明治3年 安治川浚渫に蘭製100坪掘バケットラダー式浚渫船(鋤簾船)を民部省土木司が英サールトラ商会より2隻を輸入。 神戸港浚渫にも使用。
- 明治3年 初の架空索道を藤倉見達が佐田岬灯台建設の資材運搬に設置
- 明治3年7月〜8年3月 信濃川大河津分水の開削工事を人力施工で着手、地辷の妖怪丁場に難航、新潟港側の反対、プラントン、リンドウの反対意見で中止命令。
- 明治3年閏10月 工部省を設置、鉄道掛を移す。
- 明治3〜5年 新橋〜横浜の鉄道建
設工事:未知の鉄道への無理解から反対運動が強いため、品川付近等で海上の築堤上に敷設。 八ッ山、御殿山を土取場とし、土工にパイスケ、モッコ、牛馬車を使用。 桜木町埋立は高島嘉右衛門が請負。 資金はポンド借款 :技師長
E.Morel(英)
- 明治3年10月〜7年5月 神戸〜大阪の鉄道建設
- 明治3〜4年 初の近代トンネルは、石屋川隧道工事、阪神間の天井川である石屋川の下(延長61m)を英技師の指導で貫く。
- 明治4年2月 治水条目を布告
- 明治4年(1871.7) 廃藩置県
- 明治4年7月 工部省に土木司が移り、土木寮となる。
- 明治4年 「治水摘要 首巻」、「治水学 主河編」発刊:Waterbouwkunde:S.Buysing 1864の抄訳:熱海貞爾訳 (Van Doorn来日前の発刊で、幕末期に日本に持ち込まれ翻訳された模様である)
- 明治4年 横浜に初の高等土木教育学校となる修技校を開設、7年に工学校に吸収される。
- 明治4年12月〜6年9月 岩倉遣米欧使節団派遣
- 明治5年9月 新橋〜横浜の鉄道開通
- 明治5年10月 官営富岡製糸場が操業開始
- 明治5年11月 土木寮が大蔵省に移る。
- 明治5年11月 太陽暦の採用:(12月3日が6年元旦)
- 明治5年 掘留運河
- 明治5年2月〜13年2月 近代土木(河海工学)の師、ファン・ドールン(C.Van Doorn)が来日。 低水工事、灌漑工事を指導。
- 明治6年7月 工部省工学寮工学校設立
- 明治6年8月 河港道路修築規則
- 明治6年9月 岩倉遣米欧使節団帰国
- 明治6年9月〜34年 近代砂防の祖、ヨハネス・デ・レーケ(de Rijke)来日。
- 明治6年10月 「明治6年の政変」
- 明治6年11月 内務省設置、内務卿:大久保利通
- 明治6年 本邦初の土木寮建設局深川摂綿篤(セメント)製造工場が完成(米国より僅か2年遅れ)
- 明治6年 我が国最大の炭坑(九州北部)の操業(官営)開始
- 明治7年1月 土木寮を内務省に移す(M.10に土木局)。
大阪出張土木寮(後の土木寮大阪分局)
- 明治7年2月 佐賀の乱(江藤新平処刑)
- 明治7年5月 神戸〜大阪の鉄道開通
- 明治7年5〜12月 台湾出兵
- 明治7年5月 最初の低水工事として淀川改修工事に着工、10月に蘭式粗朶水制(チッセン指導)を試設。
- 明治7年 「殖産興業に関する建議」:大久保内務卿
- 明治7年 銀座の道路工事に石造ローラを使用
- 明治8年3月 木津川支流不動川棚倉村にデレーケの指導で蘭式山腹工事を施工。
- 明治8年3月 信濃川大河津分水工事中止
- 明治8年6月 利根川改良工事(低水工事)着工
- 明治8年 江戸川松戸地先で、リンドウ設計の粗朶水制を試設し、利根利根川低水工事を開始。
- 明治8〜21年 淀川の水制工による低水工事(デ・レーケ)
- 明治9年3月 廃刀令
- 明治9年5月 最初の地質図幅「日本蝦夷地質要略之図」をライマンが刊行
- 明治9年8月 札幌農学校開設
- 明治9年10月 熊本「神風連」の乱、秋月の乱、萩の乱(前原一誠)
- 明治9年 佐渡金山(官営)でインガソルロックドリルの鑿岩機を使用
- 明治9〜38年 信濃川(長岡〜新潟79km)低水工事
- 明治10年代(1877〜1886)
- 明治10年2〜9月 西南の役
- 2月 西郷隆盛挙兵、熊本城包囲
- 2〜3月 田原坂の戦闘
- 9月 西郷隆盛が鹿児島城山で自刃(西南戦争終了)
- 明治10年8月 モースが大森貝塚を発掘
- 明治10年10月 内務省、土石採掘規則を公布
- 明治10年 旧栗子トンネルで米国製蒸気コンプレッサを使用
- 明治10年 淀川工営所を設置、土木出張所を利根川、信濃川、木曾川、野蒜、清水越、富士川、庄川、阿武隈川、筑後川、最上川、吉野川、天竜川、大井川に置く。
- 明治11年5月 内務卿大久保利通暗殺
- 明治11年 最初の近代的港湾となる坂井港(九頭竜川河口の現三国港)工事着工、設計エッセル、設計変更及び施工デレーケ。
- 明治11年10月〜13年6月 初の日本人による設計施工(井上勝技師)の近代的山岳隧道の逢坂隧道工事(665m、京都〜大津間鉄道 )、頂設導坑先進式手掘工、本工事で初めて試験的に鑿岩機を使用。
- 明治11年 京都府下京津国道で、初のマカダム式道路舗装が完成。
- 明治11年 東京神田・昌平橋に初のアスファルト舗装を実施(秋田産瀝青を使用)。
- 明治11年〜 内務省 野蒜築港着工
- 明治12年 ドラグライン式浚渫船を関門海峡で使用
- 明治12年 内務省野蒜築港(石巻湾)に蘭製40坪バケットラダー式浚渫船を輸入。
- 明治12〜15年 安積疎水事業: 新田開発4,000ha、灌漑用水地3,800ha
- 明治13年1月〜11月 幌内鉄道(手宮〜札幌)工事: 米技師クロフオードの建言による石炭運搬路線
- 明治13年 官営釜石鉱山で高炉(木炭)製鉄開始
- 明治13年3月 鹿島組が鉄道工事専門業者として発足
- 明治13年4月 明治用水竣工
- 明治13年6月〜 柳ヶ瀬隧道工事(長浜〜敦賀)でダイナマイトを初採用、穿孔はインガソルランドロックドリル製の鑿岩機と蒸気コンプレッサを使用
