TRASH共振(7)の月28日【KIN 244】黄色い惑星の種
G暦2003.02.06
Sample in a Jar それはずっと遠くに隠され しかし いつか 私は伝えよう 精神の混乱の物語を あなたの世界へ 私が落ちる時 あなたなしで 今 私はずぶぬれで歩き回る 秘密に恐れて 恐れは続かない あなたの考えが原因 (また、それらのうちのいくつかはそこにあり) 私は辺りを見回すと あなたが何と言ったか聞かないで エリフと踊っているのを Leemorのベッド上で見た 五里霧中 ふらふらする 私の車 ベルトに絡まれた私を 助けてくれた Sample in a Jar 折りたたまれるように マーケットに立ち たくさんの ぞっとした 製品を開き 警戒しながら すべてのきらめきと閃光には 無感覚のうちに 混ぜていく あなたは用心深く 私は いつでも あなたが カップを上げる時 あなたについて考える あなたが知っていることを知っているし 終えようという事も 知っている あなたは他の奴のように 私を騙した 今 私は此所には 存在せず シンプルな笑み よい時代 すべては悪に見える (C)PHISH
添削してもらったものの、それをまた上手く文章に仕上げられない自分がいた。
どうも要領を得ない。いったいこの詩は、誰が主体で、何に何がかかっているのだろうか(笑)?
ぜんぜんダメじゃ〜ん。(御免なさい)兎に角も、共振の月もお仕舞いということで、また機会があれば、
「サンプル2」もあるコトでしょう。サンプル・イン・ア・ジャ〜!
共振(7)の月26日【KIN 242】白い銀河の風
G暦2003.02.04
そんな訳で、仕事の合間に一休み。今月もあと2日で終わりなのでありまス。
遊び過ぎたツケが巡って、ものもらいになってしまった。
右目の目蓋が腫れてる。そんなもん要らない。貰い癖が嵩じて、ものもらい。もの笑い。
Sample in a Jar
It's hidden far away
But someday I may tell
The tale of mental tangle
When into your world I fell
Without you now I'll wander soaking
Secretly afraid
Cause in your grasp the fears don't last
(and some of them have stayed)
それはずっと遠くに隠され
しかし いつか 私は伝えよう
精神の混乱の物語を
あなたの世界へ 私が落ちた時
あなたなしで 今 私はずぶぬれで歩き回る
秘密に恐れて
恐れは続かない あなたの考えが原因
(また、それらのうちのいくつかはそこにあり)
I wheeled around because I
Didn't hear what you had said
And saw you dancing with Elihu
Up on Leemor's bed
And I was foggy, rather groggy
You helped me to my car
The binding belt enclosing me
A Sample in a Jar
私は振り向いた
あなたが何と言ったか聞かないで
エリフとダンスをしたら 会いましょう
Leemorのベッド上で また
霧が立ちこめ ややふらふらした
私の自動車を 助けてくれた
拘束したベルトが私を囲む
JARの中のサンプル
And on the market stands unfolding
With all the willies and their wares
I shuffle by alert but numb
To all the glances and the glares
マーケットに行き 立つ
たくさんのぞっとした それらの製品を開く
私は警戒して 混ぜる
すべてのきらめきと閃光には無感覚で
And I think of you unheeding
