TRASH
「射出」Up Data 06/30
「洒落っ気」Up Data 06/23
「MORE」Up Data 06/18
「Flying Phish」Up Data 06/12
「BAR FLY」Up Data 06/07
2000/06/30.ICCH
WADACHI LABEL 第3弾CD「WILLIE`S APPLE/Same Old Heavy」の製作が一段落ついた。
G4にて版下作成、コンピューターベースでのCD-Rライターは結局使用せずに従来と同じくオーディオベースでの焼き、ジャケットコンセプトはWILLIE`Sのタムラ君、そしてRED Gより大越"MASA-KING"まー君をデザイナーとして迎え入れての作業。それにしても早かった。前作に比べて、大幅にスピードアップした。
それにはやはりタムラ君の明確な(というよりもまさにそのものズバリ、製作前から形は出来ていた)ジャケの提示があったからであろう。後は積み木を組み立てるがのごとく、それに近付ける工程で、写真その他の部品を集めていけばよかった。一番、難しかったのが色校正であったが、それも数日を要しただけだった。
青山にある親父の会社のプリンターを借り受けてライナーを出力(因みにうちの親父はデザイナー、もっと昔に学んでおけた事は沢山あったろうに今や映画の話しかしない間柄である)ジャケットは表参道の出力センターに依頼、校正は2回行った。お客様用Macで後日手直しを行ったのが自分で、使い慣れないイラストレーターの最新バージョンで裏ジャケをいじって、またポカッてしまった。仕上がりは、やはりプロフィッシュナル、断裁まで依頼したのだが、さすがに餅は餅屋である。自分がやらなければならなかった事は、そのマネージメント的仕事と、盤面の出力(これはインクジェットプリンター)いわばあっちへ行き、こっちへ行きという作業の連続であった。幸いなコトに(全く幸いじゃないが)本職のレコード屋の方が、梅雨のダーク時期に入り膠着状態であったコトをいいことに、作業を持続出来た。先日、たいらさんとタムラ君の強力を得て、最後の工程、今までのアイテムをCDという箱に収めて、完成である。タムラ君の嬉しそうな顔が印象的だった。自分自身、反省すべき場所はたくさんあり、歌詞の誤植を事前に了解していながら直せなかった事など、
何かと簡単な連絡事項が一方通行になってしまったりした。そこが決定的にアマチュアとプロの差であった。
形が無い物に形を与えてやる時、(それがこのような文章であったならば関わっている者はその作者のみであるが)詩が生まれ、曲が生まれ、バンドの音が出来上がり、音楽が生まれる、そしてやっと音源が完成し、
マスタリングからアルバムの企画へ、デザイナー、版下の作成者、様々な人達が協力をしてくれたり、助言をしてくれる、出力センターでの校正と印刷、CD盤製作、もうありとあらゆる人がその仕事の下に集う。
最初にあったものは、作者の頭にあったほんの小さな種子だけである。種から芽、茎から葉、そして花が咲く。土に養分を与えたのは誰?太陽の恵みを誰が否定出来よう。その花はやがて枯れるが種子は蒔かれる。
風に乗って運ばれるかも知れないし、昆虫が運んでいくかも知れない。そのCDから新しい花が生まれる。
それはやっぱりループなのです。発芽するかどうかは、それを聴いた者にしかわからないが、機会があったら是非聴いて欲しいと思います。白いテープと黒いテープ、それはもう5年以上も前に在った音なんです。
これできっとWILLIE'S APPLEとの仕事は終わりだと思いますし、彼等も過去を振り返る必要も無くなるでしょう。"Same Old Heavy" "DUST and ASHES"は、あなたが手を伸ばせばいつでも聴けるんです。
それは以前では考えるべきコトではなかったが、今なら考えられるし、手をつくせるのです。
そして最後に関わった全ての方にお礼を申し上げます。
”抱え込んだCaceの中身は山ほどのSouvenir キミのベッドサイドにでも飾ってくれたら嬉しい”
BY.WILLE'S APPLE "リルビ"
誰もひとりじゃ生きていけない。でも0歳時にひとりで立てたコトを覚えているから、何でもひとりで出来るような気になってしまうんだ。集団行動は苦手だけど、一列に並んでバトンを手渡す作業は結構楽しい。