- 明治13年12月 坂井港開港
- 明治13年 工事用簡易軌道「ドコービル」を平野富二が輸入
- 明治13年 生野鉱山でユーニッシュ蒸気ポンプによる排水開始
- 明治13〜35年 北上川(盛岡〜石巻200km)低水工事
- 1881年 パナマ運河起工
- 明治14年12月 日本鉄道会社(私営)設立
- 明治14年 小野田セメント設立
- 明治14年 野蒜港一期完成
- 明治14年12月〜24年9月 上野〜青森の鉄道建設
- 明治15年4月 大鳥圭介訳「堰堤築法新按」出版
- 明治15年 コレラ猖獗
- 明治15年 安積疎水事業完成
- 明治15年 敦賀線建設で、本線機関車による土工列車牽引
- 明治17年3月 柳ヶ瀬鉄道トンネル完成(ダイナマイト、鑿岩機、空気圧縮機等を使用)
- 明治17年4月〜 大井川改修(低水工事)着工
- 明治17年4月〜 阿武隈川改修(低水工事)着工
- 明治17年4月〜 最上川改修(低水工事)着工
- 明治17年4月〜 阿賀野川改修(低水工事)着工
- 明治17年4月〜 木曾川下流改修(低水工事)着工:設計デレーケ
- 明治17年〜 信濃川下流河身改修(水制工事)着工
- 明治17〜31年 筑後川低水工事
- 1885年 牽引式グレーダの発明:J.D.Adams(米)
- 明治18年 木曽川水系・筑後川大洪水
- 明治18年2月〜 吉野川改修(低水工事)着工
- 明治18年4月〜 筑後川改修(低水工事)着工
- 明治18年4月〜 天竜川修築(低水工事)着工
- 明治18年6月 淀川大洪水「枚方切れ」で、大阪中心部が水没
- 明治18年6月〜23年4月 琵琶湖疎水工事(田辺朔郎技師)
- 明治18年12月 内閣制度制定(第1次伊藤博文内閣成立)、工部省廃止
- 明治18年 日本鉱業会設立
- 明治18年12月 坂井港完成
- 明治18年 浅草蔵前通り砕石道の締固めに鉄擂(鉄製ローラ)を用いる
- 明治18年 バケットラダー式浚渫船(船体木造、120坪掘)を初国産
- 明治18・9年頃 利根川に20坪バケットラダー小型浚渫船(国産)を導入
- 明治18〜20年 横浜水道工事で軽便軌条(9ポンド)と5勺積み鍋トロを英より輸入。
- 明治18年〜22年 吉野川の低水工事及び局所的な改修工事は、22年に中断するが40年に再開。
- 明治18〜23年 琵琶湖疎水事業(計画・実施:田辺朔郎)で9ポンド軌条と5勺積み鍋トロを英より輸入。
- 明治19 全国主要河川の低水工事計画を策定
- 明治19年 木曽川浚渫に蘭製33坪ホッパ付き大型ポンプ浚渫船(木曾川丸)を輸入。
- 明治19年 足尾銅山にシュラム製鑿岩機を導入
- 明治20年代(1887〜1896)
- 明治20年 土工蒸気機関車(5t)を大井川改修工事に導入。
- 明治20年 クラブ浚渫船の導入
- 明治20年〜 利根川初の全川低水工事着手
- 明治20〜33年 木曽川の三川分流工事に着手
- 明治21年 木曽川水系洪水
- 明治21年 日本土木会社が東京湾浚渫用に英製バケット浚渫船を輸入。
- 明治21年5月〜23年6月 利根運河 :Mulderが指導
- 明治22年2月 大日本帝国憲法発布
- 明治22年8月 台風により淀川氾濫
- 明治22年 筑後川大洪水
- 明治22年 この年までの鉄道総延長1,720km(官鉄800km、民鉄840km)
- 明治22〜29年 横浜港1期修築工事
- 明治23年4月 琵琶湖疎水事業完成:同年、蹴上水力発電所工事を起工、翌年に送電開始。 28年には初の路面電車(京都)を走らせる。
- 明治23年6月 利根運河完成、通船開始
- 明治23年 治水協会設立
- 明治23年〜 木曽川改修で軌条(9ポンド、木造トロ)使用
- 明治24年9月 上野〜青森の鉄道全通
- 明治24年 濃尾大地震(M8.3)
- 明治25年6月 鉄道敷設法交付
- 明治25年 土木会規則公布(治水・修路・築港に関する諮問機関)
- 明治25年 陸軍省陸地測量部が5万分の1地形図のための測量を開始。
- 明治26年 木曽川水系大洪水
- 明治26年 大倉土木組設立、有限責任 日本土木会社の事業を継承
- 明治26年 国産1号蒸気機関車をトレシビックの指導により鉄道庁神戸工場で製造
- 明治26年 ショベル、スコップ等の国産を開始
- 明治27・28年 日清戦争
この戦勝による賠償金が我が国の社会資本整備に貢献
- 明治28年 この頃、鉄筋コンクリート工法が日本に紹介される
- 明治28年 東京府が道路工事用にヤット製スチームローラを輸入
- 明治28・9年頃 北陸線篠井線の長隧道に圧縮空気を用いた米製ロックドリルを輸入。
- 明治29年 荒川・江戸川氾濫(東京市街地に浸水)
- 明治29年4月 河川法制定、指定河川の直轄河川改修工事の開始
- 明治29年12月〜明治36年 中央線 笹子隧道工事

中央線新設におけるトンネル延長4,656mの最難工事に、古川阪次郎の設計・監督で最新技術を導入、自家発電による坑内電灯・電話を設備し、電気ロコを導入してズリ出し、資材運搬を行う。 電気雷管も採用し、昭和20年までの山岳トンネルの標準掘削工法を確立した。
- 明治29年〜 淀川・木曽川・筑後川改修工事(低水工事→高水工事への転換)の開始
- 明治29〜36年 筑後川 第一次高水改修工事:計画高水流量は、本川 5,000m3、堤防天端幅7m、両法勾配2割、余裕高1.5m、専ら人力施工に依った。
- 明治29〜42年 淀川改修で軌条使用
| 河川法を制定: 低水工事から高水工事へ転換し、淀川改修工事から本格的機械化土工(ラダーエキスカベータと軽便軌条の土工機関車の組合せ)が始まる。 |