All the times I raised my cup
It's now I know that you know that
I'd soon end up end up
私はあなたについて考える
いつでも カップを上げ
あなたが知っていることを知り
止めようということも 知っている
You tricked me like the others
And now I don't belong
The simple smile and good times seem all wrong
あなたは他のもののように 私を騙した
今 私は此所には居ません
単純な微笑 よい時代 すべて 悪に見える
(C)PHISH
共振(7)の月19日【KIN 235】青い磁気の鷲
G暦2003.01.28
昨日は江戸アケミの命日。「白い宇宙の魔法使い」は江戸さん自身のキンであり、またG暦1月27日は、 彼が逝った日でもあり、それが重なり合う不思議な巡り合わせの日でもあった。 ジョン・レノンは「白い惑星の魔法使い」、僕は「白い共振の魔法使い」、好きな二人と同じ紋章を持つと いうことに、独り、北叟笑む。
追い込まれなければ何も出来ない。そんな風に思って、何も出来ないで、ギリギリまで手を拱いている。 どうにかなるさ。それは確かに、どうにか、はなる。古今東西、どうにか、ならなかった事はないハズだ。 (ご思案中。)しかし、どうにもならないな。まったくね。こうやって駄文を捏造するのも、まったく、 逃げているに過ぎない。ま、それに、仕事してるみたいに見えるから。
どうした、思考が拡散する。あちこちへ興味が向いて、集中出来ない。素面、である。 困った、困った。酔っ払ってしまおうか。もうどうしようもなくくだらない。 第一、この口語体がイラつくじゃないか。すべて忘れてしまおう。
それで、「死」について話しがしたいと思っていた。 何処にでも張り付いてる「死」てやつ。こうやって居ても、これを読んでる人にも、べったりと張り付いてるやつ。剥がそうたってそうはいかない。何処に居たって、匂いを感じることが出来る。 歩いてる時、レコードを物色してる時、雲一つない天気の時、曇天の時、少し頬を赤らめている時、 鼻をかんだ時、放尿を我慢してる時、仕事がうまくいかなかった時、仕事が全く無かった時、不味いラーメンに顔をしかめてる時、最後の煙草を飲もうか飲むまいか考えてる時、誰かの死を悼んでる時、とにかく隙間さえあれば侵入してくる。思考にそれが入ってきたら終いだ。考えまいとすればするほど、重くのしかかってくるのだ。だけれども、それが本当にやって来たら、あっという間に、肉体から精神は剥奪されてしまう。 此所にはない何処かに逝ってしまうのだ。生をまっとうしてる者の脳裏や団居に、死を迎えた者の影は居残る。しかし、それを感知することは、死んだ者には出来ない。 ということさえ、死んだ者にしか分からないことだ。否、分かる、という感覚さえあるのだろうか? 何も無い。「無」の状態。「0」という概念さえ無い。宇宙に似てるかも知れない。ただ在る。 無自覚で。想像できないものは恐い。どんなんなんだ、いったい。人は死をもって、生を完了する。 死が無いということは、生きてもいないという事。だから死について、思いを馳せる。 それに死んでる時は、死を考えられない、、いやもしかしたら生の事を考えるのかな? 肉の歓び。魂の歓び。いくら考えても埒があかない。当然、それを体験した事が無いからだ。 前世での死を再体験した事はある。その時は、このままの状態であっちの世界へ逝った。 心臓の鼓動が早まり、白く脈動する世界から、漆黒の静寂の世界へとスイッチが切り替わり、そうしてやっぱり流れは同じく、呆気無いものだった。肉の衣を脱ぎ去ったので、気軽でもあった。 宙を舞い、路なき路を通り抜け、何処までも進んだ。そこまで。すぐに僕は、この生ある世界へと戻ってしまった。また新たな生がやって来た。死を思い煩う生への帰還。 やはりわからない。生きている時に、それをすることは出来ない。 ここでやっぱり、江戸さんに登場してもらおう。 「答えはあの世で聞くさ、バイバイババイバイ♪」てことになるんだろう。
