ワッシャー TRASH
白いスペクトルの魔法使いの年(YEAR OF THE WHITE SPECTRAL WIZARD)



自己存在の月(Self-Existing Moon)
「13:20:33」
「有為転変」
「バイト道・其ノ壱」
「飼育道」
「まんが道」



「13:20:33」

自己存在(04)の月23日【KIN 260】黄色い宇宙の太陽
G暦2003.11.09


今日、260日暦ツォルキン最後の日。明日から、新たな時間の始まりです。 自分の誕生KINにマヤンオラクルで受け取った「13」というカードと共に、もう一度、積み上げていく。 終わりの始まり。もう少し違った質で、今までと違う次元に挑戦しよう。 「13」は、存在を持ちこたえて、そうして越える、4次元。次に待っているのは、「1」目的を統一して、 引きつける。まさに、ゴールのスタートだ。

今日まで、皆と二泊三日、初島へ旅行に行ってきました。たくさんの思惟を皆から貰った。 自分一人で生きているんじゃない。逃げている問題ばかりに、ブチ当たって、そうして困った。 今までのこのシフトでは、受け取る力が強過ぎて身体が拒否反応を示したり、五里霧中、皆目見当もつかぬ 場所で思案ばかりに明け暮れて、目を背けてばかりいた。 今回はどうだ。そう、同じように、まだ光はない。見えない古い自分が、たくさん彷徨っていて、 僕を取り囲む。逃げようとして、暗転を目論む。だけれども、それをしようとする自分を、もう少し違った 角度で眺めることが出来た。少しだけ分かってきた。そこに居るのが、古い質の自分だということに。 何から逃げるのか?見たくないものから遠離る。見ようという意識を遮断する。怖れている。 一人で解決出来るのか?その答えは、すでに解答済みだ。絶対に一人では、何の解決もみない。 なぜなら、その答えはすでに自身の中に内包しているものだから。誰かと関わらなければ、新しい知恵は 其処にはない。あるのは、すべて古い自身の確執ばかりだ。 此所でこうやって考えている事柄を開示しなければいけない。しかし、喋れない。 その場では、遠回りをしてしまう自分が居る。まだ、お客さまで居る。中にいるのでなく、外で眺めている。 言葉は武器にもなりうるし、愛にもなりうる。どちらにも行使出来ない時に、黙って貝になれば、まるで 透明人間になってしまう。そうやって行方を晦まして、誰からも、自分自身からさえ、感情を遮断してしまう。 それは悪しき魔法だ。伝えるために、今生に生きている。役目を、誰もが担っている。 他力本願では駄目だ。自分自身が動き、それを誰かに渡して、まだ自分が持っていないギフトを授かる。 今回、一緒に行ったメンバーと、ハーモニック・コンコーダンスの宣誓をして、何かが変化した。 信頼出来る仲間と一緒にいる。それは、11人だったけど、同時に世界中と繋がり、共有した何か。 協力しなければ、得られない気持ち。何に引っ張られて、この暦を使い始め、面白そうだから巻き込まれて、 それから新たな挑戦をしなければならない。自分自身のためにも、地球にも宇宙にも。 ONENESSという言葉。本当の気持ちを、今すぐ、その場で、伝えられるようにしたい。 そして、この挨拶を、心から言えるようになりたい。
ありがとう。In Lakechi



「有為転変」

自己存在(04)の月13日【KIN 250】白い電気の犬
G暦2003.10.30


有為とは、この世界が因と縁によって成り立っている存在のことをいう。 従って常に生起し、常に消え去って不変常住のものは何一つ存在することができない。 すべて変化し、転々しているから有為転変という。(故事名言・由来ことわざ総解説より)

箸休めである。自身の思い出話も少しクドくなってきた。過去は姿を変えることなく、ただ沈澱してるだけ。 それでもって、都合良く、流れを阻害することなく、こじんまりとまとまり、現在を邪魔しないように 仕上がっている。果たして、それがそうだったなんて誰も知る由もない。Ash to Ash(灰は灰に)

