ワッシャー TRASH
Up Data 06/30
「Turn Up」
Up Data 06/23
「楽屋裏」
Up Data 06/19
「もう一杯?」
Up Data 06/11
「青の時代」
Up Data 06/09
「NEW SPACE」
Up Data 06/03
「梅雨初め」





「Turn Up」

1998/06/30.ICCH


人間ミサイル論をぶってみた。飲み屋の席でね。人が誕生する時ってミサイルの発射に似てる。それは世界にアクションを与える。そして爆発、人の死も世界にアクションを与える。不発弾は悲しいけど、それも本人次第です。 葬儀という形式は、親類縁者を集わせ、日常では一堂に介する事のないような人々が出会う。死んでいった人には無関係に、生存してる人々は新しい関係をその死を介して結ぶかも知れない。その死というアクションが無ければ、顔を合わす事は無かったかも知れない。それはどの場面でも行われている事ではあるが、冠婚葬祭はそんな意味も合わせ持つ。死者はもう新たな関係を構築することは出来ない。それぞれの思い出の中でだけ、膨らんだり萎んだりするだけだ。そして、あっちの世界、こっちの世界の境界線は案外あやふやで、いつでもアクセス可能なのだ。なんにしろ重要な垣根ではない。 もしかしたらこっち側の人間が考えてる程の高ささえなく、死者から見たら なんでもないラインなのかも知れない。物質社会は重いばかりで、何にでも手続きが必要なのだが、向こうは自身の身体さえ無く、ひたすら軽く、いやそんな思想さえ不必要だ。というような想像して、まだ未知の世界に想いを馳せる。"無"なのかも知れない。形状化出来やしない。概念なんてくそくらえ。少しでも関係性のある死がこうしてまた、誰かしらの脳裏を駆け巡るんだ。死んだ本人の知る由もなく。こんなのに、慣らしていかないとね。

79年6月29日に、ローウェルジョージは亡くなった。昨日でした。唯一のソロ作品「Thanks I`ll Eat it Here」(邦題:特別料理)を聴く。素晴しい事に死んでしまった人の魂がそこに釘付けになり、新しく聴く者も、今まで聴き親しんだ者さえも、引きずり込むだけの力強いものがある。特別料理とはよく付けたものだ。生と死の領域侵犯はこれから、益々盛んになっていくだろう。ヴァーチャルリアリティを持ち出すまでもなく、写真がビデオがそれを可能にする。その人の形骸的なものだけじゃなく、思想や言動は受け継がれて新たな土壌を生成していく。だから、人には死などは無く、あるのは肉体が滅びるという極めて物質的な現象だけなのかも知れない。

一年の折り返し地点に立ち、これからやってくる夏にちょっとオドオドしています。変な自意識過剰な焦燥感に襲われる事頻り。 早く変な臭みが抜けないかな。


「楽屋裏」

1998/06/23.ICCH


最初の頃のページを見てみた。

HERE SCENESとは、ヒヤシンス(Hyacinth)との造語です。HERE=この時に、ここで、ほら!など、SCENES=景色、風景などを指す。DOORSのJimMorrisonの詩に"HYACINTH HOUSE" という曲があります。インターネットと「サイベリア」に触発されてみたものの… 「フラクタル」「フラクタル」と、念仏を唱える。 フィードバックに例えてみようか? 些細な動きでも、それが繰り返される事に因って、 強大な力と効果を発揮するという。 思考しただけでも、現実に影響を、与えられるという。 迷路の実験を受けたネズミが、その解答を得たのならば、 離れた土地のネズミにも伝染し、増大して、 全てのネズミの知る所となるという報告がある。 「きっかけ」を造る。 何らかの因子を築き、受精する事を祈る。 すごく夢中になったとしても、どこかしらで、醒めているんだよ。 だから今、このページで何が出来るのか判らない。 方向性も無い。困った事だ。 とりあえず、無目的に、放り込んでみてから、自然淘汰されていくであろう。

