TRASH月(2)の月28日【KIN 104】黄色い宇宙の種
G暦2002.09.19
有吉佐和子「複合汚染」という本を読みました。実家の片隅に埃を被って埋もれていたのを引き取って、それきり放っておいたのですが、本にもタイミングがあり、それがシンクロしてページをめくることとなる。 1975年、朝日新聞に連載されたコラムをまとめたもので、上下巻2冊です。 あらゆる食物、環境、それらに混在する毒を取り上げた本で、科学者が断定できない例を小説家として検証し 警笛を鳴らし、知ること、知らせることを目的としている。米に散布される農薬、科学肥料、水銀、自動車の排気ガス、その有害性、そして無農薬野菜の可能性などを取り上げている。 複合汚染というタイトルは、それらの様々な要因が複合することで、さらに人を死に至らしめるという科学用語。これを科学者が実証するには50年以上掛かるというので、作家が小説という形態で告知している。 実証されない毒物(致死量を定め)は当然、現在も使用され、厚生省(名称変わった?)は放置し、 企業は大量に社会に散布している。もうこれは、物言えば唇寒し秋の空、なのでコンビニ行って、着色されて いないものを探すのが困難なぐらい、言わば認可されてしまった手放し状態だ。 まあね、それだけなら死なないんだけどね。あらゆるものに混在していて、身体に蓄積されていく類いのもの を、日々せっせと蓄えている我々は、間抜けだよねぇ。もはや自分としては、生きてきた年数より、死へ向かう年数の方が少ないと思われ、酒や煙草で自虐的、自棄気味になって、切迫してみて大慌てなのだろうが、 生き先長い方々は考えてみた方がよろしいかと。特に、幼児とかはね。 で、幼児は考えられないから、その親である人は、検索してみた方がいい(自戒)。 そして、この本が面白かったのは、その毒物の起源に遡って記述していることだ。 例えば科学肥料などはドイツの火薬(硝酸)の合成から平和利用へと移行、毒ガスは農薬へ、 魚肉ソーセージ、ビキニ諸島の核実験の原爆マグロで売れなくなったマグロと、Zフラン(AF2= 食品添加物の前身)との結婚で生まれた。(今はどちらの添加物も使用禁止となっています) とね、戦争と共に発展していく様が、滑稽でもあり、成る程とも思いました。 文化や科学を触発するものとして、戦争は欠かせない薬味でもあったのです。「平和利用」ね。 毒ガスで燻蒸したフルーツ。生者必滅。
厄介で、複雑な世界ですが、気持ちは結構、単純です。
自棄にならず、紐解いていけば、あら不思議、一本の紐がこんがらがっていただけ。
Take it Easy! こうして2月が終わり、次なる3月へ明け渡され、歩いていくのです。
様々なレベルで、バトンは渡される。宇宙も遺伝子も僕達も。ピース!
