TRASH
1998/04/28.ICCH
最近は「グリンプス」を読んだ。なかなか秀作でした。
誰かがそんなの書くんじゃないかなと思ったら、やっぱり出たーって感じです。
今は過去の検索の時代。音楽も文学も芸術も糞詰まり状態だから、過去のデータを
サンプリングします。それで、どうやら自分の作品という事にしてしまう。
頓挫したアルバムを仕上げに過去へ遡るなんて、凄い発想です。
そして同時にそのアルバムが仕上がる事で、自身の現在、並びに未来が変更するという期待さえ持って
みんな、のび太くんになっちゃってるんでしょうか?
後悔が多い人生だけど、後悔じゃなくて反省にしていきたいものです。
読みものとしては、ジムモリソンとこ行って、ブライアンウィルソンとこ行って
ジミヘンとこ行くんだから、事情を知っている筋には楽しく読めます。
このウィーク中に、どう?
でも誰もが考えるよね。あのアルバムが完成していたら、どうだったなんて。
ビートルズより先にビーチボーイズが「スマイル」を出していたら?
WHOの「ライフハウス」が完成していたら?
ジミヘンが生きていたらに等しいけれど。所詮、他人の作品の中では自分は生きていけません。
いや、自身の目覚めや切掛けには成りうるのだけど、そこに埋没はしない。
その作品を作った人には、またその人の生活や価値観があり、
そのどこを掴えるかによって、影響や感動は様々に形を変えるだろうから。
それにしても、変な時代です。ビートルズは今を生きていないのに、今を生きる人に影響を与え
ストーンズは今を生きているけれど、過去の事実の上で評価される。
小さい頃にテレビで見たヒーローは、再利用されてキャラクターグッズとなって並ぶ。
エヴァンゲリオンは面白かったけれど、その後のキャラグッズには辟易する。
形として具現しなくても、それを携帯しなくても、自身の中にあればいいのに。
白けさせます。が商売に成りうるのだから、文句などは言いません。
「DVDデッキ」を入手しました。
デジタル・ビデオ・ディスクです。なんでもレーザーにとって変わるそうです。
デッキがあるのはいいけれど、現在家の大型テレビは何も写しません。
小型テレビは、今にも消え入りそうな有様。モニターが無い。
宝の持ち腐れ。腐りゃしないからマシだけどね。
CDのサイズで、LD並みの映像を実現してる。恐ろしい早さで時代が動いている。
デジタルの利点も最大限利用できる。場面の頭出しなんて事だけでも驚く。
字幕のオン・オフや、DVD用に撮影されたディスクならショットも視聴者が決められる。
同じ場面でも、撮影カメラの数によって角度を変えられるのだ。スゲェー!
さすがに既成の映画では、そんなことされたら監督や演出の存在意義が無くなっちゃうけれど。
どんどん便利になっていく。でも、きっとそんなに甘やかす必要はないのかもね。
好きなもの食べていいよと言われても、好きなものばかり喰えば
飽きるし
弊害も出てくるだろうし、第一そんなんじゃ嫌いになっちゃうよね。
私の場合は、単なる新しモノ好きなんですよ。単なる。
つらつらと書き連ねてしまった。
無駄話もたまにはいいんじゃないの。なんて言ったって「ゴミ箱」だから。
1998/04/22.ICCH
昨日は何度目かの知る人ぞ知る、黒木氏の壮行会を下北沢で開催した。
何度となく飲む口実に彼を引っぱり出したが、今回がどうやら本当に最後という事に
なりそうであった。熊本は遠いなぁ。
一週間後にロードムービーのように、車で家族と共にキャリーごと長い旅に出発。
大阪でインターバルの後、フェリーで熊本入りだそうだ。
最近、暖かい陽気が続いてるからだろうか、身体が重く自棄に辛い気がする。
境界線も曖昧だ。日常の境目が漫然としていて、幽霊のように実体が無い。
4月病?バカな。なんか置物にでもなってしまったかのようです。
周囲は慌ただしく出入りし、様々な熱気や冷気が入り乱れてるようだけど
極めて無関係に自身は通り過ぎている。ダンテの如く。
何も見えていない。何も聞えない。何も感じない。それが恐ろしい。
ハッと気付くと、こんな時間だ。
懐中時計を懐から出しては時間を気にするウサギ、口癖は「忙しい忙しい」だ。
それを、追う興味も湧かないから、どんどん景色だけが移動する。
いったい、どこからどこまでが自分のステージなのだろう?
ものすごく利己的に考えれば、所詮、周囲の登場人物達は、自身を囲む彩りでしかない。
各々がスポットライトを浴びていられるのは、自身の胸の内でしかない。
その胸の内でさえ、主役の座を追われたら何処へ行けばいいのだろう?
ステージへ上がる事に躊躇し始める。責任回避。
中古レコード店の、レジの裏にある品々はまだステージへ上がる事を許されていない
まだ役名も無い、NOBODY達である。レジ台から一歩先へ出れば途端に
ライトを浴び、独立したプライスを主張し始め、様々なお客の視線を浴びる。
不思議な感じだ。ゴミ集積場に積み上げられているレコードだって
ある価値感を与えて、奇麗に磨き上げ包装してやれば、主役という訳だ。
そうゆう目に見える、ここで言うレジを挟んだ関係なら単純な図式で楽なのに
胸の内っていうのは難しい。楽屋も舞台も渾然としてしまう。
ああ、だいぶ遠くまで来てしまいましたね。
帰途への道も判然としない。自分は誰なのだろうか?
