ワッシャー TRASH
Up Data 08/29
「阿波始末記」
Up Data 08/27
「蘭鋳」
Up Data 08/22
「阿波踊り中間報告」
Up Data 08/16
「一人盆踊り」
Up Data 08/05
「夏休み」





「阿波始末記」

1998/08/29.ICCH


ここんところ、酒三昧。素面でいる夜は皆無。これも運命ですが、数年前までは一人で飲み屋に入る事さえ憚る程でしたのに、いまや無遠慮に飲み散らかす始末。煙草なども自宅では飲まないと暗黙の内に取り決めていたのだが、それも今は昔。ストレス緩和の効果は確かに認められるところだが、こうも毎夜、連日と緩和ばかりしていると、それも通常の事になってしまう。 缶ビールの悪癖が、顔馴染みの店などへと繋がり、果てなく連なっていく。 また面白い事に、これだけ飲んでいるのにちゃんと酔っ払うんです。 しかも二日酔いの時程、酔うまでの時間も早まり、吐きそうな思いで飲み下すと自然に前夜の気持ちが蘇り、エンジンが始動する。一旦エンジンがかかってしまうと、ガソリンが無くなるまで走り続け、さらにスピードも増すという傾向にある。酒とは、ほんとに不思議なものである。 ブレーキというものがあっても使用しないので、ひたすら怠惰にそれに溺れていく。誰かのお誘い、挨拶を交し、始まりには酒、社交的になり、もう少し飲むと調子づき、さらに飲み過ぎると無礼になっていき、最後には取っ組み合いになる、そんなトリップにはしたくないもんである。

高円寺の阿波踊りへ前夜行ってきた。勿論、祭りの後の景色を見ただけである。店を終え、自転車を飛ばして下北沢から高円寺まで、焼きソバの露店をヨーロピアンパパの前で友達が出していて、到着した頃は宴会となっていた。道端で何人かがテーブル広げ、残りものを肴に、盛り上がっているなんて祭りでもなければ見られない。それから何人かが消えつつも、ハシゴ酒である。自分も早々に切り上げようと思っていたが(なんたって、その前もその前も朝まで飲んでんだから)気付いたら、男三人がソウルバー「ゲロッパ」でJ.Bと一緒に歌っているという凄まじい景色となっていた。一体、最初の頃にたくさん居た女性達はどこへ消えてしまったのやら?朝焼けの中、環七を自転車すっ飛ばし、帰途に着くというのはどんなもんだか。 考えてみれば、セールを始めた辺りから、毎夜こんな事の繰り返しだったような気がする。それが何を意味するのだか、そのサインさえ見過ごしてしまっていた。夏の残り火、急いで埋め合わせでもするかの如く、飲み続ける。こんな事でいいんだろうか?が、こんなもんだろう、になって、秋の虫が鳴き始めた。そんな訳で、今日も「レッドG…」のマスターが店に寄ってくれ、レコードを買っていかれた。そして、この店を閉めてから、彼の店に行き酒を飲む。お金が巡回して、巡り巡って、誰の手元に残るのだろう? なんて、ふと考えるのでした。



「蘭鋳」

1998/08/27.ICCH


雨が降った。台風が近づいてるらしい。高円寺の阿波踊りは大変だなぁ。 なんか今年の夏は物騒な事件も含め、不穏な雰囲気が漂っていて気分が悪い。これが世紀末という事になっていくんだろうか? しかし生活レベルでは、相変わらずのほほん顔で別段気にも止めなければ、それはそれで時間は過ぎていく。

随分前に海水魚に凝っていた時期があった。元々は水族館好きから始まったものであったが、要は箱庭的に家の中で魚を見ていたいという自分勝手な欲望からである。なぜ淡水では無く、海水から始めたのかと言えば、単に色彩が豊富で周囲に誰もやってる者が居なかったからである。よく大きな会社にありがちなコバルトスズメを何百と泳がせてあるような水槽、あんな虚無な世界に身を没していった。オーバーフローの120cm水槽まで購入し、水替に時間を費やし、魚が白点病にでもなれば硫酸銅なんかをしかめ顔で調合したり、亜硝酸の比率がどうだのアンモニア度数がどうだの、我ながら阿呆の所業であった。そして、はたと気付き、あまりの虚しさに全て止めてしまう。海水魚は捕獲された魚達が多い。 どこかの遠い海で食用でもなく、鑑賞の為に捕獲されて、はるばるやってくるのである。まるで拉致なのだ。魚権蹂躙なのだ。それはともかくとして、 自身の箱庭感覚に恐怖すら覚え、一体全体何を老人みたく盆栽弄りみたいな事に時間を費やしているんだか自己嫌悪にも曝された。こうして、また一つ無駄な時間をこしらえた訳だったのだが、世間には未だそんな妙な品評会に参加している方々が大勢いらっしゃる。例えばディスカスだとか、血統証付き○○犬だとか、○○猫だとか、そして蘭鋳だ。頭にコブをこしらえた妙な金魚だ。こないだ自主映画に関わっている友達がその蘭鋳に翻弄される人達の映画を創りたいという話をしていて、大いに盛り上がった。酒の席である。実際に仕上がるかどうかは別として、「蘭鋳」言葉の響きとしては、なんとも間抜けで、その存在自体とても象徴的で、その映画を観てみたいという気にさせた。だから完成したらきっと面白い事、請け合いである。 ま、これはフォローになってやしないかも知れないが、そんな自分を映す対象物として蘭鋳などを育成する事は、実に平和的なのかも知れないが、 きっと彼はこう言うだろう。「誰にも迷惑は掛けていない。」と。 そこが社会的に片輪だってんだけどね。どーでもいいかなっと。





