ワッシャー TRASH

TRASH11月期

Up Data 11/09
「お遊戯」
Up Data 11/01
「はらっぱ`99」





「お遊戯」

1999/11/09.ICCH


テレビでベルリンの壁崩壊10周年と言っていた。テレビの中では確実に時間が経過していた。 ココでは時間の感覚は希薄だ。バカな遊戯に没頭していたからだ。 目を閉じたからって、あの効果は夢の世界まで追ってきた。夢までがドロドロと溶かされてしまい、呆れてしまう。つまり、時間の無駄。快楽の飽食。飽きてしまったのだ。 苦痛が快楽の一種だとするならば、まさにそれを極限まで喰らって、暴飲暴食気味になっていた。 何の問題もありはしないのに、苦しさを見つけだしては得意げになってそれをペロリとたいらげ、もっとないのかと催促するような遊戯。そいつは喰えない話だ。カエルも哭いているし、カラスだって哭いている、 さあ、もう帰るんだ。Get Back, Get Back, Get Back to where you once belonged. Jo-Jo Go Home. Get Back Jo!

ここ数日、お店ではずっとMacintoshのモニターとニラメッコであった。 何度目かの周期で起こるシンプル思考が、ホームページのリニューアルへと走らせた。 自分で何でもかんでも放り込んでおいて、ガチャガチャしているのが気に入らないと文句をたれて、あれもこれもと削除し始める。そこで新機軸を導入しようと目論んで、JAVAだのスタイルシートだのダイナミックHTMLだの何だか判りもしないものを持ち出してきてスクリプトを書き込むのだけど、次々とエラーを出してダメ出し。一生懸命に長いスクリプトをやっとのことで書き写したら、エクスプローラーでしかブラウズできなかったりした。一体、自分は何をやっているんだと自問自答モードに突入していく。 お陰で、頭ん中がガチャガチャになっていって、プスプスと噴煙を上げ始める。仕上がるのは何時なんだ! その狼煙は何の合図なのだ!そして、自分はいったい何故こんなコトを始めてしまったのだ! ワハハハハハ…!?(崩壊)

デヴィッド・グリスマンをアナタは目撃したかい?もし見逃したのだったら、お気の毒様。 ゴキゲンだったんだから。そしてあの小屋に漂っていた空気は、まったく素晴らしかった。 店を早仕舞して、ライヴ前に一杯のビールと一服で急拵えではあったが一気に駆け上がり、そのままドリンクカウンターにもたれかかって観ていた。最初は、慣れない視界に薄い幕が下りたかのようなぎこちなさがあったのだが、だんだんと馴染んでくるとそこは見慣れたBARの一角であった。気の許せる友達が居て、昔から知っている音楽が充満した。自分の位置から、丁度ギターが柱の死角となり、あそこに居るのはジェリーじゃないかしら、などとバカな妄想にほくそ笑んだりした。彼等の演奏が暖まっていくのが、手に取るように感じられた。後半からアンコールまでは、もの凄かった。マンドリン、フィドル、ギター、バンジョー、ベース、ドラムであそこまでやれるのか、Spacious という言葉が浮かんだ。もちろん、言葉などすぐさまその演奏に吸い込まれていってしまう。惜しむべくは、自身がその渦のすぐ傍に居ながら、別の渦にも巻き込まれ、前後不覚となってしまったコトだった。あんなに近くにあるのに届かないなんて、バカバカしい話だ。 それはともかくとして、D.グリスマンへのみんなの拍手が全てを物語っている、本当に素晴らしい演奏には世辞や追従でなく、自然と手を鳴らすものであると。

浮かんでは消える、消えては浮かぶ、気泡のように、元々自身の内にあったものなのだろうか?それとも、狐憑きのように外からやってきたものなのだろうか?浮かんで消える、というコトは、外からやってきた場合、自身の身体を媒体にして、それから通り過ぎていったという事なのだろうか? 内にあるものならば、またいつか浮かびもしようが、外から来たものだとしたら、もう一生出会わないかもしれない、などと考えて、ふと悲しくなった。でも消えていったものの正体さえ掴めていないのだから、たいしてどうってこともない奴なのかも知れないから、消えたい奴は消えろ、残りたい奴は残れ、とも言えた。 言えているうちが華である。何も言えなくなったら、風になるしかないじゃないか。 細胞を広げて、空気に同化して、風に乗って、舞うのだ。そんな漫画があったような気がする。

12月、ホームページ・リニューアル予定。 2周年SALEもあるし、恒例ジョン・レノン追悼LIVEも12月5日にシルバラードで予定されている。 道草も笑い草も当分控えておこう。ではないか?


