ワッシャー TRASH

1月期

「それから」Up Data 01/28
「ダメ人間」Up Data 01/25
「雑記談」Up Data 01/20
「拡散」Up Data 01/17
「NEXT MILLENNIUM」Up Data 01/04






「それから」

2000/01/28.ICCH


「それから」があるということは「次が待っている」ということだ。 差し当たって生を授かっている者にとって「それから」は、いつでも付きまとう命題でもある。 漱石の「それから」は胸に応えた読み物だった。独特の醒めた飄々感は、他人事のようだった。 じゃがたらの「それから」はもっと飄々としている。物語りに戯れる江戸アケミの歌詞は現実離れしていた。 その江戸アケミが風呂場で溺死して、昨日1月27日で10年経ったことになる。10年という年月は世の中をガラリと豹変させる。そしてこの10年間に起こった出来事を死者は実感することもなければ、思考することも無く、ただ停止しているだけなのだ。永遠なる沈黙、肥大化する想像が逞しく我々に芽生えていく。

言葉だけでどれだけその死者に近付くことが出来るのだろうか?生前、隣に座っていた者にだって言いつくせやしない。所詮、他人の胸の内は誰にも紐解けない。それでもなんとかその紐を手繰り寄せたい。 そいつが出来るのも生きている者の特権だ。そうした会が昨日、新宿ロフトプラスワンで設けられた。 初めて詣でるその場所は、まるで深夜番組の様相であった。テレビの収録現場、司会者とゲストが酒を片手にテーブルを囲み、それを視聴する観客、本人の居ない現場で様々な人達があらゆる角度から分析、解析、して江戸アケミを解剖していく。当然、葬式にその本人が出席できるわけがない。死人に口なし。 だがそれはお通夜のようなしみったれた感じでもなく、祭りとか酒盛りに近く、装飾であった。 対峙した当人同士の秘密を盗み聞く快感、だがその片方がすでに鬼籍に入っていた場合、一方的なものにならざる得ない。でも自分なりに得た解答は、それすなわち真実以外のなにものでもないはずである。 そこにはたくさんの江戸アケミが存在し、互いのアケミ像が交差しながら肉体を浮かび現わしていく。 オーディエンス、司会者、バンドメンバー、評論家、立場に違いあれど全てが真実を突く。 楽器を持たないミュージシャンが言葉という手段のみで表現するのだ。凄い試みでもあった。丸腰で戦地へ赴く。冗談にも近かった。OTOは酔っぱらい饒舌から毒舌に、EBBYは慎重に言葉を選び、湯浅氏は流石にうまい合いの手を入れ、「闇のカーニバル」にも出演していたサミー前田は乗り遅れ、今回は「じゃがたら写真集」刊行記念で撮影した松原研二氏、それに初代伝説のマネージャー溝口氏はまさにハイテンション  果てる兆しさえ見せない討論は深夜に及び、注文した生ビールの数や膨大、行き着くところのない言葉は空中旋回、確かに視聴者参加形式でもあるわけなのだが、やはりどこかに声を気安く掛けられない状況もあり、退散することにした。一緒に呑み屋で席を並べているわけではない。ステージと客席には壁が出来ざる得ないのも確かだ。これがその辺りの居酒屋だったなら、互いに注文した料金は払うわけで、同じ位置にいられるのであるが、やはりなにかしら鼻につく感じ(それは垣根もさることながら、所謂、取り巻き連中の発する業界臭であった)それを、一緒に行った高円寺中古盤屋の新童氏と共に洗い流そうと2軒目へ流れる。 そこではやっと共通言語で、江戸アケミを語ることが出来た。そう、話せることは、アケミと自分だけの秘密だけである。それは自分を知らない人間にとってはどうでもよい話でしかない。極寒の歌舞伎町を徘徊し、呼び込みに何度となく進路を妨害され、行き着いた先はゴールデン街なり。しみったれた場末のBAR、カウンターとくちづけを交わす爺と、近所のホステス、それでいっぱいの店内、ビールの小瓶がどんどん並ぶ、 一口飲む毎に注がれる、バカ話し、当たり障りの無い会話、爺は居心地悪くなったらしく退散していく。 会計は一本、正しいゴールデン街の愛想である。朝の声を聞き、店から数メートル先には先程の爺がひっくり返って寝込んでいた。これもまた正しいが、この寒い中、凍え死にやしないだろうか?