- 明治30年代(1897〜1906)
- 明治30年3月 砂防法、森林法公布
明治30年4月〜44年3月 淀川改修工事(高水工事):日本人(沖野忠雄)が独力で計画・実施した初の本格的な機械化施工、仏アッシプルレ製ラダーエキスカベータ(120m3/h)×3、ドコービル製20t機関車×5、30ポンド軌条、半坪積木造傾潟式土運車(3m3鍋トロ)600台等を輸入。
- 明治30年頃 内務省大井川工事に5t蒸気機関車
- 明治30〜33年 初のコンクリートダムである神戸水道 布引ダム工事(生田川)h:33.3m。
- 明治30〜41年 小樽築港工事(廣井勇技師)に機械化施工(工事用機関車、軌道起重機ゴライオス、24t積畳機タイタン)を導入。
- 明治30〜大正14年 大阪港築港工事:大阪市が外債発行
明治31年2月 仏商人デフネが日本に初めてガソリン自動車「パーソナル・ルバッソール」を紹介。
- 明治31年 三井三池炭鉱で電気雷管の試験発破に成功
- 明治31年 バケットラダー式浚渫船をリユペッケ社より輸入
- 明治32年 兵庫運河完成
- 明治33年3月 布引ダム完成
- 明治33年6月 北清事変
- 明治33年 利根川改修計画: 烏川と利根川の合流地点から河口までの改修(栗橋地点で 3,750m3/s)
- 明治33〜42年12月 利根川第T期改修(銚子〜佐原 42km): 33年に蘭製600坪、400坪,200坪、100坪等のロングシュー式、ラダー式、ポンプ式、攫上式を輸入、9ポンド鉄枕軌条、木造7勺トロ3,600台。 利根川改修T・U期(二百数十万坪) 荒川 9ポンド軌条7勺トロ
- 1901年 蒸気機関トラックタイプ(T.T.)トラクタの発明:A.O.Lombard
- 明治34年9月 八幡製鉄所操業開始
- 明治35年1月 日英同盟締結
- 明治35 笹子トンネル工事(古川阪次郎技師)に工事用自家水力発電、電気雷管、ダンプカー、架空式電気ロコを使用。
- 明治35年 横浜港埋立工事で、初のニューマチックケーソン採用
- 明治35年 利根川改修にバケットラダー浚渫船茨城号(120m3/h)を英から輸入
- 明治35・36年頃 横浜岸壁で本邦初のケーソン基礎
- 1903年 ライト兄弟の初飛行(16馬力複葉機)
- 1903年 ドラグラインの発明:J.W.Page(米)
- 明治36年 笹子隧道完成
- 明治36年 東京市が道路用蒸気ローラを輸入
- 1904年 無限軌道の装軌式トラクタを開発:Holt社(CATの前身)
- 明治37年2月〜38年9月 日露戦争
戦費の圧迫から社会資本投資が大幅に減少
- 自動車の初国産
- 明治37年5月 山羽虎夫が10人乗りの2気筒蒸気乗合自動車の公開試運転
- 明治38年 吉田式ガソリン乗合自動車
- 明治39年3月 鉄道国有法公布
これにより、百数十社(17社)の私鉄を国有化し、統合運用(8,000km)
- 明治39年11月 南満州鉄道(株)設立
- 明治39年 神戸港修築工事
- 明治40年代(1907〜1912)
- 明治40年 河川工事に英製200坪掘りスチームショベルを輸入(初輸入と思われる)
- 明治40年〜大正14年 高梁川改修工事及び東西用水工事:20t機関車×2、1200m3浚渫船、曳船各
1隻他は、人力、馬力。
- 明治40年〜昭和2年 吉野川改修T期工事:22年に中断されていたものを再開。 改修区間は下流部40km、計画流量13,900m3/s、第十以下別宮川14kmを放水路として拡幅し本川とする。
- 明治40〜昭和5年 利根川第U期改修(佐原〜取手 52km)
- 1908年 内燃機関T.T.トラクタの開発:B.Holt(米)
- 明治41年 小樽築港(計画・実施:廣井勇)完成
- 明治41年 満鉄全線広軌完成
- 明治41年 中外アスファルト社が、英アベリングポータ社製6tタンデム蒸気ローラを輸入
- 明治41年 初の国産蒸気自航式ポンプ船を製造
- 明治42年4月〜昭和5年 利根川第V期改修(取手〜芝根110km): 200坪ラダーエキスカベータ16台、土工用20t蒸気機関車を17台使用。 掘削数量
2億1,400万m3(パナマ運河の1914年開通時の掘削量 1億8,000万m3を上回る)。
明治42年6月〜大正11年8月 明治8年に断念した信濃川大河津分水工事を機械化施工で再開、掘削土量2,880万m3に大型ラダーエキスカベータの他に英国製スチームショベルを加えた掘削機16台を導入して、東洋一の大規模機械化土工となる。 土砂部をラダーエキスカベータで、軟岩部をスチームショベルで掘削。 運搬は、10・20t土工機関車21両、土運車3,729両。

- 明治43年6月 新潟港に初の浚渫船
- 明治43年8月 利根川大洪水(中条堤が破堤、23万ha浸水、東京市区冠水)
- 明治43年 箕面有馬電気軌道(株)専務小林一三の主唱により池田付近に宅地分譲を開始、私鉄分譲宅地経営の濫觴。
- 明治43年〜 石狩川第一期治水工事(岡崎文吉)
- 明治43年12月〜大正3年5月 大野発電所 大野調整池アースダム工事(48万m3、堤高37m)10t,4t蒸気グレーブドローラと8t,4t電気グレーブドローラによる薄層締固めと土質試験。
- 明治43年〜大正15年 渡良瀬川改修工事(足利〜利根川合流部)
- 明治44年 品川駅拡張に、スチームショベル2台を投入。
- 明治44年 淀川改良工事完成、新淀川開削
- 明治44年 第1次治水計画:直轄改修河川に65河川指定、第1期20河川の18年以内完成をめざす。 その後、2期45河川に着手予定。
