TRASH
「PSI」
Up Data 01/31
「Coming Down Again」
Up Data 01/12
「So Low! 」
Up Data 01/04
2001/01/31.ICCH
そうして、レジ前に並ぶ植物群を眺めていると、この別種の生物と、意志の疎通が有り得ないと誰が断言出来るのか、そいつが不思議になってきた。 それは、目で見るまでもない、耳で聴くまでもなく、さらには言語などで推し量るべきものでもない。 日常、口にする食物たち、鉱物、それを育む地球、ありとあらゆるものが助け合い、支え合っていることは必至である。宇宙の産物である地球、そこから派生した我々、全てを構成している物質は同じものに起源を持っていることも必至である。180億年前に起こったと言われるビッグ・バン、そこから膨張した世界、宇宙は果てしなく広がっていく。なにがどうあれ、これからの時代は、もっと意識が変革されていくのではないだろうか、という気がしている。今まで、神秘とされていた見えざるものが、意識される世界。 気持ちや思考が現実に作用する世界。科学が明かしてくれた矮小な世界は、20世紀でさんざん、半ば自暴自棄に、資源を食い潰していっただけだったのだから。と、熱っぽく語る自身を、傍目から眺め、すっかり神秘主義に犯されていることを知る、外はすっかり斜陽なり。
ドゥーガル・ディクソン「マンアフターマン」という図鑑を知っているだろうか? 800万年前から始まる人類の歴史から始まり、現在を飛び越え、500万年後までを、克明に図解入りで紹介するという未来予想図鑑である。遺伝子工学で操作された我々の子孫たちの哀れな姿に、驚愕するという仕掛けだ。住めなくなった地球を後にするエリート集団、土地に合わせて身体を改造する者、機械仕掛けのサイボーグ、狂信的な科学者は自らを滅ぼし、DNA操作を施した種をばらまき、自然回帰した者は自滅し、弱肉強食の 知能の退化した変種は互いに殺し合い、奪い合う、そして、過去を忘れた違う星への開拓者が戻ってきた時、、、というような、なかなかシュールな図鑑である。またイラストがリアルで、水中人間だの宇宙人間だの、草原に住むように改造された者、森林に住むように改造された者、それぞれの進化が楽しめる。 もう300万年後になると、蟻喰い人間だの魚食人間だの、すっかり人類の面影も無くなっていく。 おぞましいながらも、こうなっていく可能性も、DNA操作は含んでいるところがリアルなのだろう。
さあ、21世紀最初の1月もお仕舞いだ。新年の挨拶もそろそろなりを潜めることだろう。
今月は、数週間のイタリアの友達の滞在で、新鮮な気分にもなった。それで、周囲も巻き込んで、過去だった人も、現在だった人も、同時に存在出来た。そして、夜になると毎日のように飲んだ暮れて、また陽は登り、
月を押し出したかと思えば、引っ張り込んで、ぐるぐる太陽を周回し、地球は自転し、日々が通り過ぎていく。目の前の観葉植物も葉をたくさん蓄えていくって趣向だ。
2001/01/12.ICCH
思考を分かちあおう
隠し事などできない
彼女は死ぬほど 生きのびたがっていた
俺は捕まってしまった それとも騙されたのか
彼女は別に驚きもしなかった
また同じ事の繰り返しだ。でも、それが心地良い?同じ事がやって来ないと、人は不安になってくる。 時計は正確に時間を刻んでもらわないと困る。寝床は万年床、枕も同じく。何か一定の規則がないと、怖くなってくるのだ。帰巣本能なのかしら?依存している、それらの因子を取り除いたら、どうなってしまうのだろう?母親を消し、父親を消し、時刻を消し、日付を消し、住居を消し、友達を消し、恋人を消し、仕事を消し、音楽を消し、記憶を消し、言語をも消したら?自分では無くなるのだろう。何者でも無くなるんだろう。 名前はNOBODY、行く先はNOWHERE。
誰か他の人のパイに口をつけたら
とてもおいしく感じた
奴は妬んで 俺を泣きたい気分にさせた
腹を空かすのは別に罪じゃない
