ワッシャー TRASH
青い水晶の嵐の年(YEAR OF THE BLUE CRYSTAL STORM)



磁気の月(Magnetic Moon)
「徒然」
「閃き」
「Dark Star」
「表六玉」




「徒然」

磁気(01)の月28日【KIN 026】白い宇宙の世界の橋渡し
G暦2004.08.22


蝉の声がか細い。夏もそろそろお役御免なのか。秋がどっこいしょと重い腰を上げるが、夏はまだまだ席を立とうともせず、冬がゴホンと咳払い、末席の春はこくりこくり居眠りを始めた。秋まで居残る蚊。とんぼ、透き通る。風鈴も、花火も、海水浴場も、サンダルも、パラソルも、ビアガーデンも、団扇も浴衣も、身支度を整え始める。盆踊り、納涼、秋の夜長に欠伸を噛み殺す。眠くなってくるナ。

人が創り上げた季節の中、積み木を重ねるように、配列を微妙に変えて遊ぶ。その日暮し。

一見してその出来事の型にはまっているように見えて、その実、まるで正反対のことを思考している。 皆が憤慨しているということは、これはこの出来事に於ける役回りを過っているのであろうか。下駄は他人に預けない方がいい。心配してくれているんだろうか。或いは、叱咤されているんであろうか。 でも何れにしろ、自身の範疇を外れることなく、球はその範囲をビュンビュン跳ね回って、境界を広げていく。ぶち破るわけでもなく、神妙に、厳かに、言い訳気味に。自分の見たい方向に、軌道修正しつつ。

考えろ、考えろ、考えろ、その後に、それを打破して突き抜けろ。そこには空が在る。一切が在る。 充満していて、からっぽで、無意味で、有意義で、渾沌としていて秩序がある。

徒然なるままに、その日暮し。
いわゆる、Day Tripper, One Way Ticket, Yeh!



「閃き」

磁気(01)の月13日【KIN 011】青いスペクトルの猿
G暦2004.08.07


不思議なもので、何れかの理由を欲する必要が生まれる。それは、自分自身を納得させるため? バシャールは「結果を先に考えてから、原因を後に考えてみるのも方法だ」と言っていた。 つまりは、どちらにしろ、自身を信頼し赦し、わくわくする(Exciting)ようなことに近付いていけば、それは見たい景色が見られるということになる。できないことは何もない。わくわくしたことを、行動することだけだ。それで、そのために理由付けが必要なのだというのなら、それはその人にとって無ければならないものであるのだから、そういった物語を拵える必要がある、ということなのだろう。これはかなり主観的ではあるが…。 これは誰に対しても当てはまる訳でもない。なにしろ、各々が各々の見たい夢を見ている場所なのだ。 それから、是非もそこにはない。どうしたって、僕は僕のことを語る以外に、僕のことしか、知らないのだから。信じているというよりも、知っているという感覚の方が近い。

就寝の夢が僕に語りかけてくる。そこに登場する人物たちは、皆見知った顔である。最近、僕の周囲に居てくれる人達が、現実(と呼んでいる方が、実際は夢なのかも知れないが)と同じような役割を演じている。 ああ、この人は僕にとっての先生で、この人はいつの時も僕を気にかけていてくれて、この人は友達以上に親身である。その顔は、この「今」という時から、ゆっくりと過去の色を帯びてくる。いつの間にか、その人は過去に同じような位置で僕を牽制していた人物のそれにとって変わっていた。どんどんと遡っていく。 親愛なる友よ、僕にとって、君は誰かの代理でも、身替わりでもない。記号や象徴でさえない。君は君以外の何者でもなく、それだから少なくとも僕はそういったことを今まで考えたこともないと断言しよう。 潜在意識、無意識??それも誰かの物語の単語に過ぎず、それを信じた者の前に在ることで、僕には関係無い。意識を分断して、都合良く解釈する技法のひとつなのだろう。一般的に(これもまた摩訶不思議な概念だけど)それは最終的に、母親の顔へと収束する。子供は最初に母親の世界で遊び支配し、それから他方へ触手を伸ばす。身近な者をどんどんと支配し取り込んで、いつしかそれが脅かされる時、現実世界の一端に触れたような恐怖を覚える。反抗して、それを得ようと躍起になるが、やはり現実はそっぽを向いたままで、社会を学ぶことになる。その喪失感がやがて誰かに転嫁されて、年を重ねることになっていくのだろうか? 支配したい、所有したいという気持ちがあるのだろうか?しかしこの夢で知るべきところはそれではない。 一番重要だったのは、その誰しもに、僕自身が「嫉妬」を感じていたことだった。 その人の真似をしてその人になりたいという願望を隠し持っていた。羨ましくて、たまらなかった。 けれどもその人にはなれない、諦めては失望し、突き放してはその人の前から消えることの繰り返しだった。 その「嫉妬」を頑に隠し、それが悪いこと、恥ずかしいことだと自身に言い聞かせて生きてきた。 だから、最初からその羨ましい部分を無視したり、牽制したり、攻撃することで、防壁を設けていた。 逃げて逃げて、追い詰められたら噛みつくのだ。それになろうとした時期もあったが、その人のようにうまくはいかない。いや、いくはずもない。その人はその人だけの個性であるのだから、同じものなどあり得ないというのに、それを解せずにその人物になろうと一生懸命に演じて、やがて失墜し自己嫌悪に陥った。 そこだ。僕は僕でないものに、ずっと憧れ続けてきたんだ。仮面ライダーになりきって、階段の最上階からジャンプし、前歯を根こそぎ折って救急車で運ばれた三歳時から変わっちゃいないんだ。 皆を羨望の眼差しで眺める。そして、それを赦そう。やりたいことを、わくわくすることをやってる人は、何をやっていたってカッコいいのだから、僕自身もそれをやればいいんだ。それだけのことだったんだ。