伝言ゲームのようなものである。僕とキミの間には、たくさんの他者が介在している。
悪意さえ無ければ、みんなが楽しんでいれば、成し遂げるコトも可能だ。あくまでも机上の空論ではあるが。
言葉はそれ自体には何の力も宿しちゃいない。何か意味を与え、大きな力を、人がその言葉に見出した時に突然、生き返る。躍動し、誰かを傷付けるコトだって、笑わせるコトだって、楽しませるコトだって出来る。
玩具にするな、道具にするな、依存するな、悪意を射出するな、報復されるぞ。ダークサイドに引き込まれるぞ。と自分自身に何度も問うのであった。なにしろ、こんなに疑心暗鬼、嫉妬と猜疑心に満ちた人間をいまだかつて見たことがないからだ。此所から抜け出すためには、光りを持った言葉が必要なのだ。
もうすぐ7月3日がやってくる。
2000/06/23.ICCH
6月24日でホームページ3周年を迎えます。ある時は放棄したくなり、またある時は邪魔になったり、夢中になったりもした。そしてどんな時でも、このデータはただ鎮座して、誰かしらが解読するのを待っているだけなんだ。無駄には何らかの力が宿っている。評価を必要としない大いなる無駄が、自然と沸き上がっていく。 二日酔いを繰り返してみた。煙草とアルコールは最悪に有害なドラッグだ。政府のお抱え運転手。 神経と神経でコミュニケートすれば、確実に正確に情報を伝達出来るのに、やはり無駄足を踏んでしまう。 そして途中で搾取される。そこも面白いところなのかも知れない。 僕らは狩りも出来ないし、電気も作れないし、コンピューターも作れない。やれるのだけど、やれない振りをする。ホームページで何かを得ようとは思っていない。否、何かを得るとっかかりにでもなればマシだと思っている。何かのグループに取り込まれるとそのシステムの一部となり機能しなければならない。 ネット界は何でもアリだからそれもアリだけど、せっかく自由な世界なのになぜに徒党を組んだり、集客システムを構築したり、他人のページにちょっかいをかけたり、悪意に善意にお節介にその他モロモロ、現世に還元しようと目論むのだろうか。尻尾を振るな!
「組織じゃない。個人の意志だ。あくまで個人の偶発的な欲求のあらわれとして遊びの形でやっていかなくてはいけない。組織としてやったら単なる社会運動と一緒だぜ。」江戸アケミ
本当に怒ってみたいけど、嫌な大人の臭みで、すぐに醒めてしまう。洒落で終わってしまう。
怒るという行為自体は相手に対するサービスでもあった。信号の色を教えてやる必要も無いだろう。
そいつぁどんな了見だ。一緒に同じ色を見ていると、嘘でもいいから言って欲しい。
いや言わないでくれ。もしもその色が違ったりなんかしたら、自分の世界は崩壊してしまう。
そいつぁ洒落になんねーや。
2000/06/18.ICCH
PHISH追加公演 in The ZEPP大阪、何でも当日券はキャパの半分ぐらい余っていたらしい。本当なのか。 軽い酔いが心地よく、会場内はいつもの空気で充満していた。色とりどりのゴム風船が舞い始めた。 またここに戻ってきた。地べたに腰を下ろし、先の長い開演時間を待つ。いつでも唐突だ。一斉に歓声で沸き上がったと思ったら、もう踊りは始まっていた。1st SETはゴキゲンだ。あの野音で止まった時間が動き始める。頭の中をシェイクするといい具合に混ざる。周囲の人と衝突しないのが不思議な程、それぞれが動き回っているので、時にはスレスレで通過し、その人と目が合ったりした。どんどん加速する。Treyのジャンプに合わせて、全員は跳ねて、そして少しずつズレていく。右脳と左脳の位置もおかしくなるし、自分を所有する責任も放棄したくなる。液状にとろけてしまったかと思えば、元に戻って硬質さを増し、また溶けて、その度にだんだん形も変わっていく。最初の姿はもうない。場内が明るくなると、会場自体が大きくひん曲がっているかのように、まるで網でさらわれた魚のように捕獲され、大きく場所は変貌していた。見ず知らずの人達に囲まれ、最初に居た位置とは大きく懸け離れていた。長い休憩時間の始まりだ。