そんな睡眠と目覚めが一緒くたな毎日が、どこまでも続いていく。
夢遊。夢なら覚めないでくれ!夢なら終わってくれ!どっちでしょう?
確実に真実と呼べる事実とは、ま、書くまでもなく、全ての人々はそこへ向かっていきます。
心配しないでも、もうすぐ淵です。永遠の主役の座が用意されております。
それまでは、ステージフライト、楽しみましょう。
苦しみましょう。
希望に溢れた記事。
1998/04/11.ICCH
道を挟んだ向かいのイタリアンバーが、本日オープンするようです。
「とん水」のオバさんが世間話をしていく。
「この通りは昔っから"貧乏通り(こんな直接的な通り名でなかったが失念)"
と呼ばれていて、高いもんは売れないのよ。あの新しい店、大丈夫かしら、
あそこの家賃は高いのよねぇ。」てな感じで、あちこち徘徊してる。
いや、ほんとは、ここもヤバイんですけどね。(苦笑)
そっか、安いもんがいいのか。その"貧乏通り"の歴史に恥じないように安売りしなくちゃ。
"YOU GOTTA MOVE"とストーンズも云っております。
HIGHだろうが、LOWだろうが、金持ちだろうが、貧乏だろうが、動かなくっちゃ。
あとは、この気持ちを持続させていくことです。
高尾山の頂上の碑には、「継続は力なり」と彫ってあります。その通り。
こんな反骨的な気持ちを思い出させてくれたのも、公庫のお陰です。
クズはクズとしての役割を持って、存在してるもんなんですね。
"マーフィーの法則"の通り、このギリギリ金欠ボーダーライン上の綱渡りの真っ最中に
素頓狂な掛け声が、「あっ!」ってバランス失って真っ逆さまてな事に
なっては困るのだが、「買取り、買取り」てな悪魔の囁きが
多くなってきたのです。
そう品物が集まらなければ困るわけで、買取り大歓迎なのですが、売上との兼ね合いがありまして、
そして一番苦しい時期に限ってそれが集中して、出費ばかりが肥大していく。
典型的な自転車操業である。繕いも大変だけど、遣り繰りも大変。
でも、"MOVE"し続けていかねばならない。自家発電だ。
明日、近所の方がレコードを大量に処分したいということで、出掛ける。
初のお宅訪問買取りです。当りか外れか?
だから今日はおとなしく帰って備えるのだ。
元住居も、帰りにはペンペン草一つ生えない空き地になってるだろう。
1998/04/07.ICCH
ちょっと憤ったふりしてみました。ほんとは、もうあんまり興味のない話。
後ろに憑くのは百太郎だけで結構。後ろに回る積もり無し。
ゆっくり自分のリズムでやっていきましょう。
ちゃんちゃら可笑しくて、へそで茶が湧いちまうよな一日だったてな感じ。
1998/04/03.ICCH
緩やかに4月がやってきています。
こうやって毎日、店に来て、新たな品物が入荷したり、お客さんと対峙したりして
更新の上にまた更新、ヴァージョンアップしていっているように見えますが
表皮ばかりが交換されているだけで、中身が置き去りになってしまってるような
気もしています。改めて、自分は何を求め、何がしたいのかの解答を迫られてるような
脅迫観念すら感じ、それが持ち前の焦燥感と手を組み、背中を小突きます。
上手くコントロールしていかないと、身体も精神もバランスを失ってしまう。
バランス、バランスと呪文を唱えてる。とか言ってると、危ない奴扱いされそうだ。
べつに病んじゃいないです。たいがい異常を感じたら
、正常の振りをするのが常ですから。
異常、正常の境界線なんてどこにもないけれど…、打ち消しの打ち消しで本当に誤解されそうだ。
長引かせない方が、得策ですね。
新しい家の近所に謎の神社があって、なにが謎ってそこに奉ってある神さんの顔が
ビリケンさんそっくりなのです。さらに、目を凝らすと千手観音のように
背中から幾つもの腕が生えていて、手に手に武器やら得体の知れないものを持っている。
だからインドの神様みたいな、異国情緒たっぷりの外人さんなのです。
これが閑静な住宅地の片隅に埋もれて建っている。その脇には、「痴漢注意」の立て看板。
ちょっと可笑しいでしょう。隣接する「子供の遊び場」も朽ち果てているし。
毎日その道を通り、一応挨拶をしているから、その石神様が唯一の信仰みたいな形に
なっている自身も少し間抜けだけど、信仰なんてそれくらいのもんでしょう?
自分を中心に据えて、様々な用事が弧を描き、それを一つ一つ片付けていく。
その用事の中には、一見何の役にも立ちそうにない事もたくさんあるんだけど
これに時間軸が加わるとそうも言ってられない。合理的に動けないものだから
いっぱい無駄をこなして、やっと何かを掴める。掴めないことの方が多い。
その用事というものが、生活に根付いていたり、衝動に根付いていたり、
でも死ぬまで片付くなんて事はないので、動き続ける限りは処理し続けなければならない。
これが、生きていく力なのです。
吐き出してしまうと、至極ご尤もな意見でありまする。
きのうの自分に負けないように、さらに今日の自分を打ち負かし、ついでに
あしたの自分をも標的にしていかなければならない。
やらなければならない事は山積みだ。
さて、ヴァージョンアップし続けよう。(これが自己中心的なる所也)
未来は必ず展望あると思えることは幸福ですね。きっと。