今、それを是が非でも伝えなければ分かってもらえない道と、今でなくともやがて知ってもらえる時がくるだろうという道がある。 自分は後者であり、明日がやってくるだろうと日和見し、それは最善の時を逃すことになるかも 知れないが、また太陽が昇ってくることを信じる力でもある。 自分がこの世界から消えれば、世界は自分の前から姿を消し、世界はそれとは関係無く動き続けるけれど、 それを感知することを止めてしまった者には無関係で、どちらもその足並みを乱すことはない。 だからこの世が、プログラムだろうが、因果応報だろうが諸行無常だろうが、決して人の意志が無視される事 なく、その行き先は総意であり、この星に生きるあらゆる力のままに進んでいくことだろう。 「改暦」のことをいうならば、やがてそれは自然とその道へ進むだろう。時が熟すその日までに。 そこで無理な力は歪みを生み出すし、グレゴリオ暦が機能しているうちは 便宜上それを使用するよりない。 無血革命でしかない。自由意志だ。カレンダーには見えざる力がある。 すべての人間が一斉に「13の月の暦」に改暦し、同じように同じ景色を見たならば、とんでもない魔法が 起きうることは想像出来る。グレゴリオ暦が見せた景色とは一変するはずだ。 暴力、戦争、拝金、汚職、陵辱された自然、血で血を洗う凄惨なテロ、宗教戦争、そんなものの 悪意の連鎖に句点を打つ、新しい世界を見ることができることだろう。 同じように月夜の下で、同じように足をならし。そしてこれは、どうしても、自然と皆が同じ方向を意識し 始めて、やっとやってくる。誰の介入もなく、羽毛のように軽く、降り注ぐ陽光のように均等に、 自身の役割を意識して、自然に生きた時にしかやって来ない景観。 今、見える者はそれを見て、そして少しでも伝えていくしかない。 自身の出来る範囲を越えることなく、友達に、仲間に、恋人に、兄弟に、そっと囁く。 できることはそこまでで、後はそれに触れた者の選択だ。ゆっくりと動いていく。それは亀のように。 イメージを解放しろ、という言葉はすごい。

G暦来年3月(今年太陽の月)に、「13の月の暦」提唱者のホゼ・アグエイアス氏が日本にやってくる。 この暦は、G2012年に終焉を迎える。あとマヤの長期計算法による最後の年まで、9年と少し。 7:7:7:7 を意識してみよう。In Lakechi



「バイト道・其ノ壱」

自己存在(04)の月10日【KIN 247】青い宇宙の手
G暦2003.10.27


「宇宙戦艦ヤマト」をDVDで借りた。こないだの流れで、ふと借りてみたのだが、ううむ、小学時分の気持ち は戻ってこなかった。スターシアが生きてイスカンダルにいるバージョンと、死んでしまっているバージョンの二つが収録されていた。公開当時はどっちだったんだろう? それでもって、「メーテル・レジェンド」というのも借りてみた。メーテルとエメラルダスが姉妹で、 母親のプロメシュームは、1000年女王の雪野弥生であった。「1000年女王」というのも中途半端で 終わってしまった作品だったけれど、そうやって連鎖してるんですね。プロメシュームが機械の身体になって しまう過程を描いていて、最後には銀河鉄道999も登場する。特典映像に、松本零士インタビューも収録され いつか彼の言うように、すべてが周回して、時間の輪が過去から未来へと繋がるといいですね。 「ミライザーバン」はその時間を描いた作品。すんばらしいんで機会があれば一度どうぞ。 ところで最近、さくらももこ「コジコジ」のビデオがどこのレンタル屋にも無いのですが、どうしてだろう? 若い人に「コジコジって何?」て尋ねられるとビックリしてしまう。「ちびまる子」は知っているのに。 そんなに知名度が低いのか?発禁・回収なのか??あの独自の宇宙感が人を無気力にさせてしまうのか??? ナゾがナゾ呼ぶ殺人事件なのかっ????そんなに自分はオヤジ化が進行してしまってるのか????? サルマタケ!?(意味不明)

