TRASH
TRASH3月期
Up Data 03/30
「雨の邪鬼、再び」
Up Data 03/22
「TRIP」
Up Data 03/15
「雨宿り」
Up Data 03/10
「産廃に参拝」
Up Data 03/04
「湯治で逃避」
「雨の邪鬼、再び」
1999/03/30.ICCH
寒が行きつ戻りつ、またまた雨模様。週末にも降られたし、春の御機嫌あまりよろしくないようです。
4月の頭には、家の引越しを控え、そろそろ荷物をまとめなければならないのだけど、取り立てて急く必要も
ありはすまいと鷹をくくっている。いや、鷹はくくらない、高をくくるんだ。いやいや、高をくくる前に荷物をくくらねばならないんだった。もう、どうでもいいや。4月の中盤には、HERE SCENES PRESENTS シークレットパーティーがある。と言っても、皆さんは食べる人で、我々が肴だ。どう料理されるんだろう?
結婚という儀式自体に否定的な立場を取ってきた自分としては、実に滑稽な事態となっている。
それでも懐かしい人達に連絡を取ったり、普段会えないような方々の顔を拝める事は楽しみでもあった。
結婚など制度でしかないし、たかが紙切れ一枚、役所に提出するだけの事でしかない。いや、他の人の過剰な夢や期待を邪魔する積もりもないし、話の腰を折るような悪意など皆目ない。結婚は過程でしかなく、だからその後の生活の方が重要なのだ、と言いたいだけである。何年ぶりかの友達の電話先で驚愕された様には、こちらが驚愕してしまう。いったい自分はどんなキャラだったのだ。その人のフィルターを通して眺める事が出来るならば試してみたいもんである。自我をその他者に反射してそれで自己を確立するとしたならば、やっぱりその人の気持ちを尊重する為にそのキャラを演じてしまうし、それで自身も納得してしまう。また、誰も自分の存在を認知してくれなければ、自己崩壊してしまうという記述もある。逆に、他者の自我を認知するのはこちらにしか出来ない訳で、支えあっているというか、お互い様というか、そんな心持ちにもなれる。
日々常々思う事は、良い波長にはそれに惹かれた者が集うし、悪い波長にはそれなりの者が集うという事で、
元来自分など不満や欺瞞や欲望の固まりみたいなものでとても往来を闊歩できるような代物じゃあないんだが、そこがそれフリーダムというやつで、それをまき散らして歩くのも、抑えて歩くのも本人の自由なので、
自分自身を窮地に追い込みたくはないので社会生活に順応した風を装う。とても卑怯かも知れないが、賢くもある。自由という言葉を使ったのは誤魔化しだ。ほんとは窮屈でならない。それでも悪意に囲まれて生きるなんて嫌だから、悪意を射出しない。この事も言葉にしなければ、誰も知り得る事のないただの思考の断片でしかない。計算式がどんなに複雑で猥褻で汚らしくても、答えは同じなのである。
だから、Aという人とBという人の、答えが一緒ならば、その過程を問わないでいただきたい。
あれま、随分と遠い場所へ来てしまった。迷子になってしまったようだ。雨がいけない。
雨の邪鬼は曲者である。屁理屈ばかり捏ねる。そのうちに雨足強まって、方向を見失って、揚げ足取られ、
滑って転んで泥だらけだ。揚げ足って、なんか美味しそうだな。いけない、日本酒でも飲みたくなってきた。
揚げ足って、熱燗に合いそうだ。こうして悶々と、バカな妄想は尽きないのであった。
「TRIP」
1999/03/22.ICCH
電池切れ、充電しなくっちゃ。10時間で充電完了、と思いきや、眠り過ぎたのでしょうか、身体がだるい。
この数日の雨ですっかり桜の開花予想も変わってきたようです。今日など強風で早咲きの桜など、丸裸にされてしまっていた。風は、春の盗賊。
名古屋の実家へ嫁さんを連れて出掛けた。自分の母親と嫁さんは、ほとんど初対面であった。
妹と弟が居て、東京から父親も集まったので、何十年ぶりかの親子会議となるはずだったのだが、そう簡単に
一堂会す訳にはいかず、急に弟が欠ける事になってしまった。家族というやつも、一旦離れ離れになってしまうと、なかなか機会を見つけるのは難しいものである。個人的に、会える状況はセッティングできても、人数が増えると、まるでバンドのリハーサル状態。誰かがマネージャー的役割を果たさねばならず、やれスタジオに予約の電話だの、空いてる時間の確認を個々にとってだの、忙しい事。互いのリスペクトが無ければ、とてもやってらんない。そんな訳で、とりあえず、腹の大きい嫁さんを紹介して、手打ちとなりました。
