TRASH
Up Data 05/28
「風邪待ち」
Up Data 05/23
「Sun Going Down」
Up Data 05/13
「二枚舌」
1999/05/28.ICCH
昨日はずっと床に臥していた。貰い風邪が、調子に乗って自己主張をしやがって、大家母屋を取られるの図であった。強風が窓を叩き、隣のガキが泣叫んでいて、嫌〜な汗ばかりが皮膚を侵食して衣類を何度も取り替え、風邪薬で朦朧となった頭に思い浮かぶことといったらまるでマグリットの世界で、なっちゃいない。 そんな中で、誰かにとっては何らかの意味を持ち、また誰かにとっては何の価値も持たないコトを考える。 タイミングとチャンスがデカい顔をする世界。
MUSE 捨て去られる芸術 拾われる駄作 価値のある閃き ひるがえす 空虚の羽 薪のように 薪のように 埃まみれの都市 さらわれる草木 打算のある葛藤 朽ち果てる 狂気の羽 薪のように 薪のように はしゃぎすぎた ミラーボール 約束された ダンス 湿疹のように赤味が増していく 埃まみれのMUSE 囲いのなか 変身を遂げる 詩の化身 死の化身
95年、結局、曲はつかないまま捨て去られた詩。曲がつかなかった詩は死んだも同じだ。 誰の前にも表す機会もなく、無かったコトと同じコトだ。
君ヲアゲヨウ オシヨセル 盗賊ノ波 ミサカイナク 盗ンデイク 春風ノヨウナ 恋心 ツツガナク 奪ッテイク 分ケアタエル モノガ アルトキハ 惜シミナク 底ガ尽キルガ 早イカ タチマチ 消エ失セル 君ヲアゲヨウ 利害ノナイ アノ場所デ 君ヲアゲヨウ 感情ヌキニ アノ場所デ
これは使われた。どちらにしろ、中途半端な言葉遊びから逃れる術はない。 数回ライヴをやっただけで空中分解したバンドで、結果的に技術不足の自分は解雇されたのだ。 「TRANS HERE SCENES」と名付けられたこの形態は気に入っていたのです。そうして、お気付きの通り TRANSを取ってHERE SCENESという語呂が残ったわけである。 ま、そこらへんの凝りをほぐさないと、いつまでも燻ってばかりなんである。
それにしても、この鼻水ってやつはどこで生産され、なぜにこんなに無限軌道的に流れるのであろうか?
あまりにも鼻をかみ過ぎて、耳は薄いセロファン越しに音を聴いているようななんとも掴みところも無い状態で、実体をくっきりはっきり掴みたいのにするりと手から抜けていきイライラする。
昨日ずっと寝ていたっちゅうに、まったく、手に負えない流行り風邪である。
何はともかく、こいつ待ち、て事でしょうか?くしゃみの度に、ビローンと鼻水垂らしていたんじゃみっともなくて、何も出来やしません。
1999/05/23.ICCH
ね、上のような駄文が一番良くない。甘えきった怠惰な文章である。既成の形態を打破しようとして、途中で挫折して、弱腰、逃げ腰、へっぴり腰で方向転換、オチらしきものを捏造してオチてるんだかオチてないんだか、あやふやなまま、えい仕舞だ。だいたい、この部分だって、自身が自身の文章を否定していくありがちな手段じゃないか。そうやって追い込んでみても、無い袖は振れない、か。 思い浮かぶのは駄洒落ぐらい。誰じゃ、駄洒落。バカだねーこいつは。もう自己陶酔の世界だねぇ。 あんまり上等じゃないから、どうしたかったのか羅列してしまおう。 美しい詩に宿る狼のコト、例えば禁忌的な言葉について、相手に伝われば 言葉の目的は達成されたのではないのか?その意味で、前に筒井康隆氏が断筆宣言をしたような状況は改めて言うまでもないが、御託を並べ立てていた方々は、言葉の捕らえ方を間違っている。というより曲解している。悪意的でもある。 誤解を恐れずに言うならば、黒色人種の人々を黒人とかニグロとかニガーとか、様々な呼び方で括ることは、そのテーマに必要なならば必要だろうし、その場合、言葉は言葉でしかなく、後はそれに附随してしまう感情論の話になってしまうのではないのか。勿論、そこに明らかに悪意的にその言葉を使用するならば、使用者はその言葉に報復されるだろう。しかし正直言ってよく分からなくもなる。手塚治虫氏のマンガの最後に、「読者の皆様へ」と但書があり、まさか彼の作品を読んでいる者にわざわざ曲解するような輩は居るはずないとは思うのだが、それでも但書はある。差別意識、、、それはいけない事なのだろうか? 人種差別、身体差別、確固たる良識がそこにはあり、そしてそれに惑わされない意識はすでに存在し、いや教育されたのか訓練の賜物か、でも但書は消されない。その但書がある限り、その思想も意識下に存在する。 差異が人を掻き立て、資本社会はその差異の競走で成立している。差別意識は個人レベルで躍動しているはずだ。やっぱり、まとめる事など不可能ですね。レベルが追付かないし、すでに負け戦的様相だ。 ご免なさい、ご免なさい、ご免なさい。
我々のDNAを解析すると、アフリカの男女に行き着くそうだ。 北京原人やジャワ原人は絶滅の種で、地球上の全ての人はアフリカのそのカップルから枝分かれしたそうである。それを考えると、何はともあれ、やっぱり兄弟、親類縁者だらけなのですね。 もっと解析していくと、ゴリラやチンパンジーなんかモロに我々人間からの枝分かれだし、地球上の存在物は 全部一つのところへ行き着くのは当然の話。哺乳類は勿論、爬虫類だって、昆虫だって、微生物だって、植物だって、海だって山だってレコードだって自転車だってコンピューターだって、、、言葉がそれを区別しているだけ。だけど、それがどうしたって言われれば、それだけのコト。どってことない。 それを意識するのは、どこにあるんだか分からないけど心だけという、心ここにあらずな、いえいえ、心許ない話なのでした。おお、まとめたぞー!
