TRASH
Up Data 06/23
「2周年-3回忌=-1余白」
Up Data 06/19
「by chance」
Up Data 06/11
「付け焼き刃」
Up Data 06/05
「INSTANT」
1999/06/23.ICCH
ものすごく懐古的だが、その丁度一年前に、飼っていた猫のBITCHが死んだ。 その彼のためにページを開設した、というと聞こえはいいが、単なる切っ掛けに過ぎない。 ビッチが死んだその当時は、何もかも消し去りたくて、少し自暴自棄になっていたからだ。人の念の力を思い知った。その頃、5年程付き合っていた女性と別れ、海水魚は海へ放流し、えい何でもかんでも荷物を減らしてしまえ、と半ば感傷的、半ば自虐的になっていた。ほら、破滅に酔う快感というやつだ。 もっと下降しよう、もっと滅びたい、というリリシズム、上昇も下降も同列の快感を得られる。 一般的に言えば、勘違いということになるんだろうが、思い込みは加減を知らない。 ビッチは数週間絶食状態で、恰幅の良かった身体も見るからに痩せ衰え、さすがにヤバイなと思い、病院へ収容した。その頃、自分は諏訪湖へ暢気に温泉旅行。諏訪神社で御祓いなんかしていた。 帰ってきたら、居なくなっていた。白状すれば、もう猫の世話なんかご免だった。最初から、猫も女も、その 頃自分に付きまとっていた全てのものは、勝手に向こうからやってきたものだと思っていた。 厄介払いだ。そこで大掃除しなければ、この妙に臭みを帯びた呪縛からは逃れられなかった。 その念いが彼に伝わったかのような死に様だった。本当は、全て自分自身で選び取った選択だったコトには 気付きもせず、足掻いていただけなのに、死んだ方が良かったのは自分だったのに、ビッチは居なくなった。 もちろん、そう考えたのはそのビッチの死というアクションがあったからであり、何とかその説明を捏造しなければ自分自身のバランスが崩れてしまうので、こじつけている部分も少なくない。 実際のところ、奴が自分の身代わりになったなんてそんなドラマチックでバカバカしい事実は、どこにもない訳で、誰であれ誰かしらに生を強要出来やしないし、死の強要も同じくだ。 選び取ることが出来るのは本人だけで、やっぱり自分で立てない者を起してやるのはお節介な話だ。 でも、目の前で自殺をしている奴を放っておけない、ということに便利な言葉は見つからない、利己的に言えば自分の気持ちの保全の為でもあるし、助けたいという素直な気持ちでもあるし、理由などは後からくっついてきたオマケに過ぎない。と、ここまで話してきて、帰着点を見失ってしまった。 あまりたくさんの穴を言葉で以て埋めてしまうことは、どんどんと事実の歪曲に繋がる。 埋め立てて新しい土壌を造るコトは、どこかで歪みを生むコトになるのだから。 そうして、言い訳のため、感謝のため、哀悼のため、このホームページを始める切っ掛けになった。 今はここまで。
器用貧乏、という言葉がある。あまりいい意味では使われない。何でもやれるけど、それだけで、たいして特筆すべき才能を有していない、つまり結局、不器用でも一つのコトに対する集中力、一点に対する執着、そちらの方が最終的に勝るというコトであろうか? 弾き過ぎるギターは嫌われ、話し過ぎる小説家はテレビショーの司会者になった。 言葉をろくすっぽ知らない癖に多用して、相手の気持ちも判らない癖に代弁して、今でもやはり利己的なのでしょうか。 ホームページも3年目に突入して、少しは何かが変わるのでしょうか?
「私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。私の最も憎悪したものは、偽善であった。」
太宰治/苦悩の年鑑
またしても引用してしまった。
1999/06/19.ICCH
テメエが安心して休める場所は、やはりテメエの中にしかない訳で、酸いも甘いも苦いも辛いも分かり過ぎる程分かっているから、高いびき出来る。それでいて夢に出てくるような不可解な自分自身も内包している。 まだまだ未知数な風景を持っている。しかしそれすらも、外から何らかの影響を受けなければ、ひたすら退屈な景色が横たわるだけだ。引き出しの鍵を持っているのは、偶然だけである。 たくさんの引き出しを開けるためには、たくさんの刺激が必要だ。持っているものを使えないという事ほど、つまらないコトはない。こうして、内から外へ、外から内へ、形を変えつつ、姿を変えつつも、ハイウェイが出来上がり、たまに渋滞、たまに事故、たまに通行禁止、にもなる。 それにしても、まったく口が達者だ。磁石のようにどんどん何かをくっつけてしまうから、本体があやふやになってしまい、言いたかったコトを見失う。立派な包装紙に包まれた大箱の中には中箱、その中には小箱、そしてカラッポといった感じだ。だから、どーしたってんだ、チキショー、いやいや失敬、本当に説明は簡潔な方が良いものだ。否、説明など無い方が良い。「好きだ」という気持ちに、混ざりものは不格好だ。 不潔でさえある。最初に浮かんだ言葉が正解なのだろうが、とかく体裁を整えがちで、見た目は良くても中身が、やっぱりカラッポ。そんな怪談も、場数を踏めば、真実となる、、か?