偶然にもWillie`sのライヴが名古屋であり、大須観音観光し、ライヴを観てから京都へと向かう。
前回もお世話になった銀閣寺の近くトリちゃん家で厄介になる。毎回、毎回、お世話になります。
京都は随分、気に入っている。住みたいぐらいだ。お寺や神社が、まるで自動販売機のように点在するから、お手軽だ。先住者の恥や喜怒哀楽やそんな遺物と共に、コンビニやファーストフードや今の我々の生活が混沌と交ざり合い、調和している。「今」という時間に、「昔」が大きな顔して居座っている。
雨の中、付き合ってくれたトリちゃん達に感謝。山の上の鳥居を越え下った先に「ジョーのガレージ」という
レコード屋があり、それも不思議な感じがした。たった一日の滞在で、急ぎ足で東京にトンボ返りだったけど、何か行かなければならない因縁でもあったのだろう。RPGの如く、ココに立ち寄らなければ、クリアー出来ないという類いのものなのかも知れない。東京に着いてから、下北沢でHEADSのオフ会でした。
遅れた上に、初めて会う方々ばかりで、酒に飲まれてしまった。酒も薬も女も賭事も、使用法を間違えるといけない。セットとセッティングは重要だ。規制されるものではない。自身の心の問題だから。
そうした訳で、電池は充電を要した。いつもいつも同じ場所に帰結しては面白くない。
でもバッドになると、それさえ気付かずに自分を消してしまいたくなる。求めていた景色と違うという理由だけで。余裕が無いんだな。もっと経験値と戦闘能力とアイテムを集めなければ。
来月には、また引越しをする。移ってから一年しか経っていない。そう、何処に行き着くか分からないから、生きてるのは楽しいんだ。見飽きた奴らにゃオサラバするのさ。さよならだけが人生さ。
そんな旅は、これからも、まだまだ続いていくのです。
「雨宿り」
1999/03/15.ICCH
雨降り、雨垂れ、雨曝し、雨傘無くして雨宿り。
空振り、空籤、空騒ぎ、から傘飛ばして空威張り。
下手な遊戯で誤魔化して、客足待てども待ちぼうけ。こりゃいけねぇ、すっかり間延びした欠伸だ。
こんな日は家でゆっくりしている方が良いようです。それでも、我慢がならないのならば、外の店で泥酔してしまいましょう。正体無くして、後悔をたっぷり飲み干しましょう。そうしてるうちに春なんてことになっている。お酒を嗜まない方には、こんなビデオは如何でしょうか?
「FISHING WITH JOHN」ジョンルーリー監督・主演のセミドキュメンタリー映像です。
こいつはいけてる。構えて見てはいけない。肩の力を思いっきり抜いて、そう口なんかあんぐりと開けっぱなしの方がいい、いい加減な話です。思考などという余計なものは、捨ててしまって下さい。
即興で書いたとしか思えない「FISHING WITH JOHN」という曲がリフレインします。
いつの間にか口ずさんでしまう。ビデオ1本に2編が収められた3本組ビデオです。
1本目のゲストはジムジャームッシュとトムウェイツ。「獰猛な海の王者、サメとの格闘物語」と副題が付けられ、気付いたら都会から大海原へ、サメを釣ろうという必然も無ければ説明も無い。ジャームッシュが
「俺はなぜココにいるのだ」と何度もこぼす辺りが、笑いをそそる。エピソード2は「川を渡り、ジャングルを抜け、男達は行く」トムウェイツの、とぼけた動きに注目だ。無論、そこに意味などは何も無く、けっこう喧嘩腰になってしまったりする。男にしか分からない、男の男による 男のための冒険旅行だ!
これでお分かりの通り、題名通りのフィッシングするジョンルーリーな訳だ。素晴らしく間の抜けた会話や、だらだらと釣りに興じる男達を、我々観客は「なぜ?これを見ているのだ。」という感覚に陥れる。
2本目はマットディロンとウイリアムデフォーだ。「世界中の釣り師よ、踊れ!」う〜ん、ひたすらバカバカしい。「氷点下40度以下、極限の冒険の結末は…?」もう、メチャクチャでんがな。私はウイリアムデフォーを結構好きである。そうか、いい奴なんだなぁ〜彼は。でも、この結末っていったい???
