TRASH倍音(5)の月27日【KIN 187】青い倍音の手
G暦2002.12.11
倍音(5)の月25日【KIN 185】赤い電気の蛇
G暦2002.12.09
我々は(と云ってしまうとあまりにも広義的だけど)中途半端に、その相反する位置(つまり中心辺り) を揺れていて、2、3歩、戦争に加担したりしては怖くなってきて、平和に2、3歩、歩み寄り、また資金繰りに息詰まっては反対へ傾く。決して、10歩は歩かない。真ん中で狼狽えては、強いものに惹かれるだけ。 とはいえ、所詮、ただの単語でしかない。言葉は、何かの代理をしているに過ぎない。 日常、どの瞬間々にも、大きく均衡の度合いは変化していく。中心で針が動かなくなってしまったら、それは能面のようになってしまう。続かない。ヤジロベーのように、右へ左へと揺れ動きながらバランスを保つ。 たくさんの物語には、始まりと終わりがあるけれど、僕らにそれは無い。 生きている限り、始まっては終わり、終わっては始まって、連鎖し続けるからだ。 転んでは起き、捨てれば拾い、笑っては泣く。針を振り切ってしまわないように、バランスを保ちながら、 歩いていく。対を失ったら、放っておけばいつしかそれは勝手に生まれ、傾きの片方を担うようになる。 ま、イイ事ばかりはありゃしない、てことでしょうか。
2日間連続で、スティーヴ・キモック・バンドのライヴへ行ってきました。 そこには、正にそのバランスが存在していた。相違する力のせめぎ合い。 正負は無く、一方へ傾いたら、またその同じだけ一方へ傾き、その揺れがリズムを生み出し、前へ前へと進んでいく。キモックのギターが時間を止めては、時を決壊させる。溢れ出す。それを受け止める自身の器から、 弾け出して、四方八方に飛び散る。焦らす。そして、甘く優しく抱擁してくれる。 男性にとっては女性のように、女性にとっては男性のように、限り無く愛情が溢れ出す。 一つのフレーズに物語が宿り、一つの曲に何編もの物語が編み込まれ、一つのセットに、一つの空間に、一つの世界に、一つの次元に、そうやって細胞レベルから宇宙レベルまでフラクタルに連鎖している。 全てが同じところに起源を持ち、それからペアとなっている。だから形は違って見えても同じものなんだ。 自分自身から生まれるものと、外からの刺激が共振して、どこにもない新しい世界さえも生まれる。 その個性が大きく集まって、また大きな総意が生まれ、どこまでも広がっていく。 膨らんでは縮む。呼吸と同じだ。始まりは見えなかったので、終わりも無かった。 自分の生きている世界で、彼等の演奏はいまだに続いている。とっくに物語という範疇から遠離り、物語が新たな物語を書き、継がれていくのだから、死もそこには無い。 演奏最後にステージ下まで降りてきたキモックさんと握手をして、「ありがとう」と素直に感謝した。 それ以外に言葉はない、素晴らしい時間を編み上げてくれたのだから。
それから、いろいろな催促がやってくる。次に起こる素晴らしい事への、前兆だ。
ついでに風邪をひいてしまった。こいつはただの不摂生だ。
今月もあと3日。倍音の月、天上歩行。東京は、昨日の深夜から雪が降りました。
倍音(5)の月08日【KIN 168】黄色い水晶の星
G暦2002.11.22
一般的に、直線の世界を1次元、平面の世界を2次元、そして縦・横・高さで構成されているのが、今我々が
居る3次元だと定義されている。 4次元の定義といえば「3次元の縦・横・高さの3本の軸に時間の軸を加えて構成された世界」であると言われている。
BASHARの定義によると、第1密度(1次元)は点のみの認識、第2密度(2次元)は線の認識、第3密度(3次元)は体積の認識、さらに第4密度(4次元)は内包されているという概念、第5密度は非物質的なもの、
第6、第7密度は次元そのものとしての存在、ということになる。
密度とは、自分自身の波動に対してどの程度の認識を持っているかを現していて、自己をどう振り返ることができるか、点では振り返るところが無く、線では自分が今まで来た道のりの最後の一点しか見えず、体積に於いてやっと上へ昇って、眼下に自分自身を見ることが可能となる。
そして第4密度では、自己の中まで見通し、その下にある原因まで見ることができる。