手塚治虫「火の鳥」を読み返している。ローリング・ストーンズを聴き返している。「メインストリートのならず者」は始めて買ったレコード。この「山羊の頭のスープ」と「ブラック・アンド・ブルー」は一番最後に買ったレコードだった。ブライアンがいた初期とは明らかに別のバンド、80年代からのストーンズもあまり興味は無い、70年代のストーンズ、こいつがベスト。ブルース、ファンク、土着ビート、レゲエ、R&R、カントリー、あらゆるエッセンスが混沌としている。ミック・テイラーなのか、やっぱり。キースが歌うナンバーは全てほろりと酔わしてくれる。歌なんか下手でいい。そんなんじゃない。歌が上手なクラプトンなんて。
イタリアから友達が遊びに来ている。10年ぶりの再会だ。一度目は強制送還の時、二度目は観光で昔の彼女と行った時、どちらも一宿一飯の恩義、どころか、実に迷惑をかけ、お世話になったのです。 音信不通がひょんなところから開通。一緒にやって来た彼はD.Jで、HERE SCENESで12inchを物色し、RED G MONSTERで回してもらった。ちょっとしたパーティーが、簡単に身内で出来ることに、しばし感動。 来週には、G.S.P.RECORDのパーティーに混ざってコラボレーションする事にもなった。 そうやって今まで知らない者同士が、出会い、また知り合い、何かが始まり、何かが終わり、繋がっていける事は素晴らしいことじゃなかろうか、きっと。もう同じ場所には、飽きちゃったからなぁ。 見飽きた奴らにゃオサラバするのさ するのさ するのさ するのさ
Coming Down Again, Coming Down Again, (Sky Falls Down)
On The Ground Again, Going Down Again.(Sky Falls Down Again)
Where Are All My Friends?
Coming Down Again.(Sky Falls Down Again)
2001/01/04.ICCH
2日に「脳男」なる江戸川乱歩賞を受賞した本を読み(著者失念)、昨日はデカプリオ主演「THE BEACH」をビデオで観た。どちらも楽しめた。皆それぞれに物語りがあった。自身の物語を信じて、自身の人生を演じ、 その物語は他者と絡む事でより強固となり、体系化される。そうやって世界は出来ていて、社会を形成しているのだから、人間の数だけ物語がある。物語が無い者は人間ではない。そんなことを漫然と考えた。 「THE BEACH」で、最後、空の拳銃をリーダーが主人公に向けて発砲する時、その物語が終焉を迎え、集まった人々は散り、幻想が脆く危うい事を知る。誰かの物語を力でねじ曲げようとする時、信じられたものは空虚な嘘っぱちに成り下がる。どんなに立派な思想も、主義、主張も、安っぽい茶番劇に過ぎない事を知る。 その幻滅は、止まれる種類のものなら次がやって来るが、もしも逃れられないものならば、連合赤軍のような悲劇やオウム真理教のような狂気を生んでしまうのだろう。盲信的になるな。全ての物語の主人公は、それを育む、本人だけのものである。他者の物語においては、脇役しか回ってこないのだから。 「脳男」は心を持たない男の話。全ての欲求を生まれた時から持たない、つまり生きてはいけない人間なのに 生かされてしまった。訓練により、他者を真似る事により、人間らしい行動が出来るようになるのだが、そこには何の気持ちも混入していない。ロボットが気持ちを会得するよりも不毛な感じがした。 それに殺人事件が絡み、サスペンス&サイコな物語が進行していく。機会があれば是非どうぞ。
音盤窟HERE SCENESは、今日から仕事始めである。音楽はもちろん、その人が信じた物語を紡いで作品化したものである。その音楽と、それを聴き対峙する自身の中で、共振したとすれば、そんなに素晴らしい事はない。いろいろな種類のものがある。肯定も否定も自由である。自由という檻の中、また今年も一年、ふらりと立ち寄っていただければこれ幸いなり。ま、ぼちぼちやりましょう。
本年度もよろしくお願い奉り候。So Low! "A Happy New Century 21"