ワッシャー TRASH
青い水晶の嵐の年(YEAR OF THE BLUE CRYSTAL STORM)



スペクトル(11)の月(Spectral Moon)
「arcade」
「舌きり雀」




「arcade」

スペクトル(11)の月24日【KIN 042】白い電気の風
G暦2005.05.25


統合、それから剥離。ひとつの理解が成就し、また新たな問題が喚起され、分裂する。 死、それから再生。行動が次に起こる事を引き寄せ、永遠に続く螺旋階段、ドミノ倒し、連想ゲーム、 あみだくじ、手札には選択された好カードだけが残る。捨てられたカード、使われなかった言葉、 選択から逃れたチャンス、決断を不履行にしたタイミング、守られなかった約束、忘れ去られた瞬間、 積み上げられたそれらのものが一斉に臭気を放つ。 カット&ペースト、カット&ペースト、カット&ペースト、、、 劣化しない電気信号が伝染病のように増殖していく電脳箱。 僕はそのアーケードをぶらつく。 用意された言葉は無効。適用されなかったルールばかりに絡められ、身動き出来ずにいる。 禁忌を笑うと去なされる。まぁまぁ、いいじゃないか、と。

スペクトルの月は「解き放ち」 そして「なすがまま」にさせる。 自身の足で立ち、これまでの月で築いたものを踏み台にして、さらに高みを臨む。 ひとつのアーケードを抜けると、また新たなアーケードが連なっていく。 終わりはない。歩みを止めることはない。

そろそろ動きだそう。新しい列拱(きょう)回廊を。

自分はまだまだ矮小だ。



「舌きり雀」

スペクトル(11)の月01日【KIN 019】青い律動の嵐
G暦2005.05.02


一切は、僕の前を通り過ぎていく。 初めは無かったものたちが、魔法のように、錬金術のように、僕の前に出現した。 それから、息せき切って通り過ぎていったり、微睡んで欠伸をしていたり、そのまま朽ち果てたりした。 生きていく限り、そうやってそれを引き寄せたり、希望や欲望を物質化したり、取り入れたり排泄したり、 関係性を構築したり破壊したりしながら、足掻いたり笑ったり焦ったり投げ出したり、何かを使い切るまで やり続けていく。 産まれた時は、何も持っていなかった。在ったのは、僕という身体と、何処からかやってきた心だけだった。 綺麗だとか醜いだとか価値観を育んでは捨て、美意識を研ぎ澄ましたり鈍化させたりして、どうにかこうにか バランスをとって、歩いているところが細かったり太かったりして、綱渡りだったり舗装道路だったり、山だったり谷だったりして、やがては此所じゃないところへと辿り着く。 空は晴れてるのに雨が降っている。矛盾は薬味だ。 楽しんでいる間は楽しみ尽し、苦しんでいる間は苦しみ尽す。 面白いものだなぁ、どんなところにも意味を見い出すことができるということは。 感情は脈打ち、血液は循環し、空も風も雲も地球も宇宙も、果てることなく類似性を見せ、無限を確約しているのに、僕という個人は身勝手に制約を設け規制して限界を以て区切る。 だから、出来ないことは出来ず、やれないことはやれず、どこかで頓挫しなければならないという物語を黙認してしまわざる得ない。 人は死なない、という物語を自身に赦してやれば、永遠に死ぬことはないというのに、それを信じることができなければやはり死んでしまう。 絵空事は、絵や空に描けばいいと思っていやがる。心に刻めばいいだけなのに。 そうしてやっぱり一切合切は、ただ僕の前を通り過ぎていく。

記述の文章は、どうにも尻尾が掴めない。 どうにだって姿を変えられるし、のらりくらりと翻っては逃げ出すことができる様に準備されている。 端から、尻尾なんて生えちゃいないんだ。 不親切にも真っ赤なべろを最初から見せ、すでに舌は切り落とされているという寸法。 小さい箱を選ぼうと大きい箱を選ぼうと、中身は一緒であった。からっぽ。 けれども何かを発していたいというささやかな声。逃げ場を失って吐き出された声。苦渋と微笑。 それが面白いんだからたまらない。そんなお遊びのひとつ。 道具はこんなにたくさんあるというのに、これしかやる方法が見つからないという体たらく。 見たいものだけが見えてくる。見たくないもの、見ようとさえしないもの、見る気もおきないもの、それを知らないから素通りしてしまうもの数あれど、今見えているものだけを直視するだけ。

さてどうしたものか、と思案するふりをする、お茶をすする朝方。 展開は転回してばかりだった。何も思い煩うことなんかない。 近所の公園でぽつねんとしていると、風が頬と触ったりしてくすぐる。 木漏れ日が眩しく、木々の許から空を見上げ千切れる雲を眺める。 みんなえらく立派だ。木は微動にせず、枝は盲滅法伸ばしているようだけどそこには規則性があって、 葉は陽光を取入れようと目一杯開いていた。桜の季節もあっという間に過ぎ去り、桃色だったやつもすっかり 新緑鮮やかに着飾っている。そこから漏れる空の青さ、陽の力強さ、雲の一瞬の妙味。 どこに居たってやっぱり変わらない。去年のあの合宿免許で触れた匂いを嗅ぐ。 退行催眠の時の何れかの時代の僕を感じる。 ここで心地よく目を細めて、間違っていないことを知る。 いつだって自然で真振いである。そうしていけば、カチリとその景色の一部に融合していけた。 僕が僕を記述しているのではなく、景色が、自然が、摂理が、世界が、皆が、宇宙が、僕を成立させていた。 だから、ONENESSでもあるが、単一に立脚してもいた。 複雑ではなくとも単純に成れることができた。そういしていれば、とてもシンプルに世界は見渡せた。 僕がここにいるから世界もここにあり、世界がここにあるから僕もここにいる、のだろう。 「在る」から「居る」のだ。 そういったことの解答などもない。問題や質問なども、端から存在してやしないので、当然、答はない。 制限、分離、二律背反は起こらない。至って、シンプルな世界が在る。 舌きり雀の、ささやかな声。お土産は、特に、ない。最初からあったものだけがここにあった。


Copyright(C)ICCH@ HERESCENES