月(2)の月20日【KIN 096】黄色い倍音の戦士
G暦2002.09.11
以上、昨日の記述であります。
「混沌の中にも秩序あり」とことん、やっていくしかないのかも知れません。
水槽の中の藻を振った時の水の濁り、その濁りもやがては沈澱する。
人間は考える葦である。想像を創造できる。作戦は作戦の範疇を離れることもないし、作為、策略、予想、
予感、それを想像した時、そこへ続く道は繋がるが、そこを歩くことを選ぶのは瞬間瞬間だ。
言葉が生み出されなくなるまで語りつくし、血が流れなくなるまで血を流し戦うしかない。
それができるのも生きているからこそ。
悔いのない生き方は難しいけれど、難しいと考えていれば難しいし、簡単と思って、自分の持てる想像力を
駆使していくしかない。
全ては己の内にあり。この世界は、自分(貴方)を中心に動いている。
自分自身を変えれば、世の中も変われる。チャンスは己の内に。チャンスは貴方の内に。
In Lakechi
月(2)の月11日【KIN 087】青い太陽の手
G暦2002.09.02
颱風が濁った空気を蹴散らして、そうして秋がやってくる。しかし今年は残暑が続く。汗が乾いてベトつく、 熱帯夜の寝苦しさ、湿気のまとわりつく、そんな停滞した空気が蔓延して、なかなか出て行こうとしない。 夜になると、いくらかマシになる。自転車で空気を切って走っていると、ちょっと清々しくなる。 空は高い。月明かりばかりでは、補えない程の雲が、連なって、低空飛行してる。夜空の雲。 月からは一定の距離を措いて、そうしてこの見ている場所から、円形状に雲が泳いでいく。
自分をまぎらわしているのは「憑依状態(トランス)」なのではないかと思っている。
【trance】1、夢幻の境、恍惚、夢中、有頂天(エクスタシー)2、失神、人事不省、昏睡状態。
【trans-】1、「越えて」「横切って」:transmit, 2、「貫いて」「通って」「完全に」:transfix, 3、「他の側へ」「別の状態へ」:translate, 4、「超越して」:transcend, 5、「…の向こう側の」
どちらのトランスでも構わないが、夢中になって我を忘れている状態、を求めている。
それは端からみたら、憑依されているような格好だ。何かに心奪われている状態。
マンガを読んでいる時など、すぐにでもその物語に憑依される。それは客体ではなく、そのものに、その物語
の一部になって、夢中のまま、それが尽きるまで貪りつくす。
マンガや絵本は子供の頃から、すぐにでも入り込めるように習慣化されていて、活字になると少し磁力が弱まってしまう。頭の中で情景を組み立て直すからか、作品の善し悪しで吸引力が大きく変わってしまうのだ。
映画となるとあまりにも出来上がり過ぎていて、これもまた他人の頭の中で遊んでいるような、ぎこちない
凝りが残ることとなってしまう。マンガのコマとコマの飛躍、そこに生じる個人差、スピード、それが絶妙で
ある。音楽、この未完成なメディアの吸引力は強い。押しつけられる景色など何もない、自由度がある。
自由というコトは制約がないというコトである。その制約を決めるのは自分であり、そこで止まると考えて
しまえばそこで止まり、もっと先へと考えれば、もっと先へ進めるのだ。
だから服用量を間違えると、恍惚から失神、さらには昏睡状態に陥るという、まさに百薬となる。
人間て空が飛べないから、違ったかっこうで飛ぼうとしているのかも知れない。
気持ちを運ぶ船、とも言える。リズムが先導(船頭)してくれるんだ。メロディの波。
寄せては返す海のように、止まらない音楽を求め、終わりが来ないことを願う。
それは自分の死を避けるかのようだ。繰り返しのパターンが、変容意識を高める。
もうそこに自意識は消えて無くなり、たくさんのものと融合して、1つの大きなものの一部に過ぎなくなる。
たくさんの魚が泳ぐ水槽、魚同士は別個体でありながらも、水という同じ領域を共有しているという意識、
それはそれぞれがそれぞれでありながら、ONENESSでもある。
その魚が一匹だけ掬い出された時、水面から離れた時、それは皮膚から剥がされたような痛みを感じる
という。孤立と絶望、形成していた個々の仲間から引き離され、異空間へ放り出されるのだ。
そこに僕らと同じような特性を見る。地球から離れて生きることは出来ない。
別の異空間に、気持ちだけを放り出す魔法が、音楽なのかも知れない。
水晶の別の一面を垣間見て、そこで気付き、自身を探る旅でもある。
大分、この文章も跳躍し過ぎてしまったようです。
いつか、もう少ししたら、また考えてみよう。今はまだよくまとまらない。とりあえず、ダイヴ!
書きたい事は言いつくしてしまった。とりとめのない夢が、不連続して襲う。
それが逃げないように書き留める。どちらの世界も、連結している。
こうして今日も、夢幻の岸を目指し、船を漕ぐ。SHIP OF FOOLS!
