TRASH
Up Data 01/30
「ハイウェイの彼方に」
Up Data 01/21
「Cleaning」
Up Data 01/10
「初期化」
Up Data 01/06
「START IT ALL OVER」
1999/01/30.ICCH
民族音楽を聴いている。アメリカンインディアンの太鼓によるダンス音楽。イランの中東っぽい音もあるし、 ブルガリアンポリフォニーという女性の合唱隊の音、バリ島の巨竹打楽アンサンブルに、インドの音楽も手元に揃っている。こんなトラッディショナルな音楽に惹かれる。たいがいはリズムのループでグルーヴを創り出していくフラクタル音楽で、そこにメロディが乗っかっていく。聴いていると気分が楽だし、インドの音楽を聴けばインドだし、イランの音を聴けばイランというお国柄のアクの強さがたまらなく良い。 西洋のドレミファ…には飽きてきているんじゃなかろうか。その音階には限界がある、と韻を踏む。 とか言いつつCDに刻まれてるんだから、ものすごくデジタル。やっぱり生で聴きたい。
"じゃがたら"を聴いて、彼等の素晴らしさを語りたいのだけど言葉を知らなかった。 聴けば判ると言って聴かせても、周波数が違ったら受け取れない。チャンネルの違いで画は如何ようにも形を変えるから、シチュエーションによって音楽も形を変える。原体験、見ている方向が違うんだから、もうそれは仕方の無い事です。「南蛮渡来」を聴き、またしてもそのパワーに圧倒された。 「見飽きた奴らにゃおさらばするのさ」これは逃げ口上でもあり、宣戦布告でもある。それが全て自分自身に向けられている。その言葉がリフレインする時、答えはいくつもいくつも生まれてくる。 直接的な言葉は鋭利だけど、単純なだけに胸に応える。それが、PUNKなんだ。それが判る人は少ないんだろうな。同じように月夜の下で、同じように足をならした者にしか判らない。合言葉だ、二人だけの。 だから、自分の踊りを自分なりの方法で踊るしかないのだ。身体を前後左右に揺さぶるだけがダンスじゃない。頭の中を掃除しろ。BABY
音楽の尻尾を捕まえた気になったりするんだが、それはいつも幻想だったりする。 確信出来ない。君の勧めてくれる音楽が判らない。僕の言ってる言葉も判らないだろう。それは型にハメラレテシマッテイルカラカ? それとも、やはり、隔絶しているのだろうか? それで元気が無いのです。 自分の踊りを忘れてしまった。そうやって説明してみると、自分自身でさえ欺けそうになったりする虚言。 そんな真摯なはずはなかろう。モヤモヤはもうイヤ、ここでひと休み。 岬にて待つ。
1月27日 江戸あけみ+追悼 西村さん、どうもありがとうございました。
1999/01/21.ICCH
夢があると言えば昨日観た「ブルースブラザース2000」は面白かったなー。 ベルーシが居なくてもエイクロイドさんよくやります。前作のパロディなので、前を知らないと面白くないけれど、とにかく出演者全員がブルースブラザースという形態に敬意を払っていた。バカバカしいんだけど興奮するし、拍手しちゃうし、気が付くとニヤニヤしてしまう。アメリカなんだよなぁ。 車は相変わらず嫌になるぐらいブッ壊すし、いちいちカッコいいし、リスペクトなしでは成立しない豪華キャストだし、なんかフッ切れます。これこれ、これなんだよ、求めていたのは、という感じでした。 随分と興行成績の良い映画ってのに騙されてみたものの、確かに悪かろうはずは無いのだけど、何かが違うような気がして爽快になれなかったんだけど、これは元気になれますよー。
そうして本日、虫歯治療も終了したのだ。安心して食べ物を噛み砕くこと、素晴らしきことかな。 でもまだ歯石取りなるオプションが完了していない。これが私の場合、結構、恐怖なんです。だって血がどばぁ〜って出るのだもの。女性が強いと思うのはそんな時、月に必ず血と接する機会のある女性にとっては、血なんて何ともなく対処する。狼狽えて、バンドエイドに包帯にメンタムにとグルグル巻にして見なかった事にしてしまう自分て、いったい…。
こないだ、沙藤一樹著「D-ブリッジテープ」を読んだ。所要時間1時間余りの読み易い小説だった。
ヘヴィな内容、橋の下に捨てられた子供の独白形式で物語は進行する。もうすでにその子供はこの世に存在しないのだが、一本のテープに彼の悲痛な叫びが刻まれている。そのテープを再開発の予算委員会に集まった馬鹿共と一緒に聴いていくのだ。ゴミを放置していく奴等、そんなゴミと一緒に捨てられた子供、次々と捨てられる用無しの烙印を押されたモノ、モノ、モノ。ちょいっと立ち止まって読んでみて下さい。
嫌ぁ〜な気分になること請合い。
でもいったいゴミてなんなんだろう?
自分にとって必要の無いモノ。
必要って、必ず無ければならないってモノの事?