- 明治44年 利根川改修計画を改訂(栗橋地点で 5,600m3/s)
- 明治44年 内務省土木局が河川工事用のP.W.Hawthorn Leslie 12両輸入:機関車の系譜
- 明治44年 日立製作所が国産初のコンプレッサとなる定置式横串型2段空気圧縮機(100HP)を開発し、日立鉱山に納入
- 明治44年〜昭和5年 江戸川改修工事(江戸川全線59km)
- 明治44年〜昭和5年 荒川放水路改修工事
- 明治45年 児島湾干拓一期完成
- 明治末葉から軌条の国産化が進む
規格 20t機関車: 30ポンド 3呎60吋
20ポンド 60cn
12ポンド 60cm
9ポンド 50cm
- 大正(1912〜1926)
- 1912年 クローラ式パワーショベルの開発
- 大正元年〜 渡良瀬川改修 9ポンド軌条、5勺積鍋トロ
- 大正元年〜 利根川改修3期に仏製200坪ラダーエキスカベータ 1台を投入(同10年迄に590万坪を掘削)、鉄枕付12ポンド軌条60哩、木造1合鍋トロ2,400台
大正2年 荒川放水路改修工事の高水敷掘削を開始、3年には浚渫船を投入し低水路掘削開始。
- 北上川改修
- 大正2年 大井工場敷地造成に蒸気ショベルや小型機関車多数を用いて品川海辺まで運搬。
- 大正2年 三井炭坑田川坑でベルトコンベアを石炭運搬に初めて使用
- 大正3年 スチームショベルBucyrus 50Bを初輸入
- 1914〜1918年 第一次世界大戦
この大戦が日本の産業界に大繁栄をもたらし、大正の後半から昭和はじめにかけての工業化を躍進させ、建設機械化をも進めることになる。
- 大戦勃発に経済界動揺
- 大正3年8月 ドイツに宣戦布告、第一次大戦に参戦
- 大正4年12月 東京株式市場暴騰(大戦景気)
- 貿易収支が出超に転じる
- 大正6年2月 地中海に駆逐艦艦隊を派遣
- 大正4年 Bucyrus社の軌道式スチームショベルを世界屈指の露天掘炭鉱である南満州鉄道の撫順炭鉱に初輸入。
- 大正4年 小樽港埋立工事に水射式土工を使用
- 大正4年 (株)山本鉄工所設立
- 大正5年 Bucyrusのスチームショベル(鉄輪)を大倉組が民間初輸入、山陽製鉄所工事の土取作業に投入。
大正5年6月〜昭和2年 村山貯水池(多摩湖)のアースダム工事、軽便軌条(羽村村山線・村山境線)により資材運搬及び盛立運搬。 締固めに蒸気ローラを導入。
- 大正5〜昭和4年 中川改修工事
- 4年 渡良瀬川改修工事(足利〜利根川合流部)
- 大正6年5月 利根製作所が初めてロータリ式の試錐機を製造販売
- 大正6年 陸軍が馬匹に代わる砲牽引用トラクタとしてFWD社の4輪駆動車を試験輸入
- 大正6年 膠質ダイナマイト(松ダイナマイト)を日本火薬製造厚狭工場で生産開始
- 大正6年末現在、利根川改修工事の在籍工事用機械は、浚渫船17隻、曳船7隻、土運船524隻、バケット掘削機18台、機関車(20t)23台、トロ(3m3)1765台、トロ(1m3)3650台、その他鑿岩機、ポンプ、杭打機、コンクリートミキサ等多数。
- 大正7年4月〜昭和9年 丹那トンネル工事
御殿場廻りの東海道線を短絡させるために丹那盆地の下、熱海〜函南間 7,840mの複線大断面隧道に着手するが、富士火山帯を通過し、膨張性の温泉余土、断層群、大量の高圧地下水脈に遭遇し、世界のトンネル建設史上に残る大難工事となり、完成まで16年の歳月を費やした。 セメント・薬液注入、圧気工法、シールド工法、側壁先進導坑、電気ロコ等の最新技術を導入し、この経験が日本のトンネル技術を世界レベルに引上げた。
[ この工事記録文学に吉村昭の「闇を裂く道」がある。]
- 大正7年7月〜 多摩川下流改修(2期)工事起工
9年に人力掘削及び築堤に着手、10年より掘削機械を導入、13年に機械浚渫を開始。
- 大正7年 荒川改修工事に米製蒸気ドラグラインを輸入
- 大正7年 マック社・パッカード社製ダンプトラックを輸入
- 大正7年〜昭和4年10月 淀川改修増補工事
- 大正7年 陸軍が牽引用トラクタとして、FWDとホルト45、ベスト40HPの比較試験を実施。
- 大正8年 都市計画法の制定
- 大正8年 陸軍が牽引用トラクタとして、ホルト5t(T-11)を採用。
- 大正8年4月 鉄道院に建設局が設置され、鉄道新線建設工事の機械化が始まる。
- 大正8年 Erie社製鉄輪ショベルを輸入
- 大正8年 6tタンデム・スチームローラ(アベリング・ポータ社製)を日本石油が輸入
- 大正8年 上越線棚下隧道工事にショベルローダを初輸入
- 大正8年 三井造船がロードローラの製造を開始
- 大正8〜11年 1号国道(現在の国道15号線)工事に8t及び11tスチームローラ、12t及び4.5tガソリンエンジン・ローラを輸入
大正9年 道路法の制定
- 大正9年5月 鉄道院を廃し、鉄道省設置
- 大正9年 荒川改修工事にクローラ式ドラグラインを輸入
- 大正9年 ダンプトラック(マック社、パッカード社)、マカダムローラ(ウエスタン製12t、オースチン製10t)を輸入
- 大正9年 内務省が利根川2期改修に3/4yd3ディパーのマリオン21型とビサイラス14Bを試験的に輸入、10年1月より稼働。
- 大正9年〜昭和5年 綾瀬川改修工事
米オスゴット社製スチームショベルを導入、ディッパ 3/4立碼、石炭消費2千斤/日
- 大正9年〜昭和6年 台湾/嘉南大シュウ・烏山頭ダム工事開始、堤長1,273m、堤高56m、技師:八田與一
この東洋一となるアースダムと灌漑施設の建設に、本格的機械化土工を大正13年から導入し、盛立には本邦初のセミハイドロリックフィル(半水成式)工法を採用する。 外側から盛立て、射水により中心部に細粒分を集め、コア部の中心に昆擬土(コンクリート15,180m3)の遮水壁を立てる。
