TRASH1998/09/28.ICCH
どこにもいかない話、けれど一つだけ分かった事、病気にならないと健康の恩恵を理解出来ない、という話。
久しぶりにVELVET UNDERGROUNDを聴いている。風邪薬で朦朧となった頭には丁度良く、単調なリズムが心地よく、身体を委ねてしまう。
病気の音楽なのだろうか?
"ヤモリ"とは"守宮" と書く。自然の中にあって、意味の無い生き物など居ない。立派に何かを担って生きている。さしあたって、人間なんてのはどんな意味を持って生きてるんだろう。たくさんの弊害を蒔き散らしてしか動けないのだから、存在自体が罪悪なのだろう。原罪を背負って生きる。最近、どんどんと人間が不可思議な生物に見えてくる。やっぱり、世紀末に一発逆転、オチがつくんではないのだろうか?という気がしてならない。
良きにしろ悪しきにしろ、ただの無駄飯喰いではないはずだ。ヤモリはいいな。
1998/09/22.ICCH
使い古しの言葉、ご不要になりました偽善、憐憐、赤っ恥などございましたら、トイレットペーパーと交換いたしますので、お声を掛けて下さいませ。
ちょっとした遊戯なのです。行き止まり、大安売り、蚤の市、虚栄の横丁、袋小路商店街では、あなたの参加をお待ちしております。 言葉を叩き売って、行動を手に入れろ!というようなゲームです。 感情のコントロール、理性の蓋を開け放ち、言葉を使わずに相手の信頼を得るに到るまでの過程を競うのだ。抱きしめれば勝ちってもんでもなかろう。 だんだんと、こちらの頭もコンフュージョンです。
台風が通り過ぎていきます。誰かの憎悪が形を変えたかのように、たくさんの気持ちを巻上げて、四方八方にバラ撒きながら、通り抜ける。 疲れて消え失せるまで、一心不乱に役目を全うし、人や物の見境無く何もかも均等に撫でていく。甘ったるい言動などには振り向きもしない。 それが当然なのだろう。幸か不幸か、人間は言葉の世界に住んでいる。
核のゴミを受け入れる土地が無いとテレビで言っていた。たくさんの原子力発電所から、エネルギーだけを搾り取って用が無くなった物質は、人には意味の無い無用の長物となり、誰かにそれを押し付ける。それが今までは外国だったり、過疎の土地だったり、反対運動なんかしたって無駄ですよ。
自分達で使ったエネルギーの代償は払いましょう。エネルギーの消費量が一番多いはずの、大都市圏に埋める事にしましょう。どうでしょう?
果たして、人間にはもう未来はないのだろうか?袋小路なのだろうか?
今分かる事は、自分がそこで立ち往生しているってことだけ。
1998/09/16.ICCH
酒は人をお調子に乗せる。徳利一つで、妙なトリックに引っ掛ける。 そしてそれに溺れたがってる。また、ここに飲まなくてもいい酒を飲もうと、もう充分酔って気持ちよくなってるのに、誰かを誘って、つい調子に乗ってしまった奴がいた。海苔に乗るような奇怪な話、という訳でもない。 単なるプチブル小市民的な世間話である。全面ガラス張り、お洒落なカフェテラス風情な場所で、外を眺めながら談笑する。本人は尤もらしく話している積もりなのだけど、呂律が回らないから、道理の合わない落語みたいなもので話にもなっていない。「ケッ、どうせ人間の胸の内なんて、他人にぁー判んねーんだよ。」なんて、世の中全ての人間が自分と同じだと言い切って、自身を納得させ、他人を不快にさせる。「そう思っているのはお前だけである。」とナレーションが入って、また次のホラ噺を開始する。 その時である。窓ガラス越しに、宙を舞う人を見たのである。 店内の音楽は平常と変化無く、それを目撃しなかった人々は談笑を続ける。 直視していたのは、その二人だけだった。そうして凝固していた。 固まっていたのは一瞬だけだったが、そこで映画なら、また会話に戻り世間話を続ければなんか妙にシュールな世界を醸し出すところであるが、現実は 半腰上げて「おーい!事故だー、救急車呼んでくれ!」とあたふたと店員に声を半ばヒステリックに投げかけ、もう一人は外へ駆け出す。 バイクで転んだ男を、走ってきた車がハネたらしい。人間とはあんなにマンガのように宙に舞うものである、と冷静に考えられたのは、その男が救急車に運び込まれてからである。しかも救急車の奴、病院を探すのに15分ぐらいそこで停車していやがる。確かに無目的に走ってみても仕方あるまいが、なんともはや轢かれた人は気の毒である。すでに警察も実況検分を始め、巻尺持って車のタイヤなどを計ったり間抜けな仕事をしている。一方、ガラス一枚挟んだお洒落なカフェテラスでは、日常を取り戻し、酒を煽りながらすでにその事故は過去の中に埋没し、肴程度の感心しか持たれなくなる。 ガラス板がブラウン管と同じ役目を果たしたのか、いや所詮、他人事でしか無い為だろうか、そう心動かされる動機は全く無い。ただ思う事は、かくも人生とは不条理に出来ているなという事実である。「天国と地獄」外と内のこの落差を阻んでいるものは、たかが数センチのガラス板だけであった。 酔いも冷めますがな。
昔、インドへ行きたいと思っていた。目的は、死んだ人間を見たかったからだ。何も猟奇的な興味からではない。そう人に話した時も、非人間扱いをされ、非難に甘んじた。丁度、養老猛司「人体の不思議展」の時期である。
誰もが興味本位に悲鳴を上げに出かけたあの博覧会、禁忌なるものの蓋を見事開け放った試みだった。何しろ、自分らの身体を客観視できる機会など
通常ではありえない事で、それを薄いプラスティック樹脂が可能にしたのである。死は神聖なものであるが、同時に身近なものでもある。