下北へ戻り、「アーク」というBARの前を通った。ここは昔、「マザー」があった場所でそこでよく、じゃがたらの面子は溜まっていたらしい。灯りは付いていた。寄ろうかとも思ったが懐が寂しく、倉庫に転がり込んで寝た。殺風景な四畳半は寒かった。起きてみると一番街通りはテング祭りのお囃子が鳴っていた。

それから。



「ダメ人間」

2000/01/25.ICCH


「ぼくは新しい倫理を樹立するのだ。美と叡智とを基準にした新しい倫理を創るのだ。美しいもの、怜悧なるものは、すべて正しい。醜と愚鈍とは死刑である。」と、デヴィッド・ボウイのプラスティックソウル74年のライヴを聴きながら想うのでした。そいつぁ、とっても勧善懲悪、二律背反、でも分り易い確かなもの。 感覚だけで掴め、自身の嗅覚を信じろ、そしてそれが通用するのは今だけだ。昨日は終わり、明日は知らない。Ch-ch-ch-Changes, Turn to face the stranger. 時はぼくを変えていく でもぼくが時を変えるコトは出来ない 

店の倉庫を確保した。月曜から、在庫やら委託の玩具やらをせっせと運ぶ。まるで蟻のようである。 四畳半の部屋はあっという間に埋まり、店にある全ての商品を運び込んだら大変な量になりそうだ。 こんなに外は寒いのに、身体を動かしていると汗まで流れ暖まる。倉庫周辺は、野良猫の吹き溜まり。 荷を運び込んでいる間に勝手に荷車の上にたむろする始末。小便垂れ流しだから、猫臭がたごまっていた。 夕方になり、友達が来たので、近くの「椿」という焼き鳥屋で一杯ひっかけた。ここのレバちょい焼きは、死ぬほど美味である。ついでにレモン焼酎も旨い。そしてすぐ酔っ払ってしまう。 軽く一杯の積もりが、相も変わらずの酒宴へと連なっていく。最近は諦めるコトにしている。 どうせ呑むならば躊躇せずにとことん飲ってやるんだ。不味い酒になりそうだったら、きっぱり断ってやるんだ。それにしても日曜日も飲ったんだった。そうして線路を歩いて帰ったんだった。 どんどんダメ人間になっていくようだ。松本零士フリークだった小学生の当時、「男おいどん」の大山昇太のような生活に憧れていた。四畳半でうす汚れたパンツに囲まれ、サルマタケを食し、それでもなんとかなるさと不貞寝、でも彼は予備校生だったんだよなぁ。前途洋々と将来は開けていたんだよなぁ。あんな漫画を読んでいたから、こうなってしまうんだろうか?いや、なるべくしてなっていくんだろう。 どんどんと濁っていくようだ。身体中の節々が、油を注していない自転車のチェーンのようにキィキィと不器用な音を立てるよう。使い込めば味が出てくると云いますが、なんだかもう自分の身体は澱んでいるようだ。 コンビニの防腐剤まみれ、保存料まみれ、着色料まみれの弁当を流し込む。燃料としてはこの上なく下等な部類である。そいつはまだまだ続いていくんだろうか?不味いトリップだ。

ダメ人間は、ダメなりに、生きていく。醜悪な臭いを発する前に消えてしまえ。嫌なコトはやりたくない。 嫌なコトの前で楽しい振りをしてみようか。そうしたら楽しい気分になってくるから、それが処世術だ。 グラムスターも歳を取る。



「雑記談」

2000/01/20.ICCH


人に何かを渡すのは難しいんだよ。知ってた?投げたものが受け取って貰えるとは限らない。 そう、そいつは傲慢。投げたっきり、返ってこない。投げたものが、直撃して、逆ギレ、殴りかかってきたりする。殴るというリアクションはまだ良い方で、まるっきり無視されて、こちらを見ようともしない。 永遠に振り向いてもらえない。相手が恥ずかしがっているなんて、都合のいいコトは思うなかれ。 相手は嫌がっているのだ。拒否しているのだ。嫌悪しているのだ。死んでくれと思っているのだ。 ATフィールド全開なのだ。でも嫌悪されるだけマシなのかも知れない。受け取って貰えない、というコトは 実に悲しいコトである。コミュニケーション・ブレイクダウン!