| 大正10年頃〜昭和初期 各地で労働力不足と相まって、機械化施工が浸透・普及する。 |
- 大正10年1月 利根川改修二期工事にスチームショベルを試運転
- 大正10年5月 (株)小松製作所設立
- 大正10年5月 呉海軍工廠敷地造成工事(8年7月着工)
に超大型スチームショベル等を輸入。
Bucyrus 225B(6yd3全旋回型337噸)×1
Bucyrus 110C(5yd3機関車型130噸)×1
機関車(42噸Shay型×2、32噸Tank型×2)、20yd3 Air Dump car(Western Wheeled Scraper Co.,製トロ、軌間4' 8・1/2"、鋼製20両、木製20両)、
組立・試運転の後、大正11年2月〜14年7月に山地開鑿を2段ベンチで掘鑿、中段に110Cを入れ上半(20〜30呎)掘進、下段に225Bを置き下半(60呎)掘鑿、掘鑿量は18萬立坪。 14年5月〜昭和2年には船渠掘鑿を75千立坪。
発破穿孔にCyclone drill×2、Ingersoll-Rand, sergent型×6、climax45号型×2、SullivunDP331型×4、Sanderson's
Class B. Gasoline Non-Traction Drilling Machine×2
土運船(50坪積鋼製底開式×2艘、25坪積鋼製側開式×2艘)、砕石設備はAustin製ジャイレトリ・クラッシャ、シートパイル打設にマキナンテリNo.7
スチームハンマ×2、Austinキューブ型#56Sミキサ×2台。
- 大正10年10月 東京飯田橋で初の国産ロードローラ(三井造船製8tタンデムローラ)を使用
- 大正10年 中利根川で蒸気ショベル使用
- 大正10年 本邦初の民間飛行場である稲毛飛行場完成
- 大正10年〜昭和10年 阿賀川本格改修(捷水路開削等)に、大河津分水工事の大型ラダーエキスカベータを転用する。
- 大正10年〜昭和11年 赤川放水路開削工事
- 大正11年 鉄道建設(上越線)に大規模機械化施工を導入
- 大正11年 三菱神戸造船所が米バッファロ社
の製品をモデルとして、蒸気ロードローラを製造、タンデム型4機種、マカダム型3機種。SCM169
- 大正11年 荒川改修工事にダンプカー24台を輸入
- 大正11年 初のディッパ浚渫船(ビサイラス)を内務省横浜出張所が輸入
- 大正11〜13年 大井ダム工事:

初の堤高50m級の巨大ダム、堤長276m、激流木曽川で半川締切工法を本邦初採用。 ショベル、ミキサ、ガソリン機関車、固定型6tケーブルクレーンの他、初のジョークラッシャによる骨材生産を行う。
- 大正11年8月〜昭和6年9月 清水トンネル工事:電気ロコを導入
| 自動車の急速な普及と軍事的有用性が第一次大戦において確認され、道路法が公布された。 また、関東大震災では都内の貧弱な道路網が甚大なる被害の原因となり、震災復興でも不通になった鉄道に代わり自動車が大活躍したことで、道路整備の重要性が認識される。 |
- 大正12年9月 関東大震災
- 大正12年9月 帝都復興院を設置し、帝都復興を図る。 「旧態ヲ回復スルニトドマラズ、進ンデ将来ノ発展ヲ図リ、以テ港 ノ面目ヲ新ニセサルへカラス」と積極的な都市改造を図る。 帝都復興事業は、昭和5年までの継続事業として土地区画整理の他、街路・運河・公園等を整備、これらの工事に大々的に最新の建設機械を導入導入した。
- 大正12年11月 台湾/嘉南
大シュウ・烏山頭ダム工事用機械群を輸入
東洋一のアースダム(堤長1,273m、堤高56m、堤体積297万m3)と灌漑施設の建設工事(技師:八田與一)
大正9年から着工していた本工事に、本格的機械化土工を大正13年から導入、盛立にはセミハイドロリックフィル(半水成式)工法を採用する。
投入機械: クローラ式スチームショベル等(Bucyrus大型ショベル5台、Marion小型2台、ドラグライン2台、ヘンセル社(独)製56t機関車12台、13.5t・10t国産機関車、16yd3エアーダンプカー(トロ)100台、60封度軌条21哩、スプレッダ1台、ジャイアントポンプ(450馬力2台、 420馬力2台、200馬力1台)、コンクリートミキサ4台等)を輸入。 ゲージ幅:1080mm、762mm
機関車連結の排土板を装備したスプレッダ →
非常に珍しい機械で、本邦初の排土板装備機械と思われる。
- 大正12年 ホルト5tが製造中止となったため、我が国初の装軌式車両(50hp 3t 牽引車)を陸軍砲兵工廠で試作。
- 大正13年2月 帝都復興院を廃止し、内務省に復興局を設置。
- 大正13年2月 土木学会誌に論説報告「蒸気ショベルに就いて」を掲載、利根川2期改修及び江戸川に投入した3/4yd3ディパーのMarion 21型とBucyrus 14Bの報告。
- 大正13年7月 メートル法実施
- 大正13年7月〜15年11月 東京電燈(株)猪苗代第三・第四発電所工事、スチームショベルBucyrus 20B×2台を導入、60馬力オースチン・クラッシャ等。 専用軌道(大寺専用鐵道・廣田専用軌道)二十五封度軌条、軌間二呎六吋の専用軌道を布設し、電気機関車を運転、砂利・洗砂を7哩の索道
(玉村式)で運搬。
- 大正13年 Bucyrus社の電気ショベル103Cを撫順炭鉱に輸入。 これに刺激を受けて、神戸製鋼が電気ショベルの研究に着手。
- 大正13年 初の本格(大河川本流締切)ダムの志津川ダム(宇治川、堤高35m)完成
- 大正13年 大井ダム完成
- 大正13年 岩淵水門竣工、荒川放水路全線に通水