頭上からの落下物、ゴム風船が直撃して、大きく揺れた。駄目だ。時間が恐ろしく鈍い。頭で追える事といったら随分と遅く、「この鈍間め」と自身を罵る。伝達速度が、国際電話で話しているかのように遅れてやってきやがる。と思えば、トイレへ立った自分の先の姿、3秒後が見えていたりもする。後追い、後追い、先走り、先走り、もう同じ場所には戻れない。あの身体には魂が無くなってしまったのだ。 洗面所の鏡に写った自身の顔は能面のようだった。2nd SETが始まるまでに、正常な視神経にアクセスしなければならないと焦れば焦る程、心は床下に染み込んで、肉体は抜け殻、心ここに在らずであった。
その状態のまま、2nd SETに突入。壁を這って、どうにか立っていられた。曲は分かるのだが、気を抜くとすぐに放心状態に陥った。そういったやり取りを何度となく繰り返してばかりいた。 ACIDを喰ってる奴だって、草を吸ってる奴だって、アルコールを摂取してる奴だって、たくさん居ることだろうに、それが合法、非合法という事で仕切られて、変な違和感が、壁が、現れる。周囲を信用出来ないから、BAD TRIPとなる。だが、それはどうだろう、PHISHを観にやってきている人達の目的はあくまでもPHISHにあるのではないか?笑って、踊って、楽しみたいだけじゃなかろうか?当然そうだろう。 気付くと自分の身体は曲に合わせて踊っていて、心だけが浮遊してミラーボール周辺を漂っていた。 上空から下界を眺めていると、曲の巧妙さ、客の暖まり方も手に取るように理解出来た。 鍋が沸騰して、そして、弱火、また強火、沸騰した時の恍惚とした皆の表情、またダークな時の悶え方は燃え盛る烈火に放り込まれた苦悶の顔、ギターは蛇のように会場内を這いずり、嘗めまわし、リズムは途絶える事なく跳ね続ける。不用意に一体感などに取り込まれたくはなかった。また錯覚でもいいから、一体感を得たかった。そのつまらない理屈が消えたら、自分が戻ってきた。取り戻したんだ。しかも、ステージではPHISHが演奏をしてるじゃないか。何を演っているかは分からないけど、そこに彼等が居るという事実に、たまらなく嬉しくなり声を張り上げた。
誰かしらに踊らされたくない、言葉が概念が自身を縛り窮屈にした。落ちていく時に、絶叫を上げるのは弱虫だ。そう思って声を張り上げなかったら、悶々としただけだった。ようは同じこと。
誰にも干渉されずに踊っていられたら、そんなつまらない事はないはずだ。
沢山の人達の気持ちが、一本化されるなんてあり得ないはずだが、PHISHがステージに立っている間だけは、それが可能となる魔法の時間だった。何も無いところから生み出される音楽が、人に何かしらの影響を与え、
大きな力ともなり、形を変えてはバトンを渡す。錬金術。エルヴィス、ビートルズ以来、脈々と流れる魔法の川。別れては繋がって、いつしか大河となる。泉のせせらぎだって、気持ちいい事を教えてくれる。
強がっていても仕方無い。 みんな、どこかしらで繋がっているんだ。もう何の感懐も無く消え失せた。
PHISHは終わった。呆然とそれを見送り、また生活に戻ってこなければならない。
大阪から、友達のバンに便乗して東京に戻ってくる途中で、どこからともなく生活臭が染み込んできた。
どんなにブレーキをかけたって、それはますます強くなるばかり、アクセルを踏み込めばスルリと寝床へ放り込まれる。眠りなさい。起きたら働きましょう。
このうえなく楽しい、それがPHISHのライヴだ。快楽を定義付けることは難しいが、彼等のショーにはそれぞれの生活の喜怒哀楽の実が一杯詰まっていて、すぐにその実を味わう事が出来る。但し、手を伸ばさなければ掴めない種類のものだ。それが、楽しくないわけがないだろう?その為に、もっと働こう。
2000/06/12.ICCH
期待感が最高潮に達した渋谷ON AIR EAST、焦らされる会場内には色とりどりの風船が舞った。 酸欠で運ばれる人、雄叫びを上げ続ける人々、良き時代のノスタルジー、紫色の煙りは狼煙みたいに彼方此方で上がり、もの凄いエネルギーの固まりがステージに注がれる中、現れた彼等は「Axilla」からこのツアーをスタートさせた。ダイレクトに身体を貫くそれらの音は、身体中の細部まで達し、脈打ち、弾けていくしゃぼんのようなものだった。踊ることでつい数分前の音の呪縛から逃れられる。止まったら、身体を乗っ取られるはずだった。その甲斐あってセット1は無事にやり過ごしたが、長い長い合間に或いはその沈滞に身体は鉛のようになってしまった。セット2が始まりすぐに、背後の外人女性が卒倒し、自分の後頭部に彼女の顔面が直撃した。踊り続けなければ、身体を揺り動かさなければ、自分も倒れてしまうだろう。 よるべない魂がステージ上の彼等に救いを求める。「You Enjoy Myself」がアンコールだった。 楽しみ、苦しみ、どちらも同時にやってくるんだ。口は開けっぱなしで、感嘆の声しか吐き出せない。 空腹を感じ、血の滴るような肉が喰いたくなり、渋谷の街を彷徨い歩いた。その欲望が何なのかは知らない。