言いません。言ってなるものかぁー!
そうして3本目、いよいよ大御所デニスホッパーの登場である。「選ばれし者だけに許された冒険旅行」と
「巨大イカを追え!」もうイカすぅー!私は未だ曾てこんなにイイ加減な物語を見た事が無い。
褒め言葉だ。ふぅいっしーん、じょぉ〜ん、と思わず口ずさみつつ、是非御覧になる事をオススメいたして
、雨の下北沢一番街よりお暇いたしまする。
因みにこのビデオは、RED Gのまー君に借りたもので、レンタルビデオにあるかどうかは分かりません。
1本3800円、購入するしかないかも、です。雨の邪鬼より。
「産廃に参拝」
1999/03/10.ICCH
「ワールド・イズ・マイン」最新7巻、発売されましたね。トシ・モンに、マリアに、飯島&星野、そしてヒグマドンと役者は揃いました。一点に向かって集結する寸前で、次回乞う御期待!となってしまいました。
世紀末マンガの行方は如何に!?「
先先日、深夜のドキュメント番組を見ていたら、栃木県那須の産廃(産業廃棄物)問題を取り上げていた。
那須といえば、前回に書いた「湯治で逃避」の温泉がある場所である。
自分は自分、他人は他人、生活は生活、仕事は仕事、そういった感覚はココでは無しにしたい。
伊豆諸島の三宅島の市長の言葉と同じ、「土を被しちまえばいい」といった無神経なコトが平気でまかり通っていた。産廃業者は有価物と主張して廃タイヤを山積みにして、自然発火を誘発する。大きな穴を掘って、医療廃棄物(注射針など)から、絶対土には戻らない人工加工物まで、何でもかんでも放り込んで、土で埋めてしまう。その結果、すぐ脇の川は赤いヘドロ状の汚水となっていた。いくらその水が安全と栃木県が主張したって、異常で無いと言う方が狂っている事は明白だ。あの、この世のものとは思えない赤みを帯びた川は異常だ。そして、あんな仕事が蔓延っているのも、事勿れ主義、臭いものには蓋、責任転嫁を由としていた我々の体質の所為である。業者にしてみれば、需要があるから供給する訳で、旨味があるから不法投棄するのであろう。ただ、そいつを逮捕したからといって、汚染された土地は絶対元通りにはならないので、被害を一方的に被るのは地球だけである。川が流れて田園地帯の作物へ、土地の者は絶対そこで収穫した物を口にしないそうである。結局、廻り巡って都会へと循環し、そのツケを支払わされ、誰も救われないという話。
もうどうにかなるさという段階ではなく、すでにあらゆる毒が蓄積されている。見て見ぬ振りをして、何十年過ぎたと思っているのだ。誰かの金権の為、目の前の小銭の為、一時の安息を得る為に、なぜこれから先、何百年も費やしてそのツケを無関係の人が支払わねばならないのか。
あの那須高原の目に触れない奥地で、そんな事が起こっていた。「戦争博物館」の脇の草木の禿げた牧草地帯で、のんびりと馬が何頭も戯れていた。牧歌的な景色である、と、よく見てみると馬の目には精気が無い。
寝そべる馬の身体は赤く爛れて、畸形の子馬が涎をたれ流していた。そう、あの土地はきっと産廃を埋め立てた場所なのだろう。無気味な雰囲気に戸惑いながらも、事情を知らない自分はその景色だけを信用するしかない。一見しただけでは、埋め立て跡などという事は判らないし、病気の馬が居るぐらいにしか思わないのだ。
そして、これを摘発したからって、何も変わりはしないことも分かっている。
出来る事はなんなのだ。テレビは流しっぱなし、その視聴者も言いっぱなし、この悪循環を止める術を持たない。群馬、埼玉、栃木と、近県へ東京のゴミはたれ流されていく。我々が死んだら、きっと身体は腐らずに幾日かはそのままの状態に保たれるんではなかろうか?これだけ防腐剤が蓄積していたら、きっとそうに違いない。我々の死体は蛆も顔を背けるぐらいに、土には戻れない。産廃は、我々なのではなかろうか?元凶やね。
憤りも通り越し、諦めの顔が擡げ、無関心の心地に帰結する。何もしなければ、何も変わらない。
自分は自分、他人は他人、生活は生活、仕事は仕事、言葉は言葉の範疇を離れる事はない。
つまり、ペンは剣よりも強し、ではなく、ペンはペンであり剣は剣でしかない訳だ。
ちんけな自分達は、「風の谷のナウシカ」のような自然治癒力に頼らざる得ないのか?貸したものは返さなければならないのだとしたら、これまで恩恵を被ってきたことを返さねばならない時期になってきているのかも知れない。
「七夕の国」最終巻を読み終えた。窓の外は、幽閉だったのか、それとも入口だったのか?