「人は弱さ、しゃれた言い方をすれば、肩の木の葉の跡とおぼしき箇所に、射込んだふうの矢を真実と呼んで誉めそやす。けれども、そんな判り切った弱さに射込むよりは、それを知っていながら、わざとその箇所をはずして射ってやって、相手に、知っているなと感づかせ、しかも自分はあくまでも、知らずにしくじったと唸って、本当に知らなかったような気になったりするのもまた面白くないか。」
色々な人と話をするのは面白い。そして、チャンスだ。口下手な自分は、いつでも何かを持って行かれたような気分になったり、持ち込まれたような気分になったり、言いたい事の半分も言えなかったりする。
それでも随分とマシになってきた。また、これは違う話になるが、良い話は伝わり難いものだが、悪い話はすぐに伝染する。悪意のスピードは驚くべきものだ。そんなところにも、人の暗い部分が潜んでいるように思える。みんな知っているんだな、いいコトなんかありゃしない、てコトを。
それでも、いいコトがある、て思って生きていくんだな。そんな人達が好きです。
1999/06/11.ICCH
今日、店の床を修繕した。修繕というよりも、補強と言った方が良い。ゴム製のカーペットの土台が抜けて、 まるで落とし穴が至るところに出現して、お客さんを罠にハメるような状況だったので、そのカーペットの上に鉄板を被せてやったのだ。それにしても、付け焼き刃だ。土台の木材は一体どうなっているのだろうと探ってみたら、なんと腐っていやがった。これはこんな気休めな方法で、どうにかなる問題じゃない。 早いか遅いか時間の問題で、床は抜けるであろう。まったく今さら言っても仕方無いが、最初から床など面倒でも取っ払ってしまえば良かったのだ。と偉そうに講釈たれても、何しろ安価で仕上げる為には、前の店の資材を生かしたこの方法しか無かったのだが。とりあえずの応急処置だ。シチューを作っていて、味が薄いからって塩やら醤油やらを計量もせずぶち込んでみて、後悔するようなもの。煮込んだ後に、味を足したからってどうにかなるもんじゃない。手遅れだ。やれるコトと言ったら、そのシチューを泣きながら胃袋に流し込むか、友達を呼んで無理矢理押し込むか、最初から調理し直す他ない。自分なら、美味しく食べたいから最初から作り直します。いや外食するかな。とにかく、ここでも騙し騙し使って、長生きさせるしか手はない。 近道が遠回りだったなんてことは、よくあることだ。そして、いつか、床の土台を撤去せねばならないコトは、誰の目にも明白な事実であろう。
蜂の巣を突いたかの如く、寝た子を起こすと、次から次へと難解な壁にぶち当たる。 連鎖反応で、ドミノ倒しのように、問題が顔をもたげるんだから、嫌になっちまう。 解決したと思ったらその先にはまた敵だ。なんだ中ボスだったんじゃねーか、なに?大ボスを倒すためには、あのアイテムをスタート地点辺りまで取りに戻らなけりゃならないって、 チキショー、リセットボタンだ! うわっ、今までの努力が水泡に、、クソ〜とゲーム機をテレビ画面に叩き付ける。ギャーテテテレビが、、 ゲゲゲゲームが、、、ドロ沼である。ベトナム戦争である。徴兵反対である。 そうならない為には、現実に目を背けない事である。間違っても、宇宙の広さなんて思い浮かべない事である。夢想は切っ掛けにはなるが、その後はクソの役にも立たない。クソを拭く為には、紙が必要なのである。 手で拭いたら手を洗わなければならないのだ。何を力瘤入れて力んでいるんだろう? いけない、いけない。
時間の経過は、ある感覚を麻痺させて、舞った埃がゆっくりと沈澱するように鎮静させる事もある。
またゆっくりと浸食して役立たずにしてしまう事もある。破壊すら、お手のものだ。
過去を凝固させ標本を抽出する。未来さえ、そのサンプルに過ぎない、と思わせる。
だからって指をくわえて見てるってのは、たまらない。ぶん殴ったっていいのだ。
殴り返されるか、泣かれるか、謝るかも知れない、でも笑われたら、少し怖いかも知れない。
残念ながら、それくらいしか方法は無いのですが、行き当たり場当たりにぶつかって瘤をこしらえて、何かが
変わってくる事も、この世の中にはあるようです。宇宙の広さに、地球総人口の思惟を隙間一杯に敷き詰めたって、全然余裕であった。まだまだ人知の及ばない世界、いや、お呼びじゃない世界。
がんばれ、エンタープライズ!「スターウォーズ」に負けるな。それでも「スタートレック」は一ヶ月で興行終わってしまったけれど。7月でこの世が無くなってしまったら、「スターウォーズ」を見れないまま、死んでしまうのか。外れてくれ予言、助かれ地球、響け電気釜!泣くなこけしー!?