ざっと辺りを見渡して、必ず無ければならないモノと言われても、答えは出ない。無人島に何を持っていく?と尋ねられているのと同じである。そんなモノ無いのだから。生きていける力、生き抜く力、それに附随する道具でしょうか?そんな根本的な解答しか得られない。このままの生活を続けていったら消費、消費で、生命力も浪費して、いつしか手許には他人顔したモノだけが居座っていたりする。
そんな事を考えながら、今の自分の仕事はそのゴミに依存して生活しているという、些か遣る瀬ない気分にもなった。正直言って、この古物という商売は飽和状態なのだけど、商売として成立するという事は、まだ好景気の名残りというかその時の貯蓄が残っているという事で、これも食物連鎖のような微妙なバランス上に成り立っているのだろう。贖罪の日は近い。
去年の今頃は大雪が降ったりして、この店は底冷えするので暖房の上に電気ストーブという万全の構えでしたが、今年は結構暖かい。しかし、やっぱり冬、じわりじわりと冷気が迫ってきていた。
乾燥と寒さの所為で、インフルエンザも流行の兆しだ。こんなところで頓挫しないように、99年を見事乗り切ってノストラダムス氏をせせら笑ってやりましょう。
1999/01/10.ICCH
その2日後です。またしても調子悪く、外付けHDからは起動するんだけど、内部HDがマウント出来ない。もういい加減にしてくれー!こちらの調子も悪くなって、風邪気味なり。苛ついて酒を浴びるように飲んで、次の日銭湯に行って湯冷めなり。それにしても、普段、当然のように行っていた作業が一旦狂い始めると、こうも次から次へと重なり照準が合わなくなっていく様は、まるで人生のよう。ちょっとした選択が、さらにその先を呼び寄せて、循環する。気をつけなければならない。いつババを引いたって可笑しくない。 そして、案外にこいつは自分の分身だったのだ、という事で、こうやってモニターに向かいキーボードを打っている時間は、誰あろう自分自身と対峙している訳で、他者に邪魔されない大切な独りの時間だったのだ。 こうやって吐き出していかないとストレスは溜まる一方で、何か実生活もうまくいかないし、落ち着かない。この数年間で、すっかりこいつに飼い馴らされてしまった訳だ。依存という事になってしまうんだろう。 認めなければならない。ただ、こいつは意志が無いのだから操作してやる奴が居なければデクの棒で、やっぱり奴隷なのだよ。だけど起動しないという原因はきっとどこかにあるので、それを見つけられない主人はやっぱり低能なので、頼むから起動してくれと哀願する姿は、他者にはまるでMacに操られているかのような印象を与え兼ねないのだ。変なの。 こうして、もう一人の自分との共同作業は続く。もう駄々を捏ねないでくれよ。
どうしても生きて動き続ける毎に、いりくんで、こみいって、からまって、
七面倒な事になっていっちまう。気持ちには、責任とか、欲望とか、快楽とか、義務だとか、整理されるわけでもなく運び込まれて、そいつらが連れてきた物質がたごまって妖怪になる。シンプルに生きるためには、その場でとどめを刺す事だ。それで、どうだ。
1999/01/06.ICCH
大晦日、Willie`sApple カウントダウンちょい前ライヴで大騒ぎして、下北沢一番街六区に戻って年越し。なんだか知らないが、浮足立っていやがる。 空騒ぎの果てに、小田急線で江の島まで直行だ。結論はすでに出されているってのに止まらない。寒かった、暗かった、暴走族が煩かった、でも何かっていうとココに来てしまう。先っぽの崖っぷちから海を観るのがいい。 コンクリで固められた疑似岩石だっていい。ここにネコを捨てに来やがる輩が居るそうだが、そいつらはロクな死に方しやがらない。もう黙って眺めた。嫌になるぐらい海を眺めた。江の島丼、たいして美味くないって知っているのに喰った。初日の出はここからじゃ見えない。山の頂上脇まで戻り、目が潰れた。帰りの橋から、左に見事な富士山、右に朝日ギンギラでちょっと浮遊しながら歩いた。初詣をかわしたはずだったのだが、駅前は切符を待つ長蛇の列、こいつぁ参った、デッドマンとなって帰宅した。付き合ってくれたB.D、早く風邪を治してね。 三が日は、絵に書いたような寝正月。外部からの侵入経路を全て絶ち、只管寝て起きて喰ってビデオ観て寝る。ボケますな。
終わりの始まりな年越しは、沢山の予感を関知できて素晴しい。 夢想の万華鏡、99年は想像力を刺激する、というようなシチェーションに酔わせてくれる、過去でも未来でもなく現在でもない"今"に感謝。 ああ、ちょっと回りくどいなぁ。
6日ともなれば、すっかり正月気分も形を潜めると思いきや、案外に琴の音などが呑気に商店街をこだまする。閉じている店も多い。
今日から前のイタリアン「Coccotti」や、BAR「RED G MONSTER」も営業開始だ。この二日間は特に夜が淋しかった。この六区で唯一の味方とも言える二つの灯りが消えていると、まるっきり深夜は閑となる。偶然とは必然なのだな、それくらい気の合う店が近くにあり、まだまだツキも落ちちゃいない。でも潰れちまう時は呆気ないものでもある。用心しなければならない。
いい気になっていると足元を掬われる、というのも訓戒だ。
楽しい予感と悪い予感が同居している緊張感の中、今年もひた進むのである。ゴールよりも経過が楽しめる。相変わらず思い付きで言葉を投げつけつつ、「START IT ALL OVER」はDOORS"Queen Of The Highway"からの一節。良い年にしよう!