TRASH
1998/10/30.ICCH
という事で、長い前置きでした。すんまへん。貴重な時間を、手間取らせてしまいました。しかし、私も貴重な時間を割いたという事で、お互い様、としておきましょう。火に油だった、かな? ところで、前置きと書きましたがこれから本編という訳でもないのです。考え倦ねているところです。 今月はほとんどマンガを読んでばかりいた、と言っても過言ではない。 人生に於て、一ヵ月に集約してこんなに量を読んだ事はなかった。 「ワールド・イズ・マイン」から始まり、「ベルセルク」「寄生獣」「凄ノ王」「七夕の国」、、、みんなに共通しているのは、暴力描写が多いという事です。簡単に人が死ぬ。脆いのです。そして、それが今最も求められているニーズなのかと勘繰ります。つまりヒットに不可欠な要素ではないかと。 肉を食べていて、ふと、なぜ人間は共食いしないのだろう?とか平気で考えます。牛や豚を見て、食欲を感じたりしますが、人を見て食欲は滅多に生じない。たまに生じる人もいるようだが。それは、種を危機に晒すという考えがあり、理性というものがあり、どこかでブレーキがかかっているのだろうが、根本は単に習慣ではないからだけかも知れなくもない。牛だって、目の前で頭カチ割って殺して喰う訳じゃない。本当は自分が食すものは自らの手で殺めて喰うべきであろうが、その手間を紙幣で買っている。普段、目にする肉はパックされた状態で食肉売り場に並ぶ素材でしかない。そうやって、人の肉もパックされていたとしても、やっぱり人に食欲は感じないとも思う。どこかで境界線を引いているんだ。これは喰い物、あれは友達、これは奴隷、あれは玩具、といった主観。えらい動物である。 つまり、ここでも人は心の動物である。これからは、身体の優劣を超越した精神力の強さが生死を分けるかも知れない。
結び。
忘れっぽい自分は、日々、色々な事を忘れていく。
忘れたい事は忘れず、覚えておきたい事は失念する。悲しい事だ。
どんなに強固な論理でも、それを実践する行動力と意思と熱情が欠ければ骨抜きになる。目が覚めると、自分が誰なのか忘れてしまうんじゃないかという恐怖と、記憶喪失になって新たな人生を歩みたいという期待、ま、どちらにしろ、今、厄介な問題は、雨が降ってきたという事実だけだ。
陽水の「傘がない」なんて侘しい歌じゃなく、「Singin` In The Rain」程
、陽気でもない。まいったなぁ。
1998/10/28.ICCH
上は日曜日の記述。そうして次の日。やっぱり、たいして変わらない景色。 しかし考えようによっちゃあ変わらない景色という事は素晴しい事で、物事には何でも終わりがあるもので、その終わりがまだやって来ないという事は 、可能性をたくさん残している訳で、悲観するような事ではないのである。 久し振りに松本霊士著「男おいどん」を読んでたら泣きたくなった。 10代に読んでいた時は、大山昇太と同じくあらゆる可能性があった。 そうして、もう沢山の可能性の蓋を閉じて、"今"が存在している。あみだくじの様に、色々な岐路で選択をして辿り着いた場所が、"ここ"である。 どんなに蔑まされたって、笑われたって、煙たがられたりしたって、"先"があるならそれでいい。勝ち負けを判定できるのは己だけなのではあるまいか。長い時間軸で考えれば失敗も成功も、恥も栄光も、同じようなものに思えてくるのだ。因果率なんてものは、後から慌ててくっつけたような出来損ないの論理で、自然はバランスを取るように出来ているから、右の翼が折れたら代りの翼で以て補修するだけで、これこれの役割をする人が居なくなれば当然違う人がそれを演じなければならない。だから好き勝手な事をやっても決して傾きやしないように出来てる、はずだったのだが、それもどこまで通用するだろうか。それに最近は何を守ったら良いのかさえ、見分けが付かなくなってきた。
4日目。頭痛に悩まされる。最初は風邪かと思ったが、どうやら秋に舞う花粉の所為らしい。風邪薬ばかり飲んでいたので集中力が欠如。何日にも渡って、ブツ切りの駄文を捏造している。もうこうなっちまうと、まとまりもクソもあったもんじゃない。
日々、脳細胞が動き回り、考えをあっちこっちへ運び、こぼれたり、落としたり、拾ったり、踏んづけたりするので、原形をとどめていられない。
途中まで積み上げた瓦礫の山。これ以上、頭を叩いても何も出そうもない。
1998/10/16.ICCH
「デビルマン」のフィギィアを購入した。半年程前から予約をして、ようやく届いた。20cm程の人形で、形相険しく躍動感溢れる、マンガヴァージョンをさらに強調した仕上がり。デビルマンと、不動明合体前のアモンの2体を買った。元来、作品とそのキャラクター商品とは分けて考えていたのだが、このデビルマンを前にして、その考えは脆くも崩れ去った。カ、カッコ良過ぎる。そしてまた永井豪氏の懐を潤してしまう。「凄ノ王」「バイオレンスジャック」「デビルマン」そればっかりは…