さて集中力が欠如してきた。それもこれも口の中に出来ているクレーターの所為である。 口を開けばそれが引っ掛かりものを云う事も憚られ、食事を取ればうまく噛み砕く事も出来ない。 話せない、食べれない、ギリギリと歯をこすり合わせ、苦虫を噛み下したような顔で、苛ついている。 この苛々感はどんどん肥大化していき、仕舞いには誰かに当てつけなければ済まないような気にもなってくる。このイライラはちっとやそっとじゃ晴れやしない、ちょっとの間だけ他の人と交代してもらう訳にもいかない、どうせ人間なんて生まれる時も死ぬ時も孤独なのさ、そんなニヒリズムもまた嘲笑を浴びせられる格好の材料となる。そうさ、この口内炎が今までのツケなのさ、不摂生、夜更かし、飲酒、喫煙、あらゆる快楽の先には、何時だってこんな不格好な結末が待っている。「待たせたね」「いえいえそれ程でも、丁度、着いたばかりですよ」という彼の足先は吸い殻の山。それは優しさか、はたまた、何か裏があるのだろうか? 随分と昔に、空腹の苦しさと、恋の飢えの苦しさとどちらが優位であろうか、という馬鹿な話しをしたことがあった。自分は同じ位だろうと云い、他者は空腹だろうと云った。果たしてその苦しさに順位はあるのだろうか?いやそれは返せば自身の耐久力によるのかも知れない。恋で自殺する奴だっているし、一週間喰わなくたって生きている奴もいる。だからこの口内炎の痛みは、失恋三週間後といった感じか、いや別れた彼女が他の男子と手をつないで歩いているのを目撃した瞬間三分後といった感じか。いや待てよ、なぜに恋愛指数で語っているのか、胸は全然痛くないんだよ、痛いのは口の中だ。まったく油断も隙もあったもんじゃない。 その痛みも、アルコールで消毒してやると嘘のように和らぐ。それに饒舌にだってなる。 外はすっかり暗くなり、風も吹き荒び、誰もが皆うつむきながら帰途を急ぐ姿だけがヴィニールカーテン越しに見えていた。



「拡散」

2000/01/17.ICCH


一年毎の初期化、完了いたしました。騙し騙し使ってこの時節になると、いっぱいいっぱいになって音を上げるようです。その間、人間の方も学んで、初期化のノウハウなど、と思いきや、またしてもユーザー辞典を失って0歳時に逆戻り。やられっぱなしの懲りないあのコ〜♪by.Billy The Knucle/あのコの風景
MacOS 8.5へと進化。ついでにブラウザーやメーラーなどもヴァージョンアップ、確かにそれなりの安定感は 得られるようだ。後は使わないものを削除していったり、できるだけ軽快にかつシンプルなシステムを構築。 だがしかし、もうくどくど云わない。どんな予防線を張ったって、すぐ決壊するだろうし、複雑になればなるほど肝心の人間様がついていけなくなるコトは必至だ。キショーめ、Come Together Right Now Over Me. by.BEATLES

というわけで、2000年は動き始めていた。ある者は削除され、ある者は復活を遂げた。置き去りにされる者、忘れられた者、笑い者、お調子者、頑固者、目一杯たくさんのつわもの共がそれぞれひた走る。 ゴールは見えないし、審判もいやしない、コースもまちまちで、立ち止まっていたり、逆走する輩、試合放棄、進路妨害、殴り合い、ズルして近道したり、挙句の果てにはその場で自慰する奴まで現われる始末。 病んでいるのか、それともこれが正常? そんなもんなのか? 知らぬが仏、そんなんほっとけ、、、