「はらっぱ`99」

1999/11/01.ICCH


今年も10月30、31日と武蔵野公園にて「はらっぱ祭り」が開催された。行く秋を見送る頃合としては、丁度 良いわけだ。去年は、RED G MONSTERの面々と出会って間も無く、そんな少し緊張した中、一緒にキャンプを張り、初めての参加で勝手も判らず、それでも実に解放的な気分を味わった。そうして一年、テントまで購入しすっかりキャンプの虜となり、再び府中に参上。武蔵小金井駅からバスで「府中試験場前」下車、その試験場裏にある武蔵野公園、都合(寝坊)により30日の夜からの参加となり、明かりもない長い森林地帯を抜けて、また突然の斜面を下り、上がり、すると見晴しのいい山の頂上、去年と同じ姿を表すはらっぱ。 もう夜9時を回り、メインステージの照明は落ち、小さなステージでアコースティックセットになっている。 露店や飲食店もまったく去年と同じように円形状に立ち並び、その後ろ側にはテントがひしめき合っている。 まずは2人の友達と共にテント設営、自分の小さなテントは、ほんの数10分で設置完了なり。 そういったわけで、初参加の二人と共に"山の幸"で空腹を満たし、露店を散策する間に、だんだんと違った世界へ突入していく。そこの露店前で談笑している人達がただの置き物にしか見えない。笑ったまま凝固した蝋人形がいくつも並んで自分の行手を遮り、歩いても歩いても円周から逃れる術を見つけられない。 円を描いて露店が並んでいるので、そこをクルクルと歩行すれば当然そこから離れられない訳だが、眩しい明かりに集まってくる虫のようにクルクルと円周の軌道を歩行し続けた。しかし突然、何かの法則を発見したかのように閃き、二人の友達から離れた。軌道修正、目的地は山の天辺であった。 山の頂きから見下ろすと、すっかり露店街の構造を把握でき、そしてそれを上空から覆うように大きな木が見えた。機上から街を見下ろすような爽快感があり、その樹木は雲のように街の頭上を流れていった。 綺麗だった。いったいどれくらいそこでそうしていたのか判然としないが、いくらか飽きてきた頃にテントに戻った。またテントでも長い時間を過ごしたようで、そうでないようで、二人が戻ってくるとなぜか血相を変えていて、とても心配をかけてしまったようだ。自分勝手さに些か反省したのだが、こんな時は独りになりたくなるもので、そしてまたそうしなければならないような気にもなるのである。 それは言葉がまどろっこしく、邪魔であり、他者の思考が自分にも流れてきてしまうわけで、自身の思考を停止してしまうコトが嫌だからである。それは結局、このイベントの最後まで続いたが、誰かしらと気持ちの良さといった概念を共有する方法が、非常に難解だと思い込んでいる所為でもある。。 簡単な方法は理性を捨てちゃうコト、けれどそれが嫌なのだから、そこには理由だとか必然だとか物の道理が必要であり、手続きも面倒臭くなるのである。が一転、テントの中では言葉が猛威を奮った。 確かに楽しい会話に違いないが、言葉を剣に楯にして戦ってみても、鎧で守られた心には虚しさしか流れ込んでこないのだった。言葉に頼る、自身の気持ちを言葉という形で終わらせてしまうと魔法は溶けてしまう。 自分にあるものが、たくさん他者に流出してしまう。テントという胃袋の中で、言葉ばかりが消化され、骨抜きにされていった。それでもテントは船にもなったし、棺桶にもなったし、帽子が会話に参加したりもした。 朝方近くまで続いたその世界は、こっちに向かっているという携帯電話で終焉に向かい、それぞれの口が重くなり、それを補足するように電話が鳴った。微睡んだ時間に、仕事を終えてきたRED Gの面々が新しいエネルギーを注入し、夜明けには体力も回復し、それぞれが単独行動を始めた。