1999/06/05.ICCH
要領が悪い時は、何をやったってうまくいかない。これは、まぎれもない事実である。 動けば動くほど、絡まり解けなくなる。力任せに知恵の輪を解こうとしているようなものだ。 そうして、そんな時ほど、それをスッキリ解決したい欲望に捕らわれ散財してしまう。どんな大金を積んだっていいから、この気分を払拭したいのだ。それで、普段では考えられないようなバカな事に金を注ぎ込んでしまったりする。金だけならまだしも、貴重な時間まで浪費する。でも、その無駄で怠惰な時間は、やっぱり必要なロスタイムであった事に、後々気付くのだ。消耗著しい時は、足を踏まれたって、ウスノロな店員の失敬千万な態度にだって、艶っぽいお姉ちゃんにだって、目もくれず、ただひたすらに欲望を遂行するだけなのだ。目的に向かって物欲を満足させる。クレジットカードを何回かサイフから出し、小銭をポケットから出すのも面倒でクチャクチャのお札を何回か出し、ポケットはジャラジャラとした小銭で膨らむ。 そして搬送し戻ってみれば、何重にも包装された品々はどれもこれも役立たずばかりであった。 こんな無駄が、とどのつまり人間の本質である。エコロジーだのヒューマニティーだのクソくらえだ。 たかだかちょっとふさぎ込んだ気分を変更する為だけに、目先の色を塗り替える為だけに、後先は考えずに放火して廻り、気分次第で消火、余裕が出てくれば鎮火するだけだ。手段こそ違えど誰だって、、、いや、それは言い過ぎかも知れない。誰もが同じと考えるのは、とっても傲慢、ここで考えられることは、自分のような人間が総人口の一割でも存在し得るのなら、それはとっても立派な産業に成り得るということだ。 欲しいものは決まっている、お金は支払う、楽に入手したい、後はどこで購入するか、だけである。 要領の悪い買い物は、それだけで気分がへしゃげてしまうものである。
疲れた頭を掃除するために映画でも観る。それにしても、この映画、先の先が見透かせてしまう。
いったいどうゆう訳だ、と思ったら以前に観た映画だった。ふぅーまったく。
私の良いところは、覚えた事はその瞬間に綺麗さっぱり忘れてしまう事。
映画の筋などその典型で、それだからこそ何度も観て楽しめるのであるが、そのかわり無駄が多い。
合理化を叫んでも解決されず、映画の題名、音楽の曲名、アーティストの名前だって、どんどん失念していく。負けじとその上からどんどんと放り込むのだが、じゃんじゃんブラックホールへ吸い込まれていく。
記憶力という奴には勝てないから、記録力という奴に頼らざる得ないのだろう。
こないだテレビで、銀河系の中心を捉えた映像(正確には電波像)を観て、中心にはブラックホール、そこへ向かってどんどん塵やらガスやら星が吸い込まれていく、もちろん、我が地球もいつかはそちらへ御案内される訳で、儚さを覚えた。
今、地球は随分前に始まり、そこへ向かって終わろうとしている。どの辺りかなんて知る由も無いが、始まりと終りは必ずやってくる。始まりは済んでしまったので、後は終わる事しかない。
こうやって無駄な足掻きをしつつ、どんなに栄華を誇ったって上昇し続けるわけにはいかず、いやいやダメだ
宇宙の事を考えちゃ、そうして心の中のブラックホールは、とりあえず応急処置、間に合わせ間に合わせで、問い合わせには答えかねます。えい、蓋して3分、即席雑文の出来上がりだ。
お好みにより、薬味等をお加え下さいませ。