月(2)の月03日【KIN 079】青い磁気の嵐
G暦2002.08.25
「Madicine」は、グレイト・スピリット(偉大なる精霊、創造主)によって与えられる、全ての不思議なこと、不思議なもの、不思議な力の働きすべてを指す。薬はそのほんのひとつの働きでしかない。 メディスンは様々な形、レベルを有し、人によっても造り出すことができ、すべてのものを動かすスピリット に対して、その人なりに尊敬と感謝を捧げる方法でもある。メディスンには、「グッド・メディスン」と 「バッド・メディスン」のふたつが始めからある。「グッド・メディスン」は、自然によってあなたが、目の前で起こっている特別な出来事、もしくは体験の一部となることを許された"しるし"のことでもある。 雨の後の虹、美しい夕焼け、雲間から洩れる一条の光線、常にそれが息をのむようなことばかりとは限らない が、いついかなる時にでも程度の差こそあれ、それは与えられることとなっている。 「ヒーリング」というものは、そんな「グッド・メディスン」の積み重ねであるということもできる。 反対に「バッド・メディスン」は、その人間が自然から切り離されている時顕著に表れるとされる。 何かよくないことが起こりそうな気配、すべてのものの中にあるスピリットが好ましくないと判断するような出来事、経験が「バッド・メディスン」悪いことを起こす不思議な力だ。(「ローリングサンダー/ダグ・ ボイド著、北山耕平訳」より抜粋)
インディアンはその法則に従って生きている。尊敬と感謝、それを機軸としている。 土地を略奪され、追放され、居住区を一方的にあてがわれ、血を流し、条約はそのつど破棄され、差別され、 子供は誘拐され、火を放たれ、飼っていた犬を虐殺され、聖なる土地の木を伐採され、それでも共に生きようとしたインディアンも居る。それに、インディアン、ネイティヴ・アメリカンは商標じゃない。 ローリングサンダーの活動が、そんなニューエイジ・ブームの波に飲まれ、流行の一部と見なされ、姿を消す ことはあってはいけないことだ。彼はすでに旅立ってしまったが、精神は健やかに育っている。 地球の環境破壊を、自分自身の身体の病と同レベルで捉え、すなわち自身の病を治せば、地球も健康に戻る。 それは身体の機能の問題でもあり、精神の問題でもある。それぞれが自身に責任を持ち、高いレベルまで持っていけば、おのずと正しい環境はやって来る。 いつだって、正しい時、正しい場所、正しいことは、存在し、それを選択することが出来れば 「グッド・メディスン」が降ってくるんだ。 各々の判断、責任、役割を正しく発揮したならば、自然に尊敬と感謝は生まれてくる。 互いに争ったり、血を流したり、奪ったり、裏切ったり、傷ついたり、病んだり、そんな不自然な 「バッド・メディスン」は必要のないことだ。 どちらも人間が創りだせるとしたら、選ぶのはその人の判断に任される。
メディスンの例を少しばかり抜粋。
「その時、彼(ローリングサンダー)は立ち止まってしばらくその植物の群れを見下ろしていたが、やがて自分のポケットから何枚かのコインを取り出し、それらを沈んでいく太陽の光りにかざしている。…彼がその小さな植物の家族たちになにがしかのお金を与えたのは、そのためだ。捧げ物というものの持つ意味と、その象徴的意義が、しだいにはっきりしてきた。植物にとっても、お金はある意味では役に立つのである。もちろん植物がコインを使うことなどはありはしない。
しかし少なくとも植物たちは、ローリングサンダーの彼等に対する感謝の気持ちぐらいは汲み取ることができるのだ。それはエネルギーの交換というべきものであった。お金であれ、自分の所有物であれ、なんであれ、
それを与えたり受け取ったりする行為はいずれも、強力なエージェントになりうるのだ。
そしてそれはエージェントであるかぎり、良いエージェントであるか、悪いエージェントであるかの、いずれかでしかないのである。」