本来、人の営みに禁忌などが介入する必要は全く無い。死も、排便も、笑いも、交尾も、自然の営みだ。死が歪になっていくのも、文明がそれに蓋をしようとするからであり、土をアスファルトで覆うような片輪なやり方だと思う。片輪が安易に人を殺せるのは、人の尊厳を知らないからだ。自身が責任持って裁けるのは自分自身だけでしかなく、それ以外が干渉できるのは自然だけである。しかし、やはり頭の中で考えた事はそれ以上の領域を越える事もなく、ぐるぐる旋回するだけです。インドが早く呼んでくれたらいいのに、まだ自分はその範疇から跳ぶ術を知らないのだ。
1998/09/15.ICCH
見渡してごらん、この世界を、なんて正直言って薦める事が出来ない。 でも、今あるこの世界は、皆で造り上げた世界。舵取りを誰かにさせて、高いびき、沈没してから大騒ぎ、なんてのは嫌ですね。 だから、せめて甲板の掃除でもして、何も出来やしないかも知れないけど、 役に立ちたいものです。
関東地方は、もうすぐ台風に襲われる予定です。だいぶ薄暗く雲行き怪しくなってきています。そんな事は関係無しに、世界は回っていきます。 石を池に投げ入れ、波紋を起こしたとしても、その波紋はすぐに消えていく。そんなエネルギーではダメだ。だとしても、核ミサイルを池に撃ち込む訳にもいかない。確かに、池などは跡形も無く消滅するはずだけど、そのアクションでは直接的過ぎて、強すぎて、世界の根底自体が揺らぐ。ではどうしたら、丁度良い具合の変革を池に与えられるのだろうか?それは、やっぱり心のエネルギー以外にはないような気もします。侮ってはいけません。 想念のエネルギーは強大です。一人では微弱なれど、それが何人、何百人と広がれば、何かの力が宿るはずです。そう信じます。エネルギーのバトンは、ものすごい勢いで大きくなっていく。巡り巡って、その力のバトンは次の世界へバトンタッチされ、さらに育まれていく。それがエゴから生まれたものでなければ、ミクロからマクロまであらゆる生態系に影響を与えるぐらいの核エネルギーに匹敵する力を得るやも知れない。台風もまた自然が関与したアクションの一形態、我々の気持ちにも、営みにも、影響を及ぼす。
世界は回っていくんです。
1998/09/03.ICCH
「CONFUSION IS NEXT」その"次"の真只中に我々放り込まれた。いや、自らが飛び込んだ。たくさんの見過ごしや見誤りが巻き起こした結果、混沌とした世界が現出した。ニュースでは、毎日、献金だの汚職だのもう好き放題に金欲まみれで、どこかの国の飛行機の墜落事故、テロ、報復攻撃、この世界が病んでいるのでは無く、これが人間の内部から吹き出す自然の営みの如くだ。そこに悪も善もあるといった風ではなく、それらに括られるべき高尚でもなければ矮小でも無い。ただ、やってるだけじゃねぇーか。やってるだけのクソつまらない輩に翻弄されて、そのツケを払うのが何もやってない人達で、さらに意思表示の出来ない地球やそこに住む無限大の生物達は無言の抵抗をする。生きようとして調節を繰り返し、しかしその芽を人間に摘まれて、またリバウンド、まるで薬浸けのジャンキー。地表をアスファルトで覆う、地面に注射針をおっ立てて、地球の呼吸に蓋をして、血液とも言える川や海の流れを塞き止め、存在しないはずの物質を散布し、遺伝子操作に核爆弾、汚染にキャラメル、コーラに青酸…ちょっと調子に乗り過ぎです。 音楽はただ奏でるだけ。映像はたれ流すだけ。現実は虚構じみてる。隙間を見つけて浸食するように、皆の気持ちは何かから遠ざかり、逃げ惑い、忘れようと必死に喰い下がる。現住所は、ひとご都ぼうきゃ区。苦言を呈してるんではないのです。なにせ、自らもそこに住んで税金まで納めてるんですから、当然片棒を担いでいる訳です。つまり多かれ少なかれ、嫌な汚染された世界を認めつつ、放置して、各々の安楽な生活を営み、文句ばかりほざいて、責任転嫁し八つ当たりして、逃げ惑っているだけのインチキ野郎なのです。それから、どうしよう?得策は皆無、「次は混沌だ」と言って「今が混沌」だと考え、「先も混沌」であるのだろうか?パンドラの箱から飛び出した悪徳やら飢饉やら戦争やら堕落やらの底に残る、希望ってやつに賭けるしかないのだろうか?箸休めぐらいの意味しか持ってないのだろうか? 知らないけど後悔しないように死ぬまで生きるしかないようです。 とかく生きていくのは楽じゃないですから。
You Got To Live, You Got To Love You Got To Be Somebody,
You Got To Shove, But It`s So Hard, It`s Really Hard,
Sometimes I Feel Like Going Down.
自分の意思表示は"NO"です。ありとあらゆる争いや諍いや殺し合いや陥れを拒否します。それらの行動にどんな正当性があろうとです。そして、自分が戦う時はきっと己の為だけでしか戦わないだろうと思います。それは生存を賭けた戦いであるはずです。決して私利私欲ではなく、生き残る為の戦いです。混沌とした中に秩序を保とうとするならば、己の崩壊だけを喰い止める事に集中すれば巻き込まれないで済むやも知れません。この世は修行の場とするならば、辛いのは当然至極、一時の快楽で他人を傷付ける事には賛成出来ない。だから待ち望む。もっと混沌に、もっと自然淘汰するぐらいにあらゆるパターンが生まれるのを、その後に静寂が訪れる、はずだ。