ワッシャー TRASH
赤い惑星の月の年(YEAR OF THE RED PLANETARY MOON)



律動の月(Rhythmic Moon)
「by-way」
「Cyberia」
「Degree」
「Enjoy」



「by-way」

律動(6)の月26日【KIN 214】白い律動の魔法使い
G暦2003.01.07


グレゴリオ暦、謹賀新年。もうだいぶ飽きてきてると見え、どう過ごそうだのと考えるのも面倒で、 大晦日、大量にビデオを借り、去年の年末と同じくカレーを煮込みつつ、三が日へと突入した。 家は皆、風邪っぴきで、息子はインフルエンザ。カレーは酸味が効き過ぎていた。 タマネギをみじん切りし炒め、トマトを加え、香辛料を盛大にぶち込む。それから手当たり次第に鍋へ食材を 投入していく。牛乳、りんご、ピーマン、里芋。肉を使わないため、何かひと味足りない感じがする。 チャパティをオーブンで膨らませて、インドチックな夕食。

ビデオ「前略おふくろ様 2」を全巻借り、20時間あまりのフライト。日本酒をしこたま呑んだ。 パート1は近々、DVDで発売されるそうなので、2を借りた。 ショーケン扮するさぶちゃんはともかくとして、梅宮辰夫扮する秀さん、かすみちゃん(坂口良子)に恐怖の 海ちゃん(桃井かおり)半妻さん(室田日出男)にトシオ(川谷拓三)など脇役陣も豪華。 このドラマに、日本の冬が全て詰まっている。倉本總ドラマの傑作だ。 ピラニア軍団の二人に加え、2では志賀勝も加わり、海ちゃんのお父さんに大滝秀治、その愛人に岸田今日子、もう素晴らし過ぎる配役なのです。東京下町の人情の中、割烹料理店の調理場を舞台に、さぶちゃんは 秀さんの下で包丁修行。こう説明するのは難しいんですが、どの人物も魅力的で、また真摯に生きていて、 カッコいいんです。日本酒も美味しくなる。

それから友達と河口湖の温泉へ一泊。 車が凍結した道でスピンを決め、富士山を一望できる露天風呂。 そんなふうにして、お正月はゆっくりしました。酒を呑んでも呑んでも酔っ払わなくて、もしや酒豪にでも なったのかと思いきや、あまりにもそれを流し込み過ぎたから、身体が反応するのを止めた模様。 早く日常生活にアクセスしなければと思うのだけど、この一週間あまりの怠惰な生活が、なかなかすんなりと 元へ戻してくれない。生欠伸を噛み殺して、わき見運転ばかりだ。 まあ、それほど急いて、座り直す必要もないわけだが。 さしあたって、今は魯鈍だ。



「Cyberia」

律動(6)の月15日【KIN 203】青い銀河の夜
G暦2002.12.27


"サイベリア"=電脳領域。95年に翻訳されたダグラス・ラシュコフ著の書籍。 友達の元を渡り歩いて戻ってきた。その本を買った当初Macを購入したばかりで、それを読んで夢を膨らませたもんだった。このページを開設した97年、トップページにはここから引用した言葉を載せていた。 久し振りに読返してみて、この本の至る所に"今"の因子を発見した。 すでにその本に、マヤ暦のことなどにも触れられていて、"13の月の暦"が自分にインプットされていたことも了解した。過去の情報を通して、未来へ繋がる様々な因子が育まれ、リンクしていく。

この本には様々な人達が名を連ねている。ティモシー・リアリー(LSDの創始者)、ウィリアム・バロウズ(「裸のランチ」などの作家)、ウィリアムス・ギブソン(「ニューロマンサー」などの作家) ジェネシス・P・オリッジ(サイキックTV)それら著名人から、R・U・シーリアス(Mondo2000編集長)、 マーク・ヒーリィ(iD誌ライター)、ニック・フィリップ(クラブデザイナー)、アース・ガール(スマートドラッグ)、ジャラン・ラニアー(VR開発者)、テレンス・マッケナ(幻覚剤探究者)、ジョン・バーロー (デッドの作詞家)など、ジャンルを越えたコラボレートが実現している。 60年代のドラッグ文化と、90年代のコンピューター文化がリンクしている。 ハッカーからゲーマー、ハウス・クラバー、ドラッグ使用者、ヴァーチャル・リアリティ、サイバースペース の可能性を余す所なく書き尽くす。 つまり、この世界じゃないもう一つの世界、ハッカーがハッキングする電脳社会、ゲーマーがRPGに興じるゲーム界、クラバーがEcstacyで旅する世界、薬でぶっとんだ世界、VRの架空世界、それらは全て同じ領域 であることをあらゆる側面から実証しようとする。 そこにガイア仮説から、マヤ暦、マンデルブロのフラクタル理論、アメコミ、ビート小説、サイバーパンク、グレイトフルデッド、レイヴ、ネットサーファー、キノコとLSD、それらのキーワードが織込まれていく。

