ワッシャー TRASH


TRASH2月期

Up Data 02/16
「法螺話」
Up Data 02/07
「試運転」




「法螺話」

1999/02/16.ICCH


正直言って、とても淋しくなる時がある。居ても立ってもいられなくなる時。 誰でもいいから話をしたい。出来れば当たり障りの無い話を。そして、確実にそんな時に限って、その誰かが 居た試しが無い。談合して揃いも揃って行方を晦ます。益々、思いは募る。まるで、世界中に独りぼっちになった気分になり、前を向いていられなくなり、後ろばかりを振り返る。過去の亡霊が、たごまる。 後悔、残痕、欺瞞、不満、いくつも連なって、お礼参りだ。いつぞやはお世話になりました。 そんな連中と戯れていると、出口は無いような気にもなってくる。奴等はみんな死臭がするんだ。そこが心地良くなってしまうと、目は濁り、無気力、無抵抗になってしまう。ロボトミーだ。 入口と出口が共有されている事に気付かなければならない。入ったところから出られるのだ。 かと言って外に出たって景色は同じだ。やはり同じ地点に立ち、孤独感に苛む。あの部屋は暖かかったな。 またあそこに戻ろう。あなたがもしも生きる事に疑問を持っているのならば、あの部屋はヒントを与えてくれるやも知れない。それを掴み、外へ持ち出せるやも知れない。でも結局は中毒になるんだ。 あのサロンには近付かない方が良い。確実に命を削る。それでもと言うならば案内いたします。 そいつが死神だ!つぶら堂、カタツムリの殻、登っていくといつの間にか出口に出てしまう。 そんな夜も、一夜明ければなんのことはない。妖怪の類いと一緒だ。死神と連れ立って、カタツムリの塔を登ったはずなのに、化かされただけだった。間の抜けたつくり話である。

「リング」はよく出来たホラー映画だった。サービス精神旺盛なり。シチェーションといい、科学というお化けを絡ませたり、ちょっとお尻の浮く脅かしなど悦に入っている。楽しめました。 ただ怖いというだけでなく、今はループが必要なのだ。終りのない堂々回りだ。「らせん」は監督も違う所為か説明に終始していて、「エヴァ」の映画の決着にも似てる。「2」はどうなのでしょうかね? 「リング」を観ている時、あのビデオの場面でいきなり家のデッキが止まってしまい、それも映画の演出かと思っていたら、ほんとにデッキが勝手に映像を止めてしまっていたので、ゾッとした。 電話は鳴らなかった。鳴っていたら、おしっこちびっていたかも知れない。 さらに今日、携帯電話の伝言に、あのビデオのような妙な音が2分に渡って録音されており、またしてもビビッた。全部聴く方の身にもなってくれ。科学のお化けは怖い。

歯の治療が本日で完全終了した。実は歯石取り作業の途中で、またしても虫歯が発見されたのだ。 歯医者で虫歯菌を植えられているような気がしないでもない。最後に、"親知らず"も抜きましょうか?と尋ねられ、遠慮しておいた。 そりゃサービス過剰でんがな。皆さん、歯は大切にしましょう。マジで。 電動歯ブラシはオススメです。面倒臭がり屋にぴったし、しかも綺麗に磨けまする。

店でビデオデッキを購入して、こちらでも映像が楽しめるようになった。アンプに音を繋ぎ、スピーカーから 映像の音声を流せるようにして御満悦。しかし、スピーカーが拾ったミニコンポの安物だから、次はちょっと奮発していいやつ買うんだ。そういった訳で、最近は音響関係のハードがマイブーム。家電はある程度、裏切らないからいいんです。

