TRASH
Up Data 07/29
「百薬」
Up Data 07/23
「夕立」
Up Data 07/20
「唖問答」
Up Data 07/08
「ワダチ」
1999/07/29.ICCH
またそんな席で、お得意の「人間だるま計画」を嬉々となり話す。「人間だるま計画」とは、脳みそだけを摘出し肉体を捨てて、ヴァーチャルリアリティな仮想世界で生きていこうという壮大な計画である(言ってるのは自分だけ)その席には、動物病院のお医者さんとガソリン業者さんという妙な取り合わせの年輩の方達が居合わせて、DNAがどーだの、ペットの処分ポストがどーだの、机上の空論が展開されていく。 お医者さんははっきりしている。どこかの講師として呼ばれたりされている方なので、動物の話ともなれば誰もが口を挟めなくなる。猫の起源の話をして、いったい猫というものはどこから広まった動物なのだろう、 害虫駆除という役目を担っていたのだろう、犬とは違い人間への依存度が強い云々。 だからこそ人間が面倒を見れなくなった産まれたての子猫などは、殺してやった方が幸せなのだ。それも一つの考えではある。誰も猫の考えなど分からないし、代弁するのは勝手だ。そしてそれは責任ある対処方でもある。可哀相だから何でもかんでも殺すのには反対というのでは話にならない。問題はやはり飼い猫の場合は飼主の方にあり、それが野良猫の問題とゴチャマゼになっているのだ。自分の意見は、とっても無責任で、生きたいなら生きろ、死にたいなら死ね、である。生き抜く力が残っているなら、それをストップする権利は誰にもないはずで、それがどんな問題を先に生むことになろうとも、負けちゃいけない。 なかなか手強いな。ガソリン屋さんは、楽しければそれでいいと主張している。 手足をもぎって頭だけで生きる、ということが不満らしい。けれども、人の五感は容易いんだよ。 平和なんて、再生紙使用ていう包装紙と同じく、まったく意味をなさない宣伝文句。 人が人を傷付け、盗み、犯り、騙し、同じように地上の生物にもそれを強要し、と強調するが、 「でもオレは嫌だなぁ〜」という一語に尽きた。「だるま計画」も風前の灯火だ。 もともとバカなお題目ではあるが、なんの意味もなさなかった徒労感だけがやけに重い。 酒は血液中を走り巡り、目は血走り、ベロンベロンになっていき、力尽きて、敗戦の色が濃厚だ。 実に弱く脆いカードであった。だいたいお節介なんだよ、猫のコトは猫にしか分からないし、みんなそれぞれがそれぞれに精一杯生きているんだから、などと自問自答モードにはいっていく。逃げ、だな。
昨日は第一期Willie`s Appleのラストライヴへと出掛ける。その前に、
出張買取りがあったので査定に出掛け、レコード約300枚を汗だくになって運んだ。
マジで死ぬかと思った。汗のシャワーで先も見えなくなる程だ。
あまりにも疲労したので店も開けずに呆然自失となっていたら、一緒に出かけるマー君がビールを持ってきてくれたので、一気に飲み干し楽になった。本格的に飲もうと斜め向かいのRED G MONSTERへ河岸を変える。
と、店を出たところで、怪し気なオバサンに声を掛けられた。「バイト料3000円払うから、手の届かない電気のスイッチを押してくれ」と言う。普段なら取り合わないところだが、酒が昼間から入り気分も良かったし、バイト料などという懐かしい単語にそそのかされ、後に付いていく。が、背後からそのオバサンを見れば見る程、怪しさは増し、不安になってきた。「耳を手術したばかりだから、話し掛けないで」と耳を塞ぎつつ、何かに怯えるように道を斜行して歩く姿はますます異様である。すぐ近くだと思ったらけっこう遠くて、
「亭主がN.Yへ出張」と言った先から「防衛庁に勤務してる」とか意味不明なコトを口走る。
どうやら頭がやられてるらしい、と答えを弾き出すまで随分と時間がかかってしまったが、たぶん見ず知らずの家だと思うが、そこへ勝手に入り手招きされた時には気持ち悪くなって走って逃げた。
なぜ自分は、のこのこと付いていったのだろう、しかも10分以上も・・ あまりの徒労感と情けなさに、RED Gでの酒の煽り方にも拍車をかけた。夕方、渋谷ラママに到着し、飽きもせず飲み続け、近所のソバ屋でソバ湯の焼酎割り、もう止まらない、止められない。Willie`s Appleで大騒ぎし、打ち上げでも騒ぎ、下北へ戻っても飲み続けた。ブッ倒れて、そのままRED Gのソファで消灯だ。お陰で今日は台無しになった。