前にも引用したラット実験の話=形態形成場(morphogenetic field)理論。 失敗した動物行動実験=科学者たちは、学習した技術が親から子へ遺伝的に受け継がれるかの実験をした。 成体のラットにある特定の迷路を通り抜ける方法を教え、それからその子孫に、そのまた子孫にと同じことを 教えつづけ、15年間、ラットの32世代に渡ってこれを継続した。勿論、教え込まれたラットの子孫は、指示 せずとも極めて早く迷路を通り抜けられた。しかし驚くべきことに、教えられていないグループの子孫、 一度もその迷路を見たこともないラットの子孫まで、同じ結果が出たのである。 その後、別の大陸の別の科学者が、同種のラットを使ってこの実験を反復したが、彼等もやはり、迷路を 通り抜ける方法を知っていた。形態共鳴が説明する通り、獲得形質は遺伝的に受け継がれる必要はない。 この例をもとに、生物学者ルパート・シェルドレイクが構築した理論が、形態形成場理論である。 形態形成場は、種や集団や分子の過去の行動を記録する一種の累積履歴であり、それを参照することによって 、集団の一員は、他の全員の経験から学ぶことができる。これが彼の説である。 彼のかく現実像は、共鳴する巨大なフラクタル、どんなに小さなものでも万物が他のすべてに作用する。 フラクタルパターンの最小のディテールも全体の総合的デザインを反映しているのなら、ちっぽけな一部分の 変化(経験)が、全体像(フィードバックと反復の原理を通じて)を変化させることになる。

それで了解することは、僕らの経験、それはレイヴで最高潮まで達し踊り続ける至福の時間、ビートやサイバースペースで知覚した扉、深く自身の内にある迷路を彷徨って手に入れた地図、道具、その経路、焚き火を 囲んで話した哲学、あらゆる創作された物語、寓話、伝説にいたるまで、すべて情報として形態形成場に蓄えられている、ということになる。同じ物語が反復され、またそれが増幅して、大きな力を生むのだ。

マンデルブロのフラクタル理論=混沌(カオス)にも秩序がある(ジェリー・ガルシアも同じことを発見している)。 自然の海岸線。飛行機からの眺め。何マイルにも渡るでっぱりやへこみの特定のパターンに気がつく。 浜辺へ降りてみれば、岩々の配置、個々の岩の表面、そして岩を構成する粒子の中にさえ、それと同じパターンが繰り返されているのが判る。この自己相似性が、そうでなければ無秩序に起伏するだけの不規則な地形に 一定の秩序を与えている。

この2つの理論が、サイベリアを紐解くキーである。 アシッドは時間を引き延ばす。それは無時間、既成の時間概念を根底から覆す。 Eで踊り続ける。その音楽のループした螺旋階段は、永遠の時間を約束する。 サンプリングされ反復されフィードバックされる僕らの感覚は、整然としていて秩序正しいとされているこの 不連続社会から逸脱し、遠く、サイベリアの地へと辿り着く。

ネガティヴ・フィードバック・ループ=消費中毒。個人ではなく金銭に奉仕するシステム社会。 この社会で問われる質問=「なにが買いたい?」「お金でなにをするつもり?」 処理される世界=底辺だけが問題となっている場所。労働者は、可能な限り低い賃金で、可能な限り早く壊れる製品を生産し、現金を流通させる以外なんの意味も持たないサービスに従事したりする。 クレジットとGNPの社会に、もう充分はあり得ない。動機は「売ること」 -クリス・カールソン (プロセスト・ワールド誌編集長)