上記、きのうの記述。そうして酔っ払う。儚いのでありまス。(←この辺、もっきりや風) で、すごすごと支払いを終え、また思案する。ふりだしに戻る。
べったりと張り付いていなければならない。自分にとって、店てのは、重荷なのかも知れない。 それでも、それがあるから、という部分も少なからずあるのです。
共振(7)の月18日【KIN 234】白い宇宙の魔法使い
G暦2003.01.27
最近、つげ義春を読み返し、また同じような時間を共に過ごした事を思い出した。 つげ義春のインタビューで、生を希薄にしていけば死を軽く受け入れられる、なんて事を云っていて、 そんな風に生の意識を軽減させて、死へ就くという方法は、なるほど仏教に於ける「無我の境地」に近いのかも知れない。 この世とあの世の境を漂よい、幽霊のように、すべてを受け入れて全うする。 そして彼は、精神を病んでると思い込んでいるので、その方法は実に彼にとっては有意義な事であろう。 「羽毛のように軽いのではなく、鳥のように軽くなければならない。」というヴァレリィの言葉。 ヴァレリィを読めば、ヴァレリィ。モンテーニュを読めば、モンテーニュ。パスカルを読めば、パスカル。 自殺の許可は、 完全に幸福な人のみ与えられるってさ。これもヴァレリィ。わるくないでしょう。 僕らには自殺も出来ない。これは太宰「渡り鳥」の一節。生命のこもっていない時、言葉は羽毛のように軽くなり、難解そうに見えてもただの言葉の遊戯に陥る。しかし鳥のように軽快に飛ぶには、生命がこもっていないとならない。ああ、ニヒルだね。それだけのことに過ぎない、と。期は熟した。
言葉は、言葉が許す範囲を超えることはない。生命がこもっていない、気持ちが入っていない、そんな風に 言葉を定義したところで、それを云ってしまったら終いだ。
今日は、江戸アケミの命日。90年のこの日に、自宅の浴室で溺死した。 彼の中には、ジョン・レノンとボブ・マーリィが居た。それと同じように、太宰とつげが潜んでいた。 誰の中にも、上昇と下降が在る。金太郎飴はどこを切っても金太郎の断面が続く。 下へ潜ると楽しい時もある。自身を、要らないものとしてしまうと、楽な時もある。 責任を放棄した時のような気軽さだ。それで、一時、救われたような心持ちになるが、それも幻想であった。 下降意識、破滅思考、それらは感傷的でもある。真面目なのかも知れない。 江戸さんは、たくさんの言葉を残した。
それで、彼とは共闘しているような意識を持つ時がある。 友達や、家族とも、同じような気持ちになる時がある。 何に対して闘っているのか、それは判らないが、軽いフットワークで乗り切っていくんだ。
「答えに一個ぶつかって回答したら、次にまた答えを出して、また壁にぶつかって、転がっていくんだよ。
だからロックンロールは宗教でも哲学でもないのさ。」江戸アケミ
共振(7)の月08日【KIN 224】黄色い電気の種
G暦2003.01.17
ケラー・ウィリアムズ「DANCE」は前作のリミックス・アルバムだ。 ケラーの事をここでは書いてなかったので書いておこう。 G暦去年の終わる間際に、上野チャーチというライヴハウスというよりもクラブに近い小さな小屋で観た。 その小屋は地下にあり、上の階はレストラン聚落、始まる前にそこで呑んで気分は盛り上がった。 チャーチはとてもウッディな香りする落ち着いた店で、ドリンクも普通のBARと同じくビールからカクテルまで揃い、軽い食事まで取れるし、人の手作りな雰囲気が優しくて、いっぺんに気に入ってしまった。 気軽に近くに居る人とも仲良くできるような空気が充満していたように思う。 その前日に演ったタワレコのインストアライヴで、大方の予想はついていたのだが、ステージ上に浮かんだ 様々な楽器機材を見ると胸が高鳴った。客席をかき分けてケラーが登場。 彼がギターをかき鳴らすと、すぐにそれは始まった。