二日酔いは今の今まで自分を浸食し、店を開ける力も奪い夕方まで倒れていた。
もう、酒なんて止めた、などとのたまって、明後日からは夏休みだ。キャンプへ出掛けるので、飲まない訳が無いだろう。
また後悔するために。
1999/07/23.ICCH
自分は夏があまり好きではない。いいのは梅雨明けぐらいまでで、後は秋が待ち遠しくてたまらない。 夏の無遠慮なところや、厚顔さが嫌いだ。暑けりゃいいってもんでもなかろうに。庶民は何がそんなに嬉しいんだか浮き足だって、自らその熱にうなされる。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損。 行列の最後尾に嬉々となりとりつき、汗だくの渋滞、岸から海までの絨毯、熱気でむせかえるどこもかしこも人、人、人波。そして何がムカつくって、たいがい夏らしい夏の真只中は仕事に明け暮れ、さて楽しむかと重い腰を上げると、残暑てな声が聞こえてきて、海はクラゲばっかりだったりするんだ。 よし、今年は楽しむぞ、チキショー。だいたい、周囲を気にしすぎるから楽しめないんだ。 水着姿のおねえちゃんばかりに気をとられるから、砂に埋まっているお父さんのビール腹を、思いっきり踏みつけてしまうんだ。はっ、、、何を口走っているんだ。まったく油断がならねー、夏は嫌だねぇ〜。
陽が沈むまで何もやる気は起きない。この日中、外を歩いている人間が不思議だ。
したがって熱病にうなされた人々が、ゾンビのように徘徊し、用も無いのに中古レコード屋に入ってきては、
店内を一周してつまらなそうにビニールカーテンを開け放ち去っていく。
そんな姿にこちらもまた気が重くなって、つまらない心持ちになる。
こんな時は、そいつを一掃するような夕立が必要だ。ザァーッと洗い流して欲しい。
そいつをくれ。そのぶっとい注射針で、カンフル剤を!
夏に憑かれてしまったようだ。
1999/07/20.ICCH
夕飯を食べに、中華料理屋へ行く。明るいうちから飲むビールて、なんて美味しいんでしょう。 そのまま永遠にその空気に浸っていたくなる。もう何もいらない。それだけでいい。 またそんな中で交えた会話には、何か真実味らしい風味が隠されていて、とっても気分が良くなる。 それだけのこと。それだけのこと。
コジコジはメルヘンの世界に住んでいる。コジコジは宇宙生命体だ。火の鳥と同じようなものだと考えてよい。コジコジはコジコジ以外の何者でもない、だからコジコジの世界はコジコジの匙加減ひとつで、どうにでもなる。大雑把に言えば、コジコジは作者が捏造した物語のひとつでしかないのだが、その物語がひとつの体系を持ち、広がり始めたところで、もはや作者の範疇からは離れ、現実味を帯びて活動を始める。 作者は読者を魔法にかけて、あらゆる技巧を凝らして、その世界に引き込むのだ。 魔法にかけられた我々は、そこで戯れ遊び思考する。そうした遊戯が、幾重にも重なり合い現実界を構成している。シンドバットだって、スーパーマンだって、鬼だって、孫悟空だって、矢吹ジョーだってそう。 語り継がれた神話から、近年のマンガ、ゲームのストーリーまで全部が信じ込んだ絶対数に比例して、現実の 世界を構成している。それはこの世界とは少しだけ、懸け離れているかも知れない。少しだけリンクしているかも知れない。とにかくも作者を霊媒にして、この世界に道が出来ているコトは確かであった。 だから、コジコジがメルヘンの世界に住んでいるという事実は事実以外のなにものでもないわけである。 でもコジコジの物語は、妙チクリンなキャラクター設定で笑いを誘うけど、やっぱり現実が下敷きになっていて、作者の願望が色濃いのです。漫才のようにストーリーが展開していきながら、合間、合間に流れる言葉にならない空気がツラいところなのです。現実界ならば、その合間に狡猾で巧妙な罠が仕掛けられ、その爆弾は破裂しないまでも、どこかしらに軋轢を生むんです。そしてそれを言葉にさえ出来ないわけで、とかく安心の出来ない、油断のならない、そこのところを割愛していらっしゃるから、メルヘンの世界は素敵なのです。 それで最近は、すっかり、その虜になってしまい、暇を見つけてはメルヘンの世界へ遊びに行ってしまうのです。あそこは楽しいな。