それで「アルバイト道」なわけですが、こりゃネタ的にいくらでも書けてしまっちゃったりしてしまうんで、 切り売りでいこうと思いまして「其ノ壱」と相成りました。 「傷だらけの天使」「探偵物語」「俺たちは天使だ」偉大なTVドラマがありました。 誰でも一度は探偵に憧れたハズです。そんな風にカッコよく、運が悪けりゃ死ぬだけさ的な世界の敷居は かなり高く、普通は浮気の素行調査辺りが関の山であります。 私も友達の紹介で、いわゆる興信所へとバイトに行きました。ていうか、何でも屋です。 その友達は僕を紹介した後、行方不明になりました。否、一度現れて、なぜかそいつに手痛く殴られ、 また消えてしまいました。普段は電話番ばかりで、従業員は自分ひとり、社長はいつも居ません。 依頼が入ってくると、丁重に断ります。電話番の他には、事務所で飼っているピラニアの世話と、 社長の洗濯などでした。社長は強持てで、ヤーさんでは無いのですが、憧れているというか、限り無くそれに 近付きたいようなふうで、実際付き合いもあるようで、一度あまりにも暇でその辺にあったビデオテープを 再生してみたら、なんらかの何々組襲名式が一部始終映っていて、気落ちしました。 またある時は、友人の自動車事故をかなりのスピードで解決。ちょっとした接触だったのですが、社長の 知り合いの病院に診断書を書かせ、保険屋を脅し、70万円ぐらいブン取っていました。それで、7割ぐらい 持っていってしまいました。お金になることなら、何でもするようです。 それでも一度だけ、ちゃんと素行調査をしたことがあるんですが、同業者の仕切りに便乗しただけで、 僕の役目は、原付バイクに仕掛けた盗聴受信機を現場の近くに置いてくる、というだけでした。 良い思い出といえば、仕事が楽、ていうか暇で、けれどもかなり高給。 木刀持って追い掛けられたりもしましたが、決して、乱暴者ではないのです。優しくだってできるさ〜。 (by.RCサクセション)社長とその愛人さんとで食べたシャブシャブは忘れられません。 案外とファミリースタンス的な面もあったのです。ていうか、ゴッドファーザーしかり、か。 流行ったダイヤルQ2てのでも荒稼ぎした。自分でQ2立ち上げて、偽造テレカで掛けまくり、 NTTから情報料をせしめるってやつ。その頃には、友達も誘い、深夜人気の無い場所へ行っては、 何十台という公衆電話にテレカを差し込んで、何時間も番してたりした。不毛な仕事だ。 さて、ここからが、聞くも涙、語るも涙なのであります。そんな仕合わせな日々も終わりを告げ、 その友人と二人、社長の縁故のスナックへと送り込まれてしまうのです。蝶ネクタイを締め、片膝付いて、「いらっしゃいませ」である。レーザーカラオケな日々。ホステスさんにコキ使われ、消耗する日々。 嗚呼、フルーツ盛りな日々。最終電車でグッタリと帰宅する日々。 その次には、なぜかバイク便へと駆り出される。いったい何のバイトをしているのだか、記憶も遠退く。 上がりのうちから何パーセントと、社長の懐へと消えていく。不毛過ぎる。 ただそれを過ぎ、冬が近付きやって来たのが、スキーレンタル屋だ。随分とヘヴィーだったけれど、なにせ 莫大な金が動く。仕組みは簡単、スキー板や靴、ウェアを学生さん相手に貸し出しするだけだ。 事務所で予約を受け、それを倉庫で組み分けて、新宿高層ビルのスキーバスへと運ぶ、そして回収。 ただこれが非道い道具ばかりで、一応、サイズなど身体に合わせてあったりするものの、ビンディングが 壊れてたり、靴の中がビショビショに濡れていたり、服が破れていたり、板のサイズがチグハグだったり、 とにかくもうやっつけ仕事。貸し出しては回収して、また使い回しては、貸し出す。 そしてここがミソなんですが、クレームは一切受け付けない。最初に適当にお客に渡しバスに送り込み、 帰ってきたらさっさとそれを回収するのだ。文句を言われた場合は、高圧的に押さえ付けて良い事になってる。その頃は、かなりパンキッシュなスタイルだったし、鬱憤も溜まってたりして、手荒く処理した。 どうしてもという場合に、地元のヤーさんの呼び出し用に携帯電話も持っていた。その当時の携帯なんて 受話器みたいなごつくて重たいやつ。結局、一度も呼び出す事はなかったし、出動で3万円を徴集されてしまうので、こちらも必死で闘ったのだ。時間拘束も絶対で、友人二人で仕切って、バンドのリハやライヴも あったし、大晦日も正月も無かったし、ボロ雑巾のように働いたが、この仕事は売上から自分らの取り分が 貰え、確か数パーセントでおいしい時には月80万円ぐらい貰っていた。 ま、きっと社長はその何倍もの金をピンハネしてたんだろうが。それでも、21歳のガキには大金だった。 こうして社会のクズ的バイトは、23歳ぐらいまで続いた。確か最後のスキーレンタルは、そのあまりの 非道さにクレームが相次ぎ、すっかり売上が激減し、我々も足を洗う事を決心したのだった。 90年初頭の物語でありました。ところで、勿論、後釜のバイトを探して後を引き継いでもらいましたし、 それから今まで、その社長ともバイトを紹介した人とも、会っていません。 ていうか、このまま行方不明でいたいと心から願うのです。 だから、どうかこの物語は他言無用ということで、次回も心置なく続けたいと希望するわけです。 ショーケンは、カッコいい。彼に憧れても、このように社会の泥沼でもがいて生きていく。 生業(なりわい)てヤツは、ったく。