Sun Going Down
あやしい 雲行き 泣きわめき 悩みつづけ
前なんか向いちゃいない 後ろしかみていない
過去ばかり 見つめつづけ 泣きわめく 資格はない
前なんか向いちゃいない 後ろしかみていない
時間なんか欲しくもない
生きるためには 黙っていることだけ
未来を産み落とすため
陽は 沈みつづけていく
岡林信康「わたしたちの望むものは」を狂い咲きライヴで、全て逆の言葉で歌う。
例えば「生きるために」を「死にたいために」といった感じで歌う。
10年前、それを聴いた時にすごく感動して、その時に生まれた詞でした。
それからも、喜怒哀楽、貧乏人、金持ち、職種、生死を問わず、陽は昇り沈み続ける。
自然には差別は介在しない。善いも悪いもない。だからって、どうってこともないし、向こうもそんなに気に
していないように思われます。
1999/05/13.ICCH
舌の根の乾かぬうちに、心の居場所を考える。一般的には脳髄が指揮を取っているかのように見えるが、結構こいつは無頓着である。我関せずで、できることは各々でやりなさい、と惰眠していやがる。それぞれの器官が独断で動く場合が多いようだ。つまり欲求だのなんだのは頭ん中で沸き上るが、生命維持や危険回避などはそれぞれのセクションが勝手にやっている。とすると、たくさんの役割を持った単細胞の集まりが人間となる。合体と離脱を繰り返しながら、進化の過程で寄り合いみたいなものが出来たのだ。命令系統は脳髄なのだろう。自分は、常々脳髄だけを切り離し、生きられないものかと考える。進化の最終形ではないだろうか。
生命維持のセクションは機械仕掛け、五感をフル稼動すればまるで現実に活動しているかの如く、ヴァーチャルリアリティの中で生きられるのが人間だ。この際、頭の中へ引き蘢る事を提案したい。
そこで戦争でも強姦でもやればいいんじゃなかろうか。無論、はいそうしますよーと決定したって合意なんて得られやしない。革命と進化は、突然変異だ。自分も含め、オールドタイプは今を生きるしかない。
舌先三寸でやっつけた積もりだったけど、心の居場所は依然分からず仕舞だ。身体中の細胞が思考をしているのだとすると、脳髄だけを引っぱり出してもうまく機能しないのではないか?人間はやはり肉体があるからこそ、存在できるのか?さーてね、さしあたって、この先、人はどうなっちまうんでしょうか?
遺伝子操作で豚に人間のDNAを組み込んで臓器提供豚を造るとか、赤ん坊はお腹の中でDNAを弄られ親の思い通りに仕立て上げられるとか、そんな異種混血やらが進むならば、もはや人間の常識や道徳などは隅へ追いやられるだろう。あの小説「花粉戦争」の様相だな。この電脳世界も進化していくならば、人との混血だって無論生まれるだろう。境界線や約束作りに躍起になっていると、取り残されるぞ。禁断の木の実は甘いそうだから、神に背いても、そいつを噛み砕け。
舌足らずで申し訳ないが、自身も含め、ほんとにだらしない人間を見ていると、極論に走りたくなる。
きれい事を並べたてたって、機会さえあれば白いキャンパスを汚してやりたくなったり、引き裂いてやりたくなる。解脱など無理だよ、凡人には。だから屁理屈や空論で武装する。つまり、草原や野山を駆け抜ける爽快感も、都会の片隅で無気力感に浸るのも、刹那主義も快楽主義も、愛と平和も、許容できる。
物差しを変えれば、善悪なんて存在しない。アダムとイヴが知恵の実などを、舌舐めずりして食すからこんなことになっちまうんだ。現在、原罪進行中(笑)。
そして、背徳行為も殺人も戦争も汚染も、善悪ではなく、生死の問題でしかない。
喧嘩を仕掛けると、殴られるからやらない。理由は殴られると痛いから、喧嘩が弱いから、御託はいくらでも続けられる。でも人類は力の歴史なんだよね。それが分かっていても、自由を制約する。見返りが怖いからだ。相手を傷付ければ、その責任は自分に返ってくるからだ。自分が崩壊するのが、怖いんだ。
そうやって、どんどん制約を設けていき、身動きできなくなっていく。悪態ばかりつく。
結局は行動をする事も、行動しない事も同列だ。でもその答えを持っているのは、本人だけである。
そこのところに対抗できるのは、それぞれの美学といったところか?
煮詰まってきた。希望の裏には絶望、快楽の裏には苦痛、誰も肉眼で自身の背中を見る事が不可能なように、
その存在を感知できない。だから二枚舌だ。肯定も否定も危険だ。中の庸。本当のことを言えば殺される。
それでも本当のことを言おう。今、掴めるだけの真実を言うことが罪であろうか?
真実は人を傷付ける場合もある。だからこそ。罰を受けるのは、誰だろう?
結局、自分は最後には、閻魔様に舌を抜かれちまうんだろう。けど、二枚あるもんね。
お後がよろしいようで。