なんてことが書いてあった。あっという間の一年、それで受精はしたのだろうか?淘汰はされていったようだけど、、目的は無目的だったってこと。 とにかくBITCH一周忌が当座の目的だった。そして7月3日、また彼の命日が近づくが、正直なところ何もしてやれない。肉体が埋ってる場所へ出向く気もない。あんなとこに彼の魂はありゃしないから。そしてもう、彼とは全然別の因子が、至る所に育まれている。「きっかけ」は彼だった、種子は発芽し、茎から葉を伸ばし、実が成り、その部分自体が光合成を始めると、それぞれの器官がそれぞれの役目を果たすようになる。 人ってのは脆くて危ういけど、それを隠そうとすれば虚勢を張るしかなくて 誤解を受けるし、かといって無防備に脆さを露呈すれば壊されるし、難しい兼ね合いがあるんだなと、、。自分自身が思い込んでる程、頑丈でもないし脆くもない。いろんな部分があって、それぞれ役目を果たしている。 自身は相手によって表情を変え、その相手にしか分からない自分が居て、また違った相手には別の自分が存在する。上手に使い分けるから、一見統合されたイメージを与えるが実際は滅茶苦茶なんだ。枝分かれした先の部分なら、たくさん存在してる。その根元を探そうとするんだが、たくさん枝分かれしてるから、先っぽは敏感なのに、根っこへいく程に鈍感になっていく。 うぅぅぅ… 難し過ぎて、言っていて訳が分からなくなってきた。 少しばかり気負い過ぎ?の感、なきにしもあらず。あいすみません。

話は横道へ反れて、昨日の夜にキムさんが遊びに店へ来てくれた。 彼の店は順風、帆を上げ、着実に目的地へと近づきつつある。それに相変わらずにパワフルだ。たくさん、たくさん、元気玉を受け取ってしまった。 出航準備に手間取り、いまだ東京湾辺りをぐるぐる巡回中なれど、いつかきっと彼の傍まで行き、手を振りたいな、、と。彼はB.Bキングには会えて、一緒に写真を撮ったそうです。素晴しい!

もうそれにしても自分がエネルギーを分けられるまでの大木になりたいと夢想しながら、いつもいつもこの体たらくである。もう暫く、、収穫までの道のりは険しい。Carry a long long time.... by.willie`s apple
この階層まで下ってきてくださる人に感謝します。このページはここが根っこなのです。養分をここで蓄えて、茎づたいに葉っぱへ、各々はアンテナを目一杯拡げ外気の情報を収集、この場所で収縮、熟成、つまり思考の経路的な役割、クロスロード、図面、見取図、象徴ごっこはキリがない。 毎回、毎回、落書きみたいな散文がとっ散らかっています。「後片付けをちゃんとしなさい」と小さい時、何度も言われたけどやっぱり一見とっ散らかった感じの方がしっくりくるんです。だって、それがそいつの定位置なのだから、他の人には分からない。混沌とした整然さが宿ってます。楽屋裏はいつでも騒然としていて、ステージに上がった時に真価が問われ、はて自分のステージはいったいどこなのやらといった問題は置いといて、これからも 末永くお付き合いください。



「もう一杯?」

1998/06/19.ICCH


「おやじ、もう一杯。」そいつをグッと飲み干してから。
錯覚っていうのが多い。誤解ってのも多い。それだけ人間の感覚っていうのがアバウトに出来てるからかも知れない。だから、優しさや思い遣りというものが生まれる余地がある。あまり合理的に動くと結局は怪我をするから、回り道でも道草でもいいから、ゆっくり急ごう。結果、巡り巡っていいことを得るかも知れない。これも運しだい。答えはどこにも無い。

20歳に日本の地に居たくなかった。同じ言語を持った人の中に居たくなかった。そしてそれも錯覚だった。どこに居たって生活のサイクルは同じだ。 ただ目先を変えるのには役立つ。19歳に跳んだイギリスの地、古くからの友人のホームステイ先に転がりこみ、そこを追い出されてその友人と新たな部屋を借り、仕事先は日本レストランの皿洗い。ブラジル人に混ざって、くる日もくる日も皿を洗う。何から逃げだそうとしてるのか曖昧になってくる。 それもそのはずだ、逃げ出すべき対象など何も無かったのだから。相手さえ居ないのにムキになっているだけではあるまいか?ロンドンに半年、居た。 それからイタリアに知り合いがいて、ヴェニスへと遊びに行き、イギリスへは戻ることが出来なくなった。だから夢にいつも現われるのがロンドンの生活だ。喪失感がそうさせるのだろう。あれが現実の事だったかも確かめる勇気を持たない。まだ離れるという決断もないまま、オーバーステイで足止めされ、不法労働で強制送還だ。しかもイタリアへ戻されてしまった。2ヶ月間、イタリアで自身の稚拙さを痛感し、チケット待ち。行き当たりばったりで消耗して日本へ戻ってきたら、天皇崩御で平成になっていたのだった。