いわゆる憑き物が落ちたような心持ち。誰もが、自身の物語の中では主人公だ。夢の中の登場人物はすべて自身でもあった。僕というフィルターを通して見た君がそこに居る。友達も、彼女も、子供も、僕自身も、こころが感じ、憧れと嫉妬、希望と絶望、愛情と憎悪、見ていたい君の姿を脳内で再構成する。だからそれは、本来の君ではない。僕が僕の脳内で生成した、僕にしか見えない君なのだから、君は僕の構成した存在のひとつなのだ。でも、そうだとしても、それは僕がそう考えているだけに過ぎない。 結果と原因は逆転し、思考は「形態形成場」「アカシックレコード」「集合的無意識」呼び名は何でもいいが、そこに克明に記録されていく。信じる、というよりも、知っている。 こんな物語ができました。て、ここで、こうやって終わってしまうから、いけないんだろうナ。 当然これは、ここまでの過程、でしかない。思考を停止させるわけではなく、ひとつの切っ掛けを提示したに過ぎないのだ。僕は僕の見たい景色を探す。探すということが、僕をわくわくさせ、閃くということが、後押ししているような気がするのです。ならば、いけ。



「Dark Star」

磁気(01)の月11日【KIN 009】赤い太陽の月
G暦2004.08.05


夏は、淡々と滔々と過ぎ去っていくのです。
ははは、ひひひ、ふふふ、へへへ、ほほほ。 笑い声は、は行か。

煙草をくわえながら、お茶を飲んでしまった。
正確に云えば、お茶は飲めず、煙草もだめになってしまった。

夏に、温かい珈琲が飲みたくなる。おせち料理や雑煮も食べたくなる。
冬には、花火が良く似合う。
何れにしろ、天の邪鬼(あまのじゃく)なのかも知れない。

それから「天邪鬼」の語源を調べてみた。
【天邪鬼】俗に「あまんじゃく」「あまのざこ」ともいう。毘沙門天が腹部におびている鬼面の名で、 河伯面、河伯(かはく)或いは海若(かいじゃく)といい、水神のこと。後には、毘沙門天が足元に踏み付けている二匹の小鬼をいうようになった。一般には、人が右といえば左、善といえば悪いと、わざと人の言葉にさからって、意地を通そうとする、つむじ曲りの者をいう。

「河伯(かはく)」を検索してみると、「河童(かっぱ)」のことであった。他にも、「黄河の水神」「河伯(グアーバー)」など、主に水の神様を指していた。去年、鞍馬寺の五月満月祭へ行った時に、皆から「カッパ」と呼ばれたことを思い出した。また、今の携帯電話の着信音は、「黄桜酒造:かっぱのうた」である。 そうか、そうなのか。姓氏も、一字、かぶっているし。成る程、成る程。もはや、こうなると、まごうことなく奇態である。期待には添えぬが、希代の奇態。気体になって、擬態なのか。そ、そうなのか。(崩壊)