どちらにしろ誰かに干渉されて(鎖に縛られて)いるという事を気に掛けて生きるより、ナン丸君のように
生きる方がどれだけ楽しいか。幸せな結末で良かった。
前向き、と、後ろ向き、が微妙に繰り返す、季節は春でした。
「湯治で逃避」
1999/03/04.ICCH
2月を急ぎ足で駆け抜けて、3月の足音と共に花粉の洗礼を受け、頭痛と鼻水に悩まされながら、2日間の連休を取り、高円寺「ヨーロピアンパパ」の店主・新童氏と温泉に出掛けた。
栃木県那須高原の奥地、黒磯駅まで各駅停車の旅、バスで那須街道をひた走り、さらに乗り換えて一日3本しか運行していないバスで山を上がる。那須街道沿いの観光地名所のあまりにも突拍子もないネーミングに驚かされた。看板が乱立していやがる。「サファリパーク」は許そう、しかし「3Dホラー館」や「メルヘン水族館」てのはいったい? 「トリップアートの館」「お菓子の城」「戦争博物館」て、建てりゃいいってもんでもないだろうに。「黄金の巨大神像」にはさすがに腰を抜かした。商魂逞しき、ポップでキッチュな感覚さえ
漂う、秘宝館もビックリである。そんな色めき立った通りを過ぎ、だんだんと旅人に無遠慮になっていき、ぶっきらぼうな木々だけが出現し、地肌は白い雪で覆われ、我々が向かう北温泉口というバス停にほっぽり出される。天候は良い。雪は30cm程積ってはいるが、暖かくポカポカ陽気でノンビリとしたもんだ。
求めていた静寂がそこにはあった。そこから約30分の行程、さらさらした雪に触れるとすぐに体温を奪われた。頼まれてもいないのに道すがらの雪を除雪して歩く。廃墟と化したホテルは半分雪に埋まり、妙な好奇心を駆り立てる。車道から山へと繋がる細い歩道に入り、10分程曲がり坂を下っていくと目指す宿が見えた。
見下ろす宿の姿は、なんとも古粧しく黒くくすんだ木造長屋は情緒感たっぷり、だるまストーブでむっとする玄関では、これまた宿と同化した親爺がお出迎えなり。とにかく重い空気が新鮮な刺激だ。アンティークな待ち合い処、米櫃がテーブルだったりして灰皿ひとつとっても歴史の重みを感じた。さらに落ち着いて周囲を見渡すと、地蔵尊が一画に奉られてあったりした。後に探検したところ、この宿自体、温泉の通り道となっていて、廊下のすぐ脇にある溝2メートル程下降を、湯気を立てて温水が通っていく。つまり、温泉の通る岩石の上に、地形を崩さずに宿を建立したようである。仲居のお婆さんに案内されて、部屋へ通される。
この仲居さんは、とてもぶっきらぼうである。80歳近いお婆さんは、食事にお酒を付けてくれと頼むと露骨に溜息を吐き、追加無しにしてくれないと何度も往復しないといけないから一度に注文してくれ、と宣わった。都会でどっぷり似非スマイルに飼い馴らされ、ファーストフードサービスに毒された我々には、いい刺激である。この宿は、まるで迷路であった。地形を殺さずに、岩石にしがみつくように建物が引っ付いているので、いきなり妙な場所に階段があったり、岩肌が剥き出しになった所が出現したり、風呂場へ行くのも冒険だ。まだ明るいうちから、早速、浴衣に着替えて温泉へ駆け込む。最初に行ったのが、まだ新しい総檜造りの脱衣場のある露天風呂。行程、工事中の簡易通路を抜け、大腸のように入り曲がった先にある。
露天風呂からは、ダムから落ちる川を眺める事が出来る。全裸のまま雪の上で火照った身体を冷やす。
雪と山と川に囲まれた温泉、もう感嘆の声しか上がらない。「ばぁー」だの「おぉー」だのといった声だ。
さらにはしご湯して、玄関脇から外に出て、泳げるプール湯とのお題目の露天風呂。脱衣場の小屋内にも恥ずかしがり屋さんの為に小さな風呂がある。それにしても25メートル四方の露天風呂である。
よく覗くと洗っていないのだろう、苔がびっしりコンクリを覆い、湯の水面にまで浮かんできていた。
