TRASHスペクトル(11)の月28日【KIN 096】黄色い倍音の戦士
G暦2003.05.29
本当に、今月、僕は何かを解き放った。まだ少しぎこちない。慣れていないからか。 何度も何度も考えてみた。そうして、何かに囚われていることを意識し、またそれから逃れ、そうするとまた 新たな何かにぶつかり、また逃れ…。こうして転がっていく。 とどのつまり、Not Fade Away であり、Around & Around でもあり、Like a Rollingstone だったり、 Music Never Stopped だったりする。 転がると雪崩れのように始め小さかった崩れが、周りのものを引き寄せ、巻き込んで、どんどんと大きくなり どこかで収束するまで、走り続ける。 やはり遊戯に似ている。いや遊戯が、現実の模写なのだから仕方が無いのか。その境界線は見当たらない。
限界は、先から無い。一つのものの終焉。花火のように、弾けては散る。綺麗だね。
スペクトル(11)の月20日【KIN 088】黄色い惑星の星
G暦2003.05.21
スペクトル(11)の月14日【KIN 082】白い自己存在の風
G暦2003.05.15
「はじめ山は山であり、谷は谷である。それから山は山でなくなり、谷は谷でなくなる。
そして最後に再び山は山になり、谷は谷になる」
すなわち、通常の知覚があるレベルにおいて崩壊していく過程は、根本的に教育的なものである。
もっとも過程の最後では、まったく最初と同じ知覚が回復されるのではあるが。知覚をバラバラにし、
再びまとめあげる行程を辿ることにより、自分自身の精神に関する重大な何かが収得されるのだ。
これを「人間バイオコンピューターのメタプログラミング」と呼び、その後、プログラム間で選択を行なう際
ずっと大きな自由を与えてくれる。その違いは、テレビのチャンネルの回し方がわからず、毎晩同じ局の番組
を見なければならない男と、チャンネルの回し方を知っていて裏番組を見ることができる男との違いに似ている。(ロバート・A・ウィルソン/サイケデリック神秘学より)
昨日、完全に裏番組にチャンネルを回した。物凄い衝撃だった。そして、言葉では説明できない煩悶を抱える。どうやったって、あそこから、この世界で通用する言葉や状況を持ち帰ることは出来ないのだ。 根本的に、この通常の世界との成り立ちが、完全に、決定的に異なっているのだ。 これは、もし、あそこからそれを持ち帰ったとしたら、この世界の崩壊を意味している。 それぐらい凄い情報でもある。言葉が、音が、気温が、気持ちが、色彩が、鼓動が、空気が、常識が、哲学が、映像が、汗や吐息が、波動が、匂いが、時間が、歴史が、すべてが混沌として、洗濯機でかき回され、 バラバラにされ、千切って、同一レベルになり、優劣が逆転され、追い回され、重力は無視され、そいつを 肉体で知覚出来て、思想が全身を覆っていて、皮相からゆっくりと、水面から顔を上げるように剥がされ、 電気が走って、ゆっくりと鳥肌が立ち、この世界へ戻ってくる感覚。 全部が狂ってるんじゃないのか?時間が、物体として、こちらの様子を窺っていることがわかった。 空気の分子が、言葉となって、空気にしかわからない形式の言語で話し、怒りが赤い色をして、思想の汗が 人間みたいな顔をして世界を脅かす。説明なんか出来やしない。在るだけなんだから。 すべては、ただそこに在るだけ。在るというのは、僕の頭の中に在るのか?そこに立っているから在るのか? 言葉が在るからなのか?勃起してるからなのか?それに、何が在るっていうのか? まるっきりわからなくなる。なぜ、話すのだろう。なにもかもいらない。嘘っぱち。捨ててしまえ。 だから、これは、もしかしたら死んでしまった世界なのかもしれない、などと考える。 それとも、生まれ落ちてしまったばかりなのかも知れない。思惟が、初めて、自分自身を自覚した瞬間。 初めて、という感覚。そうなのか!?君が、音であるか、気体であるか、思惑であるか、日付であるか、 体温であるか、殺意であるか、血液であるか、表情という世界であるか、ヒントであるか、煙であるか、 在るのか無いのか、座ったままの知恵であるのか、吐瀉物、疲労、倦怠、読みかけの天気、なんの片鱗も窺えない黄色くて遠い言葉の奥の奥の奥の奥の先。滅茶苦茶、という飛行が、額にぶつかり、嫌悪している。 そんなのが、たかだか、こちらの時間で、5分ばかり続いた。蚊が、ボウフラから成虫になる瞬間を知っていますか?視覚的には、そんな感じ。ボウフラの背中がピシッと裂け、そこから蚊の本体が立ち現れ、生まれ落ちるようなふうに、この世界へ戻ってきた。あちら側から、弾け出されたのだ。 皆が云う、ジョットコースター、マンガ、観覧車、粘土細工、強風、平衡、、、。 皆と行ってきた世界は、はたして、同じなのだろうか?同じだと信じたいのだけど、あまりにも、とっ散らかっていて、殺伐としていて、月面のようで、並行して走っているのは旅行者ばかりで、とてもそこの住人とは思えず、いやなにしろ、今在るこの世界は、途轍もなく整然としていて、完璧で、落ち着いていて、 それが助かる。しがみついていなければならないものが、なにひとつとしてなく、自由に溢れている。 掴んで離すことが出来る素晴らしさ。言葉を駆使して、美味しい物を食べて、酩酊して、抱擁して、綺麗なものを見ることが出来て、音楽に酔ったり、笑ったり、物語を楽しみ、想像したり、慈しみ、手を差し伸ばして、掴むことが出来る。再び山は山になり、谷は谷になったのだ。
ううむ。何もわからず、ただただ驚くばかりなのです。こちら側の、素晴らしさは理解出来る。
しかしそれにしても、あっちはいったい何なのだろうか?馬鹿にしてるじゃないか。
気違いが住む世界なのだろうか?突拍子もない。土台が無いんだから、笑い話にもなりゃしない。
3ヶ月ほど前に行った世界とは、どうやら違う番組のような気はしているが、
ううむ、やっぱりこの辺が限界ではある。あれがあるのだったら、これは絶対ある、という確信もある。
世界はだだっ広い。泳いでも泳いでも、ぜんぜん、岸に着きやしない。ったく。
スペクトル(11)の月04日【KIN 072】黄色い共振の人
G暦2003.05.05
「草臥れた」と、ついつい言葉で固定化してしまった状態から抜け出すのは、かなり難しい。 言語化したことでカテゴライズしてしまうからだ。逆に使用すれば、(例えば肯定的な宣言をして) 暗示状態を作り出し、満足する結果を引き寄せられるかも知れない。 この世界は分類の進化でもある。分類とは、全体からそれを切り離し、その力を奪うことでもある。 形骸化し、象徴や記号、言語そういったものに閉じ込めてしまうのだ。妖怪を封印する御札にも似ている。
こういったことを言語化しようという試みは、何か空々しく、そして無関係な場所へ矢を射っているような
断絶感に苛まされてしまう。うまく伝えられない苛立ち。それに言い訳気味てもいる。
またそれを文章に潜らせる嫌らしさ。恥ずかしい。
このまま、まったく核心へと下っていない文章の羅列を、どこへと分類したらよいのか悩む。
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