2日目、ZEPP東京は遠かった。お台場はまるで皿に盛られた蝋細工の見本料理、どこもかしこも作り物臭かった。現実感の無い空間、自動車の展示場を抜けると、会場前にはお馴染みのタイダイ絞りの一群がうごめいている。スタートまでの長い時間が、唐突に遮られると一気に演奏が始まる。割合と広めの会場なので昨日より音は拡散してしまって、とてもいい音とは言い難いが、耳が暖かくなればすぐに慣れてしまう。 セット1は前方に位置をとったのだが、凄い混雑で人通りも多くてとても辛かった。セット1が終わると、自分のどこかが軋み出し、得体の知れない焦燥感に追われるようにあちこちを移動した。落ち着ける場所を、とただそれだけなのに、どこで何をしても自分の居場所ではないような気になった。 行き交う人々の合間を縫って、糸の切れた凧みたいにふらふらと移動した。誰もがガソリンを補給といった要領でアルコールを摂取し、煙を吐き出し、至る所で談笑していた。再会、握手、抱擁、ここに自分の場所が無いのは明らかであった。なぜなら再会する必要も無かったし、握手や抱擁も同じく無意味な行動としか思われなかったからだ。会話が必要だという意味さえ理解出来なかった。セット2が始まり、永遠とも思える長い休憩時間が終わりを告げると、いきなり気持ちが上昇を始めた。音楽が、忌々しい言葉にとってかわったのだ。 そして演奏が伸びれば伸びる程、スペースが生まれた。エアポケットだ。そこにすっぽりとはまり込むと、楽になる。ミラーボールが天井から、我々を煽動した。重力が消え、自分は上も下も右も左も後ろでさえ、手にとるように見渡す事が可能となる。曲はどんどん過ぎ去っていくようだが、そのことには感心は無く、終わりだけを危惧していた。気が付いた時は、雨が落下する会場前の地べた。雨音が、ざわめきが、何もかもがそのままPHISHの演奏とつながっていた。どうやって帰り着けたのだろう。絶対、戻れないはずだった。
3日目、日比谷野音。東京での最終日だ。雨は降り続いていたのだが、気持ちは晴れやかだ。
初日の疾走感、2日目の深み、身体は筋肉痛でぎしぎししていたが、野外は素晴らしいに決まっている。
天井が消えて、雨雲が覆う空、それが彼等が始まり暫くすると、ちりじりになっていくじゃないか。
それにしても身体は何をやっても、朦朧とするだけで曖昧なまま、縦にも横にも振らなかった。
たくさんの人ともあったが、座って微睡む事が一番だ。演奏中は空と雲と木々、飛ぶ鳥を追って、軽く揺れていると幸せになる。セット2に進むと俄然ボルテージが上がり、酒を煽るとまさに火が付く。
何でも虹が出たらしい(探す気にならなかったが、周囲は騒いでた)でも色んな人達の周囲には、またたくさんの彩りで溢れていたから、空に虹ぐらい当然現れるだろう。しかし、何て事だろう。
セット2が短く感じて、空には夕焼け、セット3までありそうな勢いだったのに、アンコールを演奏した後には、無情にもアナウンス。これからだと思っていた。時間はまだ7時にもなってないじゃないか。
鳴り止まない歓声、席を後にする者は居なかったが、それでも機材の搬出が始まると名残り惜しそうに立った。こうした余韻には、何らかの意味が隠されているんだろうか、などと深読みするのは勝手だが、きっと何も無い。もう疲れてヘトヘトだった。これはあのキャンプにも匹敵するぐらいに長丁場。
まだ頭の中はじんじんと疼いている。名残り惜しそうに疼いている。そうして、この辺で、こちら側に戻ってくることにした。魚釣りには忍耐が必要だ。3日間でこちらは禁漁、魚達は関西方面へ移動しております。
今、やらなければならない事は、早く身体を日常生活に戻す事だ。
Get Back. Jo!