テンションが低い。嬉しい事、楽しい事が、そのテンションを引き上げてくれるはずなのに、一旦上昇してからすぐに降下する。虫の息に於ける心臓マッサージ程の効果も得られない。まだ幼い頃、欲しい物を買って貰うと一日中嬉しさが持続したものだ。そのスパンが短くなってきている。それは感覚が愚鈍になったということなのだろうか?自身の気持ちを詮索したりなどするから、嫌気が襲うのか?いや元々、欲しくはなかったのだ。違う、欲しかったものが手に入った場合、嬉しさを装わねばならないから、そのポーズに反撥してるのだ。けれど、理由なんてよろし。素直に楽しめない心持ちが 問題なのだ。楽しみ下手は、いつも悲観ばかりして何も得られない。変な衒いを捨てるべきなんだ。つまりそれは、感覚が愚鈍になったとかいう事なんかじゃなく、成長していないという事ではないだろうか?しかし元来、ある感覚を一定に保つなどという技は、 不可能に近いはずだ。ある運動に対する反運動が無ければならない。一つの考えが浮かぶ時、同時にそれを打ち消す反対の解答が用意されている。だから絶対などというものなど、何一つ無いのだ。 思考の回路はいつでも堂々回りだ。都合良くでっちあげられたカタツムリの殻。 法螺貝の吹く声は四方八方に鳴り響く事から、仏の説法に例えられた。これが転じて、大袈裟なことを言ったり、出鱈目を言う事を法螺を吹くというそうである。思えば人間の頭の中なんて都合良く出来ていて、法螺貝の如くである。けれど、そこが面白さであり、楽しさでもある、はずなんだけどな。(自信無し)



「試運転」

1999/02/07.ICCH


深夜2時を回った。本来なら閉店して酒でも飲んだ暮れてる頃合いだ。確かに缶ビールは飲んでいる。 しかし、まだ店で粘っている。前の店の"Coccotti"の米さんが、ゾーサンベースを弾きながら乱入してきた。 飲み屋さんは楽しそうだなぁ。"眠亭"のグレちゃんが餃子を持ってきてくれた。嬉しいなぁ、夜食、夜食。 まぁ、こうやって店を開けていたからってどうって事はないのだが、なんとなく朝方までやってみようかと 思ったのである。違った景色は望めそうもないが、ココでこうしているのも悪かない。

まったりとほろ酔い加減で色んな事を考える。水泡の様に、現われては立ち消える。邪な考えや、希望的観測や、破天荒な事やら支離滅裂な事やら、そしてそれが消え失せた後はそいつらの痕跡さえ残っていない。 生きている限りは、無尽蔵に沸き上がる。この手の夢想に到達点は無く、ただただ浮いては沈んでいく。 欲望の泉が尽きないように、、、結局、言葉は言葉でしかないな。外面が違うだけじゃないか。 言葉を選び取る才能が無い。ROCK`N ROLLは、言葉を叩っ切り、一言に凝縮する。余計な語句などない。 研ぎ澄まされている。一語の背後に切り捨てられた百万語が潜んでる。だらだらと長く書いていられるという事は、それだけ無駄が多いという事ではないだろうか。批評ばかりしている作家は、何も書けないという。 とどのつまり、考え過ぎは良くないって事でしょうか。

こういった思考がリアルタイムで相手に伝われば超能力だけど、残念ながら余計な手続きが人には多過ぎる。 発信も受信も感度が悪く、思考をまとめ、言葉を選択し、状況を伝えようと躍起になるが、すでに状況は変わりタイムラグが発生し、ピントはぼやけてしまう。発信も受信も同時に行われるので収拾がつかなくなり、 かと言って一方通行だと面白味に欠けてしまう。やっぱり不正確だから人は楽しいんであろうか。 で、そこに差異が生まれ、外交的なお調子者は得をして、内向的な間抜けな奴は損をするという図式が成立するんでしょうか。損得は観念の産物ですが、この社会は結局そう出来てる。あ、ちょっと愚痴っぽい。 話を変えて、コミュニケートを求めてるはずなのだけど、先程のように手続きが面倒だと、つい口を閉ざしてしまう事が多い。分かってもらわなくたって結構毛だらけ猫灰だらけ(?)などと、意固地になってしまうのだ。それで結局、隔絶しているものなのだと思い込んで自身を納得させざる得なくなる。 とんだISOLATION気取りである。自ら放棄しておいて、他者の所為にしていやがる。 そんな笑い話にならないように、普段から演技が必要なのだと思う時もあるのです。まどろっこしいですね。

さすがに客足は皆無だ。もうすぐ4時になろうとしている。こういった事は、憶えてもらわなければ効果はないものだ。続けてみようかな。欠伸が多くなってきたし、もうそろそろお暇いたします。 とうとうこんな駄文を捏造してしまった。気を付けないといけない。