TRASH律動(6)の月26日【KIN 214】白い律動の魔法使い
G暦2003.01.07
ビデオ「前略おふくろ様 2」を全巻借り、20時間あまりのフライト。日本酒をしこたま呑んだ。 パート1は近々、DVDで発売されるそうなので、2を借りた。 ショーケン扮するさぶちゃんはともかくとして、梅宮辰夫扮する秀さん、かすみちゃん(坂口良子)に恐怖の 海ちゃん(桃井かおり)半妻さん(室田日出男)にトシオ(川谷拓三)など脇役陣も豪華。 このドラマに、日本の冬が全て詰まっている。倉本總ドラマの傑作だ。 ピラニア軍団の二人に加え、2では志賀勝も加わり、海ちゃんのお父さんに大滝秀治、その愛人に岸田今日子、もう素晴らし過ぎる配役なのです。東京下町の人情の中、割烹料理店の調理場を舞台に、さぶちゃんは 秀さんの下で包丁修行。こう説明するのは難しいんですが、どの人物も魅力的で、また真摯に生きていて、 カッコいいんです。日本酒も美味しくなる。
それから友達と河口湖の温泉へ一泊。 車が凍結した道でスピンを決め、富士山を一望できる露天風呂。
そんなふうにして、お正月はゆっくりしました。酒を呑んでも呑んでも酔っ払わなくて、もしや酒豪にでも
なったのかと思いきや、あまりにもそれを流し込み過ぎたから、身体が反応するのを止めた模様。
早く日常生活にアクセスしなければと思うのだけど、この一週間あまりの怠惰な生活が、なかなかすんなりと
元へ戻してくれない。生欠伸を噛み殺して、わき見運転ばかりだ。
まあ、それほど急いて、座り直す必要もないわけだが。
さしあたって、今は魯鈍だ。
律動(6)の月15日【KIN 203】青い銀河の夜
G暦2002.12.27
この本には様々な人達が名を連ねている。ティモシー・リアリー(LSDの創始者)、ウィリアム・バロウズ(「裸のランチ」などの作家)、ウィリアムス・ギブソン(「ニューロマンサー」などの作家) ジェネシス・P・オリッジ(サイキックTV)それら著名人から、R・U・シーリアス(Mondo2000編集長)、 マーク・ヒーリィ(iD誌ライター)、ニック・フィリップ(クラブデザイナー)、アース・ガール(スマートドラッグ)、ジャラン・ラニアー(VR開発者)、テレンス・マッケナ(幻覚剤探究者)、ジョン・バーロー (デッドの作詞家)など、ジャンルを越えたコラボレートが実現している。 60年代のドラッグ文化と、90年代のコンピューター文化がリンクしている。 ハッカーからゲーマー、ハウス・クラバー、ドラッグ使用者、ヴァーチャル・リアリティ、サイバースペース の可能性を余す所なく書き尽くす。 つまり、この世界じゃないもう一つの世界、ハッカーがハッキングする電脳社会、ゲーマーがRPGに興じるゲーム界、クラバーがEcstacyで旅する世界、薬でぶっとんだ世界、VRの架空世界、それらは全て同じ領域 であることをあらゆる側面から実証しようとする。 そこにガイア仮説から、マヤ暦、マンデルブロのフラクタル理論、アメコミ、ビート小説、サイバーパンク、グレイトフルデッド、レイヴ、ネットサーファー、キノコとLSD、それらのキーワードが織込まれていく。
前にも引用したラット実験の話=形態形成場(morphogenetic field)理論。 失敗した動物行動実験=科学者たちは、学習した技術が親から子へ遺伝的に受け継がれるかの実験をした。 成体のラットにある特定の迷路を通り抜ける方法を教え、それからその子孫に、そのまた子孫にと同じことを 教えつづけ、15年間、ラットの32世代に渡ってこれを継続した。勿論、教え込まれたラットの子孫は、指示 せずとも極めて早く迷路を通り抜けられた。しかし驚くべきことに、教えられていないグループの子孫、 一度もその迷路を見たこともないラットの子孫まで、同じ結果が出たのである。 その後、別の大陸の別の科学者が、同種のラットを使ってこの実験を反復したが、彼等もやはり、迷路を 通り抜ける方法を知っていた。形態共鳴が説明する通り、獲得形質は遺伝的に受け継がれる必要はない。 この例をもとに、生物学者ルパート・シェルドレイクが構築した理論が、形態形成場理論である。 形態形成場は、種や集団や分子の過去の行動を記録する一種の累積履歴であり、それを参照することによって 、集団の一員は、他の全員の経験から学ぶことができる。これが彼の説である。 彼のかく現実像は、共鳴する巨大なフラクタル、どんなに小さなものでも万物が他のすべてに作用する。 フラクタルパターンの最小のディテールも全体の総合的デザインを反映しているのなら、ちっぽけな一部分の 変化(経験)が、全体像(フィードバックと反復の原理を通じて)を変化させることになる。
それで了解することは、僕らの経験、それはレイヴで最高潮まで達し踊り続ける至福の時間、ビートやサイバースペースで知覚した扉、深く自身の内にある迷路を彷徨って手に入れた地図、道具、その経路、焚き火を 囲んで話した哲学、あらゆる創作された物語、寓話、伝説にいたるまで、すべて情報として形態形成場に蓄えられている、ということになる。同じ物語が反復され、またそれが増幅して、大きな力を生むのだ。
