TRASH
Up Data 09/22
「Farewell」
Up Data 09/05
「彩気」
1999/09/22.ICCH
朝まで飲み歩き、そして何か憑きものが削げ落ちた感じがしている。もちろん、そんなのまやかしだ。 何も変わっちゃいないし、"Keep On Truckin" していたに過ぎない。 ただこうやって日常というものが、どうやって成立し、無意識化でこの普通という形態を維持するのに、どれだけの神経を導入し消耗していくのかが分かったような気がした。本当の裏に嘘があるように、通常の裏には異常があり、裏の裏をかこうと思ったら通常を演じる他はない。それを意識するかしないかで、気持ちは大きく変わり、この通常までのプロセスには実に長く険しい道があるコトを考えただけで、違った気分になった。 実はそんな回り道する必要は皆無なのだけど、それをするコトに意義ある長い夜であった。
あなたは、WADACHI LABEL 第2弾自主CD「Willie`s Apple/DUST and ASHES」を聴いただろうか?
早く聴いて欲しい。音楽を表現する手段は音楽にしかないわけで、絵にも記号にも言葉にも置き換えるコトは
難しい。もちろんある種の技術さえあれば不可能なコトではないが、やはりそのものを表現するコトは不可能だ。側面だけしか語っていないからだ。視覚も聴覚も味覚も感覚全ては、それぞれの人の脳内で解析され、ある結論を導き出し、そうして印象やら情報やらが区分けされ整理される。だから倉庫は一緒なのかも知れないが、音楽は音楽以外のなにものでもない。音楽を奏でる者は、きっとそれ以外の表現方法を持っていないんだ。いや、きっとそれが手っ取り早いんだ。今回も、聴く者がそれを評価し、判断してくれるのが一番手っ取り早い方法だ。それ以外の価値基準に捕らわれる必要は無い。
ジャケット&歌詞ライナー製作には、前回の大越"MASAKING"正治氏をデザイナーに迎え、新生Willie`s からヨコヤ君が参加した。披露宴の進行を見ても判る通りヨコヤ君は、なんとも非の打所の無い試案を書面にし、正確に我々に示した。音源が届いた数日後のコトである。ここまで完成していれば、と誰もが高をくくったに違いない。自分が一番グルグル巻きにくくっていた。ライナーカード形式は、前回のブック形式の作業に難ありという私案であった。なにしろ手作業である。クオリティを維持するのは至難の技であった。
そうして数週間が経ち、9/11のRED G MONSTER 2周年の辺りから、焦りの色濃厚となってくる。
9/19 池袋シルバラードのお座敷ライヴに発売予定日と決め、もう一週間前となってしまったのだ。
裏ジャケの方はヨコヤ君の当初の試案通りに仕上がり、ライナーの原稿もほぼ仕上がった。難航したのが表ジャケ、そして用紙選びであった。インクジェットプリンターという印刷媒体が、登頂を阻む。
しかし、このセットで最善の紙を選ぶよりない。最後に残ったのが、茶の再生紙である。
盤面は、自分がテストプレスの段階で鉛筆殴り書きをしたのが皆の印象に強く残ったらしく、危うく採用されるところであったが、銀色の素材を生かした形に落ち着いた。ふぅ。
まさに発売予定日ほぼ3日前に、表ジャケは奇跡的に完成する。ヨコヤ君の数案が次々と、まー君によって図案化され、しかし納得する形にならず、紙は破かれ、髪は乱れ、全員の呼吸も乱れるが、ひょんな偶然からあっけなく生み落とされた。それもたったの5分あまりで図案化された。御覧の通りのシンプルなバーコードをあしらったジャケットであるが、その煮詰まった我々の心に強烈なインパクトを与えた。
最後まで冷静でいられたまー君の素晴らしいセンスの賜物だ。そう、やはり今回もまたギリギリまでの作業となってしまったが、いくつかの偶然に助けられ、たくさんの人の手助けが結果を生み出した。