「阿波踊り中間報告」

1998/08/22.ICCH


阿波踊りと共にセールを始めて、なかなか好評であった。たくさんの人が訪れる。単価は安いが、大勢お客さんが来てくれるとありがたい。 ここに中古レコード屋があるんだぞと判ってくれるだけでいいんだ。 夕方から、店前の通りを○×連とかいったチームが練り歩いていく。 傘で顔を隠している女性は、なんだか艶かしい。和服は良いものだ。 阿波おどりが開始されると、途端に人はそれに釘付けにされて、店には客が居なくなるので、自分も外で生ビールでも飲みながら見物した。 「レッドG」のマスターと、「来年こそはなんかやろうね」と話した。 高円寺と比べると規模はものすごく手狭な感じだが、逆に一緒に踊ろうと思えばすぐに混ざれそうな気軽さがあった。見せ場というべき広いスペースがないので、どこを盛り上がりというべきなのか見当も付かないが、とにかく 景気の良い合いの手や鳴物、それに艶かしい女性、ねじりハチマキの小さな子、同時にビートを刻み、妙なグルーヴ感を醸し出し、たいこのおっちゃんは小粒の汗を浮かべながら目の瞳孔が開いて完全にイッていた。 店のBGMなど消して、方々で打ち鳴らされているたいこの音に安らぎがあった。祭りなんだなぁ。お噺子が遠くで鳴っているっていいもんです。 ただ潮が引くのも早いんで、オタオタしていられない。皆さん、淡泊なんだよなぁ。残っているのはゴミと、帰りそびれた赤ら顔のおやじだけ。 あの赤ら顔は自分の未来の姿か、とため息混じりにドサッっと店に腰掛けて閉店の時間を待つ。「レッドG」のDJが、「お先に」とか言いながら飲みに出かけていく。よく来るお客さんも缶ビール持って急ぎ足で駆け抜けていく。つわものどもが夢のあと、て感じだ。昔、知り合いがポツリとそう言うと、無学な自分は「それはスライダーズですか?」とバカな質問をしたことがあった。さて、もう外では人が歩く姿もまだらで、中途半端な酒が気分を悪くさせやがる。早く、前の店に駆け込みたいものである。夏はずいぶん遠去かってしまい、秋の気配、濃厚なり。きのこ狩りにでも行きたいな。白樺の木の下できのこ鍋だ。そして思いっきり笑おう。



「一人盆踊り」

1998/08/16.ICCH


手塚治虫大先生も愛用していた「故事明言・由来・ことわざ総解説」を開いてみた。お盆とは、なんぞや?すると、「盂蘭盆の音訳を略称したもので、倒懸(逆さづりの苦)と訳し、この倒懸の苦を救う法会である『盂蘭盆経』 などによると、目連尊者が餓鬼道におちた母の苦を、仏の教えにしたがって7月15日種々の食物を三宝に供養し、この功徳で父母の苦を救ったという。 古くからインド、中国で行われ、わが国でも飛鳥時代の頃から始まっている。のちに広く行われ、精霊棚を飾り、迎え火、送り火を焚いて先祖を奉る年中行事となった。盆踊りは地獄の亡者の喜びを表わすものであるが、これも各地にそれぞれ伝統を持つ踊りとなった。」と書いてあった。 なんだか難しいが、ようは御先祖様感謝の日のようである。親父とお袋が居て自分が存在し、そのまた両親にも親父とお袋が居て両親が存在し、さらにどんどん遡ると膨大な数の御先祖様になるが、それらの御先祖様が居なければ、今ここにこうして自分は存在していないという事である。しかし、自分を中心にして逆算するとたくさんの御先祖の存在が確認出来るが、聖書によると最初はアダムとイヴな訳で2人がネズミ算的に子を増やし、その子がまた親となり子を増やし、やっぱりピラミッド型になっているのでしょうか? そうすると今存在している我々はやっぱり兄弟の関係に当たるのでしょうね。変な感じ。にしても、お盆は満員電車で田舎に帰ったり、渋滞で小便を我慢したり、ましてや海水浴、さらに海外旅行なんて、まったくもって怪しからんレジャーな日ではないのである。御先祖様感謝、そして余った時間は 教養を高めるような読書をするとか、音楽に身を委ねるとかして欲しいもんである。ということは、当然この下北沢ヒヤシンスに来てレコードなりCDなりを購入する必要性が生じる訳である。そうしない輩が多いから、店は閑古鳥状態なのである。まったくもって怪しからん話であった。