あの日本に帰ってきた時の一時期が苦しかった。置き忘れたものばかりだ。 今だに取り返す事は不可能な時間。ブライアンだけが頼りだった。彼の逸話と自身の役立たない錯覚を勝手に同じものと考え、いい気なものだった。 勿体なく贅沢な斜に構えた時間ばかり。そして使っても使っても"未来"は、まだまだ先に存在し、"今"はでっち上げ、その場しのぎの"嘘"であるかのようだった。戻ってこないと考えると、途端に無いものねだりな気分がぶり返すけれど、仕方の無い習性だ。この時、21歳を迎える。"Magic Mashroom syndromes"という長ったらしいバンドを前述のダミちゃんと始めた。 そうこの頃、猫のBITCHも引き取ったのだった。実はこの辺りから記憶などは曖昧だ。いつ、誰が、どこで、どうしたという記憶は失われる。 独りの時間が極端に少なくなり、常に誰かが近くに居た。自分の部屋はいつでも誰かに占領され、よく言えば自由な空間、出入り自由、悪く言えばただのたまり場。暇な奴が来て時間を消費しては消え、また違う奴が同じ事をして消える。土足でズカズカと入ってきて、挨拶もなくといった感じだ。 バンドも2年近く動き、ひどい時は週に3、4回とライヴがあったりして、何か余裕も考える時間も、さらに技術だってないのに、荒涼とした空虚な時間ばかりが流れていき、とうとう休止する事になり、行き詰まったまま時計は止まった。

22歳、頭を冷やしにイタリアへ限定パスポートってやつで行った。2ヶ月程の観光旅行。それ以後、部屋には鍵が掛かるようになった。 趣味は、海水魚飼育と観葉植物、まるで箱庭に手間暇かけるような老人のような生活が続くのである。ここからは、死にいくだけのような退屈な数年が流れるんだ。一緒に住んでた人と別れるまで、自分でも何をしているんだか 手に負えない厄介な期間だ。その崩壊が始まったのが今から丁度2年前で、それから1年後にこのページが開設となるのです。すっごく端折っちゃったけど…。つまらない履歴に終始してしまった。こんなはずじゃなかったのに、、、判ったぞ、やっぱり過去の発掘作業など無意味なんだ。 だいたい近年に近づく程に、薄気味悪く冗談のような様相を見せてきやがるから、こじ開けちゃならない未整理のロッカーがまだまだたくさんあるって事だ。そしてその鍵は、まだまだ先の方にあって、今は開ける時期じゃないって事なのだ。

さあ、そんな"錯覚"を肴に、ビールをもう一杯。
「おやじ、焼き鳥、シオでね。」て、キンキンに冷えたビアタンでビールを クッと一気に飲み干して、カラカラ笑いたいもんである。空気中の湿気が身体に重たく、ちょっと洗濯でもしたいんです。誰か付き合ってくんない?



「青の時代」

1998/06/11.ICCH


梅雨が明ければ、このHERE SCENESのページも一年を迎える。6月24日で一周年となる。過去へはあんまり戻らない方がいいと言う。若い時に過去へ戻る作業をしてしまうと、歳老いて本当に過去へ戻りたい時にはその若い時の過去への記憶をプレイバックしてしまって、本当の過去へは行けなくなってしまうと言う。だから慎重にことを運んでいかなければいけない。 安易な時間旅行は避けるべきかも知れない。

実際、肉体を過去へ吹き飛ばす原理は解明されているらしい。ただ、戻る術がないので実証は難しい。それにもの凄いエネルギーを要するので、そのエネルギーに因って身体が消滅してしまった可能性の方が高い。死後の世界さえ解明されていないのだし、次元航行なんて全く馬鹿げてるのかも知れないが、宇宙へ向かうのも、自身の内面へ潜るのも似たようなもののような気がする。未知への体験は人をただ誘う。

