TRASH月(02)の月27日【KIN 053】赤い磁気の空歩く者
G暦2004.09.18
ジャニスの映画の事を想って、ふとなにげなくジミ・ヘンドリックスのことを考えたら、今日が彼の命日だった。来月4日が、ジャニスの命日だ。秋、夏の盛りを越え、ホッと安心した時に、フワッと命を持っていかれる。春先やこの時期、自分も体調を崩すことが多いように思われる。気が緩むのだろう。 今は冬を越せない者たちの分岐点だ。
台風の当たり年だったそうである。オリンピックも知らないうちに始まり終わっていった。祭りがここぞとばかりに各地で開催され、秋刀魚や松茸に舌鼓、風鈴を取り忘れた事に気付き、空の高さ、朝焼けの美しさに息をはっと呑む。収穫の季節。食欲、芸術、スポーツ、冠は誰かさんに任せて、紅茶をすすりましょう。
9.11テロと、ムーア監督「華氏911」、それから出来の悪い政治家共の陳腐でチープ(安っぽい)な演技。笑えない。簡単に命は蒸発し、テレビは何でも映し、インターネットには便所の落書き、へらへらと心弱く笑って金銭にへつらう。人生もテレビドラマも戦争も駆け引きも恋愛も仕事も、政治と同じだ。獲得し維持し行使し諍う遊戯と一緒なんじゃないのか。楽しめるゲームならば良いのに。それとも結局、人てののレベルはそこまでで、生まれ喰らい排泄し交配し果てるだけに過ぎない儚い存在なのだろうか?
Good Times, Bad Times.
いい時もあれば、悪い時もある。
「秋」四季のひとつ。陽暦では、9月から11月まで。「明き、空き」あいたところ。すきま。ひま。欠員。空席。「飽き」いやになること。「飽き飽きする」すっかり、いやになる。「商人」商売人。 「秋人」あきんど。秋の人。
月(02)の月24日【KIN 050】白いスペクトルの犬
G暦2004.09.15
優しさ、にも様々な種類がある。雨の日に黙って傘を目のつくところに置いておいてあげる。それとも、直接、手渡す?或いは、相合い傘?または、濡れるまま放っておいて、タオルを差し出す?祈祷して雨を止める?自分の傘を捨てて、一緒に雨に濡れて歩く?雨宿りで、軽く一杯、飲る?そのどの筋書きも、その固有の登場人物を投射する鏡のようである。どれも間違ってはいないし、正しいという答もない。 レストランで給仕係の態度が悪かった時、どうする?すぐに怒って、席を立つ?責任者を呼び、苦情を申し立てる?売り言葉に買い言葉、やられたらやり返す?黙って遣り過ごして、二度とその店には来ない?それとも、腹いせに喰い逃げしてやるか?そうやって意志表示をすること事体、相手に対するサービス(奉仕)であるような気がする。教えてあげるのだから、気付かせてあげるのだから、そこに「愛」さえあれば、渡して渡されるという関係性しか見当たらない。いつしか怒るということ事体、馬鹿らしくなってくる。僕のようなひねくれた人間はそんな感情を相手に披露して、知らせてやるというプレゼントを渡してやりたくなかったりするのだ。ああでもそれでは貢献できないじゃないか、とも思う。感情をぶつけてやるか?レストランごと買い取って、人事教育を徹底してやるか。そんなふうに思い患うくらいならば、いっそ外食なんかしないで家で慎ましやかに食卓を囲む方がいいんじゃないか。様々な思いがコンフュージョンして、身動きがとれなくなってきてしまう。優しさが人を苦しめることは、侭あることらしい。そいつがたごまると、義理だとか慣例だとか、贈答やら賄賂、金さえ払えばいいんだろっ的な傲慢さが首をもたげるらしい。優しさの定義も様々だ。
「誠実」という言葉がある。他人に嘘をつかないということは、自身にも嘘をつかないということ。それから誠実になるということは、嘘を吐かないということ。そうやって生きていけば、その人に人生には嘘がない。 間違えるということもなければ、苦しむということもなく、わだかまるということもなければ、失敗ということもない。ジャニス・ジョプリンは云った。「それが、本物になる」ていうことだと。いつでも「本物」でいるためには、嘘をつかず、誠実に、その時を精一杯に生き切ることだと。エルヴィスも、ジョン・レノンも、ニール・ヤングも、ジェリー・ガルシアも、ジミ・ヘンドリックスも、ジム・モリスンも、江戸アケミも、僕の好きな人達はみんなそんな人達だ。その瞬間を惜しむことなく生き切る。先の先の先っぽで「生」を表現する。こういった著名な人ばかりではない。僕らの周りにも、そうやって生きている人達はたくさん居る。 誠実で正直に瞬間を生きられれば、僕らも同じ領域で「本物」の仲間入りだ。
そんな風の知らせが、秋の匂いと共にやってきたらしい。
風はいろいろ運んでくれる。春先には花粉だったり、嫌な噂話だったり悪口や悪評だったり、請求書だったりパンティだったり、現金だったりエロ写真だったり、肉の焼ける匂いだったり屍骸の焼ける匂いだったり、恋焦がれたり胸破れたり、ラムサだったり赤ちゃんだったり、砂漠の砂だったり風船爆弾だったり、テロリズムだったり、愛だったり、したりする。今私達の口をついて出てくるものも、風、である。
そして、生命も風、なのである。PEACE and LOVE!