僕らは世界、日常というものに、すぐ拘束される。繰り返す暮らし、循環する季節、時間の概念、お金、 そうして習慣に囚われ、つい鉄面皮となってしまう。そこに変容意識をもたらすもの、それぞれの楽しみ、 音楽だったり映画だったりお酒だったり旅行だったり、そんな非日常を体験することで、もう一度、この世界を再認識するんだ。 感動はそれをもたらしてくれる。快楽に蕩けている時、新しい側面が見える。 次元とか密度という言葉は記号に過ぎないが、ひとつの指針であることに変わりはない。 「次元とは、大いなる全てであるあなたのもうひとつの見方、もうひとつの観点。全体的には均一である大いなる全ての波動の中に存在するある特定な位相をもつ波動の部分に拡張したあなたの意識の一部。 "これが私達の宇宙だ"と思っている現実の次元に加え、それと同調している世界や平行する世界、時には異なる位相をもつ世界などすべてを含む宇宙全体からの分離のひとつ。」とバシャールは言います。 僕は、例えば美味しいものを食べている時、この3次元の世界で生きているという実感を持ち、そこに自分自身を釘で打ち込んだような、そこの場所に、そのタイミングで、そして反対に言えばそうなるように仕組まれて、それを感受できるのです。同じように、音楽を体験している時、恋愛をしてる時、夢を見ている時、 瞑想をして澄んだ気持ちの時、キャンプで焚き火を囲んでいる時、流れていく雲、海、美しいもの、お互いが理解しあえた時、そこでこの世界と直面して、もうひとつの高次元な世界をも一瞬間、感じられるような気も するのです。それは決して、暴力や差別や攻撃や略奪や欺瞞では感じられない種類のものです。
大いなる全てである(All That Is)とは、創造主のことです。神とか仏とかと呼んで、自分自身から分離して外に置いてしまっているもの。それと僕らは一緒のものなのだと、バシャールは言います。
想像、創造、それをしているのは、偶像や思想なんかではなく、どう考えたって我々自身なのだから、
大いなる全てであるものと、僕らは同じものなのです。自分をもっと信頼して、外へと投げ出してみよう。
まだまだ世界は途轍もなく広く、それでいて優しく受け止めてくれるのではないだろうか?
倍音(5)の月06日【KIN 166】白い惑星の世界の橋渡し
G暦2002.11.20
ジョン・レノンは「Imagine」を歌い、ブッシュ大統領は「axis of evil」と敵国を非難する。 ジョニー・ロットンが「No Future」と云い、ニール・ヤングが「Never Die」と応える。 まあ、その辺り、そんな自分の視野はとても狭いのだ。 最近、自身の年齢を考えてみると、とても精神年齢が低いという事実に行き当たった。 というか10年ぐらい前から止まっているんじゃないのかと。苦々しいことだ。 つまらない知識や、役立たない技術、小狡さ、逃げ足、そんなもんの経験値は年数に比例して上がっているようなのだが、発想が幼稚で、感情表現は陳腐で、いやそれこそ枯渇しているのではないかと思われる程、 源流が見当たらない。馬鹿かも知れない。そうして、肉体だけはどんどん老いて、臭みを増していく。 はっ、と気付いてみると、一番信用ならないと思っていた年齢を優に越えてしまっている事実。 笑い話にもならない。いやぁ〜と、頭を掻き掻きして照れてみても、気色が悪い。 もう何かが確実に終わってしまった。春夏秋冬、季節は巡るが、どの季節にも属さない。 年を喰っただけ。
なんか情けなくなってきた。なんでこんな話になってんだよ〜(笑)←この記号は、感情を短絡化する。
ま、そのように、人はみっともいいもんじゃなく、排便して、ゲロにまみれて、血を流し、交尾に明け暮れたり、ハゲたり、滑って転んで呆気無く死んじゃったり、満員電車で痴漢に間違われて捕まったり、
家の電気を止められたりして、退屈しないように巡っていくわけです。
トラ(Tragedy)とコメ(Comedy)て、ことで。
そして、僕の宣言といえば相変わらずで、腹筋10回、腕立て伏せ30回、これを毎日やって身体を鍛え直すのであります。座り仕事で腰は痛いし、店内は寒いから自家発電して暖房費を節約するのだ。
情けなさ過ぎ。トホホ〜。
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