「ザ・ワールド・イズ・マイン」に続いて「ベルセルク」を借りて読んだ。 またまた痛いマンガだ。心がチクチクする。一度、深夜アニメでちらりと観た時はただの中世騎士ものと勝手に決めつけていた。しかし、これはまた凄く夢中になる読み物だった。物語というものは作者の頭の中で創作された一種の世界を、他者に伝える訳なのだが、どうも話下手な作者だと話に乗っていけない。ところが、この創作はかなりのめり込める、しかも痛い。何が痛いのか?「バイオレンスジャック」で描き切れなかった世界を持っている。 それとRPGに乗っていくような感覚さえある。魔導士の出てくる映画(題名失念)とか、救われない因縁、それに愛憎や自尊や独立といったものが絡み、物語を形成していく。数日、そのマンガに気持ちが持ってかれて、抜け殻のような虚無感で、気落ちした。条理のようで、不条理な存在してはならない話だが、作品として提示されてしまったら、その世界は存在してしまう。
たくさんの人の物語が押し寄せてきて、たくさんの人がそれぞれに人生を背負っていて、捏造されたり、抹殺されたり、情報量の多さに圧倒されたりする。冷静になり、立ち止まって考えてみれば、そんな事、無関係なんだ。 確かに圧倒的な量の物語が、魑魅魍魎と巣くっているが、関わりのあるものなど多くはなく、飄々と生きていければいいんだ。
飽き風を吹き飛ばす勢いで、またまた台風が列島縦断を試みようとしているらしい。やっぱり、ホラーは画面で観るのが良い。その当事者にはなりたくない。ゲームをプレイするよりも、そのゲームを捏造する方が良い。
誰かの創作した世界で戯れるのは楽だけど、その範疇から飛び出す事は不可能だから。お釈迦様の手の平で踊っているというのは、気持ち悪い。
しかし人智を越えた、とても人には知覚出来ない種類の一部であるのなら、
結果的には業に支配されているという事になるのだろう。
微生物にとって、我々の事を知覚出来ない感覚と、我々が宇宙を知覚出来ない事とは同じだ。自然には逆らえません。でも、それで終わらない欲求が、人間には渦巻いている。魔に魂を売りとばしたって、欲しいものはある。
聖人君子じゃありませんから。
1998/10/08.ICCH
世紀末、と言ってもたかだか西暦という便宜上の年号に措いての話であるが、確かに怪しげな世相ではある。先日、お酒を飲んでいたら、原発の話題となり、80年代に一種のブームとしてしか捉えられなかった広瀬氏の「危険な話」に、便乗したり下車したりしたあの運動は何だったんだろうという気がした。そして、実際に原子力が無ければ日本のエネルギーは賄えないのか?他の発電方法では無理なのか?という基本的な疑問が湧いた。 うやむやになってしまっているそこの所のデータは、どこにあるのだろう? もし、原発が無ければ賄う事が出来ないのなら、生活を退行させる事は現実的に無理なので、核のゴミというものを受け入れる必要があるだろう。 長いものには巻かれろ的に、なし崩しになっているのだったら、最も危険な状態になってしまってるはずだ。人は革新しなければいけない。もう今までのようにはいかない。川で魚を獲って食べたり、野原を駆け回ったり、それを現実に行う事には危険が伴うのだ。全てにおいて、人間が野山を駆け回る事は、そこの自然を破壊する事となる。臨界点はとっくに振り切っていて飽和状態、余裕は皆無、自然の許容量も限界なのだ。人間がテコ入れするなんて驕った考えは捨て、最良の道は去る事なのだと思う。人は革新し、手足をもぎ、だるまになろう。幸いにも我々の前に生き残る道が残された。 この目の前にあるコンピューターの匡体がそうだと言ったら、言い過ぎだろうか?人は想像や妄想の中で住む事が出来る生物だ。イメージだけで生きられるという利点。何も実際に、山を切り開いてゴルフをやる必要は無い。 まだ、その段階では無論無いが、肉体という厄介なものから解放され、心で イメージと戯れるというのは実に理想的な姿だと思うのです。 もし、それが進む道だとするならば、これからこの世界は飛躍的な成長を見せるはずだ。でも、オールドタイプが黙ってるはずはないので、道は険しいかも知れませんね。
新井英樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」というマンガが、最近この界隈で 注目を集めている。世紀末にふさわしい強烈な印象を与えるマンガだ。 人が人を殺す事は果たして悪なのか?では、動物が人を殺し、その動物を人が殺すのは善なのか?なすがままに生きる事は悪い事なのか?そして、その責任は自身に返ったり、ギャップが価値観を襲う。この混沌とした展開は、作者の問いかけでもあり、やはり"今"を切り取っている。 このマンガは"今"を現在進行形で生き、作中のみならず外の世界にまで影響を与える力を持っている。「俺は俺を肯定する。」と。