月(02)の月17日【KIN 043】青い自己存在の夜
G暦2004.09.08
「煙る草を採る@ICCH」2004.2.17 奇天烈より転載---------------------
折れた煙草の吸い殻を、、、どうするかといえば、勿論、シケモクにして取っておくのである。僕は愛煙家の末席。自分の銘柄の煙草が無いと少し不安になったり、旅先へは数箱の煙草を隠し持っていかなければ怖く、深夜3時に煙草が切れると辛いので煙草の売っているコンビニのチェックを怠らない。バイトでタバコ屋をやっていたこともある。原宿明治通り沿いの自販機脇の窓口、腰が冷えるので"キャメル"の膝掛け毛布で暖めながら、道行く人達をボーっと眺める。不埒な若者が「マイセン」と一言。そりゃタバコ屋の店先で、そう言えば「マイルドセブン」だろうが、暇を持て余しているので「とんかつ屋のマイ泉はココじゃありません」などと嘯く。あ、それは嘘です、すいまいせん。だいたいにして口の聞き方がなっちゃいない。欲しいのか、欲しくないのか、 「・・を、ください」だろっ。時に、若者以上に年輩の方々は始末が悪かったりする。窓口でお金を投げ入れられた事があったので、ムカッときて投げ返した事もある。賽銭箱じゃありません。投げ返したらまた投げ返してきたので、小銭の投げ合いになっちゃったりして、そうやって高飛車な態度ばかりしてるとお互い気分が悪くなる。煙草オチだ。
煙草の銘柄遍歴。「セブンスター」未成年の頃。コレが一番だと思い込んでいた。世界は狭いものである。「マルボロ」イギリスへ行ってコレしか買えなかった。この時期が一番長かったが、タバコ値上げと共に「キャメル」へと移行した。「キャメル・マイルド」「キャメル・ライト」と、だんだん弱気になっていく。一時、「P.M.スーパーライト」へ浮気もしたが(やっぱり値段に左右されやすい)「キャメル」からは離れられなかった。そして現在は、「ロング・ピース」或いは「ピース・ライト」を愛煙しています。平和を望んでいるのです。(*さらにその後、アメリカン・スピリット黄色へと移行)
煙草を飲まない人には悪いのですが、これは煙草を飲み続けて分かる景色である。挫けそうになったこともあった。料金改正毎に禁煙を決意した。一時は「エコー」(170円ぐらいか)などという恐ろしい銘柄に逃げ込んだ事もあった。それでも、どうにかこうにか辿り着いた場所なのである。喫煙を続けながら、時折禁煙を織りまぜつつ(長くて半年)、僕は今日も煙草を飲むのです。珈琲との相性は抜群です。もちろん、お酒と 煙草は切っても切れない妾との蜜月であります。興が乗れば乗る程、灰皿は吸い殻てんこ盛り、となります。 思い煩うな、いざいかん。喫煙の問題点は、きっとそこにあると思われます。健康を害するのではないか、という不安、それが健康を害するのではないか。病気になると思いながら入れていけば患うのが当然で、美味しい美味しいと言いながら入れていけば、それは健康に一役買うような、そんなような気もしてくるのです。
ネイティブ・アメリカンの人達にとって、煙は神聖なもの、だという。狼煙もそう。煙草もそう。儀式の時に上げる煙は、それ自体が乗り物であり、煙に乗って遥か先にまで到達できる。ジム・ジャームッシュの映画「デッドマン」でインディアンの"ノーバディ"が、ジョニー・デップ扮する主人公に、何度も囁く。「煙草は持っていないか?」生憎と彼は吸わない人である。最初からそれを知らないという道、それに知ってからそれを禁止するという道、またそれを越えさらに先へと進んでいこうという道、様々な個々の道がある。立川談志さんが、食道ガンの記者会見でスッパスパと煙草をふかしているのを見て、やっぱりカッコいいと思ってしまった。
ミヒャエル・エンデ原作映画「モモ」には、たくさんの"グレーマン"と称する時間を盗む奴らが登場する。彼等は絶えず葉巻を吸って、その煙を体内に吸収する。その葉巻こそ、盗まれた時間を使って造られた彼等の動力源である。それを見て思う事は、そんなに急いて煙を入れることはない、ということだ。この映画は、人々を煽動し、合理化、スピード化を唆して余剰な時間を盗む"グレーマン"一味と、不思議な少女"モモ"の戦いなのだが、「時は金なり」で働かされ消耗していく人々に対して、どんどんと恰幅よくなっていく組織(それは盗まれた時間で造られた葉巻のお陰)は、今の個人と社会を隠喩しているようで面白い。