「Dark Star(ダーク・スター)」という言葉が妙にひっかかる。デッドなのか。ずっと以前に、「pohs-phor(フォスフォレス)」という言葉に執り憑かれた。これは「暁の明星」つまり「Morning Star(モーニング・スター)」を指すのだが、僕は今、その反対を欲していた。しかしそれは「陰」と「陽」、バランスである。「暁の明星」は、かの堕天使ルシファーの象徴である。どちらでもいい。見たいものを選び取り、それに近付いていくんだ。惹き寄せられるままに、寄せては返り、返っては寄せる。それが法則であり、運動であり、自然であり、空であった。

蝉の声は、永遠に続く様でもある。
滑稽も、結構、コケコッコー。
僕は、すっかり、夏に憑かれていた。



「表六玉」

磁気(01)の月05日【KIN 003】青い電気の夜
G暦2004.07.30


新年明けましておめでとうございます。青い水晶の嵐の年、始まりました。 去年「白いスペクトルの魔法使いの年」の一年と、その初日「白いスペクトルの魔法使い」の一日、 それから時間を外した日のKIN「白いスペクトルの鏡」が同期しています。 同じように今年「青い水晶の嵐の年」の一年、その初日「KIN259:青い水晶の嵐」の一日、次の時間を外した日のKIN「KIN103:青い水晶の夜」が同期し、水晶(12)という音を響かせます。 ツォルキン(260日暦)も一巡し、螺旋はグルグル上昇気流。

僕はと言えば、無事、普通自動車免許所得を果たし、NEWバイク"GORILLA"に乗って気分は上々、そよ風嫋々、Get Back JoJo なのであります。一ヶ月以上に渡って繰り広げられたドタバタ道中も免許皆伝なり。 7年ぶりに手にした免許に見入り、失ったものを今一度取り戻したようで、感慨頻り。20日間の合宿、2日間の取消講習、一回落ちてしまった本免試験、僕の長かった夏が終わろうとしています。終わるんかいっ! いと可笑し、蝉の声。

失ったものを取り戻すというのは並み大抵なエネルギーではなく、同じ時間をかけてその行程をなぞり、欠伸を堪え、それでいてテンションをある程度キープし続けていかなければならないわけで、まあそれを云っちゃあ、なくしたテメェが悪いわけで無間奈落、どうにもこうにも自業自得なのだけど、この度は大変な思いをしました。面倒が臭く自棄に発酵した匂いを発する前に、どうか失わないようにしていこう。 Keep On!

【表六玉/兵六玉(ひょうろくだま/へいろくだま)】とは、間抜けな人を嘲っていう語。
「人間に身近な生き物である「かめ(亀)」をしっかと観察し、その頭尾と四足を合わせての六つを甲羅のうちに隠し、外敵から身を守る姿勢を「利」とし、これを「藏六」と称し、この防御の姿勢をしないで頭尾、四足を表(おもて)にだしているのを「鈍」とし、これを「表六」と称す。そしてさらに、これを人の動態行動に喩えていう」のだという。運歩色葉集より

というのもどうやら怪しい説であるようだが、語源はこれぐらいしか見つからなかった。 花火に於ける出来損ないの尺玉という説も近からず遠からずなような気がするが、兎に角も兵六さんをそんなに責めないで欲しい。この語を僕はとても気に入ってしまったのだから。 存外に、愚鈍だとか鈍間、独活(うど)の大木だとか、駄目で役立たずでのんべんだらりとした人を擁護したくなるのです。駄目人間と飄逸(ひょういつ)、それは呑気で悠々自適な様、非凡さの象徴なのであります。 表六玉、結構じゃないか。よしよし。高等遊民でいいじゃないか。と同時にもうひとつの命題が持ち上がる。 かつて外道は「逃げるな」を歌っていた。その歌詞は「逃げるんじゃねぇ、逃げるんじゃねぇ」と繰り返し繰り返し唱えていて、どちらの意味にも捉えることができた。つまり「逃げるわけではない」という言い訳でもあり、「逃げてはいけない」という忠告にも聞こえたのだ。

何れにしろヒョロヒョロしていて頼りなき態のことを指して「表六玉」ではなかったわけだ。 しかし素頓狂(すっとんきょう)といい、唐変木(とうへんぼく)や、すっとこどっこい、おたんこなす、 安本丹(あんぽんたん)の頓吉(とんきち)、なんて不可思議で魅力ある言霊が、この日出る国には在るのだろう。汗を拭いながら、また今日も僕は何かを引きつける。磁気の蝙蝠(コウモリ)の月。 これから、13ヶ月の階段を登っていくんだ。Bon Voyage!


Copyright(C)ICCH@ HERESCENES