「飼育道」

自己存在(04)の月06日【KIN 243】青い太陽の夜
G暦2003.10.23


すごく陳腐な例えで恐縮なのですが、新聞勧誘員が、突然、家にやってきたとする。 なかなか手強い相手で、何度断っても諦める気配はない。やっとのことで追い返し、貴重な時間を失敬された ような喪失感を味わいながらも家を出て、駅のホームへ行くと、なんと何年ぶりかの友人と出会す事となる。 これはつまり、あの勧誘員が粘ってくれなければ、このチャンスを不意にしてしまったかも知れないのだ。 偶然の出会い。それを必然ではないかと、勘繰り始める瞬間。 「長い人生、5分や10分、急いだからってなんになる」と、金八先生も云っていた。 すべての出来事は同じように平等に、世界に配置されていて、何かにぶつかり、それをかわしたり 受け止めたりして、それと交わり、新たな関係性を築き、それは丁度、パズルのピースのように型に収まる。 共時性(シンクロニシティ)は、手繰り寄せることが出来るのだ。 メディスンマンのように、自然と調和し、宇宙の鼓動に耳を傾け、月を感じ、信じた事のために動けば、 魔法はやってくるんだ。グッド・メディスンだ。今日は、自由意志の日。宣言をするには良い1日。

今、家には、金魚がいる。子供が、お祭りでもらってきた。僕は、生き物を飼う資格がない。 小学校3〜4年の頃、近所のお墓にある花屋さんから、スピッツ犬を貰った。 "ハッピー"と名付けて可愛がり、首輪や紐無しでも散歩できるぐらいに慣れた頃、学校から戻ると、冷たく なっていた。母親が、例によって紐無しで散歩している時に、道路へ飛び出し、トラックに轢かれてしまったのだ。その屍体にすがって号泣した。屍体は、裏の山へ埋めたのだったが、数年後、そこで工事が始まり、 また掘り返して、火葬した。それから中学生、新宿の高架下にあるペットショップで、柴犬を買った。 名前はまた"ハッピー" マンションのベランダで飼っていたが、糞尿や泣き声で問題となり、東京から名古屋 にある親戚の家へと譲った。この犬は、田舎で仕合わせな一生を終えた。 21歳、バイトをしていた興信所(なんでも屋)で、猫の始末を頼まれた。 2万円ほどを貰い、家で飼う事にした。茶トラの"ビッチ"だ。猫アレルギーな自分は、かなり手を焼いた。 家に閉じ込められ憤懣やるせなさを感じたらしいビッチは、凶暴になっていくばかりで、生傷も絶えず、 去勢をしてみても、家出を繰り返し、まったく不良猫だったけれど、反面、猫可愛がりに溺愛した。 まるで擬人化してしまい、喧嘩もすれば、嫉妬もしたし、叩けば引っ掻かられた。 そのうち3回の引っ越し。その当時に付き合っていた女性と一緒に付いてきた。 その女性と別れると同時に、ビッチは死んでしまった。ビッチが生きていた4〜5年余り、あまりの痴呆さに 海水魚飼育に手を出してしまった。最初は、タツノオトシゴだ。飼育の難しい無脊椎動物。 小さい頃、国立博物館で手に入れたミイラを、後生大事に、今も持っている。あの不思議な生物を、家で飼う 事が出来るなんて、といってもすぐに落ちた(死ぬという意)。まずは基本から、テストフィッシュに スズメダイを購入。そのうち珊瑚なども買い、60cm水槽が120cm水槽に、気付いたら 180cm2槽の特注水槽なんかを購入しちゃって、どこかの海から誘拐してきた魚達が乱舞している。 2万円のウズマキ(タテジマキンチャクダイの稚魚)を買い、3日で落ちた時は、さすがに唖然となった。 そいつらに加え、迷子の鼬のフェレットなんてやつも現れた。ああ、もうそこで、糞詰まりだった。 僕にとって愛玩動物は不必要なんだ。インコを台風の日に、外へホッポリ出したままにして殺した事もある。 カブトムシの幼虫を、地中深く埋め過ぎて、春先に掘り起こしてみたら、あと少しで地上だったのに、成虫は 息絶えていた。海水魚は海へ帰した。東京湾では、すぐに死んでしまったことだろう。 食肉工場で解体される牛や豚、鳥たちを横目に、轢かれた猫の生温かい身体を抱き上げ、埋めにいった。 土が思ったように掘れないので、鳥葬にすることにして、公園に放置してきた。道路脇よりゃいいだろう。 偽善者め。それはそうと、望む望まずに関わらず、やつらはやってくる。強いものに惹かれるように。 それも、巡り合わせだ。金魚は、とりあえず家で生きている。あ、一匹、落ちかかってるなぁ。

この「道」シリーズ、案外、楽しいナ。そんなのを、踏み付けながら、ここにふんぞり返っている自分。 さっき、100号を迎えたメルマガを廃刊にしてきた。毎号、毎号の不平不満、愚痴やら宣伝やらの媒体。 ようやく役目を終えた。すべては、いつものように中途半端か、という声がする。 そう、それでいいじゃないか、良いことも悪いことも同乗しているんだから。同じように関わり合い、 そして僕自身を転がしていく。
詰り「水到りて渠成る」