マンデルブロのフラクタル理論=混沌(カオス)にも秩序がある(ジェリー・ガルシアも同じことを発見している)。 自然の海岸線。飛行機からの眺め。何マイルにも渡るでっぱりやへこみの特定のパターンに気がつく。 浜辺へ降りてみれば、岩々の配置、個々の岩の表面、そして岩を構成する粒子の中にさえ、それと同じパターンが繰り返されているのが判る。この自己相似性が、そうでなければ無秩序に起伏するだけの不規則な地形に 一定の秩序を与えている。
この2つの理論が、サイベリアを紐解くキーである。 アシッドは時間を引き延ばす。それは無時間、既成の時間概念を根底から覆す。 Eで踊り続ける。その音楽のループした螺旋階段は、永遠の時間を約束する。 サンプリングされ反復されフィードバックされる僕らの感覚は、整然としていて秩序正しいとされているこの 不連続社会から逸脱し、遠く、サイベリアの地へと辿り着く。
ネガティヴ・フィードバック・ループ=消費中毒。個人ではなく金銭に奉仕するシステム社会。 この社会で問われる質問=「なにが買いたい?」「お金でなにをするつもり?」 処理される世界=底辺だけが問題となっている場所。労働者は、可能な限り低い賃金で、可能な限り早く壊れる製品を生産し、現金を流通させる以外なんの意味も持たないサービスに従事したりする。 クレジットとGNPの社会に、もう充分はあり得ない。動機は「売ること」 -クリス・カールソン (プロセスト・ワールド誌編集長)
「最終的には、分別があり経済的なテクノロジーを獲得することで、ガイアともっと調和した関係を築ける かも知れない。近未来に関してひとつだけ確実なのは、テクノロジーの自発的な放棄があり得ないということである。」 -ジェイムズ・ラヴロック(「ガイア仮説」)
カウンター・カルチャーとサブ・カルチャー。使い古された言葉であるが、20世紀最後90年代初頭のこの 書籍には、その因子がいっぱい詰まっている。僕らは、何を見て、何を見ないのか? 選択は、いつでも"自由意志"だ。果たして21世紀は、新しい秩序へと帰結するのだろうか? この本にも載っているが、G暦2012年が転換期とされている。マヤの暦もその12月で大きな周期が終わる。 新しい波を乗りこなせるのだろうか? これも前に書いたことだけど、悪意に悪意でもって応じれば、それが反復されて世界に影響を及ぼす。 ならばその仕組みを利用して、善意でもって返してやれば、どう世界は変わるのだろうか? 僕らの経験は、形態形成場に蓄えられる。それは、すべての人の共有財産である。 サイベリアへアクセスすれば、誰もが利用することが出来るのだ。
「覚醒(ターンオン)同調(チューンイン)落伍(ドロップアウト)ではなく、落入(ドロップイン)する。
社会に侵入して内側から変革するんだ」-ニック・フィリップ(クラブデザイナー)
律動(6)の月07日【KIN 195】青い宇宙の鷲
G暦2002.12.19
独楽は、人を狂わせる。誰かと関わってこそ、生きていく意味が見出せるのだ。
それは、独りじゃ生きていけない、ということと同じ。相手の心を見たり触れたりすることは出来ないけれど、感じることは不可能ではない。
誰もが心の暗部を持っている。人は同じじゃなく、個性を持ち、己の足で進んでいく。
一緒に歩いている時もあれば、ちょっと離れたり、また違う道へと別れたりしていくのである。
知り合わなかったら、歩いていく必要がないし、道もそこにはない。
あなたは、もう一人の、わたし。Inlak'ech
律動(6)の月04日【KIN 192】黄色い惑星の人
G暦2002.12.16
こうしてグレゴリオ暦では、年末風情。季節も巡り、そういった枠組みの中、寒さは増し、木枯らし吹いて、 肩を窄めて歩きます。「瞬間、瞬間を生ききること。」と自身に言い聞かせて、歩いていきます。 其処にあるもの、その時に感じた事、それを噛み締めて、決して後回しにしない。 否定的な気分でそれを遣り過ごすと残傷、だから肯定的に前向きに進んでいく。 こだわりや、思い込みをできるだけ捨てて、いつでも扉を解放しておくこと。 僕の中にあるものは、誰もが自由に使うことが出来るようにする。 何も、盗み、盗まれない。最初からその盗むべき対象が存在しないのだから、その事象が起こるはずもない。 開け放ち、明け渡す、こと。 それが出来れば、ありとあらゆることを楽しみ生きていけるのだと、思います。 そしてそれができるのも、昨日を通過していなければ成立しない。つまり瞬間の蓄積があったからこそ、 今を生きることが出来るんだ、と。
どうもうまくないですね。なんか説教臭くて、インチキ臭い。 ほとんど自分自身に言い聞かせているようなのですが、こうやって他者の目に触れる場所へ置いておく作文なのだから、面白いものを書かなければと思うのですが、どうもいけない。 柄じゃないんだよね。でも、その柄てのが、自身をその枠組みの中から離さないんだとしたら? どこまで許せるのか、際限なくこれから起こるべきことに注釈は付けない。 それで、何時かは自身の底を見る。
You Enjoy Myself!
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