さてと一服、といって絶えず句点を打つ人達。本当は、生きていくことは読点の連続だというのに、区切りがついたと信じ込んでいる人達の物語。そうしてスパスパと狼煙を上げ、急か急かと仕事に従事して時間を盗まれる人達。煙は、深呼吸と同じ、なのかも知れない。自身の存在を確認するように、足が地に着くように、重しをつけるように、かつて神聖だった煙は、いまやなんの意味も持たないニコチンとタールという記号と数字に成り果てる。そこに是非などはなく、誰もが信じた物語の主人公でしかない。僕は愛煙家の末席。出来うるならば一本一本の煙草に感謝して、ゆっくりとその喫煙の時間を楽しんで生きていきたいと思う。まだ当分のうちは。
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以前「奇天烈」ページに投稿した文章でした。喫煙も禁煙も、ロンドンを見るのかパリを見るのかというような、片一方の景観に過ぎず。何れにしろ、もうそれについての話題も少ない。煙りは身体に取り込むより、乗り込んだ方が、何百倍も楽しいのではないだろうか?
依存、中毒、それをコントロールして乗りこなすようになる。
「Wild horses couldn't drag me away(野生の馬も 俺を引きずってはいけなかった)
Wild, Wild hourses, We'll ride them some day(野生の馬に いつか俺達も乗ろう)」
by. Rolling Stones
それから、飲酒の事を考える。過度の量と、γ-GTPの数値を天秤に掛ける。酒に囲まれて生活をしてると、懐かしい友達に再会した時、緊張を緩和するため、興奮覚めやらぬ時、仕事の始まりに、仕事を終えた時におつかれビールと称して、とにかく誘惑とも或いは空気の如くとも識別つかぬぐらい自然に飲ってしまう。 休肝日と決めた日こそ、ダムの決壊よろしく、一滴でも体内に落ちてきた場合の反動はもの凄いのだ。 どうせ呑むなら酔っ払わなきゃ。えい、飲っちまえ。そしてお馴染みの唄を♪
かっぱソング♪ ウィック ハック ヒック ウィック ハック ヒック カッパッパ ルンパッパァ カッパキザクラ カッパッパァ ポンピリ ピン ノンジャッタ チョット イイキモチ ノーメル ノーメル ノーメル ノーメル イケル ケル ケル ケロック キザクラ キザクラ ソフトナ オサケ フルイノレンノ モダンナ アジ カッパッパァ ルンパッパァー キザクラー ウィッ ヒック ハック「わたしは酒をグラスに注ぎながら、これこそが飲酒の問題点だと思った。何かひどいことが起こると、忘れようと酒を飲む。何かいいことが起こると、お祝と称して酒を飲む。そして何も起こらないと、何かを起こそうと酒を飲む。」Charles Bukowski
月(02)の月07日【KIN 033】赤い共振の空歩く者
G暦2004.08.29
子供の頃に熱にうなされ必ず見たのは、大きな大きな丸い岩が圧倒的な迫力で僕の頭上を覆い、けれども落ちてくるでもなく静止して、僕の視界から消えようとしない。時々、ごろごろと転がって行ってしまったりもするが、やがてまた頭上に戻ってくる。マグリットの「ピレネーの城」という絵がありますが、まさにそんな感じの大岩が浮かび、あの頃、その岩の天辺にお城が立っているなんて想像できたら病気も楽しかっただろうな。大人になってから、この大きな岩とは出逢っていません。