自分は16歳、千葉のディズニーランドで有名な浦安に住んでいた。高校を途中で止し仕事を探した。漠然と海外へ行くという目的だけがあり、それ以外に逃げるところがないと思い込んで、船橋にある中古レコードとレンタルレコードの店で雇ってもらった。目標額100万円。その店で、現在高円寺で中古盤屋を営む新童氏、当時ギタリスト弱冠19歳だった田中さん、それにラスタ帽を被った西尾さんに、何をしでかすか判らない魅力的な佐藤さん、さらにもの凄い強烈なインパクトを持った荘六氏に出会う。今の自分の年齢がその頃の荘六さんぐらいというのが不思議な感じである。 田中さん以外の人はみんな芝居をやる役者さんであった。つまりその店の店長であった新童さんが引っぱり込んだ仲間なのだ。月に数回ある中古レコードの催事へと、千葉の奥地から埼玉の僻地まで廻り巡る生活。自分は一番年下だったし、無我夢中で流される毎日。特に荘六氏は端からガキとバカにして口も利いちゃくれない。なにしろ芝居ってミュージカルの事というぐらいの認識しかなく、下北沢の「スズナリ」で初めて彼らの劇団の芝居を見た時はカルチャーショックだった。得体の知れないアングラとかいう見えないものが横たわっている。その中でもやはり荘六氏は特異な人物だった。役者というまた風変わりな癖を余す事なく身につけているかのようだった。社会生活など眼中になく、欲望に忠実に動いた。「退屈は悪」その言葉の元に、仕事も生活も徹底的に遊んだ。いつの間にか自分は彼と行動するようになり、 多くの時間を喰い潰した。小岩にもう一店舗持っていたそこの社長は、その店ごと自分を他の社長に売りとばした。東京進出である。全員、東京に住んでいたのだから当然、その社長のところに流れ込むように移動が始まり、平和島にも店がオープンする事となる。その頃になると貯金も目標に達し、なぜか自分も世田谷の永福へ引っ越しして、その貯金を喰い潰す。西尾さんや佐藤さんは別の道を歩き、田中さんは前社長の店に居残った。荘六氏や新童氏の居た劇団「蟷螂」も姿を消す。自分は貯金を当てにして無職となった。

18歳、何をするでもなく何かをしていた。途方もなく時間は長かったし、半年ぐらいは生活できる資金もあった。そんな時、ひょんな事から荘六氏に半ば強制的に芝居に出ろと指示されて、やることになってしまった。いや、なんの指針もない時期にいい支えになったのかも知れない。興味はあったし経験したいという好奇心があった。それから本番まで時間は加速し、週の半分以上をお茶の水の明大の稽古場に通い、基礎訓練、脚本も決まらない劇が進行していく。途端に金に困りゲームセンターでバイトなどをして生計を立てた。そこでバンドのギターとなるダミちゃんと知り合うのだが、まずは本番までは他の事に構っていられない。必死だった。母体に「女学生の友」という劇団があって本来女性だけの劇団だったのだが、ほとんど荘六さんの乗っ取り状態で始まり、いつも騒ぎがあって、脚本は仕上がらず、辞めていく人、入ってくる人、上も下も判らない自分は翻弄されるだけだった。 とにかくこの頃の荘六氏は尖っていて怖かった。故意に他人を罵ったり、あげつらったり、怒らせたり泣かせたり、大変なエネルギーの使用法である。 演出という立場上もあるのだろうが、普段の日常でさえ虚構を演出した。 様々な不満、欺瞞、罵りをコントロールして、相手を試す。ちょっとでもその手にのったらもう術中に陥り、操られるか殴り合うか逃げ出すかだ。 また何も意思表示をしない輩は徹底的になじられ、関わっていく以上、逃げ場所はどこにもないぐらい追い詰めた。当然、本番後に沸点に達し、自分も彼から離れた。芝居に対する熱意の欠落はいかんともし難い。ちょっとやってみようかな、で手に負えるもんじゃなかったし、犠牲をたくさん積み上げて情熱を費やす対象では無かった。勿論、自分にとってである。 それからはもう以前のような関係は膠着したままだ。