- 1925年 Caterpillar社が誕生(Holt社とBest社が合弁)。
- 大正14年9月 初の地下鉄(銀座線)工事の起工式
- 大正14年11月 6大都市で失業対策事業を発足。
- 大正14年 北越工業が定置式水冷竪型コンプレッサの生産開始
- 大正15年 砂防法改正
- 大正15年 三井本館建設工事にBucyrus製50HPクローラ式スチームショベルを使用。
- 大正15年10月〜昭和7年 中川運河開削(248万m3)に英製浚渫船2隻、米製掘削機4台を輸入、掘削残土を利用して周辺工業団地造成を都市計画法による最初で戦前唯一の都市計画事業として実施する。
- 大正15〜昭和26年 鬼怒川改修工事
- 昭和初期(1926〜1934)
| 昭和に入ると機関車運搬から次第にトラック運搬が増加する。 |
- 昭和元年 米製3〜4tガソリン機関車と15〜18ポンド軌条(国産)を最上川等の河川改修に使用。
- 昭和初期 荒川改修にクローラ式ドラグラインを導入
- 昭和2年3月 金融恐慌始まる
- 昭和2年 紀ノ川改修工事に米製ディーゼルショベルを初輸入。
- 昭和2年 オットドイツのディーゼルロコと米製ガソリン機関車を輸入。
- 昭和2年6月 信濃川大河津分水の自在堤が倒壊、6年6月まで復旧工事。
- 昭和2〜9年 東京市水道局山口貯水池(狭山湖)工事は、当時、内地で最大級のアースダム(150万m3、堤長691m)。 昭和4年4月に堤体掘削に着手、堤体盛立は5年3月に開始し、2千人が昼夜3交代で2年4ヶ月で盛立を完了した(720立方坪/日)。 初めて盛土材の物理的・力学的試験による管理が行われた。 蒸気ローラ(英製10噸×2、米製8噸×2、補助英製6噸×1)により、盛土締固め厚3寸(
敷均厚5寸)、粘土止水壁は締固め厚1.5寸(敷均厚3寸)で施工。 資材運搬に軽便鉄道線を敷設、運土も鍋トロ使用し、盛体内の線路は18封度軌条、250間×15線を敷設。 最新の内燃機関建設機械を輸入。
1.5yd3ディーゼルショベル×3台(新規購入)、 3/4yd3ディーゼルショベル×1台(鉄道省より借入)、 3/4yd3スチームショベル×2台(東電より購入)、 5/8yd3スチームショベル×1台(東京市土木局より譲受)、計 Bucyrus製ショベル7台。 ガソリン機関車×15台、2合積ダンプカー(トロ)×300台、アリスチャルマ製ゲーツ式クラッシャ(能力20屯)を投入。
- 1928年 ケーブル式ブルドーザの開発:R.G.LeTourneau
- 昭和3年 東京市内道路工事にモータグレーダを初使用。
- 昭和3年11月 初の自動車専用道路(2km)が神戸鉢伏山に完成
昭和4年4月 ディーゼル機関の発達が顕著となり、河川改修工事に7瓲ディーゼル機関車8台を契約、9月に鬼怒川改修工事に3台納入(ドイツ発動機社製)。
- 昭和4年10月 農業土木学会設立
- 1929年(昭和4年)10月 ニュヨーク株式大暴落、世界大恐慌始まる。 米価・生糸価格崩落
- 昭和4年12月 東京土木建築組合が失業救済土木事業の直轄施工に反対し、関係省に反対請願を提出。
- 昭和4年 初の70m級の小牧ダム竣工、世界初の耐震設計、本邦初のボーリング地質調査を実施。
- 昭和4年 酒井工作所がガソリンエンジン・タンデムローラを初国産
- 昭和4年〜14年 常願寺川上流の立山カルデラで、白岩砂防ダム工事(登録有形文化財、設計は砂防の父となる赤木正雄技師)
- 昭和5年 多摩川で国産の100坪掘ディーゼルラダーエキスカベータを使用。
- 昭和5年 神戸製鋼がBucyrus 50Bをモデルとして、50K型 1.5m3電気ショベルを初国産、撫順炭鉱に納入した。 その後の120K、200Kへの大型機開発に繋げる。
- 昭和5年 パワーショベルを製作、日立、1yd3のノースウェスト型を東京重工、ビサイラス型を大福機工、夕張製作所、日本燃化機。 東京重機が1/2yd3トラクタショベルを試作(日野重工の13tトラクタを使用)。
- 昭和5年頃 利根川に独製7t ディーゼル機関車を輸入、20ポンド軌条、鉄製 1m3傾溜ワゴンを使用。
- 昭和5年 利根川・荒川・淀川の改修工事完成
- 1931年 ディーゼルT.T.トラクタの開発:Caterpillar Diesel 60
- 1931年 モータグレーダの開発:Caterpillar No.10 Auto Patrol
- 昭和6年 荒川上流改修工事の20t機関車と40t掘削機を蒸気機からディーゼル機に置換。 機関車はドイツ發動機社製を購入。 掘削機は、在来のラダーエキスカベータ(蒸汽短梯鋤簾式掘鑿機)の蒸気機関をディーゼル機関に換装。
- 昭和6年 大河津分水完成
- 昭和6年9月 清水トンネル竣工
- 昭和6年9月〜8年5月 満州事変
- 昭和6年10月 小松が農業用ガソリントラクタG25(2t)を開発、18年までに238台を製造。
- 昭和6年11月 不況対策として失業救済事業を内務省が正式決定。 失業対策として道路整備に直轄事業を初採用。
- 昭和6年11月 陸軍が九二式 5t 牽引車(イケ)甲(ガソリン)を開発、石川島自動車製。
- 昭和7年 陸軍が九二式 8t 牽引車(ニク)甲(ガソリン)、乙(ディーゼル)を開発
- 1932年 牽引式スクレーパの開発:R.G.LeTourneau "Carryall"
- 昭和7年3月 満州国建国
- 昭和7年8月 第63臨時国会(時局匡救議会)始まる。 本義会で、時局匡救土木事業8,600万円を含む追加予算1.634億円を決定。
- 昭和7年 中川運河(名古屋)完成