支離滅裂になってくる。夢と現実の境界線はすっかり取り払われていた。僕の幻想に尾ひれが付いて、出来損ないのホラ話みたいに、夢の登場人物達が噂する。四方八方にバラ捲かれた物語が、主役不在のまま勝手に進行していってしまう。やっとその物語の進行中と思われる場面へ辿り着き、「この話の根っ子からやって来たのだが、随分また破天荒なことになっちまいやしたねぇ」と云うが早いか、すぐ隣で違う話が展開中。 あぁそれは僕と関わり合いが深そうな話、そっちへと顔を出してみた途端、全部の登場人物がヒソヒソ話を始める。「ああ、あの噂話は本当だったのねぇ」「なに?何のはなしだ」そうして取っ組み合いをしている奴らを横目に、極めて現実的(すでにそれはあり得ないが)に、病気の算段。炭酸系のジュースを飲むとすぐに嘔吐したくなるね。やはり果実系も捨て難いが、お茶が一番なのではないのだろうか。床擦れだ。三日三晩、横になってるとね、さすがにしんどくなってくらぁ。また別の意識では、ヨガの呼吸法などを試してみたりしてる。愛の波動を高まらせると頭痛が一瞬やわらぐような気もした。それにしても、僕に住む人々はお喋りだ。 絶えず何かしらおっ始めたり、バカ話したり、根掘り葉掘りと鼻をクンクンさせて質問していた。 僕の意識の中で、でっかいパーティーが開催されているようなものだった。今まで出逢った人達が、何の脈絡もなく、挨拶してくる。世間話から、懐かしい話、初めて聞くような話、どんどんと覚醒してその当時に気が付かなかった部分を(または意識的に避けていた話題を)このパーティーでは大っぴらにあからさまに語り合う。駄目な話題などひとつもなかった。それに時々、キングも歌ってくれたし。
以前、風邪を引いた時にやりたかった方法で治癒したかった。製薬会社の薬は使いたくない。
時間を区切ることなく、病気が出ていきたくなるまで待つ。だから仕事のことや、その他のことは考えない。
自然治癒力てのはどうなんだ。それを今回やっとできて嬉しい。身体が求めてるのなら後先考えずすぐに休息するべきだ。26日深夜から29日今日までの三日間の禊。ついでに断食の方も敢行してしまって、身体は軽い。ひょいっと何処へでも飛んでいけそうである。思いのままに。
月(02)の月04日【KIN 030】白い自己存在の犬
G暦2004.08.26
Suspicious Mind (Elvis Presley) We're caught in a trap I can't walk out Because I love you too much baby ぼくたちは罠にはまったのだ ここを出るなんてぼくはできない なぜって君を愛し過ぎているから Why can't you see What you're doing to me When you don't believe a word I say? なぜわからないんだ 君がぼくにしていることが ぼくの言う言葉が信じられないときに We can't go on together With suspicious minds And we can't build our dreams On suspicious minds ぼくたちはいっしょにやって行けないね 疑惑の気持ちがあっては ぼくたちの夢を築くことは出来ない 疑惑の気持ちの上には So, if an old friend I know Drops by to say hello Would I still see suspicion in your eyes? もしぼくの古い友達が ちょっとあいさつに寄ったら 君が疑いの目で見ていると思うだろうか Here we go again Asking where I've been You can't see these tears are real I'm crying ほらまた始まった どこに行ってたのと聞いたりして この涙がホンモノだってことわからないの? 泣いているんだよ We can't go on together With suspicious minds And we can't build our dreams On suspicious minds ぼくたちはいっしょにやって行けないね 疑惑の気持ちがあっては ぼくたちの夢を築くことは出来ない 疑惑の気持ちの上には Oh let our love survive Or dry the tears from your eyes Let's don't let a good thing die ぼくたちの愛がまだ続くように 君も目の涙を拭きなさい ぼく達の関係をこのまま続けよう We're caught in a trap I can't walk out Because I love you too much baby ぼくたちは罠にはまったのだ ここを出るなんてぼくはできない なぜって君を愛し過ぎているから Why can't you see What you're doing to me When you don't believe a word I say? なぜわからないんだ 君がぼくにしていることが ぼくの言う言葉が信じられないときに 1969@Elvis Presley