先週の土曜に新宿リキッドルームで、「GALACTIC」というJAM & JAZZ & FUNK バンドを観た。 M.M.W流れの企画なわけだ。ニューオリンズの強力リズムにインプロの応酬、なかなか凄いもんだった。 その1st Setの前にはボアダムスのEYEのDJがあり、ココですっかりやられてしまった。フロアの中央で人波に揉まれ、果てることなく繰り広げられる土着ビート、渾沌としたダンス、ズルいぐらいのループ、照明もそれを助長する。フラッシュで目を焼かれ前後不覚になったところを、鉛を溶かしたような熱く鉄感なリズムが襲ってくる。フロアの歓声なのか、いやEYEの仕業、もしかしたら現場の歓声をサンプリングして、いやいや、まさか幻聴? もはや耳さえも疑い始める始末。歓声に歓声が重なり、どんどん上昇していく。 踊らなければ気が狂ってしまう、といった調子で踊り狂ったのであった。 そして「GALACTIC」彼等もまたズルくてくどかった。貪欲なリズムが、フロア内に次々と火をつけて回る、 がそれを一消しで吹き飛ばし、不安感に陥れた後に、今度は大火災、逃げ惑う人々、狂喜乱舞、笑うしかなかった。ワハハハハハー! 尽きるというコトを知らない楽隊は、時間を戻したり進めたりして、人の感覚を奪っていき、ループ、ループで最後は自分達の音をサンプリングして消えた。恐ろしや、まさに銀河系。 そんなのが朝方まで続き、一緒に行ったRED G の面々と暫しの休息後、寝れない身体を揺さぶってから、代々木公園までWillie`s Appleの路上ライヴに参上。これまた身体が疼くのだ。Rock and Roll Will Never Die! by.Neil Young 
すっかり童心に戻って無邪気に遊び暮れた。そいつぁ、きっと素晴らしいコトに違いない。 でも当然、時間を無視したって、結局、動いた針を戻すコトは出来ないからツケは払うコトとなる。

来月には、HERE SCENES店鋪のリニューアルを予定している。床を撤去し、売場面積を拡張するのだ。 倉庫を店の近くに借りたので一時商品はそちらへ移動する。考えてみれば、地面をいじるので、こりゃ大変な 大工事になる。またこれで、何かは変わり、変わらないものは変わらない。誰もが動いている。 動き疲れた者は休み、次に備えるのだ。動ける力の残っている者は、出し惜しみするな。使えるうちに使ってしまえ。それで決まりだ。拡散するのは後回しだ。まずは小田ひで次著「拡散」全2巻を読んでみてくれ給え。生きていくエネルギーてやつは大変なものだけど、ここまでやってこれたんだから、結構、案外、ゴールまで行けるかも、知れない、かも、かも、渡り鳥カモカモ〜渡り鳥ガンガン〜♪ by.HIS

こんなんでてきましたけど〜?



「NEXT MILLENNIUM」

2000/01/04.ICCH


謹賀新年!
無事、2000年を迎えました。こうやって何事も起こらなかったことに感謝、と同時に、少しだけ拍子抜けしている自分が居たりもする。Macだって知らぬ顔で起動してみせる。外の一番街通りは、いつもと同じ正月の 景色、ツンテンシャンと琴の音、響かせている。そうなんだ、平穏がヘドロ状になって配水管を詰まらせているような、納得のいかない鼻詰まりな感じだ。でも無理にその通り道を拡張する必要もない。 ダムの決壊のような勢いだって必要なんだ。みんな、破裂したくってウズウズしてる。血管ばってる。 貫きたくて、突き抜けたくて、動きたくて、こすりたくて、それでも我慢して腰は振らない。 それが、どうした、と言われても仕方の無い話で、しかも男性的だ。感覚だけの人間は、悪鬼に似ている。

引用:「敗北とは何ですか」「悪に微笑する事です」「悪とは何ですか」「無意識の殴打です。意識的の殴打は、悪ではありません」

上昇の後には下降がやってきて、楽しみの後には苦しみがやって来る。そうやってバランスを取らないと片輪になっちまう。度重なる飲酒は、何か得体の知れないドロリとした過労をもたらして、被害妄想にも似た神経障害をひき起こす。それが転化して、より強固な意志を形作る。それは意固地とか、負け惜しみだとか、自身の内にある我意を引きずり出す。そんな被害に遭われた方は御一報いただきたい。その幽霊の首根っこをひっ 掴まえよう。そいつに実体は無く、根っこも無く、あるのは悪意だけである。そいつをあげつらって鬼の首でも取ったかの如く、ああ悪鬼の形相、ご免なさい、そうそれも自身の一部分。いやそれこそが本体。 蜥蜴の尻尾、切っても切っても再生する欲心、果てることなし。

何の脈絡もなく、寝ぼけ眼で年越してみせ、嘔吐しながら自転車を漕ぎ、横臥したまま寝正月、そうやって仕事始め、どうやらこうやら体裁を取り繕い、本年度もどうぞ宜しくお願いいたします。

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