「まんが道」

自己存在(04)の月03日【KIN 240】黄色い律動の太陽
G暦2003.10.20


絵本はたくさん買い与えられた。誕生日毎に増えていったので、いわゆる中産階級な家だった。 佐藤さとる・作、村上勉・画「おおきな きが ほしい」がお気に入りで、小学校に入ると 「だれも知らない小さな国」シリーズに夢中になった。コロボックル(小人)の話。 そういった感じで、空想癖は成人まで続いたようだ。浦沢直樹「20世紀少年」の子供時代のように、 秘密基地を作って、仲間とエッチ雑誌や、永井豪「あばしり一家」なんてのを持ち込んで興奮していた。 その空想癖も、いつの間にやらこじんまりとまとまって、現実の延長戦になってしまった辺りでつまらなくなってしまう。 この現実社会で起こり得ないような荒唐無稽な空想は、完全にどこかで抑え込まれてしまった。 人が空を飛べなくなってしまった瞬間だ。小学時代は、漫画家に憧れた。絵は上手くなかった。 模写なら出来るが、それ以上、発展させる技術を持たなかった。友達の絵の真似ばかりしていたようだ。 映画「宇宙戦艦ヤマト」が77年、「スターウォーズ1作目」が78年、自分が10歳の頃にやってきた。 それからは松本零士にとり憑かれ、小学時分に「男おいどん」に憧れてしまうのだから、四畳半人生は決定 してしまったようなもんである。中学までには、ほとんど彼の作品は集めてしまう。 一人の著者に夢中になると、全ての作品を網羅しないと気が済まない性分である。 もちろん、その当時は松本零士の全盛期で、「銀河鉄道999」「キャプテンハーロック」「エメラルダス」 「1000年女王」など次々と作品化されていた。漫画で好きなものは、「ミライザーバン」と「ワダチ」 いまだに読んでいる。まあ、息子の名前にしてしまうのだから酔狂だ。 手塚治虫氏は別枠だろう。この人の漫画は、人生を変えてしまう力を持っている。 「火の鳥」はバイブルだし、「三つ目がとおる」は手放せないし、「ブラックジャック」「ブッダ」「奇子」 「上を下へのジレッタ」数え上げたらキリがなく、この人の漫画と共に生きてきたと云っても過言じゃない。 御多分にもれず藤子不二雄「ドラえもん」の道具を考えてハガキで送ったし、「パーマン」や「オバQ」 A氏の「魔太郎がくる」や「ブラック商会変奇朗」も良かった。石森章太郎「仮面ライダー」から「ロボコン」「サイボーグ009」までテレビでお馴染みで、横山光輝「バビル二世」も好きだった。 永井豪なら「デビルマン」や「バイオレンスジャック」「凄ノ王」「手天童子」それからエッチな 「花平バズーカ」などこの人にしか書けないSFマンガだった。 