透明度は無く、さらに、すぐ脇では増築作業中の工事が行われていた。明るいうちは避けよう。
夕方5時には食事が部屋に運ばれた。食事は期待しない方が良い。この時間帯にメシを喰い、酒を飲める事が重要なのだ。しかも風呂上がり。仲居さんが運んでくれなくても、なぜかしら妙なところがハイテクで自販機が並んでいるから、ビールだってウイスキーだってワンカップ酒だってある。
もう一つ不思議なのが、ここの注意書きは日本語と英語と梵語て事だ。その謎は、タイ人の従業員が深夜、電話にかぶりついていた事で解けた、が、しかし、いきなり人気の無いロビーで声が響いているのは怖かった。
さんざん酔っ払うと、プール湯の汚さも眼中に無くなり、飛び込み、泳ぎまくった。
眩しいばかりの月明かり、星空を、湯に漬かりながら無心に眺める。ほんと、からっぽになった。
そして、また部屋で飲む。旅の疲れが出たのだろう、彼は高鼾を上げ始め、自分は独りではしご湯と酒の往復。一番、高い位置にある天狗湯は、その名の通り、大きな天狗の面が2つ壁に下がる室内湯だ。
高い位置というのは、まず本流がここへダイレクトに流れ込み、それから旅館の下を這い回り露天風呂へ配給されるのではないかと思ったからだ。理由は、一番温度が熱く綺麗な透明度だったから。
外でまた星空に浸っていたら、他のお客さんが音も無く湯に侵入していて、心臓が飛び出そうになった。
一旦、得も知れぬ恐怖感に捕らわれると、なんだか、独りで動き回るのが怖くなってきて、よく考えたらお化けの出そうなロケーションは完璧で、急いで部屋に戻って布団を被った。
廊下の壁に展示してある、兜だの、戦争の攻略地図だの、軍曹達の肖像写真だの、気味悪いんだよね。
仏像や地蔵には安心感があるんだけど。そうして、一夜明け、朝風呂に朝食。また朝一番ビールが上手い!
バスの時間を見越して、お世話になった北温泉旅館を立つ。一週間ぐらい長居をしたら、あのお婆さんももうちょっと愛想が良いのかな、などと会話しつつ。温泉宿で、缶詰めになり執筆というのも憧れる状況だけど、
自分は書く方じゃなく、読み耽りたいな、と思った訳である。帰途の道、廃墟のホテルに忍び込んでみた。
そんなん大好き、なんです。いやぁー凄かった。雪をよじ登り、2階の窓から侵入、立派なホテルであったろうに人の気配が失せると、あっという間に自然回帰し始める。いったい何がここであったのだろうか、ホテルの設備はそのままで、まるで夜逃げしたかのようだった。腐った畳、雪で圧し潰された風呂場、食堂には鍋が並び、やはり侵入者は多いのだろう、明らかに誰かが住んでいたらしき気配やイタズラ書き、ガラスの破片、
そうして走り去る猫の姿も見つけられた。雪、風は防げるのだから、山の動物のシェルターにはもってこいだ。モタモタしていられない、バスの時間を見送ったら2時間待ちだ、と急ぎ足でバス停へ行き、無事に麓まで山を下った。雪の姿も、下る毎に消えていく。南ヶ丘牧場というところに寄り、ミルクを飲んだり、馬に跨がったり、マス釣りしてその場で焼いて食したり、バスの乗り継ぎに間に合わなくて街道を随分歩いた。
軍歌流れる「戦争博物館」前でバスをやっと捕まえ、ヘトヘトになって駅から電車の長旅だ。
さすがに疲れのピークを迎え、新宿に到着、しょんべん横丁にて打ち上げ。また酒が上手いんだな、これが。
と、確定申告前、能率を考えて一息ついた温泉旅行でありました。
関東にお住まいの方々、東京から黒磯まで3時間、片道約3千円の電車賃、バスは高めで2千円ぐらいかかったかな。宿賃が7千5百円なり(酒代別)出掛けてみては如何でしょうか?ちょっと癖になりそうです。はい。
3ヶ月に一度は、こんな小旅行がしてみたいものです。長々と御拝聴、ありがとうございました。