コンピューターに向かっている姿は、鏡の中の自分に向かって話かけているようなものなのです。
こちらが喋らなければ、何も応えてくれません。話したいことなど、そんなにはありませんよ。
電車で足を踏まれたとか、コンビニの店員が釣銭間違えたとか、銭湯は気持ちがいいとか、今日の朝飯はパンと紅茶だったとか、どうでもいい話しかありません。
行き着くとこまでいってしまうと、唖の貝でいいのかも知れません。
不謹慎なのかも知れませんが、見る、嗅ぐ、話す、聴く、で一番大切なところはドコというような話をよくします。つまり目、鼻、口、耳、の選択です。優先順位をつけていくわけです。
そうすると、何に依存して生活しているかが見えてきたりします。
退屈な遊戯ですね。ごめんなさい。
1999/07/08.ICCH
7月3日にHERE SCENES LABEL`S "WADACHI"の第壱弾アルバム「BILLY THE KNUCKLE/ZAPPLE THING」が発売となりました。考えていたコトが形になるというコトは、実に楽しく嬉しいものだ。 自分の頭の中で鳴っている音を摘出し、音楽という形に閉じ込められる、BILLY ことたいらさんのデモソロワークは、とっくに自慰的退屈レベルを突破し、ROCKという形態でもトップレベルに位置している。 そんな羨ましい31曲の音達に相応しい住居を提供するのが、当座の目的でもあった。 話は逸れるが、最近、自分はなんか小難しい言葉で以て、他者を煙に巻いているんじゃないか、と批判されることが多い。相手に伝わり易い言葉で的確に伝達することが言葉本来の目的ではある。けれども、自分の場合、考えていることを単純に話すと安く見積もられてしまう。あまりにも単純明解過ぎるからだ。 ここは少しばかり大袈裟にしてしまおう、というマンガ的誇張が始まり、さらにどこかの本で読んだあんな言葉などを導入してしまおう、とだんだん膨張してしまい自分でも判らないような支離滅裂な会話となってしまう。漢字から意味は連想できても、読み方が判らないという逆転現象も日常茶飯事だ。 勿論、煙幕みたいなものでもある。実体を掴まれたら、やけに痩せてるなぁ〜とむざむざ思われることはない。着膨れしても恰幅がいいように思われたい、というのも真実。 と、横道から本道に戻り、7月3日に向けてジャケット製作作業が脈々と進行していく。 SGAPが身重の身体でデザイン&イラストを構想する。彼女はCDの丸い形態に感心を払うようになっていく。 寝ても起きても、まる、マル、◯であった。まだまだ先への道程は遠い、たくさんのキーワードが宙を舞う。 自分は描けもしないのに、アイデアだけは湯水の如く湧き、音とジャケのリンクを謀ろうとする。 「ZAPPLE THING」にあるのは、ROCKが抱えている様々な欠陥であり、特徴であり、傲慢さであった。 あの中にあるのは、たいらさん個人が感じるリアルさ、他者にとってはその呼び名は千差万別であり、逃避や 利己的さ加減に辟易するかも知れないし、共鳴して同じように足を鳴らすかも知れない。 でもそれらの印象もまたある一部分でしかなく、キーワードはあらゆる側面からちらりと顔を覗かせるだけだ。猥褻、自意識、孤独、自虐、自己陶酔、バイク、虚勢、ただそれらを統合して表現することなど不可能に近い。なぜならば、的確に表現しているのは31の曲達なのだから、とっ散らかった全部を表してROCKという一言でまとめる方が気が利いている。さあ、まとまったところで、ROCKなんだよこのアルバムは、と言って形に出来るわけがなく、堂々巡りを繰り返す。方法などは無数にあり、材料も豊富なれど、選択手段があり過ぎて散漫になってしまうのだ。居住者は「ZAPPLE THING」表札は「BILLY THE KNUCKLE」CDという手段を使い、後はどう居心地良く彼等がそこに住むことが出来るのか、さらに表ジャケットは中身に到達するための入口であり、訪問者の最初の手掛かりでもある。 だんだん煮詰まり始めて、すでに発売予定一週間前、痺れを切らしたたいらさんが自ら具体的な形で持ってきてくれた。