水木しげる「鬼太郎」シリーズ、お婆ちゃんの家へ行けば白土三平「忍者武芸帳」や「サスケ」があったし、 「愛と誠」や「あしたのジョー」「巨人の星」など親戚のお兄ちゃんとこの本棚には絶対に並んでいた。 どこでどんなふうに、その漫画を読んでいたのかさえ覚えているのだから、人生の起きている時間のかなりを 費やして漫画を貪り読んでいたのだ。 中学時分は活字へとハマっていった。SF小説ばかりで、星新一や小松左京、半村良、そしてなにはなくとも 筒井康隆だった。いやそれでも、「ガンダム」からの流れでロボットアニメ全盛期。 「イデオン」から「ザブングル」「マクロス」「ダンバイン」なんてのもあった。見てた見てた。 さらに恥ずかしながら、高橋留美子「うる星やつら」なんてファンクラブに入ってたりしたり…。 彼女の後の「めぞん一刻」も素晴らしかった。 少年ジャンプも全盛で、鳥山明「Dr.スランプ」は絵の綺麗さに魅了された。「ドラゴンボール」へと続く、ゴールデンロード。 そこで、大友克洋登場、「童夢」からこの人には、かなりのめりこんだ。「AKIRA」は当然手放せないでいる。 松本大洋「鉄コン筋クリート」もやられた。この人にものめりこんだ。 10代後半は、ヤング冠雑誌を毎週購入し、相原コージから、蛭子能収、しりあがり寿、泉昌之「カッコいい スキヤキ」、つげ義春へと連なるゲテモノ喰い。 その傍ら、いわゆる古典と呼ばれる小説群を読み漁った。太宰治しか愛せなかったけど。 さて、それからにジャンルはない。ロックバンドの詩を書くためにパクれるものはないかと、フランス文学。 コクトー詩集なんてのから、ヴェルレーヌ、ヴァレリー。失恋すれば、リルケ。 ビートなら、ギンズバーグにハックスリー、バロウズと。ブコウスキーに、ポール・オースター。 今集めているのは、小山ゆう「あずみ」と「20世紀少年」。 しかし、漫画にはいつだって真剣だ。あの至福にして至高の時間。コマの間、止まっているはずの人物が、 想像の世界で立ち回り、新しい物語を開示する。自分は、もはやこの現実には存在せず、あの紙面へと吸い込まれていた。 そんな風に僕の心の中では、ピーターパンは空を飛び、元気は関拳児と闘い、サスケは分身の術を使い、 アムロは地球に幽閉され、コジコジは相変わらずで、ルパンは銭形に追い掛けられ、ブラックジャックは どこかでメスを振るっているのだ。 それは揺るぎない事実。それにしても、マンガ喫茶へは行った事が無いのですが、怖くて行けないのです。 マンガ喫茶やレンタルビデオ屋なら、監禁されても、嬉々としていられるだろふから。 高度成長、ありがとう。この平和と平穏が、長く続きますように。 PEACE!


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