- 昭和7年 神戸製鋼が、3m3(175t)電気ショベル120K型を開発、撫順炭鉱に納入。 その後昭和18年まで、満州向けに31台を出荷した。
- 昭和7年 油谷重工が焼玉機関直結0.57m3ドラグラインを製造、内務省に納入。
- 昭和7年 札幌市内の街路除雪に米製トラクタを初試用
- 昭和7年〜 多摩川上流部改修工事、投入機械は、100m3掘削機、50m3掘削機、6tディーゼル機関車、2.7tディーゼル機関車、ガソリン機関車、15kg軌条。
昭和初期、大恐慌による失業匡救事業と公共事業が活発化し、建設技術が大いに発達する。 しかし、雇用確保のため機械使用を禁止、機械化は中断する。
昭和6・7年頃よりの戦時体制(満州事変・支那事変・太平洋戦争)で、時局匡救事業も9年までで打切られる。 公共事業は不急不要事業として凋落期に、建設機械化も終焉。
(米国は、ニューディール政策により建設の機械化が躍進する。 このため、彼我の差は20〜30年となった。) |
- 1933年 プロクターが締固め理論をENRに発表。:Proctor
- 1933年 米TVA地域開発計画が発足
- 昭和8年 山陰本線全通
- 昭和8年3月 満鉄が鉄道総局・鉄道建設局を置く
- 昭和8年 建設業者の満州進出始まる。
- 昭和8・9年頃、満州国国道局が新京吉林国道工事で米国式機械化施工に取組む、ブルドーザ、モータグレーダ、エレベーチンググレーダ、セルフローディングスクレーパ、油圧ボトムスクレーパ、ロードリッパ、ロードプレーナ等を輸入。 しかし、低廉な人力施工(山東苦力)より高くつき、普及に至らなかった。
- 1934年 オフハイウエイ(OH.)トラックの開発:Euclid Road Machinery Co.
- 昭和9年 神戸製鋼が、4m3(300t)電気ショベル200K型を開発、撫順炭鉱に納入後、昭和18年までに満州向け7台を出荷した。 昭和18年までに、撫順炭鉱に50K、120K、200K型16台を納車し、満州各地に合計46台を出荷。
- G25(2t)を開発、18年までに238台を製造。
- 昭和9年 丹那トンネル完成
- 昭和9年 山口貯水池完成
- 昭和9年 陸軍が九四式 4t 牽引車(ヨケ)を開発
- 昭和10年代(1935〜1945.8)
- 1935年 ホイルトラクタ+ボトムダンプワゴン
の開発:Euclid Road Machinery Co.
- 昭和10年1月 全国治水砂防協会創設
- 昭和10年 小松 農業用トラクタG40(4.6t)を開発、軍用にも使われ、終戦までに421台を製造。
- 昭和10年 陸軍が九二式 5t 牽引車のディーゼル仕様(乙)を開発、東京自動車(旧石川島自動車)製。
- 昭和10年 陸軍が九五式 13t 牽引車(ホフ)甲を開発
- 昭和10年8月〜13年9月 塚原ダム工事(宮崎県): 事業者は九州送電(株)、 戦前の日本最大のダム、堤高87m、堤長215m。 近代的機械化施工の先駆けで、600m3/日のコンクリート打設を実現、そのため硬練りコンクリート、可動式ケーブルクレーン打設(日立製9t×300m)、バイブレータを初採用。 資材は索道で運搬、細骨材は海砂を電動ラダーエキスカベータ(50HP、60m3/h)で採取し、電動エンドレストロリー(25HP)で運搬後、単線循環式架空索道(総馬力900HP)により40km運搬、工事用機械は総て国産。
- 昭和10年9月 利根川洪水
- 昭和11年2月 2.26事件勃発
- 昭和11年 本邦初の高塔式掘鑿機(タワーエキスカベータ)を内務省新潟土木出張所において設計製作、6月に公試運転、8月に手取川改修工事に投入・組立、9月から本格稼働。 鉄砲水による軌条の喪失、掘鑿機の被害を避けるために本機の導入が図られた。 バケット容量1.5yd3、往復最長距離:170m、前部鐵塔高:30m、後部鐵塔高:7m
- 昭和11年 神戸製鋼が、0.75m3電気ドラグライン30K型を開発、佐渡金山に納入。 その後国内向けに、内務省(新潟土木出張所)、三井鉱山、日鉄鉱業に50K等13台を出荷した。
- 昭和11〜19年 関門鉄道トンネル工事
昭和12年5月 満鉄農事試験場(公主嶺)トラクタ実働競演会。
- 昭和12年7月〜 日中戦争の発端となる蘆溝橋事件
- 昭和12年 朝鮮・満州鴨緑江水力発電(株)設立
- 昭和12年9月〜18年 水豊ダム工
事(鴨緑江) 技師:久保田豊、 堤高106m、堤長900m、堤体積327万m3、有効貯水量76億m3、世界第2位の規模
: 使用機械は、1.5m3電気ショベル3台、広軌軌道を採用し、150t機関車10台、5t機関車22台、1.5m3トロ106台を投入。
- 昭和12年〜 豊満ダム工事(満州):空閑徳平技師
堤高91m、堤体積210万m3:世界第3位の規模
- 1938年 モータスクレーパ(Tournapull)の開発:R.G.LeTourneau(米)
- 昭和13年6・7月 利根川洪水
- 昭和13年9月 塚原ダム(堤高87m)竣工
- 昭和13年12月 利根川増補計画
- 昭和13年 小松が国産初のディーゼルトラクタD35(4.2t)を試作、15〜17年に47台を製造。
- 昭和13年 神戸製鋼が1yd3ドラグラインを製造、内務省に納入
- 昭和13年 陸軍が九八式 4t 牽引車(シケ)を開発
昭和14年2月 小松が陸軍九八式 6t 牽引車(ロケ車)の試作に着手。 優秀なため16〜18年に149台を納入。
- 昭和14年4月月 日本発送電(株)設立
- 昭和14年5月 ノモハン事件
- 1939年9月〜 独軍ポーランド侵攻、第2次世界大戦勃発
- 昭和14年 内務省新潟土木出張所にて、初のタワーエキスカベータ(1m3)を制作し、手取川改修に投入。
