TRASH
「CLEAR MIND」Up Data 02/28
「Outdoing」Up Data 02/21
「臆病風邪」Up Data 02/05
2001/02/28.ICCH
今、焚いているお香が「CLEAR WIND」という。澄んだ、明確な、風、という意。自分は"WIND"を"MIND"と 取り違えて買ってきた。「CLEAR MIND」だったら、何か、すごく明瞭なヴィジョンでも喚起出来るんじゃなかろうかという希望的観測があった。嗅覚は、大切な要素だ。珈琲のカフェインで刺激された頭で、狼煙を上げるお香を眺めていると、奴はちょっとした空気の動きを読んで身をくねったり、右曲がりに輪を描いたり、息を吹き掛けてやるとそれに抵抗して紆余曲折したりするのだから、見ていて厭きない。 燃え落ち、残り香だけを残して、灰になり、その儚さもいい。
すごく脆いところで、話しをしなければならない。まったく、自身喪失させられる。
実際、今、自分自身は何も給水されていない。給水どころか、それを入れる入れ物さえ無い状態だ。
取り掛かる必要はあるのだろう。しかし、誰かが勝手に注ぐ必要は無い。時期が来れば、自然と注がれ、入れ物いっぱいになり、そいつを飲み干して、新しい事が始められるんだ。
「澄んだ心」ということは、悟りの境地なのだ。まだまだ、忙しなく、下世話な地平で、あくせくしていた。
今出来ることは、いつかはそうなれるだろうことを祈ることぐらい。
勧善懲悪な世界があるのは物語の中だけだ。まだまだ、曖昧模糊とした生活が続く。
2001/02/21.ICCH
凌駕。
労働というものは、肉体を駆使したり、思考を働かせて、賃金を得るわけだが、その賃金の行方は、その仕事をこなすための、飲食や疲労回復やストレス発散に使われ、鋭気を養ってはまた労働に従事する。 どちらかのバランスが崩れるまで続く、陳腐な例えだけど、シーソーだ。
云いたい事は沢山あるのだけど、それがうまく伝えられなくてイライラする。 それぞれが、それぞれの価値観を持っていて、それが同じという事は有り得ない。 だから面白いのだけど、同じ話題を全く別の側面から語っている場面に出くわすと、遣る瀬なくなる。 チグハグ。まったく、それだというのに、相手は理解している積りで相槌などを打つ。 お互い、分かりもしないくせに握手をしたり、舌打ちしたりしているぐらいなら、何も云わない方がマシではないだろうか。しかし、それも、とどのつまり、自身の舌足らずさを露呈しているに過ぎない事を知る。 分かり合えないのではなく、話している言語が違うだけなのだ。そんな時、言葉の不自由さに地団駄を踏む。
レコードを識別するためにジャンル分けをして、アルファベット順、アーティスト別、量の多いもの、希少盤、様々に整理をして、ノコギリで板を切り、木工用ボンドで繋ぎ、釘を打ち、それらを造った棚に収納する。そいつが一段落して、今度はそのデータをページに移植する作業に入る。
お香を焚く。珈琲を煎れる。一番街通りは冴えないけれど、文句を誰かに云ってみても仕方無い。
失ったものは戻ってこない。例えば、盗まれたバイク。古いカメラの中からフィルムが発見され、現像してみたら、猫のビッチの写真ばかりが写っていた。半分は変色していた。焼き付いたまま、色ばかりが褪せていく。与えられた時間は限られている。
2001/02/05.ICCH
しようと思えば空だって飛べる、とジャックスは歌った。理屈じゃないんだ。 筋道だの、順序だの、理論だの、学術だの、そんなものに感動は無い。子供の中に大人は生きているんだとしたら、大人の中に子供は住んでいる。住処を追われ、窮屈な思いをしてるかも知れないけれど、何処かしらで息を潜めているはずだ。「the adventures of BARON munchausen」はそんな映画だった。
家賃とボブ・ディランのチケット代金を支払ったら、レジはすっからかんになった。
そうして、外もすっかり閑、そいつは云うまでもないだろう。Day Tripper, One Way Ticket, Yeh! て口ずさみながら、自転車を漕ぐ。