友川かずきの「一人盆踊り」状態がここ数日続いていた。一人で踊れるうちはまだいいが、こう暑いとバテてきて、そのうち踊る元気も失せる。 とりあえず前のソバ屋「田丸屋」で冷やしソバを注文した。 J.コルトレーンの「IMPRESSIONS」がバックに流れる中、ソバをつるりつるりと食べよう。それに決めた。閑話休題。

いつまでも永遠に続くかのように思われた夏も、もう先は長くない。 それどころか暦の上では、物憂げな秋ということになってしまう。納涼だの秋祭だの、そんな声が聞かれるのだ。日焼けした皮が酷くめくれる。 飽き風が、そっと忍び寄る。10代最後の夏とか言うと、少し感傷的にもなろうが、20代最後の夏というのはうすのろな感じで、観念しろと頭でも小突きたくもなろうというものだ。アハハハと馬鹿笑い。
先日、電脳界からトリさんが店に遊びに来てくれた。横浜寿町のフリーコンサートの帰りだそうだ。来年は自分も行きたいな。その夜はWillie`sAppleのライヴがあって、自分は行けなかったがなぜか打ち上げに参加した。 すると、その席にWillie`sのページへよくリアクションをくれる方が列席していらっしゃり、その日はすっかり電脳な夜となった。 昨日はお盆真っただ中、横谷くんが店に来て客足も全く無いので、店は飲み会と化した。そんな時、今、浜松で仕事をしている元中古レコード屋の仲間だった佐藤氏が帰省の折、立ち寄ってくれた。高円寺から新童氏も来て、すっかり出来上がってしまい朝まで飲み歩いた。チンザノと、ビールと、焼酎の取り合わせはあまり良くない。そうして、夜が長くなる頃ぐらいには、 浜松へ佐藤さんを訪ね、名古屋の実家に寄り、京都のトリさんに会って、大阪のHIPPIに会って、そこから熊本の黒木さんところまで行けたらいいなぁと思い暮れるこの頃であった。



「夏休み」

1998/08/05.ICCH


夏休み明け、4日間も仕事から離れると逆に仕事が恋しくなる、はずもなく、すごく重い身体をズリズリと引きずって店に出向いた。 こうも暑いと外を行き交う人も生気無く、数も少ない。夏なんだからしょーがない。この日常に身体を慣らさないと、いつまで経ってもこの状態が続く。まず、アルコールを抜かないと。