また同じところを旋回しているな、て思う時がある。けれどもそれは決して前とは違う、同じように見える景色なのだけど、まるで状況は違っていて、それなのに同じような判断をして、前と同じパターンに陥ったりする。それは「今」が見えなくなった時だ。自分自身を信頼できなくなり、自信が揺らいでいる時だ。 僕はかなり、お調子にのる方だった。逆上せ上がって周囲が見えなくなった時、必ず後からやってくるのは、殴打だったり、叱咤だったり、怪我だったりして、それをその都度教えてくれた。それで自身に 「節度を保て、節度を保て」と言い聞かせて慎重に歩かなければならなかった。 そんな青い時期を通り過ぎ、やがてそれからも学ばなくなり、固定観念とか予定調和とか、或いは経験値に照らし合わせてやり過ごすようになり、今ではこんな岩窟王が出来上がってしまったのである。 復讐は我にあり、と呟く。
僕がエルヴィス・プレスリーの偉大さに気付いたのはごく最近であった。ジョン・レノンのアイドル、ニール・ヤングがキングのTシャツを着てリスペクトしていたのも知っている。いやロックンロールの始祖である。禅で云えば達磨大師だ。なぜキングを敬遠していたのか、それも今は昔、「エルヴィス・オン・ステージ(That's the Way It Is)」ですっかり虜になってしまった。70年ラスベガスのショーを映画化、原点にして頂点をあますとこなく写し出す。当時、キングは35歳。たぶん、これ以降のキングは踊れなくなってしまう。(73年の「アロハ・フロム・ハワイ」ではほとんど動けない)それだからこそ、脂の乗り切ったトロのように刺激的なキングがそこにいる。そしてここにロックの全ての源流がある。彼から派生したR&Rは、様々な亜流を生むこととなる。一語で叩っ切るR&Rの爽快感は、難解で複雑で深遠なパターンを形成していくが、種子がここでは至って単純明快な形、雛形として提示されているのである。 それは「愛」の尤もシンプルな形でもある。どこまでも「愛」なのだ。見返りを求めず、寄与し続ける優しさを感じることができる。そして、「男性性」のシンボルでもある。20世紀、キリストや仏陀などと同じレベルで貢献したのは、エルヴィスだけだ。それを「エルヴィス意識」と呼ぼう。今現在、彼はバラバラに分解され、個々のレベルで核に添えられているが、20世紀を制したのはこの意識だったに違いない。 マッチョ性がグラマラスで両性的なグラムを生み、黒い皮をまとった暴力性や不良性はパンクやグランジへと引き継がれ、衝動的な破天荒さがロックを象る。でもこの映画のキングは、全身全霊を観客に捧げていた。 アイドル(偶像)の役、殉教者の役、茶目っ気たっぷりで悪ガキな役、恋人の役、駄目でヘロヘロな役、誠実で神経質な役、どれもこれも「俺はエルヴィスだ」と言わんばかりだ。つまり「彼はエルヴィス」なのであった。薄ら笑い半笑いで貧乏揺すりでシャイクするキング、椅子に座ろうとして後ろへひっくり返るキング、「ラヴ・ミー・テンダー」で愛を表現するキング、指差し「どうだっ!」と言わんばかりに挑発するキング、ドラムの音に埋没して我を忘れて踊りまくるキング、もうその行動が存在が、まさに「ELVIS, That's the Way It Is!」以外の何者でもないのだった。カッチョいい〜!
余談: 「サスピシャス・マインド」は69年全米チャート1位に輝き、キング18曲目にして最後のナンバー1ヒット。エルヴィス77年8月16日死去(享年42歳)。ジョン・レノンは40歳で殺された。 キングのKINを調べたら35年1月8日生まれ「KIN95:青い自己存在の鷲」でした。 ジェリー・ガルシアも青い鷲だなぁ。
PEACE MIND!
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