これは、ローリングサンダーがメディスンのため薬草を摘んだ時の記述である。
「原因と結果の法則はあらゆるところに働いているのだ。誰かが何かをすれば、その結果を誰かが受け取らなくてはならない。どんな文章も、考えも、また行為も、どれもが必ず誰かに影響を与える。
誰かが破滅的な考えや望みを抱けば、必ず誰かがその影響を受けなくてはならない。
もしそれが他の誰かにうまいこと働きかけなければ、それはその破滅的な願いを作り出した当人の頭の上に戻ってくることになる。むろん、最後には誰もが自分の借金を精算するために、使った分だけは稼がなければ
ならない。ところが丁度それはお金のように、たくさんの人間を巻き込んで、いろいろな人の間を行ったり
来たり行ったり来たりぐるぐる回るものだから、そのたびにどんどん複雑になっていく。
そしてグッド・メディスンが目的とすることは、その複雑さを単純なものにすることなのだ。
相手を破壊しようとする力は、さらなる否定的なエネルギーを生むだけであり、それだけ否定的な結末が増え
問題が増えるだけのことにすぎない。」
「もし君がなにかに反対するような感覚を持っているのなら、すなわち君が他人に対して軽蔑感を抱いているのなら、君はその人から軽蔑を受けるのにまったく相応しい立場にいるということになる。
要するに考えなければならないのはネガティヴな力を受け止めない人間になることだ。
あなたがたの社会には犯罪者と呼ばれている人たちに対する大変な怒りと、怖れと、軽蔑感が満ち溢れている。そしてその事実があなたがたの犯罪率をさらに引き上げる働きをしている。
あなたがたの社会が犯罪率において群を抜いているのは、犯罪を引き受けるのに実に相応しい立場にあなたがたがいるからにほかならない。…
相手を敵対視するのではなく、誰であれ他の人たちのことをもう一人の自分であると考えた方がはるかに役に
立つというものだ。誰であれ、人間はこの宇宙を代表しているものだと考えなくてはならない。」
「どんな人間も宇宙全体の仕事に一役買っているのだからな。誰も部外者ではいられないし、自分だけ影響を
免れようたって誰にもそんな真似できやしない。どんな人間も生命のひとつのモデルなのだ。
人間が元々持っている本当に自然なもの、それがすなわち生命の本質というやつだ。…
どんな境遇にいようと、それでも君が宇宙全体を代表していることに変わりはないからだ。」
これは、もう一人のメディスンマン、マッド・ベアの言葉です。
シンプルな考え方だ。それに、今まで自分自身で考えていたことと同じでもある。
もちろん以前に何度もこの本を読んだことがあるので記憶していたことなのかも知れないが、時間を外した日
に受け取った感覚を、見事に文章として見せられた感じだった。
この知識は大事なものである。言葉は違えど、すべての大いなる教えはこのことを指している。
因果応報、カルマの法則だ。肯定に対して、否定は、必ず存在する。勝つ者の裏には負ける者が必ず居る。
分離してしまうから、極が生まれてしまうのだ。それぞれが大きな視野でもって、その状態を冷静に客観的に
見据えることができるのならば、目先では勝者と敗者が居たとしても、それは小さな場面であるとも言える。
結果的に、誰も勝つことはないし、負けることもないのだから。在るのは、チョン切られた数々の場面だけ、
それを論って結果と称しているだけに過ぎないのだから。そして、それを掌握しているものは、アメリカン・
インディアンのいう「グレイト・スピリット」であり、13の月の暦でいう「フナブク」だったり、易経の
「陰陽(イーチン)」だったりするのかも知れません。
人知の及ばぬ法則。我々は身の程というものを知った方がいい。驕るなかれ。
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