ワッシャー TRASH


6月期

「Uprising」Up Data 06/25
「不協和音」Up Data 06/17
「Divided Sky」Up Data 06/10



「Uprising」

2001/06/25.ICCH


先週、三連休を取って、実家へワダチを連れて帰った。いつも、田舎へ帰ると不可避な感懐に捕われる。 自分が一体、何者で、何処から来て、何処へ向かおうとしているのか判らなくなってしまうのだ。 今回はワダチと二人だけだったので、向こうに着いたらさっさとお袋に引き渡して、これじゃまるで犯人を連行してきたようなもので、3日間、黄昏れているばかりだったから、さらに妄想に拍車が掛かった。 昼間から酔っ払って、ろくでもない姿で、年喰った男が、突然降ってきた雨に打たれ、デパートの軒先きで雨宿り。弟のバイト先のスポーツクラブに行き着けなくて、とにかく、どこかの下世話なカフェでビールを飲み 、後ろテーブルのよく喋る女共の低俗な会話をBGMに呆けた。生まれた時から何かを信じ込み、信じさせられ、それを共同幻想にして公約数的な会話をする婦女子。機械的に食器を運ぶ店の者もまた、自分の役割を心得ていて、給仕以外の仕事には関心を払わない。それぞれが、その仮面を着け、決してその役割の範疇から逸脱せず、それが正しいと信じて全うしている。学制服を着ていれば学生だし、消防服を着ていれば消防士だし、セックスを撮影すればAV監督だし、ギターを弾けばギタリストだ。たいしたコスプレである。 憎たらしい事に、誰もがその仕事になりきっていて、賃金か安心を得ていた。必要最低限以上の付加価値をたくさん纏い着膨れしていやがる。オメェラ、ただの裸のサルじゃねーか。そのまま、酔っ払った振りをし、スポーツクラブで汗を流し、プールサイドで不貞寝した。振りじゃなくて、ホントにただの酔っ払いだ。

振りをしているうちに、いつの間にかそいつが染み付いてきて、本物になっていく。 親は親の真似をしているうちに本物の親になり、子供はいくつものカードを集めて、集めさせられて、必要な時にはそのカードを切ったり、交換したりして、ゲームを続けていくうちに遊戯が現実とすり替えられる。 ラーメン屋の親爺がラーメン作るのが嫌になったらどうするんだろう?みんな、それはそんなに大事な事だと思ってるんだろうか?

役割を放棄した時は気持ちがいい。目的なんかなく、伸びていく方向に身を任すんだ。 この道はどこへつづいているのか。それは、伸びていく植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。 「私はなんにも知りません。しかし、伸びていく方向に陽が当るようです。」

やがてやって来る暑い盛りに、少しばかり怯えていた。6月は嫌いだ。エゴイスト。隣人を愛するのは、復讐が怖いから。その辺りから、蜂起するのは何時のことだろう。それはまだ途中でしかない未完成な景観。



「不協和音」

2001/06/17.ICCH


沢山の思惑が絡む。個人がグループを形成して、部落が出来て、それがどんどん大きくなって、国があって、 法律があって、沢山の制限を設けて、抑制しつつ生きていく。自由という詭弁でなだめながら、精一杯やっていく。どこからか横槍が入って、憤ったり、泣いたり、笑ったり、煩悶したり、ぶつけたり、転んだりしながらもやっていく。やっていくしか、やりようがないからだ。この世界に生まれ落ちてしまったからには、始まってしまったからには終わりまでやっていくしかないんだ。そんな当然至極な事も、転ばなかったら理解出来やしない。

打開策や解決方法が見当たらないから、そこの部分を破壊する。壊してみると足りなかったものが分かるし、風通しも良くなって視界が広がる。壊したら、修復しようとするから、その治癒力に頼るのである。 当たって砕けろ。

自由とは制限を自戒すること。だから、無限ではなく、制限であり、許容量を越す事もなく、広がりではなく、むしろ檻である。外に広がれないのなら、今度は内面へと収縮し、そこで真の自由を会得する。そこは無法の世界だ。どこまでもやれるし、邪魔者は居ないし、回復力も早い。沢山の自分自身と出会い、愛撫したり、喧嘩したりして、戯れる。お遊戯である。