19歳、バンドを始めた。飯事だった。ダミちゃんを筆頭に4人の面子が集まって、3回ぐらいライヴをやりました。それから、ずっと自分はベースを弾く。この年の終わり頃に、もう逃げ出したくなってイギリスへ行ってしまい、そのバンドは消滅する。ようやく10代の青い時期を通過しようとしている。何もやっていない。始まりもなく、始まっていないから終わる訳もなく、時間の速度だけは鈍行だ。長い間延びした時間だけが豊富で、その後には二度とそんな時間はやってこない。小学校=笑い者、中学校=いじめられ子、高等学校=離脱、青の時代=中途半端、これが今考えうる結論。

でも種はたくさん蒔いたのかも知れない。丁度2年前、荘六さんの劇団「フリップ・フロップ」の脚本を書いた。例によって、誘われるまま半ば強引に 、好奇心だけで始まった。また自分は空虚な時期で、荘六さんは相変わらずの情熱で以て動いていた。つまり、催促の手段を選ばず、何枚もの紙が破られ、自分の文章など何も無い偽物の本が出来た。そっくりそのまま映画からの引用があったり、オリジナルの原形は影も形も無い。当り前である。虚構の世界。重要なのは、演じる事だと思います。何も言うべき言葉を持たないから何も言えず、そのうちまた自然と離れてしまった。彼は彼自身に忠実に動く。そして学んだ事は大きい。この先、どこかで彼の名前を聞ければいいな、と思うのです。きっと彼の虚構を現実にするためには必要な事。

そう長くなった。まるで言い尽くしちゃいないが、この話はここで終わる。 これは自分にとっての "MEDITATION" 吐き出せば自然と止まる。 今はとっても良い時期だと思っている。客体化できるのだから。そして年齢をその時期を一言で叩っ切る気持ち良さ。爽快だ。そうかい?



「NEW SPACE」

1998/06/09.ICCH


池袋から新宿まで歩きました。山手通りをひたすら歩いたんです。「シルバラード」でたくさんお酒を飲みました。だから、今日はひたすら頭痛と戦っていたんです。タクシーに乗ろうが歩こうが自由であります。そんな自由に感謝したい。

例えば、フリーコンサート。明日、フリーコンサートをやりますから、何時までに来て下さい、ていうのはフリーコンサートではない。今日は天気も良いし演奏がしたい気分だからあと2時間後にあそこの公園に集まってコンサートをしよう、これがフリーコンサート。

ジェリーガルシアのインタヴュー本「自分の生き方をさがしている人のために」が再発される。長らく絶版だった。72年のジェリーの言葉は、今この98年に再生されても輝きを失わない。「ハイな状態でビジネスを楽しんでいけるだろうか。」その答えはいまだ出ていないが、この本を読んだたくさんの人達それぞれに、形こそ伴わずとも気持ちに波紋を生じることになるだろう。そして、小さな波紋がフラクタルで言うところの、大きな揺らぎに変換される場面に立ち合うことになるかも知れない。もう一度、自由の再定義を自分なりにしてみたくなった。新しいスペース、希望を失ってはいけない。 彼がいなくなった今でも戦いは終わっちゃいない。いや戦いというより、長い長いトリップだ。みんなで、新しいトリップを創っていく。具体的な提示はない。それぞれが胸に抱くトリップを、自分なりの方法で実践していくという事だ。例えば、この本の再発を出版社と掛け合ったとしさんが、それを提示してくれている。願えば、叶う。素晴しいトリップをありがとう!

また雨が降ってきました。でも、今の自分にはあまり関係ない。やれるべき事をやっていこう。ダメな時もたくさんやってくる。つまらない気分、空虚感、挫折、頓挫、嫌悪、たくさん消極的な気分が襲ってくる。それは自分自身の中からやってくる場合もあれば、外からやってくる場合もある。 風邪の菌みたいなものでその原因は定かではないが、それは元々内包されうるべく必要なエネルギーでもある。酒は、薬にもなるし毒にもなる。 プラグをマイナスからプラスのジャックへ、差し変えよう。簡単なはずだ。 それがジェリーの言っていること。それだけだ。もう一つ、その前にやれるべきことをやらずに甘えてはならないということだ。彼等、グレイトフルデッドは、ショービジネス界ではプロフィッシュナルだった。そのためのあらゆる努力を惜しまなかった。だから力強く、現実味を伴って、我々の心に響く。