それは、実験工房であり、レコーディングであり、 リハーサルであり、セッションでもあった。 ひとしきりギターの音をループさせ録り終えると、ベースへと向かい同じようにサンプリングし、エレキギターの音を様々なものに変換させ、口や道具でパーカッションを一音づつ構築していく。 リズムは一定に流れるのだが、大きな間隔で拍数を変えるので、その音だけを聴いていても小さな流れしか 知覚出来ない。しかし、それが一斉に声を上げ始めると、オーケストラにも似た壮大な大きなうねりを生み出すのだ。魔法であった。たった独りでステージ上を動き回り、様々な機材を操って、その音に埋没していく彼の姿は、自慰的でもあるが、その反対に興行の分解と再構成を見せつけているようでもあった。 ステージからそれを我々に見せつけているのである。 僕らの感嘆の声、ざわめき、圧倒、息吹き、汗、高揚、それさえも彼は音楽に取り込んでいく。 踊る。踊る。踊る。曲間はあって無く、隙間はたくさん存在しているのだけど、無音の状態であっても、 絶えず何処からかやってくるリズムに捕われる。 これは、ケラーのトリップだ。ライヴは、其処でトリップ(旅であり、恍惚であり、無我夢中である) するアーティスト自身を僕らに開示する。僕らも、それに乗り込み、一緒に旅をする。 祭りでもある。何処からかやってくるリズムという名のエネルギーに憑依され、等しく踊らされる。 そしてそこには二極性は無く、ONENESS であって、方向性はどこにもない。 至福とエクスタシーの世界だけが在る。ということは、彼は司祭とも呼べるし、媒体であるのかも知れない。 僕はそれに参加したいのだ。一方的なエネルギーの射出には興味がない。 参加した皆が持っているカードを差し出して、何もない空間に、新たなエネルギー場を表出させるんだ。 それで思ったのですが、ローリングストーンズやエリック・クラプトンにはその魅力は乏しいような気がした。いえ、決して否定ではないのですが、一緒に踊れないということなのです。 昔の彼等には、同じような匂いがあったのに、もはやそれを嗅ぎ分けられない。 自分の鼻が鈍ったのかも知れません。 これを聴こうと、ふと手に取ったアルバムが「坂田明/ダンス」だった。共時性。
数日、暖かい日が続いている。そろそろ春の匂いが嗅げるかも知れない。
こうやって、たくさんの思惟が降ってくる日もあった。
終わりのないダンスは続く。
共振(7)の月06日【KIN 222】白い磁気の風
G暦2003.01.15
この暦と戯れて1年と半分ぐらい過ぎました。だんだんと判ってきている。 これは凄い情報なんだということです。たかだかカレンダーを掛け替えたというだけのことなのに。 最初にこれを知った時は、半信半疑、そして知るにつれ目新しさに心惹かれた。 知るは容易い。問題はそれを実行し継続することだけです。 そして、そうしなければ何の意味も為さないのがカレンダーの見えざる力でもある。 使い続けなければ何も見えてこないのです。時々、立ち止まって、辺りを見渡す。 いったい自分は何をやっているんだろう、なぜなのだろう? 疑問は猜疑心を助長するだけだ。 なぜ?だけの世界は加速して、欺瞞に滅ぼされるか、或いは何処かにそれをぶつけなければ済まなくなる。 明け渡すことが必要なのだ。絶対の信頼。信じる力、それを選び取った自分自身を信頼すること。 このカレンダーは、それへの取っ掛かりに過ぎない道具。制約はどこにもない。 また先に目新しい情報とも云ったが、それも実際は、最初から自身が持っていたものであった事も判る。 言葉で以て括ることは分裂を生み、それに制限を設けることにもなる。 原初の自分との道を繋ごう。あまりも遠く離れ過ぎてしまったし、帰る道さえ見失っている。