分裂した自身を探し出し統合していく。驚く程、数多く見ず知らずの血が混入していた。恐らく、会った数の人だけ、会話を交えた人の数だけの自分が居る。それは相手を取り込んだ結果なのか、それとも相手を鏡にして自分自身を投射したからなのかは分からないが、とにかく、そいつらが傍若無人に振る舞っているのだ。 そいつを殺らなければ、こちらが殺られ、情報網も阻害され具合が悪くなる。 年月を経てくると、その亡霊も寿命が尽きるのか、自然と本体と融合してしまうのか、数をめっきり減らし、 力が弱まる。選択の余地はもうない。狩り出せ。そうしないと、まったく予期しなかった場面で、そいつに出くわして、身体を乗っ取られる可能性がある。狂暴性を持った奴なんだ、生き残ってるのは。

こうやって思ってる事だけを抽出して、二転三転と行方を晦ます。意見なんて無いんだ、この人は。 当たらない、砕けない、戯れない、狩り出さない、奴は生かしておいた方がいい、時代は一過性だから。 分からない。いろいろな人が、いろいろな活動をして、それに否定も肯定も無いし、やりたいようにやりたい事をやればいい。邪魔者は消えろ、も真理だ。その逆もまた真なり。否ならチャンネルを変えればいい。 真理は至る所に点在していて、喜怒哀楽は一時の感情だ。それも悪くないし、快楽も苦痛も同レベルだ。 説得を放棄してもいる。同じでない者に、同じを要求しても、埒があかない。また、同じになったとしても、それはつまらないことだ。言葉なんてとるに足らないね。そいつが無ければ、同調できるかも知れないから。 言葉が難しく、遠回りをさせている気さえします。この世に禁忌なんてものはない。死もドラッグもセックスもとても身近なものだ。表現の自由を決めるのは、その本人だけで、他の誰もが邪魔立てする事は出来ない。 やれるもんならやってみろ。自分の法は自分で決めるんだ。PEACE OF LOVE!



「Divided Sky」

2001/06/10.ICCH


丁度、一年前はPHISHの来日公演だった。ああ、もうそんなになるのか。数日間、聴き続けた。 友達の家で、朝までその時のビデオを観た。同時代を生きられた事が嬉しくなった。観客は演奏者から、沢山のものをもぎ取っていく。貪欲に、必要以上の何かを得ようと躍起になる。食べられない以上の動物を殺戮した狩人のように。バンドは、身を削って音楽を奏でる。例えば、ニール・ヤングやボブ・ディランはそんな所から超越し、圧倒的なエネルギーで他者を凌駕する。観客が食べきれない程の料理、素材ごと、否、自分で狩れと云わんばかりに荒々しく生きたままの餌を放つ。PHISHの場合はどうだろう?際限無く、泉は湧き続けるのだろうか。永遠なんてものは存在しないはずだが、彼等を観ていると、あたかも永遠が存在するような気になってしまう。どんどん溢れてくる。感情が、汗や涙が、過去、悪夢、風や空、それらを音楽に生成する。 置き換えられた音を拾った自分達は、それを溶解しまた元の姿に再現しようと試みる。イメージしようとする。音は映像を想起させ、その映像は音の粒子から組み立てられていると考えたら、それを説明しようと言葉を駆使して器用に文章にしようとしたり、それぞれが表現出来る方法を模索する。 ここに不思議なカットアップ的手法が存在する。音楽と自分自身と空気と想像、それら別々に在った存在が、 同列線上に並び、優劣はなく、自意識も成りを潜めて、各々の空が点在している。たくさん、たくさん。 個々の頭上に、思い描いた空が浮かんでいた。綺麗ごとは止しだ。

僕と君の考えは違っている。懸け離れている。それが、とても重要なこと。差異があって嬉しい。 曇り空だってあるし、豪雨だってあり、ポツンとたった一つの雲、流れ星、月明かり、虹、カンカン照り、雷、表情をいっぱい持った空、晴れた日には一緒に遊べるし、雨の日には相合い傘だって出来る。 随分と長い間、差別的になっていた。今もまだそうかも知れないけれど、それを膨らませてみても楽しくないだろう。天気が晴れたら、遊びに行けばいい。

頭の奥底で疼いている。もっともっと次へ進みたいと。結局、何処に居ても、其処は自分の居場所では無いような気がする。仮の場所、移動のために腰掛けているだけだったり、旅先のホテルだったり、待ち合わせのベンチ、空腹を処理するだけのコンビニエンス、ここでは無い、もっと違った景色を求めていく。 それが現実に在るものなのか、心象風景なのか、それとも死後の世界なのか、知り得ない。

inspire: "Divided Sky / phish" "In My Hair / Billy The Knuckle"