ゆっくりだけど転がっていく。そしてここで、もう一人の協力者タイガーことマー君が登場する。 Rock Bar "RED G MONSTER"のマスターに収まり一ヶ月あまり、以前はデザイン事務所で働いていた兵である。彼が現れなかったら、どうなっていたことだろう。まさに強力者だ。こんな作業に嫌気がさして引退したというのに快諾してくれてありがとう。"Adobe Illustrator 5.5J" と "Photoshop 3.0J"を使い作業を進める。今までそんなプロフィッシュナルなソフトを使ったことなどなく、青天の霹靂であった。 ライナーなど急ピッチに進むが、やはり最後までジャケットが決定しない。「バイクのグリップ」は素材として初期から考えられていたが、「ハーモニカ」はもう最後の最後になって生まれたアイデアだ。 SGAPがそれを描き下ろして自宅待機、それをトレースし、マー君と持久戦に持ち込む。7月に入ってからは、たいらさん共々HERE SCENESで白兵戦だ。出力は全て、ここのインクジェットプリンターだから適わない。色を決定するのにも印刷に随分と時間を要する。とりあえず、RED Gで飲んでしまえ、と朝まで飲ってしまったりもする。7月2日深夜、プリンターの両面印刷のズレを発見、それを補修するのに朝方まで掛かり、同時進行の裏ジャケ、盤面、中ジャケなどもようやく固まる。そうして3日の午後2時半、完成。 紆余曲折、何事もやってみなければ判らないが、何しろ初号機がパッキングされた時の感激は、こりゃちょっとだけリルビ、良かった。泣きそうになりました。7月3日は、自分にとっては特別の日だ。 この日に何が何でも間に合わせたかった。でも満足出来ないものを提出するぐらいなら、延期も余儀無しというたいらさんの強い意志もあった。それでも完成した、ということに感動した。 長い持久戦になると、たくさん悪魔が現れて、妥協しちまえ、だの放棄しちまえだの、と囁く。 たまには負けて酒を飲んで愚痴ったりもした、が経過はどうあれ、SATISFACTIONできるものが出来たのだ。現時点ではそれが全てであった。関係者各位、たいらさん、マー君、SGAP、おつかれ様でした。 さあ、打ち上げだ。
と、ここでメデタシ、メデタシ、では、この日は終わらなかった。もうひとつのワダチが生まれようとしていた。SGAPから、タクシーで来い、と夕方に電話が来る。小雨降る中、タクシーが全然捕まらずにオタオタしつつ向かう。疲れは頂点に達していて、睡魔がふわっと身体を持っていこうとする。
陣痛の周期が短くなってきているとはいえ、至って普段と変わりなく見えるSGAPだった。
彼女を病院で降ろし、引越したばかりのマー君家に寄り、CD完成記念で豪気に焼肉を食べに近所へ誘う。
再び店に戻り、ブライアンジョーンズの「JouJouka」が数回まわった頃、病院から男児出産の知らせであった。呆気無い、自分にとってはテレビで湾岸戦争と大差無かった。現実感を伴わず、まるで電話先は見ず知らずの世界である。戦っていたのはSGAP、焼肉を喰っていたのがわたしであった。
その夜は、またまたRED Gで飲んだ。みんな、酒の肴を探しているので格好の話題を提供してしまった。
みんなに「オメデトー」と詰られ、 弄られ、そうして時間が事実を流していく。数分前は過去。
目を開けているのがやっとの酒盛りは朝方まで続き、ベットに吸い込まれていく。
この時点で実感などは無く、顔を拝むのは次の日である。
SGAPは明日退院、だんだんと何かに向かって動いていくのだろう。何かというのは、何なのか分からない。
五体満足で無事に出産できたことが何よりですな。なにかー?
命名「ワダチ」 午後9:30頃、男、誕生。
これからの「TRASH」は育児奮闘記には、、ならない、はずだ。「子供より親が大事」と思いたい。
たくさんの不思議はきっと自分自身も通ってきた道、「ワダチ」は轍を通る必要も無いし、また通ってきてもまた良いし、どちらでも良い、選択は己の内にある。そいつが大きくなるまでの責任は持っておきましょうか、とりあえずは。 BITCHとブライアンとジムの御加護、と勝手に解釈して、この話は仕舞いにしよう。
たくさんの祝電、感謝!