TRASH月(03)の月28日【KIN 237】赤い電気の地球
G暦2003.10.17
そいつが、どのように真実があるのかは、どうでも良い話だ。 その人が信じた物語が、その人の真実でしかない。文章を組み立てているうちに形造られる種類のものかも 知れない。他の人とお喋りをしていて、気付く種類のものかも知れない。音楽を奏でる時、死に接した時、 酩酊、愛撫、美しいものを見た時かも知れない。とにかく、その人の真実は、何処からか運ばれてくる。 そうなりゃ信じたものを、とことん信じ尽くすしかないような気がする。
映画「マトリックス」で、マトリックスの世界に住む人々(この世界を現実と思っている世界)、 それが機械のプログラムだと気付いたザイオンの住人、そのどちらも信じた世界を生き切る事に違いはない。 さらに機械のプログラムが、また大きなプログラムの一部でしかないということもあるかも知れない。 蟻が三次元を知覚出来ないように、人が神になれないように、その信じた物語の世界で生き切る他はない。 幸せに定義は無い。世界は、丸ではなく、球体。幾つもの丸が折り重なり、球を表現する。 始まって終える。終えたら始まる。何の心配とも無縁のような気がする。 今、捕まえられるのは、そこまででしかない。
次々へと湧き出るリズムが、前へ進めと囁く。のるか、そるか、逃げ出すのか。 「今」が最高と思って生きる。なんだ、自分はすでに江戸さんから、それを聴いて知っていたんじゃないか。 まさに、みちくさである。でもそれが一番最高の道草なら、それでいい。
「気のもちよう」ですべてが変革される。元気な人が、弱っている人に、気を分けて上げればいい。
「元気玉」の発想です。先月、身体が弱っていた時、病院の先生に、ただ叱られた。診断そっちのけで、
なぜそんな状態になったのかを栄養面からまくしたてられた。それで何かスッキリしてしまった。
怒れる人のエネルギーを分けてもらったに違いない。爆弾を落とすより、「気」を掛けてあげる方がいいに
決まってる。若い頃、失恋の苦しさと、飢餓の苦しさとを天秤にかけたことがあった。
同じくらい死にたくなる程、苦しかった。けれども、「気」は数値では、表せないことは明白だ。
幸せが定義できないのならば、苦しみの定義も、千差万別。「すべての人々に乾杯しよう」とストーンズは
「Salt Of The Earth」で歌った。「気のもちよう」だ。そして「気持ち良さ」だ。
出来うるならば、もうこれ以上、道草はしたくない。時間は限られているのだから。
In Lakechi
月(03)の月24日【KIN 233】赤い水晶の空歩く者
G暦2003.10.13
BARとして生まれ変わったHERE SCENESも約2ヶ月が経ち、新たな軌道を周回し始めていた。 電気の月に相応しく、様々に状況が、花火のごとく、打ち上がっては散る。 先月の身体の不調や、住居の問題、それに不規則な生活、そういったことも風化し、やがて埋もれていく。 土台が出来上がったところで、後はそれに積み上げていく。そして積み上げては崩し、まるで賽の河原。 三途の川は酒浸り。鬼も赤ら顔。こうしちゃおれぬと、もう一杯。 赤(創始)白(洗練)青(変容)黄(熟成)を巡回して、もう一回り、螺旋の階段を駆け上がっていく。 繰り返す配列、巡る季節、リズミカルな心臓の鼓動、星々の軌道、起承転結、喜怒哀楽。 こうやって瞬間々をピンで留め、過去を凝固させ、沈澱させ、やっつけて、生きていく。 もはや地層には興味は無い。その上に乗っかっていく時間の上を歩いていくんだ。 新しい方法が、絶えず供給されているんだから。形態形成場に貯蔵されていく、僕らの記憶や思惟。 まだまだ終わらない。僕らの旅は続いていくはずだ。
捨てるものばかり。子供に返る時。染み込んだ臭み、固定化された思考、組織化された順序、
好奇心は消え失せ、見るもの聞くものうんざりし食傷気味、そいつぁいけねぇ。
「Roll Over」と歌ったストチー。「Break On Through」と歌ったジム・モリスン。
超えるのか?突き抜けるのか?隠れるのか?走るのか?世界には、たくさんの視点がある。
だから、まだまだ捨てたもんじゃない。様々な側面を統合して、水晶を表現するんだ。
狭いところから、広いところへ。通ってきた道は一直線だけど、これから始まる道は、
放射線状に広がっている。どこを通っていくのかは、自由意志。同じ人間は、ひとりとして居ない。
「頭を掃除するんだ」と云った江戸アケミの誕生キンは明日だ。
In Lakechi
Copyright(C)ICCH