FUJI ROCK FESの事を書こう。初日8月1日、相変わらず待ち合わせがうまくいかず、地下鉄豊洲駅へとりあえず降りると、もうそこはイカレポンチの巣窟だった。まず、携帯電話で一緒に行くヨーロピアンパパの店長、新童氏と連絡を取り、なんとか出会うが、それにしてもこの人数は尋常じゃない。 歩道と車道の見境もなく、ゲートまで順番待ちが続く。駅から、徒歩30分ぐらいダラダラと汗を流して濶歩する。用意していたクーラーボックスが小泣きジジィーのようにだんだんと重く肩に食い込む。ゲート前は、缶ビールを飲み干す人々で賑わっている。缶や瓶の持ち込みが出来ない事を知らなかった人達が、ゲートの荷物検査で追い返されて仕方無く飲み干してるんだ。 我々もその仲間に加わった。すると、ヒラヒラと何かが舞ってきた。 なんと、それは今日のチケットだった。しかも2枚。我々は前売を持っていたのであるが、とりあえずそれをポケットへ、そうして入場。 前日に降った雨で、地面は泥るみ足を取られるが、とにかく飲む飲む飲むと気が楽になった。レジャーシートに寝っ転がり、単なる酒宴と化す。せっかくチケットが余っているので、誰かれともなく電話を掛けるが参加者は全然捕まらなかった。もったいないなぁ。メインステージの方に陣どっていたが、「少年ナイフ」を観にサブの方へ行ってきた。小さいステージの方が見易くてほのぼのとしていた。いや、彼女達がそんなんなのかもしんないだけなのかもしんない。な〜んか可愛いよなぁ。戻ると「ブランキー…」がやってたけど、あんまり面白くない。また、酒宴が続く。「ソニックユース」では勿論前へ押しかけていった。自分の中では、これが本日のメイン。いやぁ良かった。頭ん中をグラグラ、グツグツとゆっくり煮込まれる感じ、陽は強くないがジワジワと肌を浸食する中、ワイン飲みながら、ギターノイズもジワジワと先っぽの方から気持ちを侵していく。不協和音の妙味、ステージはビヨ〜ンと空へ間延びしたり収縮したりして、早くなったり遅くなったりして、そして混沌は秩序ある世界を自然と形造っていく。良いステージだった。席に戻って目を閉じ、雲に繋った空からの薄日を感じているうちにうとうとと微睡む。新童さんは「ギターウルフ」に行って戻ってきて、興奮して何か話していたが自分はもう夢の中。「忌野清志郎」の声が微かに聞こえるけど、まだ覚めたくない。そうこうしているうちに、「E.コステロ」も通り越し(少し目覚めたけど、あんまり野外向きじゃないよね。)「ベック」が始まっていた。なんとも、まるで眠りに来たよーなものだった。 「ベック」ではステージ前は大騒ぎで、演奏をストップさせられたり、大変な熱狂ぶりだった。でも私は眠気眼で、しかも少し頭痛までして、その上日焼けまでしたようで皮膚がヒリヒリ、身体中が痛い。もう一人の友達も来たので、サブステージの方へ移動した。やっぱり「イギーポップ」を観なければと急ぎ足、大移動が始まりつつあった。前へ前へと行ったが、あまり前過ぎると危険なので中くらいの場所をキープ。泥るみがひどくて、その場所だけポッカリと円形脱毛症のように空いている所、ここならバカダンスをやる奴も居ないだろーと思ったら、結局メチャクチャになってた。 それにしても素晴しかった。ROCKがそこで動いていた。50歳を越えた男の肉体は躍動し、あのクニャクニャとひきつる踊りも健在、それに「ストゥージーズ」時代の曲を惜しみなく熱唱。10年前、ロンドンで彼を観た時は、S.ジョーンズを脇に配し全裸でステージからダイブしていたが、さすがにそこまではエキサイトしなかったけど、アンコールの数3、4回ってのは単純に嬉しい。客が退いた後から、またステージに登場するという荒業で、バンドの連中も退いていたけど、あのサービス精神と動きは紛れもなくROCK生き神様だった。拝んでおこう。また、メインに戻ると花火が上がり、ステージでは「ビョーク」がトリを飾っていた。熱くなった会場を、少し冷却してくれるような不思議な感じだった。これは、いつまでも聴いていたいと思った。 いつの間にか、もう夜だ。帰りにまた飲み屋へ寄り、そのまま次の日へと持ち越すのであった。

次の日は、前日と同じ面子で吉祥寺に集合。と言っても、夜である。 井の頭公園で、時間を忘れて座っていた。アコーディオン弾きや、風船で動物やらの形を作り子供達に囲まれている道化を眺めていた。 絵描き、フィリピン人の酒宴、カップル、カラスに餌をやる親爺、池の鯉にパン屑を投げる人、日曜ともなると様々な連中が集まってきていた。 そうして、堪らず昨日の面子に声を掛けてしまったのだ。

その次の日は海へ行った。タコ八郎が酔って溺死した海岸だった。 とても狭い遊泳スペースだったが、人は多くない。久しぶりに泳いでみたら、クロールが出来なくて驚いた。ビールばかり飽きもせず飲む。 定番カレーライスと、ラーメン、海の家でどちらにしようか迷ったけど、ラーメンにした。FUJI ROCKでさんざんカレーを喰ったからだ。それにしても、あんな事件があったからなんだろうかFUJI ROCKのカレー売り場も順番待ちが極端に少なかったよーな気がした。そんなバカな? 海をただ黙って眺め、波の揺らぎに目が慣れると、とってもいい気持ちになった。 そう、自然の流れに逆らわないものを感じると、自分もその一部なのだと実感して無駄な足掻きをしたくなくなる。阿呆の顔で、「海や風はいいなぁ」 とか言ってしまう。でも現実に返ると、帰りの電車賃の心配とかしたり、時刻表とにらめっこしたりする。

昨日は、ビデオを観続けた。「Zガンダム」だ。夜に焼肉を食べに行き、生ビールをたくさん飲んだ。正気に戻りたくないけれど、嫌が上にも次の日はやってきた。そんな4日間の短い夏休みだった。有意義とまではいかないけれど、たまにはこんな休息も良いもんじゃなかろうか。 イソップ童話でキリギリスにアリはこんな事を言う。「夏の間、歌っていたのなら、冬は踊りなさい」と。それで、喰えるんなら踊るんだけどね。 君はアリか? キリギリスか? 芸術ってのはキリギリスっぽいんだが、案外アリのような努力をやっていたりする。