少し遠巻きにして見ていると、すべては同時に起こっている事象だということが判る。 悲劇の中に喜劇が含まれているように、喜劇の中にも悲劇は含まれ、愛の中に憎しみがあり、憎しみの中に 愛があり、楽しみの中に苦しみがあり、苦しみの中に楽しみがあり、同時に幾つものカードが含まれているのだ。まさにカードを引くのは、そこに関わった瞬間。 幾つものカードから、あなた自身が一枚のカードを選び取る。 そしてそのカードは、正位置と同時に、逆位置をも表現している。反転をはらんでもいるのだ。 僕らはカードを代理にして、いま起こっている事象を探る術も知っている。 それに、裁判に於ける弁護人のように、代理を立てることで冷静にそれを見ることが出来る事さえ、すでに 知っているのだ。知は内にあり。
期待。僕らはいつも何かを待っている。待ち受け画面。不意の訪れを、待ち続けている。待ち受け画面。 足音は、また隣の部屋へと。待ち受け画面。期待をしないこと。待ち受け画面。 そうして電話の電源を落とす。そうしたところへ、その待ち続けた電話が掛かってくる。不通話。 この一方的な想いは、ひとつの事柄を反映していた。 風は吹かなかったのだ。循環しなかった流れ。それから、また自分勝手に遮断してしまった流れ。 シンクロニシティ(共時性)は誰にでも注がれている。しかしそれを受け取る側の者が、拒否出来る種類の ものでもある。また、それを知覚する感覚も、それぞれであった。 つまり、鋭利にそのエネルギーを受け取るには、単純に身軽になっておく必要がある。 妨害し、遮断するものを取り払う必要があるのだ。そちらの側へアンテナを向け、妨害するものを払拭し、 感覚を研ぎ澄ますこと。そうすれば、おのずとそれは降り注ぐ。 其処へ近付くためにも、この暦は役立つことを付記しておきたい。
願えば叶う。これも、すべての人に平等に降り注いでいるエネルギーのひとつだ。
なにしろ、僕らはそれぞれ独立していながらも、元々、ひとつの同じ種から枝別れした者だからだ。
地球の子供。あとは、自由意志を発揮するだけ。
Inlak'ech
共振(7)の月01日【KIN 217】赤い太陽の地球
G暦2003.01.10
始めから持っていたもの、忘れ去られた記憶、盗まれた時間、それらを思い出すこと。 道は塞がれていない。境界線など無く、果てしなく何処までも続いている。 そう考えるだけで随分と楽になる。「自由であることに束縛されている」というサルトルの言葉も意味を為さなくなる。人は自由に呪われてもいないし、その責任に押しつぶされることもない。 なぜなら、人は最初から完成されているから。ただ、迷子になっているだけだからだ。 元々、知っている道なのに行き着けないことは、苛立ちを伴うのだが、自身を信頼さえしていれば、自然と 其処へ辿り着けるようになっている。 エゴを上手く使うことだ。そうしたことは、すべて自分自身への言葉でもある。 「1」から「13」までの数字でいう「7」と同じく、「怖れ」は対を持っていない感情なのである。 漫然と、漠然と、見えざるもの、未知なるもの、それらに抱く恐怖には根っこがなく、ただ生じる。 そこに、抜け落ちたパズルのピースを見ることができるかも知れない。 探してみることだ。何の制限も束縛もない完全な自由は、真っ暗闇と一緒で、「怖さ」を生み出すことがあるけれど、そこにこそ、求めている道への手掛かりがあるのかも知れないからだ。 自身が恐れるものを列挙して、そこへ飛び込んでいこう。
自分のカードは「IX(イーシュ)」13の月の暦でいう「白い魔法使い」だ。
その表裏一体にあるように、うちの細君のカード「CIMI(キーミー)」=「白い世界の橋渡し」があると、
友達に教えてもらった。そして、銀河の音は今月の「7(共振)」である。
その息子が「CHUEN(チューエン)」=「青い猿」の「10(惑星)」、"魔法使い"と"死"が結びつき、
"遊び"が生まれてくるのだから、可笑しい。
もたらされるものを受け入れることだけ。
身体の隅々から聴こえる。細胞、その中に織込まれている遺伝子たちと同調すること。
それは、宇宙と同調することと同じく、すべてのものは連鎖している。
その掛け橋にエネルギーを注ごう。
Inlak'ech
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