森の中を徘徊し、時々、出合い、そしてまた離れ、各々が気ままに行動した。公園の端から端まで行くとフェンスで仕切られ、自動車試験場のコースが見える。まるで世界はここまでで終わっているかのように。反対へ進むと川で区分され、 自分達の世界を了解する。枯葉は地面から生えた眼球のようだった。そうして、露店達が活動し始めると、やっと遅い朝食で胃袋を満たしす事ができた。とても辛いタイ風カレーだった。 府中、と言えば、競馬場である。しかも今日は天皇賞G1レースである。だから朝食後、タクシーに乗って馬場まで出掛けたのだった。「はらっぱ祭り」から一転、いきなりの府中競馬場。気が付けば、目の前を馬が突っ走り、大歓声と舞う馬券、鉛筆片手に新聞と格闘する姿、まあ付き合いで天皇賞の馬券だけ購入した。 何年ぶりの雰囲気でしょう、マークシートを放り込むだけで馬券が買えるんだ、などという簡単な思考を残して1時間あまりでココを後にした。「はらっぱ祭り」ではメインステージでのライヴが始まっていた。 考えてみれば今回初めてマトモに音楽を耳にする。太陽もやっと顔を覗かせ、ビールを飲んだ途端に元気になった。今回の参加者5人が初めて揃っての観覧。山の中腹辺りに腰を落ち着かせて。 でも数時間後にはさすがに一睡もしていない疲れが出て、テントへ戻る者続出した。 集まってくるお客さんも多様だ。ラリパッパばかりでは無く、近所の主婦や子供、車イスの方、正しいパンクス、カップルに老人にピエロに野球チーム。ひと昔前はまさにヒッピーの祭典だったそうであるが、一般の方々の参加も多いのが印象的だった。それでも中央線沿線の匂いを強く発散した連中や、タイダイしぼりの定番ヒッピー、DEAD HEADS、果ては新宿ション横から流れてきたような親爺までが集った。 子連れと犬連れがやけに多かったな。だんだん市民権を得てきたのかも知れない。 今の時代(今も昔もないが)どんな格好をしていても得体が知れない奴は居る。子供の姿を借りた殺し屋とか、ペットの犬になりすました東大生とか、女子高生の姿を借りた変質者とか。 ライブは"国分寺エクスペリアンス"は良かったし、"高田渡"さんも緊急出演、真っ赤な顔で熱唱した。 "チナキャッツ"がトリを飾って大団円でした。しかし、チナでしぼり来た幼児を空中で振り回していた親は、なんか気味悪かった。どうでもいいんだけど、コートニーラヴみたいにならなきゃいいんだけどね。 ガキなんか放ったらかしにして自分が楽しめばいいのに、わざわざ連れてきて押し付けがましい感じだし、 とにかくファミリースタンス的な連中はたくさん居た。来るな、とは言わないし、来い、とも言わないけど、 ガキ連れだからって容赦しない場合もあるのだから、責任持てないのなら連れてくるな、と思った。 そうして気の重い帰宅、荷物も重いし足も重いのだ。下北に戻って、焼肉屋で打ち上げてお開き。 当然、天皇賞は大外れ(あんなんとれるか!)気絶状態でベッドに倒れたのであった。

キャンプ、それはいつも儚い。あの瞬間の笑いは嘘であったのだろうか?たくさん遊んで、たくさん笑って、 体力をどんどんと奪って、帰途に着く頃は人事不省となり、目覚めるといつもの景色が横たわっている。 いくらかキャンプ自体に飽きも感じ、季節にも秋を感じ、しかしそれでもひた進むのであった。 なぜならば、外でのんべんだらりとしてるのが大好きだからである。その好きな世界に、好きな音楽と、好きなお酒と、好きな料理と、好きなあの娘が居れば、もうそれだけで、いや充分過ぎる程の贅沢なのである。 2000年にも「はらっぱ祭り」は開催されるであろう。重要なのはセットとセッティングだ。
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