2000/06/07.ICCH
CHARLES BUKOWSKI著「ありきたりの狂気の物語」を読んでいる。圧倒的な生きていく力がみなぎってる。 それは幾つもの失望から生まれた自暴自棄なエネルギー、それとも諦め、足掻き、悪くない。 単純な自分は簡単にまいってしまい、せっせとバーボンを流し込み、血液中にアルコールを淀ませる不毛な努力を強いる。近付けるところといったら酒を飲ることだけじゃないか。乾杯。一気に片付けてやる。 違う、すぐに気持ち悪くなる。吐けない。飲んでいる最中に頭が痛くなってくる。弱腰。リズムが必要だ。 強力な。彼はただ飲んだくれの悪漢ではない。繊細で他者に馴染めないから、自身に油を差すんだ。 そうすると動きがよくなるんだ。 無神経な昆虫のような連中とでも社交的にならなければならない場面もある。 無神経、この世で一番の悪徳。確かにそんな奴はいくらでもいるんだろう。自分にだってそんな時もある。 問題はそれを感じ取る思慮があるかどうかという事。自分自身をも含めて。ブコウスキーの酔っ払い感覚は、 ストーンズ的でもある。そうBLUESだ。酒に思いを馳せたくなるんだ。
もう一つの物語は、PAUL AUSTER著「最後の物たちの国で」 この女性を主人公にした物語には感心した。 時間を掛けてゆっくりとその世界を構築していく手腕、百科事典のように詳細に具体的にその物を浮かび上がらせていく。物語り屋はオースター自身であり、やはりその主人公が担ってる。彼女からの手紙がその場所を形創っていく。兄を探しに船で渡った世界、ゴミを漁って金を得る、新しい製品は生み出されず、屍体を現金化する政府、食料難、安楽死クリニック、幽霊家主、生きる事、死ぬ事で精一杯の国。 オースターに言わせるとそれは二十世紀のどこかで起こっている実際の出来事らしい、(ワルシャワのゲットー、ナチスの強制収容所、今日の第三世界、レニングラードの人肉工場)「これは現在と、ごく最近の過去についての小説だ。未来についてじゃない。『アンナ・ブルーム、二十世紀を歩く』この本を取り組みながら 僕はずっとこのフレーズを頭の中に持ち歩いていた」 それを思うと空恐ろしい気がする。そして、誰もが物を造り出さなくなったら、すぐ我々の周りにある物が最後の物という事実、それを奪い合う、ゴミがゴミでなく資源となる世界、住んでいる場所を奪われ、道を歩くだけで襲われ、通行料金を奪うべく勝手に設立される料金所、この物語が面白いのは、今ある世界を下敷きとして提示しているからに他なりません。映画「スモーク」や「ルル・オン・ザ・ブリッジ」のオースターの小説は今我々が生きている世界を客観化し、方向転換を迫ったものなのかも知れない。
ちゃんちゃら可笑しい評論口調は許し給え。上記の二作を薦めてくれたのは大越"MASAKING"まー君であります。BAR "RED G MONSTER"では夜な夜なそんな会話がある、はずもない。今週末のPHISH来日公演への過剰な期待で漲っているのは自分だけである。その期待が自身の首を締めるんだ。彼等は音楽を奏でるだけ、料金分は楽しませてくれるだけ。楽しみ下手だから、凌駕されると大喜びし、裏切られると落ち込む。
ビートルズを一度も観ていない事は幸せなことかも知れない。ローリングストーンズよりも最初のミック・ジャガーのソロが一番良かったのです。それは期待と寸分変わらぬ彼だったから、ストーンズには期待以上のものが欲しかった。有るもの気付かず、無いものねだり。ロスロボスは最高だった。ドクターフィールグッドでは射出した。フィッシュには全てがある、などと信じ込んでいるのだった。
何がある。ビートルズがあり、ストーンズがあり、デッドがあり、ニール・ヤングがあり、ピンクフロイドがあり、ヴェルベッドアンダーグラウンドがあり、ニルヴァーナがある。
そうか!そいつは豪気だな。大漁だといいね。 はい、野音は晴れるといいと思ってます。
GOTTA JIBBOO!!!