スペースを少しだけ広く持とう。
ジュディ・フォスター主演の映画「コンタクト」で、「宇宙には人間以外に生物は存在しないの?」と尋ねる少女、父親は「それは分からないけれど、もし生物がいなかったら、この広いスペースがもったいない。」と答える。 宇宙と同じくらい、我々の心も広いスペースを有している。そのスペースを憎悪や苦しみで埋めるより、やはり遊びと楽しみのために残しておきたい。



「梅雨初め」

1998/06/03.ICCH


とうとう梅雨入りしました。 スピードに付いていけなくて、うっちゃってばかりいる毎日です。 やっと更新したと思ったら、もうすでにそれは古く黄ばんでしまい、漂白しなければと、洗濯機をフル稼働していたら、量を詰め込み過ぎだ。ウンウンと唸っている。その頃、あいつときたら、次々と着古した衣類をため込んでいた。「せっかく洗濯したんだから、その服は着ないでくれ。」と 乾いた服に手を掛けるあいつを制止した。「それよりも、あの洗濯物の山を見てみろよ。」言われた通り振り向くと丁度、山が崩れて洗濯機を取り込むところだ。 なんていうような事もなく、上の話しで面白いのは、洗濯した服を着るなってところですね。そうなりがちだ。本来の目的からかけ離れて、洗濯をして衣類を洗うという事に目的がすり代わっている。本末転倒。着る為に洗うのに、着るなというところが可笑しい。なんてね。 梅雨だと、洗濯もままならず厄介ですね。乾燥機でもあれば別だけどさ。

リルケという詩人は、孤独を最も尊いものと言う。若き詩人に宛た手紙で繰り返し語る。ほとんど偏執狂的で、潔癖にそれを書く。 そして、その有難い言葉を貰った若き詩人は、職業作家の道を歩む。 ペシャンコになった時、人は誰かに救いを求める。自身の弱きに辟易しつつ。そうして、なんとか空気を入れて膨らませようと、映画を見たり、本を読み漁ったりする。一時期の自分に、リルケの本は様々な恩恵を施してくれた。なにせ、落ち込んだ者にもっと落ち込め、孤独になれ、さすれば自ずと道は開けん、と説くのだから、こんな楽な方法は無い。たいがい、そんな状況の時は誰も近寄っては来ず、最も孤独を満喫出来る時間だけは豊富だったりするのだから。そして時間がその空虚の穴を修繕した頃には、普段と変わらぬ日常が首をもたげ、埋没する。リルケ?知るけ、てな具合に、助けてもらった事など無かったような涼しい顔で、友人たちと宴会だ。また不思議な事に何かを決意した瞬間に、悪魔はやってくる。例えば、断食の瞬間に至る所からお食事のお誘い、てな具合に意思は曲げられる。悲愴感さえ漂わせてなければ自然と孤独からは遠ざかり、リルケからも遠ざかり、快楽を貪り続ける。そう、孤独を選択する事は最も辛い。あの若き詩人さんも、自分と同じだったのだなぁと思うと、人間てのは情けない弱さを内包して突き進むしかないのだと、偉そうに考えます。あっちへ、こっちへ、ふらふらするしかない。かのブラックジャック氏でさえ、誘惑や欲望から逃れる術を持たないのだから。聖人君子なんて、いやしない。「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩をつくり、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。」という太宰氏の言葉が好きだ。

なんとか自身の今までの方法を駆逐してやりたい、とこのページで取り上げて、とどめを刺していく。つまらない過去を文章として提示し、そこで形にしてしまえばそこでその過去の進行をある程度抑えられるかも知れない。そんな希望を持って、言葉というオリに閉じ込めるんだ。表現するという事は、その可能性をそこで断ち切る事。そして、一年のうちで一番過去への履歴が容易なのが、この雨降りの季節。夏は開放的過ぎて、冬は閉鎖的だから。今月は少しこのページでは、「今」を忘れて、中身を吐き出して「からっぽ」になってみようかと目論んでいるわけです。だから、さらに私的になってしまう事を付記して終わります。