「最終的には、分別があり経済的なテクノロジーを獲得することで、ガイアともっと調和した関係を築ける かも知れない。近未来に関してひとつだけ確実なのは、テクノロジーの自発的な放棄があり得ないということである。」 -ジェイムズ・ラヴロック(「ガイア仮説」)

カウンター・カルチャーとサブ・カルチャー。使い古された言葉であるが、20世紀最後90年代初頭のこの 書籍には、その因子がいっぱい詰まっている。僕らは、何を見て、何を見ないのか? 選択は、いつでも"自由意志"だ。果たして21世紀は、新しい秩序へと帰結するのだろうか? この本にも載っているが、G暦2012年が転換期とされている。マヤの暦もその12月で大きな周期が終わる。 新しい波を乗りこなせるのだろうか? これも前に書いたことだけど、悪意に悪意でもって応じれば、それが反復されて世界に影響を及ぼす。 ならばその仕組みを利用して、善意でもって返してやれば、どう世界は変わるのだろうか? 僕らの経験は、形態形成場に蓄えられる。それは、すべての人の共有財産である。 サイベリアへアクセスすれば、誰もが利用することが出来るのだ。

「覚醒(ターンオン)同調(チューンイン)落伍(ドロップアウト)ではなく、落入(ドロップイン)する。 社会に侵入して内側から変革するんだ」-ニック・フィリップ(クラブデザイナー)



「Degree」

律動(6)の月07日【KIN 195】青い宇宙の鷲
G暦2002.12.19


風邪が全然完治しなくて困ってる。咽と鼻水、軽い頭痛がするだけで、普段通り動けるっていえばそうなので、日常生活に支障は無いのだが、就寝中に咳きが非道くなる。 それが嫌なので寝るのを引き延ばして、テレビなどを見る。全然、面白くない。 あまりに退屈なので、缶ビールなどを空けて、本棚を模索する。なんか見逃している書籍は無いものか。 それで、色川武大「狂人日記」を手に取ってみた。随分前に読んだきり、「ドグラマグラ」だとか「家畜人ヤプー」だとか、つげ義春なんかに夢中になっていた時期だ。 変なもの志向な時。何か共通項を探すような、気違いに憧憬を感じるような、禁忌なもの見たさみたいな。 そうこうしてるうちに朝方まで読み耽ってしまった。発見はない。 色川さんてのは阿佐田哲也さん(麻雀放浪記とかの)の別名だったというのに気付いたぐらいのもの。 自分は本を深読みなどはせず、いつも素直に書いてある通りに思考する。 友達が、これは何々のメタファーなんて話を聞くと、感心してしまう。ま、無学なわけです。 ついでにいうと、パズルやなぞなぞの類いも、まったくの苦手だ。あの図形のトリック(マッチ棒を1つだけ 動かしてみたいなやつ)など解けた試しがない。答を聞いても、きょとんとしてる。 なにかしらが欠如してるんだろう。 で、「狂人日記」はそんまんまタイトル通りで、気違い病院に入院している主人公の手記、医者とのやりとり、過去の残傷、合間合間に突拍子もない幻覚、幻聴が混入してきて、同病院に入院している女の患者と 共同生活に至るというあらましだ。 彼は、深く自身に起こっている現象を供述するが、それを掘り下げて原因を探ろうとはしない。 それは人間関係も同じで、すぐに自身の殻へと閉じ篭る。それが病気といえばそうかも知れない。 なにしろ相手の心を完全に理解することなど不可能なのだから。曖昧模糊に了解し、妥協し、握手をして、 順応したふりをするのが社会だ。それに、自身の心の暗い穴から、絶えず這い上がってくる幻夢に対応するのに憔悴しきっていて、現実が疎かとなってしまうのだ。 精神病は、目に見えない。本人が語らなければ、永遠にその者だけの特殊な世界で朽ちる他ない。 境界線が無いから、度合いの問題でしかないのだ。 彼が幼少時代に、カードを作り、そこに関取の名を書き、取り組みを繰り返すという話がある。 対戦成績を場所ごとに記録し、相撲部屋を拵え、さらには下位のカード、年寄りのカード、賞金、それらを絡ませていく。すべて彼の頭の中の想像で進行していく遊戯だ。ついには、友達のカード、両親、兄弟、近所の 人、学校の人、全てのカードさえ作り、動かしていく。映画スター、役者、配給会社、映画館、それさえも 運営し、畳の目には電車が走り、忙しく金銭は動き、部屋は一つの社会を形成する。 彼はそれを「神様ごっこ」と呼ぶ。その彼だけの社会(物語)を知る者は、何処にもいない。 結局、そこへ戻っていく彼が痛ましかった。そう、そこは、とても暖かく居心地がいいはずだ。 それとは違うが、誰でも人形ごっこはする。ヒーローを見立てて、バキューン、ズキューンとか格闘させて 物語を作る遊戯。女の子は、リカちゃん人形でおままごとをする。自分は、小学生の時、友達に外へ誘われても断り、何時間もそれをやっていた記憶がある。物語はどんどん壮大になっていく。 もちろんその当時に考えうる中でだが。毎日、話は続き、詳細になっていき、現実社会よりも濃厚に自分の生活に関わってくるのだ。「ミクロマン」という小さな人形を使って、家中を飛び回った。 実にその物語は、中学1年まで続いたのである。ある人形は死に、そして生き返り、また新たな人形が増えていった。もう今はそこには入り込めない。そんなことを思い出しました。