使われなかったSGAPのイラストにだって、集まって飲んだくれて答えを掴めなかった事だって、Willie`s 連が代わる代わる缶ビール片手に来てくれた時だって、全部がこの形を生み出すプロセスだ。
最後の印刷行程には、たいらさんに、たむら君に、ヨコヤ君が手伝ってくれました。9/19未明「DUST and ASEHS」30枚が並ぶ。そして19日のシルバラード、ヨコヤ君、タムラ君を加えた新生Willie`s Appleの演奏はたくさんの人に、何らかの形を提示した。単純に言い切りたくは無いけれど、やはりCDの音源より、生演奏に釘付けになる事はやむを得ない。生きていて、今そこに存在する、ダイレクトに胸に届く、音楽だからだ。言葉が音楽を言いつくせないように、CDのデータが瞬間の音を表現するのは無理で、所詮、疑似体験の域からは抜けられないが、たくさんの人に同じ音を提供する手段。そしていつか、一緒にWillie`s を体験できれば音源の役目も全うするのではないか?そんな記録屋な一面もある、ということだ。
何も変わっちゃいない。そこに新しいCDがあるだけだ。それにしても誰かが、それに気が付いて、それを手に取り、CDデッキに突っ込んでくれれば何かが変わる、ような気もする。
選ぶ、選ばれる、そんな選択ができる"今"に感謝すべきかも知れない。CD製作に関わった(買ってくれた全ての方も含めて)皆様に感謝を。楽しめたでしょうか? そして、とりあえず「Farewell」と言っておきます。
1999/09/05.ICCH
昨日の夜に出掛けた川崎チッタ「サイケデリックカーニバル`99」に触れておこう。 後悔しないためにも、呼ばれようが呼ばれまいが、気になったら向かうべし、とフジロックの経験から得た。 丁度、友達が車を出してくれたので同乗していった。チッタ前広場では、ナイトマーケットと称してフリマが 開催されていた。蛍光塗料のサイケなオブジェが広場を占拠し、DJブースからCG画像がたれ流されている。 踊っている輩は少ない。友達の彼女達がフリマに出店していたので合流。ここの企画を仕切っている方が知り合い(RED G関係)だったので、ライヴをやっているクラブチッタも、映画をやっているシネチッタもフリーパスで、とってもラッキー。そうなっちまえば自由行動、目的の映画を2本ばかり「ワイト島1970」と「フィルモア最後の日」を観覧。どちらもROCKのBADな部分が曝けだされていて、ストーンズの「ギミーシェルター」のような重さがあった。ロックがビジネスとなった瞬間だ。オーディエンスの身勝手さ、ロックバンドの身勝手さ、興行主の身勝手さ、誰もが皆、自分のコトばかり、話している。 しかし、ステージ上はそことは関係無く、音楽でその云々が帳消しとなる。誤魔化しでもあるし、それがROCKでもあった。Vサインをしてピースのような単純さが、いとも容易く踏みにじられる。 人は変わらない。そこに音楽があっても、ドラックがあっても、愛という幻想があっても、気分が高揚するだけだ。20年経った今でも同じ。それでも、死ぬ寸前のジミヘンがそこに居た。肥えたジムモリソンも居た。 ピートタウンゼントが飛び跳ね、キースムーンが指揮者のように 腕を振り乱した。 ライヴはDJのかけたDEAD"Music Never Stopped"でトドメを刺された。やっぱりDEADである。 思いの他、天空オーケストラが心地よく、朝方6時過ぎに演奏は終わる。白々と明けた広場のイスでは、夢の跡の後片付け。チケット代金の変わりにゴミ掃除の手伝い。このフィスティバル明けのゴミが、人を憂鬱にさせる。いと悲しくもさせる。
こうして9月は知らん顔して鎮座していた。どうせすぐに、10月に押し出されるようにして出ていかなければならないというのに。