- 昭和15年9月 日独伊三国同盟成立
- 昭和15年 土工協機械化委員会が「工事用器具機械の使用年限と償却率」の会員アンケートを実施
- 昭和16年 内務省土木局を国土局と改称
- 昭和16月7月 陸軍野戦飛行場設定隊を6個隊編成
- 昭和16月8月 海軍施設本部を設置(建築局(内局)を解消。
- 昭和16年 鉄道省がCAT D7を輸入、信濃川発電所2期工事 浅ヶ原調整池土堰堤工事に投入し、その絶大な威力に関係者は驚嘆した。
- 昭和16年12月〜20年8月 太平洋戦争
| 昭和17年5月 海軍が占領したウェーキ島で、戦利品のブルドーザ、キャリオールスクレーパ、パワーショベル、モータグレーダ等を我が軍の飛行場設営隊が初めて目にするも用途が判らず放置。 捕虜の申し出により操縦させると数日で造成を完了、その性能に驚愕して海軍施設本部に報告、直ちに調査技師が急派され、一部を日本に持ち帰る。 |
- 昭和17年6月 関門鉄道トンネル下り線開通(世界初の海底トンネル)
昭和17年9月 ガタルカナル、ニューギニアでの米海軍設営隊:Construction Battalions(C.B's→Sea
Bees:海蜂隊)の機械化施工による航空基地建設能力に陸軍が驚き、急遽、懸隔を埋めるべく大日本航空技術協会に「第14部会第3分科会」を設置、重土工機械の研究に着手。
- 昭和17年12月 日立製作所が電気ショベル120H(3m3)を南満州鉄道(株)撫順炭鉱に納車
- 昭和17〜18年 海軍飛行場の急速設営の研究実験
を茂原、厚木、神ノ池、藤沢、沼津で実施。
- 昭和18年1月 本邦初のブルドーザとなる海軍発注の一型均土機(5.5t)を開発、
G40(トラクタ)に油圧ブレードを装着(設計:山本房生)。 終戦までに148台を生産。
- 昭和18年2月 海軍103設営隊が鹵獲建設機械による機械化施工で、ワクデ島飛行場を築城。
- 昭和18年2月 陸軍が「飛行場設定練習部」を創設。 同月、旭川で実験演習、夏に樺太、秋には伊奈で実施。
- 昭和18年3月 金剛製作所が12yd3キャリオールスクレーパを製作。 しかし、これを牽引できるD7級トラクタはわが国にはなかった(泣笑)。 その後4m3級を製作。
- 昭和18年3月 小松が高速牽引車の図面を基に陸軍発注(17年12月)のブルドーザ:トイ車(11.5t)を試作(設計:山本房生)、翌年まで80台を生産。
英語は敵性語として排除の時代 :
建設機械名も変な訳語が使われるが、例によって海軍・陸軍不統一で、別々の名称がつけられ、ブルドーザを陸軍が排土車、均土車、海軍が押均機、 キャリオールスクレーパは陸軍が削土機、海軍は鋤取車、 パワーショベルを陸海軍がそれぞれ、作壕機、掬揚掘削機と称する具合で、双方の連絡会議で、技術将校同士が英語名を使わなければ話が通じなかったという(^_^;)。 |
- 昭和18年6月 陸軍が飛行場設定隊甲を4隊創設。 3個中隊編成(648名)、装備はブルドーザ5台、牽引車15台、トラック40台等。 乙編成は、基幹要員147名、軍属約1,000名、装備は牽引車2台、トラック15台。
- 昭和18年9月 「外国建設機械型録集(掘削編)」を発刊、全6巻を20年3月までに上梓、300部限定配布。
- 昭和18年夏〜冬 米国建設機械特許集録(4巻を500部限定出版。
- 昭和18年下期 海軍が機械化設営隊を前線に派遣。
- 昭和18年10月 陸軍がニューギニアに飛行場設定隊甲4隊、乙10隊の派遣を発令。
- 昭和18年 鉄道院は新丹那トンネル工事の中止に伴い、トンネル技術の保全と機械化土工の研究・実験・実用化の目的で三島に熱海地方施設部土木機械実験場と鉄道教習所操機土木科を設置。 ガソリン機関車、蒸気ショベル、トラクタの教育の他、軍用牽引車改造ブル、ローダ、ルータ等の試作研究を行った。
- 昭和19年3月 陸軍が飛行場設定練習部を「航空基地設定練習部」に改称、教育・編成を担当。
- 昭和19年5月 陸軍発注のブルドーザ、小松トロ車(6t)を試作(1台のみ)、後のD50の原型となる。
- 久保田鉄工は、陸軍ハケ8t牽引車を利用作成。 羽田精機は、トラクタから新型を製作。 陸軍の6m3キャリオールを宮原製作所、帝国車両、日立製作所で作製。
- 昭和19年5月 土木学会誌に「施工機械集輯」を掲載(米ENR誌1939年に掲載された200種の施工機械・器具を建設機械研究委員会が抄訳)。
- 昭和19年5月 日立製作所が排土車(ブルドーザ)15台を軍需省に納車
- 昭和19年6月 海軍が横須賀・呉・佐世保・舞鶴の各施設部に教導設営班を設置。
- 昭和19年9月 関門鉄道トンネル上り線開通
- 昭和19年12月 B29東京初空襲
- この頃の海軍用トラクタは、久保田鉄工所、羽田精機、加藤製作所、鐘淵ディゼル(日産ディーゼルの前身)、夕張製作所が製作。
- 昭和19年 東京重工業が初のドラグショベル(0.75m3)を製作、海軍施設本部に納入。
- 昭和20年2月 トヘ車試作完成
昭和17年後半の米軍反攻後、航空基地急造の必要性を痛感し、建設機械の模倣による緊急開発を図ったが、見かけは兎も角、その性能差を克服できなかった。
それでも、飛行場設営隊の緊急増設と機械化を図り、18年後半から前線へ続々と派遣するが、その装備の多くは敵潜の跳梁により海没し、戦力化を果たせなかった。 |
- 日本の土工機械史 [ 前 史 ]
- 日本の土工機械史 [ 戦後編 1]
- 日本の土工機械史 [ 戦後編 2]
- 建設機史:発明と技術革新
- 超大型建設機械の歴史
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