独楽は、人を狂わせる。誰かと関わってこそ、生きていく意味が見出せるのだ。 それは、独りじゃ生きていけない、ということと同じ。相手の心を見たり触れたりすることは出来ないけれど、感じることは不可能ではない。 誰もが心の暗部を持っている。人は同じじゃなく、個性を持ち、己の足で進んでいく。 一緒に歩いている時もあれば、ちょっと離れたり、また違う道へと別れたりしていくのである。 知り合わなかったら、歩いていく必要がないし、道もそこにはない。 あなたは、もう一人の、わたし。Inlak'ech



「Enjoy」

律動(6)の月04日【KIN 192】黄色い惑星の人
G暦2002.12.16


繰り返すことでリズムは創られる。反復され、調子を上げていく。全てのものに、一定のリズムがある。 地球は自転しつつ、周りの星の影響を受け、絶妙なバランスで周回する。 心臓もまた一定の鼓動で、僕らを動かし続ける。出発して、帰結する。あらゆるものは律動している。 それが、今月、律動の月。相互作用、自分が投げ掛けた影響に目を向け、しっかりと受け止める姿勢が、また 影響力となって周囲に伝わる。自身と同じくらい、まわりの反応も大切にすることで、新しいバランス感覚が 身についていく期間です。その「同等」さは「公平」さを生み出す。

こうしてグレゴリオ暦では、年末風情。季節も巡り、そういった枠組みの中、寒さは増し、木枯らし吹いて、 肩を窄めて歩きます。「瞬間、瞬間を生ききること。」と自身に言い聞かせて、歩いていきます。 其処にあるもの、その時に感じた事、それを噛み締めて、決して後回しにしない。 否定的な気分でそれを遣り過ごすと残傷、だから肯定的に前向きに進んでいく。 こだわりや、思い込みをできるだけ捨てて、いつでも扉を解放しておくこと。 僕の中にあるものは、誰もが自由に使うことが出来るようにする。 何も、盗み、盗まれない。最初からその盗むべき対象が存在しないのだから、その事象が起こるはずもない。 開け放ち、明け渡す、こと。 それが出来れば、ありとあらゆることを楽しみ生きていけるのだと、思います。 そしてそれができるのも、昨日を通過していなければ成立しない。つまり瞬間の蓄積があったからこそ、 今を生きることが出来るんだ、と。

どうもうまくないですね。なんか説教臭くて、インチキ臭い。 ほとんど自分自身に言い聞かせているようなのですが、こうやって他者の目に触れる場所へ置いておく作文なのだから、面白いものを書かなければと思うのですが、どうもいけない。 柄じゃないんだよね。でも、その柄てのが、自身をその枠組みの中から離さないんだとしたら? どこまで許せるのか、際限なくこれから起こるべきことに注釈は付けない。 それで、何時かは自身の底を見る。

You Enjoy Myself!


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